53. 番外編・バルカスとビビアン①
その日、黒服の男たちの目をかいくぐり、ビビアン・アレンは王城の広い庭園一画に設置されたガゼボのベンチに横たわって隠れていた。
今日は、父に引き取られてから迎える三度目の誕生日。
新しい男と住むのに恐らく少しばかり自分が邪魔になった母から、娘の存在すら知らなかった父にパスされた命を祝うなんてばかばかしくって反吐が出る。別に私が十年生きていたって十五年生きていたって、誰も得しない。
だから朝から弟たちがこぞって自分の住む離宮に押しかけて大量のプレゼントを運んで来ても、王妃がそれを見て苦笑していても、その後で夜の誕生日会に着る為の昔ながらのフリフリドーンなドレスを手渡されても全く嬉しくも何ともなかった。
十三から通うはずだった中学にも行けず、離宮で入れ替わり立ち替わり教師がやってきて、他にやることもないビビアンは十五で一般的に子女が必要とされる教育全てを履修し終わった。
今日で十五という高校に行く年齢になったが、制服が可愛かったあの高校へも、貴族子女の通う学校にだって行けないだろう。だってビビアンは世間から隠された王女様だから。
王女だって。ばかばかしい。
こんなに不自由な王女なんている訳がない。
お洒落が大好きなのに、流行りのワンピースを着ようとしたら品がないと取り上げられる。
全く好みじゃないバカでかい宝石なんか貰った所で十四、五の娘には似合わない。
全員がダサすぎた。
誘拐されると厄介なので、ムッツリして喋らない父の黒服どものうち一人をどこへ行くにも必ず連れて行かなくてはならなかった。そんなの昔の友達と遊べる筈がない。王女であることはまだ公言するなと父から言われてはいるが、そもそも頼まれたって言うもんか。なのにどうやって説明する?
ねぇビビ、そのおじさんなんでずっと付いてくんの? って言われるに決まっている。
若かりし国王陛下が我慢できずに発射した貴重な成果物が私です。
若すぎたママが苦労して自分を育ててくれたのはよく知っている。感謝しかない。だからここに引き取られたのは仕方のないことだった。ママだって大好きになっちゃった彼と二人きりになりたいのよ。
そんなこともわかるくらいには、ビビアンは大人びている。
ブラブラとベンチからはみ出た膝下を揺らし、ガゼボの丸い天井を見上げた。
今日は、十二の誕生日から三回目の誕生日。
「キャンティーズのクラシックストロベリーショコラ……」
ガラス玉のような透き通った瞳は宙を見る。あのツブツブの酸っぱい苺と、甘いショコラ。
「食べに行きますか?」
へっ
間抜けな声を出して飛び起きたビビアンがキョロキョロすると、後ろから男の声がかかった。
「こちらです、殿下」
あーあ、バレちゃった。
溜息をついて振り返ったビビアンは暫く固まった。
だってそこには、まるで理想を絵に描いたようなドストライクなイケメンが立っていたから。
「どうされましたか?」
もちろんこの男がバルカス・ウェーバーである。
歳は二十一。ウィリアムに気に入られ、形ばかりの選挙の後で出仕しだしたジェフの小間使いをやっている。
「あなた、誰?」
「バルカス・ウェーバーと申します。初めまして。ビビアン様を黒服たちが探しておりまして、私も主人が会議に入っているので手が空いており。見つけられたら暫く共をするように申し付けられました」
