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55. 番外編・父娘

 春のローレンスには、色とりどりの花が咲いている。

 受付からなだらかな坂を上がると、眼下には緩く下り勾配がついた草原が広がる。一面の緑には等間隔に並んだ白や黒、灰色の墓石。


 父が迷いなく母の眠る場所へ向かって行くのを、シャルロットは言葉に出来ない思いで見つめた。


 父はもう、何度もこの丘を訪れていると言う。


「シャルロット様」

「あ……はい」

 後ろから荷物を持って来たオズワルドに促され、途中で振り返って自分を待つ父へと急ぐ。

「どうした?」

「んーん、何にも」


 母の墓の前で眼鏡が紙袋を置き、中から大きな布を出して草の上に広げてくれる。

「ありがとうございます」

「では、私は受付におります」

「ああ」

 眼鏡は父に一礼して、また坂を登っていく。

「座ろうか、ロティ」

「はい!」

 にっこりしてシャルロットは頷いて、父娘は柔らかい布の上に座り込む。それから互いに用意してきた品々を紙袋からひとつひとつ取り出して、墓前に並べた。


 シャルロットが買って来たいつもの袋菓子、ブランドンが買って来たウィスキー、屋敷のシェフが作ってくれたプディング、恋の歌のレコード、シャルロットの一回目のウェディングドレス姿と父母の記念写真が入った小さなアルバム。

「ウィスキー!」

「そうだ。ソフィアはウィスキーが好きだった。この銘柄が好きでよく飲んでいた」

「そうなんだ……いつも、ママに持ってきたいなぁって思っていたんだけど、どれを飲んでいたのか覚えていなかったから、結局わからなくって」

「ああ、そうだろうなぁ。子どもには酒なんて皆同じに見える」

 言いながらコップも二つ出して、琥珀色の液体を注いだ。

「パパはちょっとだけよ」

「わかってるよ」

「茶色いお酒だったのは覚えていたの。本当に時々ちょっとだけ、楽しそうに飲んでたわ。ウィスキーだったって、自分も飲むようになってから気が付いた」

「ロティが持って来たのは?」

「ママはお酒を飲みながら、よくこのお菓子をポリポリ食べていたの。揚げたパスタのお菓子よ、塩味の」

「へぇ。それは知らないな。でも塩っぽい味は確かに好きだった」

「そう! 私はもーっとチョコレートが食べたいのに、ママがたまに買ってくるお菓子は全然甘くないから残念だった」

 娘には毎日小さなチョコレートなどの菓子をくれた。ソフィアは月の決まった日にお菓子を買ってきてお酒を飲んだ。

「想像だけど、きっとお給料日に飲んでいたんじゃないかな。私も給料日にお菓子を買ってたから。そういうとこ、似ちゃう! ふふ」

「そうか……月に一度か……苦労したんだなぁ……」

 ふたりでじっと、白く輝く石を見る。

「でもママ、いつもニコニコして、全然しんどそうじゃなかったよ。よく一緒に家で内職をしたの。歌をうたって手を動かして、私の話を嬉しそうに聞いてくれた」

「どんな話?」

「学校の話とか、友達の話とか? 近所に住んでいたサーシャって子の話がママのお気に入りだったわ」

 ブランドンがウィスキーを舐めて楽しそうにサーシャの話を聞いてくる。サーシャはパジャマで学校に来たり、手ぶらで学校に来たり、宿題なんて絶対しないし、休み時間に大道芸の訓練をしてみたり、すぐに先生のことをママと呼んだり。学校で世話をしているウサギを勝手に家に連れて帰るような話題に事欠かない子供だった。

「ソフィアが好きそうな話だな」

「そうでしょ? ママ、変な人が大好きだったから」

 サーシャは少し大きくなってから絵を描き始めて、今では賞を獲るような画家になっている。

「展示会もしているんだって」

「そりゃあすごいね。今度展示会があったら行こう? ソフィアにおしえてあげなくては」

「行く~!」


 カップに入ったプディングの蓋をとり、ひとつずつ食べる。

「どうしてこれを?」

「ソフィアがメイドをしていた頃に使用人たちの賄いを作っていた見習いが今のリーダーシェフなんだ。ソフィアは毎日賄いを楽しみにしていたから、その時に好きな物を聞いてシェフに出して貰っていた。中でもこのプディングが好物だったから。なぁ? ソフィア」

