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49. 離婚

 更迭された元総務大臣マクベスの取り調べからトルシュ外交官による内政干渉が発覚したことを交渉カードに、ウィリアムは電話口で怒り狂い、欧州と戦端を開きたいのかとトルシュ首相に詰め寄った。隣国との対戦を控えたトルシュにそのような余裕はもちろんない。慌てふためいたトルシュは外交官を解任し、リンドの勧めでゴーランドと同盟を結ぶ。ダフネのクーデターで尻に火が付いていたゴーランドにとっては願ったり叶ったり、トルシュに取っても優位に立ちやすい同盟であった。

 双方の同盟に誠実性があると判断された後、リンドが追加される予定である。

 これにより情勢は一変し、ダフネはゴーランド進行への出足を挫かれた。


 世界の終末時計はひとときの停止時間を持つことになる。



 ****


 シャルロット・カーターから再びシャルロット・マルーンになって二か月が経った。

 けたたましいベルの音に目が覚めて、セットしていた時計の頭を叩くとそのままベッドの中で大きな伸びをする。


 巨大な寝台から起き出してカーテンを開けると、大きなテラス窓からは爽やかな朝日が見える。もうすぐ春だ。

「え~、もう起きたの~?」

「今日は朝ヨガしようって一昨日にヴァリャ先生と約束したじゃない」

「あ、そうだった。でも吐きそう」

「どこでする?」

「まだ寒いし、温室が良いなぁ」

「そうだね、じゃあ早くビビも起きようよ」


 いたって平和な朝を迎え、ミステリアスな面立ちと色気しかない身体が魅力のヨガ講師と朝から真剣に三点倒立に励む。

 ポヤポヤした顔の寝起きの兄が逆様の視界に現れた。

「おはよう、ロティ」

「あ~、おはよう~兄さま! 兄さまもするの?」

「朝ヨガをすると、一日気持ちが良いことを知ったからね」

「わかる、わかる、おえ」

「いや、どう見ても君は辛そうだけど?」

「昨日飲み過ぎたから、やっぱ逆さは無理だわ」

「本当よく飲んでたものね」

「僕は途中から潰れて記憶がないよ」

「多分ジェフ様は私を飲み潰してロティの部屋に来たかったんでしょうけどね。勝ってやりましたとも」

 胡坐をかいて深呼吸を始めようとしたバティークが思わず拍手するが、先生に怒られる。

「バティちゃん、シュウチュウ!」

「オーケイ…」


 大使館で倒れた父は意識が戻らない時間があったものの、療養生活を経て代替わりをした兄へと着々と引継ぎを進めている。

 病院で目覚めた父は全ての真相をシャルロット達に明かし、本当にジェフと離婚させた。その報はまたもやグラハムが記事にしている。


 シャルロットは兄と眼鏡ザルに先導され、気に入りの荷物だけを持ってカーターの家から出た。セバスとテルミアなどは号泣していたが……。

 ついでにビビアンも付いて来た。もちろん父ブランドンは大歓迎である。全く隠さなくなった娘への愛情はその親友へも波及して、ドンちゃんにビビと呼び合って酒を飲みすぎてはオズワルドに怒られていた。

 始めは戸惑っていたシャルロットも、衒いのないビビアンの存在が大きく、優しい父親に普通に接することが出来るようになり、減塩を中心とした質素な食生活を一緒に食べたりと心から応援して長生きして欲しいと思えるようになった。



 元夫は出来る限り毎日会いに来る。

 シャルロットに花を買い、流行りのおやつを手にして。


 最初は門前払いだったが、何をどうしたのかわからないがその内玄関ホール迄許されるようになり、次に呼び出し許可を取り付けてシャルロットと十メートルの距離で会えるようになった。距離は一メートル刻みで短くなるが、会話は許されず、兄や眼鏡の監視下で互いに黙って眺め続けた。色々と政治的な駆け引きをを続けて、近ごろは食事の席に一緒につけるようになり、隙を見ては机の下で手を繋いでくる。シャルロットの顔が赤くなるので、すぐに兄にバレるのだが。そうして昨夜は初めてジェフの宿泊が許された晩だった。



 シャルロットは三点倒立をしながら、昨夜を思い出していた。

 本当はビビアンがすっかり寝入った後で、ジェフが部屋の扉を叩いたのだ。



 ****


「寝ていた?」

「いいえ、まだ起きていました」

 細く開けた自室の扉の向こうから、パジャマにガウンのジェフがいる。見慣れた姿のはずなのに新鮮だった。この二か月と十日、ずっとずっとこの時を待っていた。シャルロットは飛びつきたい気持ちと、久しぶりに二人だけで話せる機会が嬉し過ぎて隠れたくなる。