黒服たちは王女から疎ましがられているのは承知の上である。各々が腕には自信があったが、とにかく屈強でいかつく、怖そうに見える自覚はあった。だからバルカスが暇そうにしていたので、こいつは良いと黒服たちは考えたのだ。今日は姫の誕生日。可哀想な王女にどうにかして楽しんでもらおうと、皆が心を砕いていた。そこに現れた美貌の青年! しかもバルカスは射撃の腕も良く、ジェフの警護もする強くて働き者の青年だった。つまりはご機嫌を取ってこい、とほぼ人身御供に差し出された訳である。
ビビアンはじーっと青年の顔を見た。
一般人だった頃の自分なら、こんな不躾な視線で初対面の美男を舐め回すなどいくらなんでもしなかった。だけど王女になって丸三年、それなりに許される無礼も心得ている。無言で十二分に眺めた後で、やっと口を開いた。
「綺麗な顔」
「ありがとうございます。お褒めに預かり光栄です」
だけど興が削がれたように視線を外し、またパタンとベンチに横たわる。
「そ、下がって良いわよ」
バルカスは予想外の返しに瞬いた。
彼にとって女子供とは、そのほとんどが自分の顔を見て喜ぶ生き物だった。
頬を染めて恍惚として差し出される先程の王女のような視線は、慣れたものである。その次に来るのはくどいほどの自己紹介と止まらぬ質疑応答。最後にはしびれを切らせて次も会いたいとねだられる。それはそれは、面倒な生き物。
だが今、熱っぽい視線の後で、そのほとんどが急に消滅した。
「……殿下」
「くどいわよ。お下がりなさい」
ぴしゃりと声を上げられ、バルカスはその覇気に驚く。
なんだ、話を聞いていたのと様子が違うじゃないか。王女は一般庶民の出で、ひとり淋しく離宮で暮らし、友も持てず勉強ばかりしている暗い少女のはずだった。
ザレス公爵家の長男ロイドが主人に噂をしていた不遇の王女。たった一言でバルカスが勝手に持っていたイメージを叩き壊した。
「……お休みの所、大変申し訳ございません。失礼いたしました。ではこのままお側に侍ることをお許しいただけますか」
だが、ここですごすごと城に戻る訳にはいかない。バルカスは粘った。自分が声をかけているのも遠方から黒服が見張っていた。
王女からの返事はない。男はガゼボのベンチに見える少女の赤毛を何とはなしに見て、許可もないまま侍った。六つも年下の十五の少女へ会話を振られることはあっても振ることなどなく、機嫌を取ってこいと言われたが何を話せばいいのかもわからなかった。
さっき、何とおっしゃられていたか……スイーツの話だった。店の名はキャンディみたいな。銃と登山道具の店にはよく行くが、有名菓子店など詳しくない。興味もない。だけど食べたそうな独り言だった。買ってきてやれば機嫌を直すのではないか。
「殿下、先ほど仰られていたスイーツを買って参りましょうか」
「………」
「キャンディ? みたいな名でしたね」
「………」
「ケーキ……ショコラケーキだったかな」
しつこい男だな。
ビビアンはきつく下がれと言ったのに、全く下がる様子のない男にイライラした。顔面の価値が高かろうとイケメンだろうとハンサムだろうと、総じて人の話を聞かないこの城の奴らにはうんざりする。
あ、そーうだ!
