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56. 番外編・メイドとご主人

 でも、とカーター次期侯爵の若奥様は情けない声をだした。

 日曜の昼下がり。ビビアンがランチを食べに来た後のティータイムである。セバスとテルミアも一緒に腰かけ紅茶を飲む。


「何もしないのはちょっと。そりゃあ上手く奥様はできないかもしれませんが」

「そうではありません! 領地や屋敷のことなど二の次! 今の奥様のお仕事は、ひたすら坊ちゃまを骨抜きにされることなのですよ」

 老執事の横で専属侍女が何度も頷く。

「まぁ、もう、なってるけどね?」

「ビビアン様、お静かに願います」

「これ以上の骨を抜かれてもみっともないだけじゃない? おじさまが若い女に参ってる絵面のなんとまぁ」

「ビビアン!」

「ビビアン!!」

 年配者から牙をむかれて肩を縮めると次期子爵夫人は親友にひっつく。

「やぁだ、怖いったら」

「ジェフはいつでも可愛いわよ、ビビ」

 セバスが深く頷く。

「さようでございますよ。鼻の下が伸びていようがいまいが、坊ちゃまは天使です」

「天使だって。あれが!? やばくない?」

 二人ともおかしそうにケラケラ笑う。

「セバスさんは坊ちゃま病だもの。いつだってジェフは赤ちゃんなのよ。ねぇ、でも三つくらいで良いからお仕事させてください。邪魔にはならないようにがんばりますから」

「坊ちゃまを骨抜きにして、毎晩お誘いし、お早めに御子を」

 指折り三つ数えてセバスが言うのをテルミアが嫌そうな顔で見る。

「最悪ですね、セバス」

「本当に最悪」

「なぜですか!! このセバスが生存しているうちに間に合って頂かなくては」

「女性に対する蔑視ですよ。あなたのそういうデリカシーのなさが原因で……」

 シャルロットとビビアンからのギンギンの視線に気づき、テルミアがコホンと咳払いして黙った。

「あ、黙っちゃった」

「今度からは知らんぷりしとかなきゃ」

「……コホン。では奥様、テルミアから二つのお仕事依頼です」

「!」

 シャルロットが口を開けて専属侍女を見上げる。

「一度、メイドの仕事を全部ついて回って見学とお手伝いをしていただきましょう。その時にいつも通り色んなメイドたちと是非おしゃべりを」

「おしゃべりですか? 仕事を覚えるではなくて」

「はい。やはり私やセバスだと歳もキャリアも違いますから、実際の不満を聞くのは難しい所なのです。ですからやる気が出ないとか不要な仕事だと感じていないかなどを見て回っていただけないかと」

「スパイ…!」

「え? スパイと言うほどでも」

 シャルロットは真剣に頷く。シャルロット・スパイウーマンの再要請に、奥様の体内にはアドレナリンが漲る。

「メイド服などもご用意しますので、お友達気分でお願いします。元々メイドたちは奥様に対して気安いですから。メイドに混じったとお思い下さい」

「なにそれ、メイド服着れるの? なんか楽しそう」

 羨ましそうな顔をしてビビアンが呟く。

「ビビもする?」

「する~!」

「その後は旦那様のお食事の給仕をお願いします。可愛らしいメイドでお喜びになるでしょう」

 セバスが噎せている。

「テルミア、急にゲ」

「お静かに願います。殿方はお好きでしょう? メイド服が。ねぇ、セバス」

「……あ~……あ、そろそろヴィゴとチェスをする約束だった」

 急に立ち上がり、バタバタと忙しそうに出て行った。


 シャルロットとビビアンはにやける口元を押さえ、テルミアの顔をじっと見て話をねだる。

「セバスは今でこそアレですが、三十代の頃は結構モテたのですよ。この屋敷では、ですよ。他所では知りません。あの通り物腰は柔らかいし、由緒ある屋敷の一流執事。ジェフ様の聡明さに怯まぬ様にと若い頃から様々に勉強していたから知識も豊富で。若い女の子からすれば憧れるのに何の不思議もありません……ですが」

 わくわくして、二人は続きを待つ。

「セバスは屋敷の女性には絶対にお手付きをしませんでした。それが彼の流儀らしくて」

「あれ、でも」

「わたくしはカーター家のメイドではなかったのです、最初は」

「えっ」

「バルカスに聞いたことあるわ。テルミアたん、最初は近くのパークス伯爵家のメイドだったんでしょう」

「そうです。女学校を出て、最初に働き始めたのがパークス様のお屋敷でした。見習いですからお遣いが多くて。花屋に菓子店に市場に、色々と足らず買いを頼まれました。当時のメイド頭と執事が忘れっぽい人たちで、本当に毎日少しずつ何かを買いに行かされるのです。それで段々とまとまったお金を渡されるようになったのですが、ある日買い物先でお金が足りないことに気が付いて」

