46. 大使館にて②
バルカスからの電話を切って、ジェフはウィリアムとしばし見つめ合う。
「大使館とはまた厄介な場所に迷い込んだな」
「このタイミングで偶然はありません。なるべくしてなった。ビビアンは知りませんが」
「おいおい、冷たいことを言うなよ。どうする?」
「おおよそ繋がりました。若干の確信が持てない部分はありますが」
「後で聞こう」
「助かります、法務大臣を呼びます。陛下はいくつか電話を繋がせますから待機していて下さい。それと、軍のトラックを動かす指示を。二台もあれば十分でしょう」
「わかった」
「私は少しマクベスと話をしてきます」
駆け足で階下に降り、総務大臣のマクベスと話をした後でウィリアムに電話をいくつかさせ、呼びつけた法務大臣に書類の作成と押印をさせる。最後はタイプライターを持ち込み、護送されながら猛スピードで走る車の中で書類を作らせた。
「ここに陛下のサインを」
「揺れて書けない」
「書けます、多少字が滑っても構いません、私とグラント(法務大臣)が見ている」
夕暮れのアリンドの街を、サイレンを鳴らした十台以上の車が塊になって走る。人々は驚いてその様子を見つめた。一体何が有ったのだと噂が始まる。
大使館の前には指示通りにトラックが並んでいた。
「なぁ、ジェフ。大使館というのは相当頑丈な造りなんだろうな」
ウィリアムが窓から警備のリンド兵やトラックから降りてきた軍人を眺めながら呟く。
「ええ。基本的には非常時でも立て籠もれるように造られています。鉄筋で防弾ですね」
「なるほど」
ウィリアムを車に残し、降り立った上司の元へとバルカスが走る。
「ジェフ様!」
「酷い失態だ。なぜ止められなかった!? ビビアンが殺されでもしてみろ! 間違いなく大きな火種になる」
「突然のことで動転して……轢かれてでも止めるべきでした」
「お前の即決力は買っているんだが。私情を挟むな。それこそ貰えるものも貰えなくなるぞ」
バルカスは筋の立った手の中、折れそうな程に親指を握りしめる。
「……ジェフ様、シャルロット様のことを聞かれましたか? 探偵からの報告書がどうとか。そう言えばバティークは?」
「バティークは公爵を連れてくると一度戻った。まだブランドン公爵は連絡がつかない。報告書は読んだが、全部嘘だ。調べさせたがフランコ探偵社というのは開業して十二年、アリンドでは大手の部類だ。グリュクンが丸め込んだな。始めからシャルロットを狙っていたと考える方が自然だ」
話しながら、二人はトラックに金具を取り付けた反対側を手に大使館正門へと足を向ける。
「何が目的で?」
「マクベスと話をしてきた」
「総務大臣とですか」
「初めは口が堅かったが、脅せば直ぐに喋った。あいつはグリュクンにもトルシュにも情報を流していた」
「二か国へも!?」
「ああ。マルーンにも。マクベスは男爵家で大臣まで成り上がった議員だ、野心が強い。利用されているとも思わずパイプを作っている感覚だったんだろう。民主化を前にアドバンテージを稼ごうとしたな。国家元首にでもなるつもりだったのか……更迭してきたが。土地相続に関する法改正草案はトルシュに唆されて出したようだ。入隊後の待遇に関する噂の出所はトルシュ大使とみて間違いない。夜会がオンシーズンに入ってから入隊希望者が急増していた」
「バティークや私の友人にも入隊したものがいます」
「トルシュはリンドと同盟を結びたい。国民側から同盟参加の機運を上げて行こうと仕向けてきた」
正門前にはダフネの警備兵が緊張した面持ちで二人を迎える。
「リンド宰相のカーターだ。緊急に大使のグリュクンと話がある。旅券とボディチェックが必要か?」
「申し訳ありません、大使からは何人たりともお通しできないと」
『なぁ、君は、これからどうするんだ』
顔を歪ませ宰相の来訪を断らねばならない重圧に耐える若い男に、ダフネ語でジェフが微笑む。
『わた、私のことですか?』
『そうだよ。ダフネに帰れるのか? 港は閉鎖されているらしいぞ』
『まだ……わかりません』
『大使はアシッド派ではなかったね。帰国すれば粛清される可能性が高い。君はそんな男についていて大丈夫なのか』
『ですが、私は国から派遣されてリンドに』
『君の言う『国』は前政権だ。今ならまだ何の争いもないから、君の亡命を受け入れられる。ダフネが落ち着くまで保護できる。どうだ?』
『………』
警備兵は黙り、俯いた。
『考える時間が必要だろう。では私が中に入って出てくるまでに亡命するかどうかを考えておきなさい。あ、もちろん食うに困らぬ生活を約束しよう。必要なら職も』
バルカスが警備兵の目前で正門扉へ金具を取り付ける。