もや~ん、とクラシックストロベリーショコラを思い出しながらビビアンは良いことを思いついた。えーっと、この男の名前なんだっけ。バ……バル……
「ちょっとバルたん」
「バルたん!?」
「あんた、今から喋るの禁止ね」
「はい?」
「喋るなって言ってるの。わかった?」
バルカスは納得のいっていない顔だったが、とりあえず王族女子の言葉に頷く。
「キャンティーズに連れてってよ。セザンヌ通りにあるの。今から。良い? 普通に食べに行きたいから黒服と一緒に行動したくないの。あいつらは遠くから見張っているなら許すから、お前が供に付いてくるのよ」
「………」
「わかった? わかったら許可を取ってきて。ファスに言えば良いわ。私は着替えてくるから、裏口まで車出しておいてちょうだい」
****
ファスの運転する車に乗り、助手席のバルカスは後部座席で面白くなさそうな表情を窓に映している王女を見る。
王女付きの黒服長であるファスは『機嫌を取れるならばもう何でもいい』と許可を出した。夜の誕生日会を、それはそれはウィリアムが楽しみにしているのだ。夜までにビビアンの機嫌が最悪なままだと葬式みたいな誕生日会が出来上がってしまう。とばっちりを食うのは皆御免だった。
セザンヌ通りの端でビビアンは車を止めさせ、美貌の男と降りた。さっさと歩きだそうとするので慌ててバルカスは前に回り込む。
「なに?」
肘を曲げ、指でさして促すと、ビビアンは面倒くさそうに首を振った。
「あのねぇ、何のためにドレスを着替えてきたと思ってるのよ。ただのビビアンでケーキを食べに来たの。エスコートなんていらないわ。貴族じゃあるまいし」
いや、貴族よりもっと始末に悪いんだが!? バルカスはしつこく詰め寄って突きつけた肘下を何度も指で叩いた。
「あ~~~も~~~~しつこい男ね!! わかったわよ」
スッと腕に手を置いて、姿勢よく歩き出す。
バルカスは黙って(話せないのだが)赤毛を見下ろした。
所作は完璧である。寧ろ今まで出会ったどの女たちより動作が美しい。十五になったばかりの庶民出の少女だったが、ドレスを脱いだ今でも指先一つまでどうしてか王女にしか見えない。
キャンティーズはセザンヌの大通りから一本道を外れた老舗のケーキ店だった。土曜の店は若い女性やカップルで溢れ、楽しそうな声と美味しそうなスイーツが展開している。
満席なのでと店の前で並ぶ列の最後尾を案内され、店員に何か言おうとするバルカスの腕を鷲掴んで睨んだビビアンにより、二人は待合の列にならんだ。
少しずつ繰り上がっていく行列の中でじっとして、小道を挟んで向かいにある衣料品店と雑貨屋を見るしかない。
衣料品店はシニア層をターゲットにした小さな店で、一等地にある店だが古ぼけて大した収益はなさそうな店である。
「前に来た時もあったわ。どうしてああいう店って潰れないからかしら」
「セザンヌが流行の土地になる前からの先住者なのでしょう。国の開発が入る際に先住者たちには結構な額の迷惑料が支払われています。人通りが増えたり、終日家が人目にさらされるようになる訳ですから。ですから彼らは働かなくても食べていけるのです」
「誰が喋って良いと言ったの?」
「………」
しまった、独り言だったのか。バルカスは『んー!』と唇を締めなおす。
「お客さんが来なくても良いのはわかったけど、でもだからって誰も来ない店を開けていて楽しいのかしら。在庫だって増えるだけでしょう。私だったら立ち退くか、もっとリターンを期待できる投資をするのに」
その通りである。バルカスは十五の少女の話だということを忘れそうになる。
だけど年寄りの服はそれほど流行の回転が速くはない。機能性が根幹にある。だから不要在庫になるかどうかはわからないぞ、と心の中で呟いた。
「ま、でもお年寄りだし、熱い寒いが調節できればそこまで流行りは関係ないか」
自分が喋らなくとも解決してしまったので、バルカスは小刻みに頷くに留めた。
