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39. フランコ

 長年の探偵業から、自分にはそこそこの勘が育っているとフランコは自負している。

 その勘がここしばらく頭の中で囁いていた。


 これ以上調べても、無駄。


 そう、無駄な気がするのだ。

 感触的には依頼者からの内容と同じか似通った調べ物をした人物がいて、その際に『この件について今後は他言無用』的な何かを言い置いて去ったのではないか。そんな気がしていた。対象リストの人間は捕まえることが出来たとしても、最初は明らかに知っていそうな口ぶりの後で、思い出したように黙る場面が少なくない。

 さらに、その人物は偉い奴だ。何者かはわからないが、人の口に頑固な鍵をかけられるのは結局偉い奴しかいない。金とか、権力とか、そういうのを持っている人間だ。

 これ以上関わらない方が良さそうな気配しかしない。口止めされた関係者と権力者の影。


「諦めようか…」


 バカでかいマルーン公爵邸の延々と続く塀をぼんやりと眺めた。夕方の空の下で一人ため息をつく。手には依頼人のシャルロット・アップルトンから送られてきたマルーン家の雇用者リスト。もう殆どに赤でバツ印が打たれている。

 この手書きのリストを依頼人はどうやって手に入れたのかも不思議だった。自分より遥かに収集する伝手をもっているじゃないか。こんなリストはあの屋敷の中にしか存在しえない。ただの小娘に見えたミルクティー色の髪の女を思い出す。

 彼女は本当にシャルロット・アップルトンという人間なのだろうか。本当はどこかの国のスパイじゃないか? この写真の男だってこんなに美男なら直ぐにわかりそうなものだ。人の記憶に残るだろう。


 普通、これだけ調べたのだから多少の情報は出てくるはずだった。例えばこのソフィアという女性が過去に付き合ったことのある男の名だとか。でもそれさえ出てこない。今日捕まえた使用人の女もハズレだった。フランコは煙草に火をつける。


 やってきた道をトボトボと折り返し、停めてあったボロ車へと向かう。

 あ~あ。成功報酬で車の修理もしたかったなぁ。

 そんなことを考えつつ、依頼人からちょろまかす経費の算段をしながら運転席に乗り込んだフランコはドアを閉めてぎくりとした。

 フロントミラーに知らぬ男が映っている。

「やぁ、ミスターフランコ」

「誰だ!」

 後部座席から自分の首元にナイフが当たり、フランコは慌てて咥えた煙草をアッシュトレイに捻じ込む。そのまま両手を開いてホールドアップの姿勢をアピールする。

 フロントミラーには鼻から上の男の顔が映っていた。

「君は何を嗅ぎまわっているのか教えてくれるかな?」

「……私には守秘義務がある」

「良い探偵だね。偉いよ。では、私が今から君を雇う」

「雇う?」

「ああ。君が調べていることを調べて欲しい。五十万出そう」

「ごっ!?」

「少ないかな? いや、そうだな。もう少し協力してくれるなら八十だ。成功も不成功も無い。ただ君は君が調べていることを今話して、ほんの少し何か協力してもらうだけだ。私ではあのお嬢さんに近づくのが恐らく難しいだろうからね。君なら簡単だろう?」

「お嬢さんて」

 依頼人の顔を思い浮かべる。

「シャルロット・カーター」

 カーター?

「君の依頼人だよ」

「私は…どうも偽名を使われているようで」

「なるほど。シャルロット・カーターは宰相の妻で」

「ジェフ・カーターの妻!?」

「マルーンの娘。隠し子だ」

「………」

 フランコはしばし息を忘れた。


 何と言うことだ。依頼人を先に調べるべきだった! とんでもないお嬢さんが依頼してきたのだ。え? じゃあどういうことだ? ソフィア・アップルトンを母だと。つまりブランドンがソフィアに産ませた子? いやでも待て。ソフィアの隣のあの男はじゃあ誰なんだ、なんで探そうと思ったんだ、それは。

「だが恐らく血は繋がってないんだろう。政略の為にでっち上げられた娘だな」

「はは…ははは…何か、ご存知で?」

「いや、別に興味もない。だけどブランドンなら娘一人でっち上げるくらい造作もない。リンド社会は前時代的だから宰相も拒めないんだろう? 互いの縁を深めるにはこれ以上ない政略だ」