 墓石に置いたカップの中に小さなスプーンを入れて、父が母を撫でた。

「へぇ~!」

 シャルロットは満面の笑みで聞く。

「嬉しそうだね。ロティもプディングが好き?」

 娘は首を振る。

「好きは好きだけど……そうじゃなくて、そういうママのこと聞けるの、嬉しくて」

 嬉しくてちょっとじんわり涙が出る。へへへ、と笑う娘の背中を父が撫でた。

「泣きたかったら泣いたらいい。ここには三人しかいない」

 そう? と言った後で、やっぱりシャルロットはちょっと泣いた。

「もう何の心配もないし、私には家族もできたのに。変なの」

「別に何も変じゃない。いくら私やバティークがいても、お前にとってママがいないことには変わりはない。でもきっと何度も泣いているうちに、少しずつ涙の量は減る。ロティにはこれからはどんどん幸せになってもらう予定だからね」

「どんどん幸せになるの?」

「なるだろう? 宰相殿がこのまま頑張れば」

 思い出して、シャルロットは笑顔になる。

「もうあと二メートルになった!」

「そうらしいね」

「昨日ジェフがふらついた()()をして私に腕を伸ばそうとして、兄さまが(ホイッスル)を吹いてた。会話は全部兄さま越しにするんだけど、時々兄さまが会話の内容を変えちゃうから笑いが止まらなくて。目の前で私の服が似合っていて可愛いって言ってくれてるのに、兄さまが口を開くと全部天気の話になるの。最後は三人で大笑いよ」

「あいつはバカだな」

「ねぇ、パパ、一メートルの距離の次はゼロになるの?」

 シャルロットはここの所実は気になっていたことを尋ねる。だってみんなの見ている前でゼロ距離になったらちょっと恥ずかしい。

 だがブランドンがあっさり首を振る。

「ならない。なるわけがない。まぁ、その次はティータイムか…一緒に食事をしても良いかな」

「食事をするまでが長い!」

「私だってロティと食事をするまでどんなに長かったか」

 娘が食べ終わった席と向かい合ったテーブルを思い出して、父は拗ねたような顔をする。

「くふふ。あの三か月、私は美味しいご飯を頂けて毎日夢みたいな食事の時間だったわ。一緒に食べてくれたら良かったのに。テーブルマナーの時間以外は毎回一人でご飯を食べて淋しいったら」

「食べたかったよ、私だって。でも我慢だった。勉強しているのをしばらく後ろで見ていたこともあったな。ダンスも音楽がかかるからバレにくいだろうって、よく見に行った。ロティ、ダンスはあまり得意じゃないね」

「え~っ、そんなの見ていたの!?」

 父が笑いながら頷く。

「勉強は集中してするタイプだね。いくら後ろにいても、気づきもしない。たぶん咳払いしても気づかなかったんじゃないかな。講師ばかり私に緊張して。面白くなかった」

 シャルロットが嬉しそうに笑う。

「ダンスはあの後、ビビアン先生とたくさん踊って上手になりました!」

「ソフィアもダンスが上手かった」

「ママと踊った?」

「ああ。夜に屋敷のダンスホールで。二人きりでよく踊った」

「わぁ」

 シャルロットは想像して胸がぎゅっとなる。

「いいだろう?」

「すっごく!!」

「ロティもそのうち誰かと一晩中踊る日が来る」

 ジェフと? 娘は父の言葉で想像するが、ジェフが踊る姿は想像がつかなかった。カーターの屋敷ではいつもシャルロットと踊るのはセバスかビビアンで、ジェフは大体それを見るだけだった。酒を飲みながら。

 なぜ私が踊るんだ、とか言いそう……。


「生涯で踊ったのは、それが最後だな。ダンスは打ち切り」

「ママがありがとうって言ってるよ」

「どういたしまして」

「ふふふ」


 それからまだ延々と三人で話をして、綺麗に掃除をして坂を登る。


 また来るね。


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