しかし、暫くして通りの向こうから集団のシニアレディたちがぞろぞろとやってきた。
「来たよぉ」
「シーラちゃぁん」
「あたしが前に言ってたスカート、入ってきたかしらぁ」
「あ~、いらっしゃいませ奥様方!! 今日もありがとうございます! んまぁ、いいお天気だからまた皆でお散歩ですねぇ。スカート、取り寄せしてますよう」
「あらうれしぃ」
おばあちゃまのお客様たちに厚化粧したおばあちゃまの店員がやってきて、応対を始める。
二人は目を丸くした。
「あら~、シーラちゃん今日もお洒落ねぇ!?」
「いやだ、奥様にはかないませんよ。この手のは最近多くて」
「流行っているものねぇ、私も欲しい」」
「これ、生地がいいわねぇ。これも良いけど派手な色はないかしら」
「ちょっとお待ちくださいませね」
二人は無言で集団のやり取りを見る。
特に金持ちには見えないおばあちゃまたちは次々と商品を手にしてあれやこれやと楽しそうに顔にあてたり友達と見せ合いっこを始めた。色違いで両方買おうかしら、という声まで聞こえる。
「……全然、人気店でしたね」
バルカスが目を点にして呟いた。
ビビアンが吹きだす。
ケタケタケタケタ笑うから、バルカスも反省するより先に己の知ったかぶり度合の滑稽さに笑えてくる。
「ただの人気店じゃない。全くお門違いもいいとこよ。あーおかし!」
「いやまさか人気店だとは……思うかよ……」
「面白かったから許す」
やがて客の入れ替えが進み、二人は落ち着いた可愛らしい店内でスイーツを待った。
バルカスはコーヒーに、店員から勧められたレアチーズケーキ、ビビアンはクラシックストロベリーショコラとアイスロイヤルミルクティーを注文する。
「ケーキじゃなくてパフェだったんですね」
運ばれてきたガラスカップに盛られたスイーツを見て、男が納得したように言った。
「そうよ。パフェは持ち帰りのメニューにはないの」
そっけなく答えた王女は壁に凭れて店内を見渡した。ぎっしりと席を埋めた可愛い女の子たち、シャビーシックな白いテーブルを挟んだカップル、それぞれが嬉しそうな顔で話を楽しんでいる。
「楽しそう。素敵ね」
十五になったばかりの少女は冷めた目で感想を漏らす。
「……殿下は何をされるのが楽しいですか」
「ここではビビと」
「かしこまりました。ビビ様は何をするのが?」
「楽しいことなんてないわ」
「何も?」
「何もない。バルたんは何が楽しいの? それだけイケメンなら人生何でも楽しいか」
「私はジェフ様を観察するのが楽しいですね」
「誰それ」
「カーターの次期侯爵様です。すごく有能な方で」
「ああ。カーターは代々変なのを生むって言うアレね」
「私もいずれはジェフ様のようになりたいんです。すごくかっこう良い方で」
「離婚したばかりじゃなかった? 新聞で読んだわ。かっこ良いの? 失敗してるじゃない」
「あれはまぁ、色々ありまして」
ふぅ~ん。興味のなさそうな返事をして、ビビアンはまた店内を眺め始める。
初対面なので、バルカスには王女が機嫌を直したのかどうかがわからなかった。
やがて注文したスイーツとドリンクが運ばれ、飲み物に口を付ける。
バルカスは王女が先に召し上がられるのを待ってからチーズケーキを食べようと思っていたのだが、どうしてか高さのあるガラスに盛られた薄ピンクのパフェには全く手が付けられる気配がない。
パフェにはアイスクリームが二つ載せられ、だんだんと緩んで垂れ始めた液体がガラスに落ち始めた。少女は昏い目をして伝うアイスを見ている。
「ビビ様」
ビビアンは返事をしない。目線を上げることもない。
「召し上がられないのですか」
食べに来たかったのではなかったのか。
困惑した顔でバルカスが尋ねると、ビビアンは行儀悪く肩肘をテーブルについて、頬を支え口を開いた。
「十二の誕生日、普段贅沢しないママがここに連れて来てくれたの」
「………」
「その後アッチに引き取られたのは直ぐだった。最後の誕生日だから連れて来てくれたのね。このパフェが美味しいって頼んでくれて、二人で食べたの」