 テルミアは思い出すかのように明後日の方向を見る。

「そこで、たまたま居合わせたセバスが払ってくれたのです。パークス様のお屋敷の子だろう、って。そこから付き合うようになりました」

「え、ちょっと待って。展開が早くない? 大事な所を端折らないでよ」

「どっちが好きになったのですか?」

「もう忘れました。うんと昔の話です」

 シャルロットとビビアンが『ケチだ!』『知りたい知りたい』とねだったが、澄ましたテルミアは教えてくれない。

「まぁ、とにかく付き合ったのですが、言いたいのはそこではなくて、セバスはバカみたいにメイド服が好きだった、ということですね」

「テルミアたん、セバスちゃんに『ご主人様ぁ』とか言ったの?」

「………」

 険しい顔の侍女が宙を睨んでいる。

「これ、どっち? 言ったと思う?」

「わかんない……でも言ってなかったら否定するんじゃないかしら」

 コホン、と一つ咳払いをしたテルミアが『ではメイド服をご用意しますので』と言って去って行った。



 ****


「こちら、コンソメスープでございます」

 ジェフが一生懸命奥歯を噛んで耐えている。

「ではごゆっくり、どうぞ」

 カーター侯爵家の自称新人メイドがにっこり愛想を振りまいて消えていく。老執事が後姿を見守った。

「何とお可愛らしい……言っておきますが、これは私の発案ではございません」

「じゃあ、誰の!?」

「テルミアです」

「何を考えてるんだ」

「でも坊ちゃま、さっきからお口元が」

「あ~! やめろ! 酒だ、酒を持ってこい!!」

「もうやめさせますか?」

「………」


 結局スープの後で、新人メイドは旦那様の残りの食事と共に夫婦の寝室に放り込まれる。

「パンはいかがですか?」

「楽しんでるな」

「楽しんでいるというよりも、正直とてもしっくり来ています」

 元来が苦労人ゆえに、公爵令嬢や次期侯爵夫人などよりも新人メイドの方が非常に気持ちが落ち着くのは仕方がなかった。シャルロットはパンを千切って笑う口の中に入れてやる。

「どうしてダイニングからこっちに移動したの?」

「内緒」

 これ以上この屋敷の主人として恥を晒したくないからだ、と胸中で吐露するが口には出さぬ。

「ずっとその恰好を?」

「はい。今日はテルミアさんからお仕事を頼まれて、メイドの皆さんの偵察でした。洗濯とか、アイロンとかお皿を拭いたりとかして、お喋りをして不満を聞くお仕事です」

「ふぅん。不満はあった?」

「メイド服をもっと可愛くして欲しいって」

「わかった」

 幾らでも出そう。

「あとは、皆さんが住んでいる離れにクリスマスのライトアップとか飾り付けとかをしたいそうです」

「不満じゃなくて要望を聞いてないか?」

「本当だ。ふふ。でも多分不満はそんなに無さそうでしたよ。セバスさんが洗濯機も買ってくださったり、アイロンも最新だから使いやすくて他のお屋敷よりも仕事は楽って仰っていました」

「ほぉ」

 主人は久しぶりに老執事を見直した。

「私も少しずつお仕事をしたいと思っていましたが、セバスさんとテルミアさんがいるこのお屋敷では私のできる女主人としての仕事は微々たるものだと改めて感じました。お二人は完璧過ぎて」

「女主人!」

「そう。だから自分でも嫌になるくらいメイド服がしっくり来ます」

 ローストビーフを食べながらジェフが肩を揺らしている。

「女主人になりたい?」

「ん~、ジェフの奥さんになりたいから」

「ん? 君はシャルロット・カーターのはずだが?」

「立派な奥さんに、です。いつまでも小娘じゃカーター家が困るでしょう」

「別に困らない。ゆっくりでいい」

 むしろずっと可愛いままでも良いのだが。主人はメイドを抱き寄せる。

「あ! これって、ママとパパみたい」

「あぁ、確かに。母上はメイド服を着ていたはずだな」

「こんな感じでデートしていたのかしら」

「そうじゃないか。ダンスもしてたんだろう? 屋敷で仲良くしてたろうな」

「ご主人様ぁ」

「………」

「あ、今のはテルミアさんがセバスさんに言ってたっぽい台詞です。ママもパパのことそう言ってたのかな、って」

 可笑しいのとにやけるのを我慢できなくなって、とうとうジェフが笑い出す。

「三文小説の読みすぎだ」

「でもセバスさんはメイド服がバカみたいに好きだったんですって。だからそう言わせたんじゃないかって。ビビが言ったのよ」

「全く王女は碌なこと言わんな」

「多分その王女も今同じ格好して、バルカスさんに『ご主人様』って言ってます」

 赤毛は嬉しそうにメイド服を着て帰った。

「ビビアンもメイド服を? バルカスは真っ青だろうな」

 いや、真っ赤かもしれない。ジェフは面白おかしく想像してみる。

「まぁ、でも」

「はい?」

「メイド服もたまには良い」

 長い指が編まれたミルクティー色の髪を解いていく。

 変態セバスに今度一番美味い酒を飲ませてやろう。

「本当?」

「可愛いメイドにも褒美だな」

「ありがとうございます……ご主人様?」

 ご主人様のハンサムな顔が近づいて、新人メイドは嬉しそうに目を閉じた。


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