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58. アリスとバティーク②

 見合いの期間はひと月と設定されていたが、その日バティークはアリスから『私は見合いの合話を受けたいと思っている』と告げられた。

「もう決めてしまってよろしいのですか?」

 困惑の色を浮かべる垂れ目に、アリスはたおやかに頷く。

「もちろん、ウィリアム陛下にはお作法通り最終日にお伝えいたします。ただ、事前にバティーク様には意思を伝えておきたくて」


 セザンヌ通りと直角に交差する川沿いを、二人で散歩する。

 後ろには、会話が聞こえぬ距離で護衛が続く。


「殿下はそれで良いのですか? 何と言うかその、今回は二国間でも殿下には自由に決めて頂きたいという思いが働いております。破談も有りだと……正直、私は自分でもパッとしない人間でして」

「まぁ、バティーク様! そんな風に仰らないで下さい。私、バティーク様と自分がとても似ているな、って思っているんです。それなら私もパッとしないわ」

「ええええええええええーっと、そんなことは」

 慌てふためいたバティークに、王女は日傘の下でコロコロと笑う。

「先日お話した通り、前回の結婚は国にも不利益を与えましたし、帰国してから立ち回り方ひとつわからなかった自分に随分と落ち込みました。まさか油田の権利が半減するなど思いもしなくて。大人になり切れていなかった私には売買契約の約款など見るという頭もなく……。それでも父は私に甘くて、次の結婚は必ず良い縁談にするからと。頭まで下げてくださいました。まぁ、この通り選び過ぎて大分歳をとってしまいましたが。そんな私なのです、バティーク様に相応しいとは自分でも思えません。ですが、国家間としては次の大戦を考えれば良いご縁だと思うのです。双方に強い利が生まれます」

「……ええ」

 立ち止まったアリスが、バティークの手をそっと握る。

「私、色恋がなくても構いません」

「殿下」

「マルーンの皆さんの周囲は本当に温かくて……素敵だと思います。このお家に嫁げたら幸せだろうなぁ、って毎晩思うようになりました。ブランドン様も少しお話しただけでも懐が深くて、シャルロット様は色々ご事情があったようですが、だからこそのあの朗らかで自由なご様子も本当に可愛らしいと思います」

「ありがとうございます」

「大きくなってからあんなに可愛い女性がお側にいらっしゃるようになったバティーク様のご様子を頭に思い浮かべたら、私ったらその妄想が止まらないくらい」

「あ~……」

 狼狽えるバティークに王女はまた歯を見せる。王女らしくない、飾り気のない笑み。

「それでね、良いのですよ」

「はぁ」

「私、役に立ちたいのです、今度こそ。貴国を好ましく思います。父から子どものことなども何も気にしなくて良いと言われているので、バティーク様は無理されなくて良いと思うのです。お友達のような夫婦になれないでしょうか? そういう風に、架け橋としてこのご縁を賜りたいと思っております」

「………」

 五月の陽気は黄色い花々を満開にさせ、川のほとりでは生温かな風が草木を揺らす。花の周りには蜂が飛び、まるでダンスをしているように穏やかな昼。王女の笑みは溶け入る程に、この陽気に相応しい。


 黙ってうつむいてしまったバティークの顔を覗き込んで、アリスは小さな声で謝った。

「一方的にごめんなさい。バティーク様には利が少ない縁かもしれませんね」

「! いや、そのようなことは決して……違うのです」

 言葉を、引いては自身の気持ちを見つけられずにバティークはブンブンと首を振る。


 僕はそんな結婚がしたいんじゃない。

 友達なら沢山いる。女性の友だって。


 いや、違う。

 そんなことが言いたいのではない。


 じゃあ、お前は何が言いたいんだ?


 口を開けて固まってしまった見合い相手の男を、その陽射しと同じくらい柔らかな表情のままで撫で、アリスは誘う。

「驚かせてしまってごめんなさい。とにかく、お伝えしたくって。バティーク様はゆっくり考えてみてください? こんな私と生涯添うても、後悔しないかを」

「……はい」

「では、参りましょう。キャンティーズは右ですね?」

「ええ、はい」



 元王女から聞いたイケメン騎士との馴れ初め話を妄想したアリスの希望でやってきたキャンティーズは十年前から変わらず今日も盛況だった。店員に促され、バティークと王女も待合の列に並ぶ。