ガラスを伝ったピンク色が、白いテーブルに小さく広がっていく。
「その後捨てられるなんて知らなかったから、美味しい美味しいって、喜んで食べた」
「ビビ様」
「馬鹿みたい」
ビビアンは両手で顔を全部覆う。
どんな気持ちで喜ぶ娘を見ていたのだろう? この思い出が素晴らしい母との一ページになると思ったのか、それとも何らかの罪滅ぼしになるとでも思ったのか。
「全員クソったればっかり。みんな死ねばいい」
「………」
バルカスは俯く。
少女は国王が若い頃に作ってしまったという娘だとジェフからは聞いていた。ウィリアムは娘が生まれたことすら知らなかった。避妊に失敗していた母親は一人出産をして娘を育てていたそうだ。だが連れ合いが出来てしまう。果たして実際は王女でもある娘と男をひとつ屋根の下にしても良いものか……悩みに悩んだ末、母親はウィリアムを頼ったという経緯である。
高位貴族の一部しか知らされていない正体不明の王女は今、カフェの片隅でこの世を呪って泣いている。
「ビビ様」
「ねぇ、バルたん」
「はい」
「あんたって、強い?」
「え……うん……まぁ、そこそこです」
ねぇ、じゃあさ、殺してよ。
ビビアンが囁き声で真剣に頼んだ。
バルカスは一瞬息が止まる。王族殺しなど一族漏れなく処刑である。
「あー…嫌なら別にあんたじゃなくてもいい。その辺のごろつきにお金渡して。そういう知り合い、いるんでしょ?」
「ビビ様」
「私を刺してって」
「ビビ様!」
ビビアンが叱りつけるような声音にようやく顔を上げ、二人は顔を見合う。
「だって仕方ないじゃない。何度か死のうとしたけど、やっぱり怖くてできないし」
「どうやって死のうと?」
「ナイフで心臓刺すか首を切るとか思い浮かんだけど、そういう度胸が要りそうなのは難しいのよ。湯舟に浸かって手首を、ってのも考えたけど直ぐ侍女にばれるし。一度ロープを取り寄せたけど、ファスに一瞬で取り上げられた」
「当たり前でしょう。陛下だってファスだって皆、あなたを大事に思っているのに」
「大事に思ってるからって、私から何を取り上げてもいいの?」
「それは」
「暮らしに不自由はなくなったけど、ママもいないし、友達もいない、学校にも行けない……ずーっと離宮にいて、生きてる意味なんてないじゃない。存在が恥ずかしいから公表もできない。誰も私のこと知らないし。私、一生こんなんなら、もういい」
「存在が恥ずかしいなど。そのようなことありません。ビビ様が最も生きやすいように方々動いているのです」
「お黙り! それが恥ずかしいという理由以外の何物でもないわ!」
ぴしゃりと跳ねのけた小声が六つも年上の男を黙らせた。
ピンク色の液体はガラスの丸い脚を一周して、どろどろがテーブルに満ちていく。
楽し気な声が咲き乱れる店内で、二人のエリアだけに重苦しい沈黙が流れた。
少し離れた隅のテーブルだったので、別れ話でもしているカップルに思われている程度で済んでいる。
元来が非常に真面目な青年は悩んだ末、腹を括った。
スーッと皿たちを脇に寄せ、手拭きで白いテーブルの汚れを一掃した。
それから机に乗り出して少女の両手を取る。殿下、とはっきりした声で名を呼んだ。
「……なに。声が大きいわよ」
「本当に、死にたいか?」
「そうよ」
両手に取った可憐な手をスリっと撫でる。驚いてビビアンが固まった。
「じゃあ、今から三つ数えたら、俺が王女を殺してやる」
「え」
「大丈夫だ、痛くしない。安全に息を止めてやる。目を瞑って、さぁ」
なるべく優しく、バルカスはその美しい面で微笑み促す。ビビアンはごくりと唾を飲み込んだ。覚悟を決めて頷き、綺麗にカールした睫毛をゆっくり伏せる。
最後の最後に目にした男が美しくて良かった、と思いながら。
いち
に
さむに
唇を覆った感触にビビアンは驚きと条件反射で小さく震えた。
バルカスはビビアンにキスしていた。
「んなっ」
がばっと離れたビビアンが唇を押さえた。