『ようく考えろ……考えている間、今から君は何も見ていないし、聞いていない、いいね?』
『いや、まさかそんな……ああっ』
言ってる側からバルカスが手を上げると、向こうで金具と繋がったトラックが反対方向にゆっくりと進む。
バキン!! と正門と鉄柵を繋いだ金具が迷いない音を立てて割れて外れた。再びバルカスが合図をしてトラックが止まる。
『ん? ドアが壊れているようだな』
まるで初めて気が付いたような白々とした台詞を吐き、ブラブラと揺れるドアをジェフがつつく。
『本当ですね。修理をするよう大使に進言しましょうか』
『そうだな』
スタスタと躊躇なく通り過ぎる二人を警備兵が口をぱくぱくさせながら見送る。
「大臣がマルーンに流していた情報は何だったのですか」
「両国の情報全部だ。トルシュの兵器生産数のデータやいつカーティアに攻め込むつもりなのか。それとダフネ軍の内部情報が中心だったようだ」
「公爵はダフネと繋がっているのでしょうか?」
「可能性は半分……だが工場を建てた場所が答えなんじゃないかと思う」
「南部の山奥が?」
徐々に集まってきた動揺の隠せない表情のダフネ人警備兵四名が、うろうろと銃を下げて周りを囲み始めた。
バルカスはスーツの内側でホルダーのボタンを外す。
「ジェフ様、銃は?」
「一応。でもお前に任せる。ちゃんと正門から来たんだ、どうせまだ撃ってこない」
「ちゃんと? これが? 防弾チョッキくらい着て来ましたよね?」
「あ~、忘れていた」
「わす…」
「当たらんだろ」
「当たります!!」
悲鳴のような反論をするが、笑う上司に半目になる。ジェフは思い出したようにグルリと見渡し、上官の男に当たりを付けると指を鳴らして注意を引く。
『あ~、さっきの警備兵にも案内したが、リンドは君たちの亡命を受け入れる。亡命するなら正門の兵と一緒に待っていてくれ』
大声で告げると兵士たちは増々動揺度合いを深め、互いの仲間の顔をジロジロ見始めた。
『亡命?』
『本国に帰ると粛清されるって本当なのか』
『殺されはしないだろう』
『だが間違いなく前線送りにはなる……』
相談し始めた兵士たちと歩みがずれ、二人は難なく敷地の奥にある大きな両扉へと手をかける。
「ジェフ!」
そこへ声がかかり、バタバタと一団が走ってくる。
「バティーク! に公爵と、め……」
ジェフの目玉が上を向く。
「オズワルドです」
「あー、そうだ、オズワルド君。しかしこちらまで公爵にお越しいただかなくても。危ないかも」
「シャルロットは無事なのか!?」
ひと際に赤い顔をしたブランドンが苦し気に声を上げる。
「公爵、息が……ご体調が?」
「ただの高血圧だ!」
明らかに息荒く、オズワルドが差し出した水を撥ねのけて叫ぶ。
「なぜシャルロットとビビアン様がこんな所にいる!? 誘拐だろう!? カーター侯爵家は大馬鹿か!」
「………それについては面目次第もない」
ジェフが詫びたが、バティークが父に非難の目を向ける。
「しかし、それについてはカーター家だけの責任ではありません。父上の面相が変わり過ぎているから」
「そんなものどうしようもない!」
「車の中でも説明したでしょう? 僕だって本当の妹なのかどうか怪しいくらいだった。血などもうどうでも良いですが。ここまで利用されて挙句にあの写真を見れば誰だって思うでしょう、そりゃ」
「利用?」
ブランドンが息子を睨んだ時、パンパンと乾いた手拍子が打ち鳴らされる音と共に玄関扉が全開に放たれた。
ジェフ、バルカス、バティークにブランドン、オズワルドが中から現れたにこやかな男と対峙する。グリュクンは大きな丸いシャンデリアの下で背後に銃兵を従えて立っていた。
「何を延々と立ち話していらっしゃるんですか? 待てど、暮らせど、お越しにならないので、しびれがきれてしまいました。お待ちしていましたよ。ご招待しようと思っていたところです」
「誰を待っていたんだ」
バルカスが口を開くとグリュクンは余裕の笑みで面子を眺める。
「ええ、ええ。当館でお預かりしているお嬢様を引き取りにいらっしゃった夫君と書類上の御父上……兄上までお越しとは予想外でしたが」
「グリュクン公、一度挨拶をした程度だが、君に私の大事な妻を預かられる理由がない。誘拐と認識しているが、間違いないか」
「はははは。面白いことを言いますね。でっち上げの妻がそんなに大切ですか。あなたは偽物の娘を掴まされたって言うのに」
バティークが大きく息を吸い込んだのを目線で制し、ジェフが口を開く。
「偽物の娘と言うのなら、直ぐに解放するべきだ。何の使い道もない」
「確かにそうですね。だけど随分と仲が良さそうだ。彼女もあなたを憎からず思っている。そうでしょう? カーター夫人」