「今、良い? ガウンを着ておいで」

 ガウンを羽織ったシャルロットの手を引き、ジェフが泊まる客用の部屋に移動する。


「はぁ……長かった……君と二人だけになるのに一体何か月かかったんだ」

「んーと、二か月と十日くらい?」

「抱きしめても良い?」

「ふふふ」

 まだ良いとは言っていなかったが、懐かしい匂いに包まれた。シャルロットもぎゅっとしがみつく。

「ジェフですね」

「そうだけど」

「懐かしい!」

「懐かしむな」

「ん…ちょっと、くるし」

「あ、ごめん、ごめん」

 力が緩んだので顔を上げると、優しい瞳と視線がぶつかる。


「マルーンでの生活はどうだ?」

「思っていたより、すごく楽しいです。パパも兄さまも優しくて。ビビもいてくれるし。カーターのお屋敷ほどは従業員の皆さんの活気がないのでイベントは少ないですが、ビビの結婚の用意も色々ありますから、忙しい時も割とあって」

「そうか。淋しくないなら、良かった」

「……淋しいのは……あります」

 明後日の方向を見て正直にそう言うシャルロットの生え際を、ジェフが撫でる。

「俺は淋しい。俺だけじゃない。カーターの屋敷は毎日が葬式みたいだ」


(お……)


 俺って言った?

 俺って言った。

 俺って言った!!


 シャルロットは動揺する。急に恥ずかしくなって腕の中から飛び出す。

「シャルロット?」

「お……俺って言わないで」

「え?」

「無理無理無理」

 真っ赤になって首を振る。知らない人みたいなジェフになった。だってなんかちゃんと男の人みたいだった。

「……俺?」

「!!!」

「君はほとんどずっと『私』を保護者みたいに思っていたからなぁ。急には無理か。でも慣れてもらわないと。こっちが素なんだよ。キスしたのは俺だ、『私』じゃない」

「じゃあ、もうしません!!」

「驚くべき回答をするじゃないか。今だってしたいのに」

「俺とは無理。投げ飛ばしそう」

「口はひとつだ……まぁいいか。投げるなよ? 後でするから」

「もう~!」

 声を上げる元妻に悪い顔で笑い、手を引いてソファに並んで座る。


「何から話せばいいかもうわからないな。ん~、どれだ、どれから……とにかくあの置き手紙はすごくショックだった」

「ショック? どんな風にですか?」

「何万回のお礼を言っても足りませんが、色々とありがとうございました? 覚悟はしていたはずなのに心の整理が付かず、きちんと顔を見て謝罪することが出来ず申し訳ない? 夫がジェフだったことに、心から感謝します、って」

「ちょっと、チケットの場所は忘れる癖に手紙の内容を覚えないで!!」

「一字一句頭から離れない。礼と謝罪しか書いてない上に過去の男になっている。どう読んでも俺が終わってるじゃないか」

「そんな。終わりも何も始まってないし。だってあの時というか……最初から借金のことばかり重くて」

「経費とか迷惑料とか書いてあったな。借金て何の話なんだ。請求した覚えもないぞ」

「だって公爵令嬢という前提ありきでの待遇でしょう? それが偽物令嬢を掴まされて。不相応な贅沢をしたのは私なんだから死ぬまで働いて返済しようと思っていました」

「俺はシャルロットにプレゼントしたんだ。偽物も本物もない。ちなみにどうやって返済するつもりだったんだ? 花屋に戻る?」

「まさか! そんな無計画じゃありません。南半球に移住して農業を頑張るつもりでした」

「………」

「ビビもバルカスさんを連れて一緒に来てくれるって。大使館で話していたんです。結構稼げそうでしょ?」

「マヌエルの移民政策だな。宰相が私になってから移民政策は止めている」

「えっ」

「船の事故が多すぎるのと、現地での受け入れ後の軋轢が酷過ぎて。調査をして受け入れは止めているし、希望者は帰国できるように取り計らってる」

 シャルロットは悲しそうな顔をして口を半開きにする。

「じゃあ何をすれば儲かりますか?」

「儲かる必要がない。君は真実娘だったんだから」

「後学の為ですよ」

「ろくなこと考えないからダメだ」

 案外けちだった。シャルロットは唇を尖らせる。


「あんな風に出て行って、本当の父親に会って、それから大金を稼ぐために外国に渡ろうとしていたのか」

「はい!」

 至極あっさりと頷く元妻にジェフは脱力するしかない。

「あ~……俺とのことは?」

「………カティネの兄弟のことがあって、男の人は苦手なので、自分が誰かを好きになるだなんて思ってもいませんでした。でもジェフとキスして、すごく嬉しかった。ジェフは怖くないし、一緒にいて楽しいし。だから」

 シャルロットは柔らかい瞳で続ける。

「自分の気持ちには気づいていました」

 細い肩にソファの背凭れから腕が回って、ミルクティー色の髪を長い指がくるくると巻き取る。

「だけど一番最初に言ったでしょう。私のこと愛するつもりはない、って」

「言ったかな?」

「それは忘れるの? ジェフは皺だらけのタキシード姿、目覚めたばっかりの新郎で、私は死にたい新婦だった夜です」

「はは、言ったな。さすがに死なせるわけにはいかなかったから、あれは焦った」

 二人ともが最初の夜を思い出した。顔色の悪いヨレヨレの新郎おじさんと、初夜に絶望していた哀れな偽の令嬢。

「私だって、最初は知らないおじさんと結婚なんて冗談じゃなかったし、愛されるつもりなんか毛頭なかったけど……でもジェフのこと、大好きになっちゃった。自分は偽物なのに、ジェフの側にずっといたいって思ってしまって。だから余計に離れないといけないと思いました」