「なにして!!!!」
「俺が今、王女を殺してビビアンに魔法をかけた」
バルカスは一ミリだってふざけていない真剣な顔で真っすぐにビビアンを見つめる。
「はぁ!?」
「ビビは、俺を好きになる」
ビビアンがその目を睨み返す。
「なるわけないでしょ!?」
「いいや、なる。なぜなら全力で落とすから」
「はっ!? 落とす!? 変態なの!? 私まだ子供だよ」
バルカスは全力で考えられるだけのジゴロっぽい奴になりきる。
考えろ考えろ考えろ。俺が持っている能力なんて微々たるものだが、今考えられる最強のアイテムはこの顔だ。王女は最初見惚れていたから顔だけは合格に違いない。ならば顔の御利益に縋るしかないつまり王女を虜にして死から自分に虜にして死のうなんて穴から引きずり上げるしか。
「君はまだ子供だけど、もうあと三年もすればイイ女になる。保証する」
「なんなの、なんでそんな話になってんの?」
疑心しか持たぬビビアンに向けて美しい男は辺り一面が溶けるような笑みを浮かべ、両手を優しく握る。
「君が、可愛いって話」
可愛い。
みるみるうちに、ビビアンが真っ赤になった。
あ、これか。
バルカスは唇を舐める。
「さっきの死にたいって泣いてる顔も可愛かった」
「……やめて」
「そのワンピースも似合ってて、可愛い」
「やめてって!!」
「生まれ変わったビビなら俺に夢中になるのも、自由だ」
ばかっ
叫んだビビアンが立ち上がり、真っ赤な顔で出て行こうとする。
「ビビ、それはダメ」
即座に伸びた腕が掴んで肩を抱き、『一緒に出ないとダメだろう?』と耳元で触れるくらいに唇を近づけて言うと、少女の身体は立っているのもやっと。ワナワナ震えて顔は半泣きだった。
「そう、良い子だ。会計をするから待って。わかった? 誰と出る?」
「………」
蚊の鳴くような声でバル、と答えると男は褒美に赤毛にキスをした。
バルカスは店を出て、ファスに何かを話に行った後で戻り、ビビアンの手を取って大通りまで歩き始める。
「どこに行くの。私、もう帰る」
「誕生日なんだろう? プレゼントを贈る」
え、要らないわよ!!と叫んだが、男は無視してキョロキョロと店を物色する。女の子の好む店などわからない二十一のバルカスは若い女性が入りそうなジュエリーショップに当たりを付けた。
「要らないって言ってるじゃない」
「付けてもらおうと思ってない。ただ、君の誕生日を祝いたい。それだけだ。指輪を見せてくれますか? 彼女に似合いそうな」
とても機嫌が悪そうな女の子と目の覚めるような男前の青年カップルに困惑しながらも、店員は愛想良く幾つかの指輪を出し、勧めてくれる。
「どれがいい?」
「………」
答えないビビアンに困りも怯みも諦めもせず、結局バルカスはあやしながら試着させて可愛い指輪を選び、お買い上げをした。
店内の女性全員がうっとりして見守る中、バルカスはゆっくりと少女の指にリングを嵌めていく。
「誕生日おめでとう」
「………どうもありがとう」
「来年も可愛いビビの誕生日を祝うよ」
「………」
青年は長身を屈めてガラス玉のような透き通った少女の瞳の中を覗き込む。
ビビアンだってこれが茶番なことくらいわかっている。別にこいつは私に惚れてる訳じゃない。だけど死にたくなるような詰まらない毎日に突然投げ込まれたバルカスは、正直に言って眩し過ぎた。
「会いに行くよ。まだ小間使いだから時間はある。ファスには言っておくから、一緒に色々しよう。だから何か楽しいことを見つけて欲しい。もっと君の人生が毎日キラキラするような、楽しいこと。少し歳は離れているけど、若い女の子のはやりも勉強する。とりあえず君の時間を俺に……ビビアンの時間をくれないか?」
最後は最悪に有能なイケメン顔で微笑まれた。
それはもう、凶器にもなるかっこよさ。
十五の少女は手元の可愛い指輪を見ながら考える。
まぁ、あと一回くらいこの男前と遊んでやってもいいか。
死ぬのはその後いくらでも。