「ビビアン様と同じですね! 嬉しいわ」

「ふふ、そうですね。ということは」

 二人が並んで道路向かいにある店を見る。

「あ………?」

「大変だわ、バティーク様!」

 キャンティーズの向かいには、衣料品店が無かった。

 右側にあるのは雑貨屋、左側には……。

「バティーク様、これは何のお店なのでしょう」

 アリスが首を傾ける。バティークも同様に首を捻った。

 衣料の類は一切がなく、食べ物を置いている気配もない。広いスタジオのようなガラス越しに見える空間には、柔らかそうな細長い形状の敷物が等間隔に配置されているのが見える。

「あ、ヨガ教室でしょうか」

「ヨガ?」

「殿下、ご存知ありませんか? ヨガ」

「ええ、存じ上げませんわ」

「インドが発祥と言われる運動……エクササイズです。様々なポージングをするのですが、呼吸を意識しながらゆーっくりするんですよ。結構これがポーズによっては大変で」

「バティーク様もされるのですか?」

「ヴァリャ先生というヨガ講師と契約してましてね。最初はビビアンが呼んだのです、ウェーバー家に嫁ぐ以前にシャルロットと四人で暮らしていた間に。ヨガがしたいって言いましてね。それで先生から、どうも朝からするのが良いと言って、早起きして二人がやっているのを見て、物は試しでやってみようかと」

「まぁ、素敵」

「気持ちがいいんですよ。すごく頭がすっきりして一日朝から仕事も捗ります。身体もほぐれますし。今では屋敷の誰でも参加できるようにして、よく裏手の芝生とかでヨガ教室をしてもらっています」

「楽しそう、やってみたい…!」

 王女は瞳をキラキラさせて乗って来る。

「はは。やりますか? 先生を呼びますよ。ビビアンもロティもまだいるし、皆で一緒に楽しめます」

「はい、是非!」

 嬉しそうなアリスとヨガについて話していると、前のスタジオから揃いのティシャツを着た店員が出て来ていくつかの幟を通路に立て始めた。

「午後の営業を開始します~! いかがですか、気持ちいいですよ」

「どうですか? 最近疲れていらっしゃいませんか」

 店員たちは元気よく声をあげ、通りを歩く人々に営業を始める。手にはチラシを持って。じっと見ていた二人にも、店員がチラシを渡しにやってきた。

「どうぞ、おひとつ!」

「ああ、どうも………アタマジール?」

「はい! 当店、頭のマッサージを得意とするマッサージ店でございまして」

「頭ですか?」

 バティークが貰ったチラシを覗き込んだアリスが尋ねる。

「ご存知ありませんか? 最近アリンドでは大流行の兆しですよ! 頭のマッサージ屋!! ウチもね、実は三日前にオープンしたばっかりでして。どうです、どばどば出しますよ、頭汁を」