「なんでキスしたと思ったんだ」

「ん~。クリスマスだから?」

「覚えておくと良い、クリスマスだからって誰彼構わずキスする奴は変態だ。俺は好きでもない女にキスしない。歌わないし、写真も撮らせないし、揃いの服は拒否する」

 シャルロットがケタケタ笑って聞いている。

「ジェフはお家の人みんなに優しいから……特別なのかまではわからなかった」

「全然違う。君だけが特別だ」

 渋くてハンサムな顔が、真面目な顔で元妻を見つめてくる。

「……本当に? 特別優しいの?」

「大事だと思うのも、優しくしたいのも、こんなに可愛いのも、シャルロットだけだ」

 髪を解放した指が、腕の中から男を見上げる顎と唇を撫でる。

「最初に愛さないと言ったのは君を安心させるためだ。他に意味はない。でもそれから可愛い君に心変わりしたってそれは俺のせいじゃないし、シャルロットが可愛すぎるのも君のせいじゃない。そうだろう?」


 シャルロットは顔を赤くして、しぶしぶ頷く。急に可愛いと連呼されるといたたまれなくなってどこを見ていいかわからなくなる。


 小さな声で名前を呼ばれて、顔を上げて見つめ合う。

 とっくに覚悟を決めたジェフの瞳は、蕩けるように甘い。

「愛してるよ」


 それからジェフがソファから床に膝をついた。

 じんわりと潤み始める丸い瞳を、真摯な顔で宰相が見上げる。

「君が側にいないのが、淋しい。バティークにも、他の誰にもやりたくない。

 最初は騙されて俺なんかに嫁がされた気の毒な若い女の子でしかなかった。ただ公爵も意図があってのことだったとは思ったし、家の連中もアレだから……最終的には霧散したが道具としての契約婚にしてしまった。後悔している。済まなかった。

 舞踏会やら旅行やら夜会……毎日少しずつシャルロットの存在が大きくなった。今となってはカティネに一筆書いただけで終わったのも後悔しかない。セバスやテルミアの言うとおり、俺には君の可愛さが全然わかっていなかった。俺には結婚が向いてなかったのだと……結婚自体に目を瞑って酒ばっかり飲んでた」

 シャルロットがちょっと笑う。酒と結婚は多分全く関係ない。

「バティークが現われてから、少しずつ変わり始めた。君も毎日毎日綺麗になっていく。どこか居心地の悪い焦りが出て来て……だけど全部捨ててアップルトンに戻ると言う。全然聞きたくなかった。そんな話。それで手放せなくなっていると気が付いた……結構前から、契約を後悔していた」

「後悔していたのですか?」

「もっと曖昧にしておけばと。白い結婚だと書いたから」

「でもキスはしましたよ?」

「あれは完全に契約違反だ。でもキスもそれ以上もしない理由がみつからない。本当に君自身が欲しいと思い始めて……急にいなくなった」

 シャルロットは出て行った日を思い出す。お別れしてきたあの部屋に、たくさんの思い出を置いて来た。カーターの屋敷が恋しい。恋しくてたまらなかった。


「大使館で、本当は乗り込んですぐ全員殺してやりたかった。宰相じゃなかったら」

「ジェフ」

「殺そうと思えば簡単だ。撃てば死ぬ。十三の頃から一度も撃ち損じたことはない。冷静さを必死で保って、頭の中では何度も殺した」

「ジェフ、怖いこと言わないで」

「……んん……頭の血管が切れるな。んぁ~…とにかく、シャルロットが大事なんだ、この世で一番。偽物も本物でもなんでもいいから君がいい。死ぬまでずっと……生まれ変わってももう一度俺の奥さんになるんだろう?」

 シャルロットは自分でも泣いているのか笑っているのかわからない顔で頷いた。


「結婚しよう。もう一度」

 ポロポロ出てくる涙を拭いながら、シャルロットは今度こそしっかりと自分の気持ちで返事をする。

「はい、します!」



 大きな息を肩で吐いて、ジェフがガウンのポケットから赤いケースを取り出した。

「あ」

「ちゃんとしたのはもう一度作る。ひとまず君が良いなら嵌めておいて欲しい」

 クリスマスに貰った指輪が現われて、左手の薬指につけられる。

 最後の最後に外した指輪が戻って、やっとシャルロットの中で色んなことが現実的に戻ってきた。一緒に指輪を愛で、今度は座りなおしたジェフがシャルロットを膝の間に抱き寄せる。

「涙はとまらない?」

「だって勝手に出るから、どうしようも」

「明日、君の父上と兄上に許しを乞う」

「はい」


 長い指が小さな頤をすくう。

 投げ飛ばさないでくれよ、と言いながら男の顔が落ちてくる。

 それから何度も何度もキスをした。


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