「あたまじる……?」

 アリスもバティークも怪訝な顔で店員の顔を見る。

「わははははは、そう驚かれず! 本当は頭からなんて何にも出ませんけどね。疲れが吹っ飛びます、ってな感じで」

 わーっはっはっはっは。


 何がおかしいのかさっぱりわからなかったが、店員はまた他の人間へとチラシを配りに去って行った。



 ****


 キャンティーズの帰りにヴァリャ先生の事務所を訪ね、翌朝の予約が為された。

 朝焼けの紫と赤い空の下で、思い思いにマットを敷いたマルーン邸の人間たちが先生と共にポージングを始める。

「はいて~………………すって~……………」


 見よう見まねで始めるアリスをバティークが時々こっそり教えてリードする。

「あいたたた……」

「無理はしないで、出来る所まで。自分が気持ちいい所までで大丈夫ですよ」

「付け根がびっくりする程痛くて! すごいわ、バティーク様、柔らかいんですね」

「いやいや、僕はまだそれほど。あの二人の方が上手でしょう。ミラも上手ですよ」

 指さす方向を見れば、微動だにせず完璧なポージングをするビビアンとシャルロットがいる。

「私たち、この時間が一日で一番真剣だから!」

「朝に全部終わってるじゃないか、それ」

 ビビアンの軽口にバティークが返すと、『全員、シュウチュウ!!』と怒られた。

 アリスがクスクスと笑う。


「あっ、ジェフ!」

 朝焼けの中を午前休予定の宰相が怠そうに近づいてくる。見つけたシャルロットが目を丸くした。

「……ぉ……」

「もう起きたの?」

 頷きながらズルズルとマットを引きずって、片足でポーズを決める妻の横に投げた。

「だるい…」

「何しにいらっしゃったのかしら? 二日酔いでヨガは出来ないわよ」

 自分は棚に上げたビビアンがバカにしたように嘲笑う。

「起きたらいなかった…」

「ん~、ぐっすり寝ていたから。起こさなかったの」

 ここで寝とく? とシャルロットが聞くと、ぼんやりしていた後でマットに横になり寝始める。

「ねぇ、本当に何しに来たの!? このおじさん」

「可愛いじゃない。うふふ」

「大体、パジャマにガウンて何? ヨガする気ゼロじゃない」

「でもビビ、パジャマじゃなくても、ジェフにヨガなんて出来ないわ」

「地味にけなしているけど、それ」

「そう?」


 それからレッスンを終え、解散になる。

「ジェフ、起きて。終わりました!」

「んー」

 顔を顰める宰相をアリスにバティーク、シャルロットとビビアン、ヴァリャ先生が覗き込む。

「サイショー、オツカレ!」

「そう、疲れているんだね。遅いのに毎日わざわざこっちに帰るから。クマがもう限界だよ」

 バティークが目の下のクマを指さす。

「そうよねぇ。昨日も十二時近くに来て。そこから嫌がる眼鏡と飲んでたし、すぐ寝ればいいのに」

「今日は午前がお休みだったから、ちょっと遊びたかったのよ。ねぇ? ジェフ。部屋でもう一度寝ますか?」

 しゃがんだシャルロットが前髪を掻き分けて撫でてやると、睫毛がピクピクと動いた。

「あ゛~~~~~…いや、起きる。俺は起きる」

 一生懸命気合を入れようとするが、溜息になるばかりで目は開かない。

「よく眠れなかったんですか? 頭でも押してあげましょうか」

 眠りながらも頷いたジェフを両脚で挟んで下腹部に乗せ、シャルロットは可愛い夫の頭を押し始めた。アリスとバティークその様子をポカンと見る。

「ロティ、何やってるんだ?」

「頭を押してあげると、気持ち良いんですよ。ママによくしてあげていたの。ジェフもこれが大好きなんです。ね?」

「バティークも、殿下の頭を……押して差し上げればいい」

「起きてるんじゃないの、ジェフ様。私も今日はエステしてもらおうかしら。どうせロティは空いてないし」

「あ~……濃密な頭汁が出て行く」

「くふふ。おめでとうございます」

 アリスの目が真ん丸になる。

「バティーク様、もしかしてこの世には頭汁なるものが存在しているのですか?」

「いやぁ~! まさか。そんなはずは……だけど何でそんな頭汁なんて流行っているんだ」

 薄っすらと目を開けたジェフが、腕を伸ばしてシャルロットの頭を撫でる。

「グラハムには例のアレで大きな貸しを作ったからな。何かプライベートな馴れ初めネタを教えろというから、ロティとよく頭のマッサージをしたと言ったら、経済誌の『次に来る商戦ランキング』にアイツがふざけて書いたんだ。そしたら」

「だから頭のマッサージが流行ってるんですか!?」

 バティークの驚いた声に、シャルロットがケタケタと笑っている。

「グラハムさんは変人なのよ。ジェフと同じくらい変な人だった」

「あいつは政治記者の癖に質問が全部ゴシップなんだ。いかれてる」

「ジェフ、そろそろ目が覚めてきた?」

「ん~……まだだ」

「ふふ? なぁに」

 妻の頭を撫でていた手に力がかかり、笑いながらシャルロットがぐーっと頭を下げられてジェフとキスをする。

 そのままキャッキャと楽しそうに二人の世界に入って行く。


 バティークは馬鹿らしくなって隣の王女を見た。

「でん……」


 その時のアリスの表情を、一体どう表現できただろうか。

 アリスは妹夫婦の仲睦まじい様子に時を止めたように見入っていた。

 唇を半開きにして、瞬きも忘れ、眩しそうにして、胸をおさえ。



「殿下」

「……………」

「アリス殿下」

「っは。あ、あ、はい? ごめんなさい。何でしたかしら」

「いえ……朝食に行きませんか? あの二人は放っておいて」

「私も戻ろ~っと。ヴァリャ先生、ありがとうございました!」

「マタネ、ヴィヴィ~」

 ビビアンがすたこらと屋敷に戻っていく。

「はい、もちろん。朝からヨガをしたら身体に良いものを食べたくなりますね?」

 にこにこと、アリスがマットを片付けて、初体験でとっても楽しかったと感想を述べる。ヴァリャ先生とハグをして、手を振って屋敷に戻る。

「着替えます?」

「いや、僕はもうこのままでも。殿下はどうされますか?」

「では私もこのままで」

 二人は穏やかに確認し合ってダイニングに向かう。


 バティークは脳裏に焼き付いてしまった王女の顔が頭から離れなかった。


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