 豚でもわかる。そう言って彫りの深い目を細めるのが見える。

「それで、君は何を調べていたんだい?」

「………」

 フランコは背中と脇がビショビショになるくらいに冷たい汗をかく。後ろの男はブラフではなく、断れば本当に喉を裂く気がした。鏡越しにもわかる、異国の面立ち。

「君が私に何を話したとして、私が君から聞いたなんてことを誰に言う? 誰にも言う相手がいない。この国に一人も友達がいないんだ。孤独なんだよ」

「でも、なぜ……」

「公爵がお嬢さんを使う目的がね。気に入らないんだ。お嬢さんには優しくしなければ……これまで通りカーターとマルーンの関係は悪く、宰相には公爵をとっちめてもらわねばならない」

「なぜ?」

「悪巧みをしているからだよ……マルーンが。これ以上を聞くかい? 今助かっても後で」

「あ~~~~~~、聞きません聞きません聞きません!! お…俺が調べていたのは」

「いいね! これは前金の五十」

 頭上から札束が落ちてくる。フランコはごくりと唾を飲んだ。

「……写真の男が誰なのか調べてくれと」

「ああ、君がいつも持ち歩いている写真の男だね」

 ちびりそうになりながらフランコは頷く。一体いつから見張っていた!?

「写真を見せてくれ」


 男の声にゆっくりとくたびれた背広の内ポケットから写真を抜き取って、前を向いたまま人差し指と中指で翳す。

「ふ~ん…この女性は?」

「シャルロットの母親だと」

 しばらく間が空いた後で、男が愉快そうに笑い始めた。

「なるほど! なるほど、これはいい。良いね! シャルロットは馬鹿じゃない。自分が隠し子ではないことを知っているんだ。つまりこの男が真実の父親か」

「そうではないか、と…恐らく」

「ふふふ。随分と美しい男じゃないか。シャルロットも美しくなりそうな女だったな。そうか、それでこの男が誰なのかわからない、と」

「ええ、まぁ」

「よし、わかった。この男はこちらで用意しよう」

「へ? 用意?」

 ああ、と機嫌の良い声がする。

「んん、いいねぇ。そうだ、君は報告するんだろう? 報告書を今から一緒に作ろう。さぁじゃあ運転したまえ」

「いや、そんな嘘の報告書なんて」

「大丈夫だ。三百万出そう。君は計画が終了したらふた月くらいバカンスを楽しめばいい。良ければ我が国に招待しよう」

「我が国…?」

 そうだ、ダフネにね。

 男はナイフを下げ、代わりに再び分厚い札束を頭上からぼとりぼとりと落とした。



 ****


「ね~、ロティ~、なぁんで寝てるの?」

「だって私だってお酒飲んですっかり疲れてたから爆睡しちゃって。覚えてないんだもの。お揃いだから写真を撮って、って言ったんだって」

 シャルロットの部屋に飾られた一番豪華な写真立てにはセバスが撮った車寄せでの写真が入っている。すっかり目を瞑っているシャルロットと、口を閉じて笑うことのないジェフ。

「このおじさん、よく写真なんて撮らせたわね」

「ふふ。ジェフの顔、可愛い」

「可愛い? これが?」

「ちょっと照れてるでしょ?」

「そうかなぁぁぁぁ?」

 ぐるんと首を傾げて見ても不機嫌なだけにしか見えぬ中年男に、ビビアンは嫌そうな顔をする。

「おじさんは難しいわ」

「そう?」


 アニラの公演前に手紙の通り帰ってきたビビアンは心持ち疲れた顔をしていたが、また日常が戻りつつある。二人はもうすぐ迎えるクリスマスに向けて大量のプレゼントを買い、小さな手紙を書いている所である。

「あとは誰だっけ?」

「えっと、あとはリュートとアニー、ジャンとビッケ」

「アイアイサー」

 ビビアンは流麗な文字でクリスマスを祝い、サンタクロースになりきって子供たちへの気持ちを綴る。


 メイヤード養護施設はシャルロットがカティネに引き取られるまでの僅かな年数を過ごした第二の故郷である。とは言え、今はもう先生以外に知っている者はいない。予め分けてあった最後の給料を遣って文房具を買い求め、シャルロットはクリスマスプレゼントを用意する。

「毎年こうしてプレゼントしていたの?」

「お給料をもらうようになってからね。でも一番初めはみーんなに一つのケーキを持って行っただけだったわ。切り分けたら小さく小さくなっちゃって、意気揚々と持って行ったのに、申し訳ないやら恥ずかしいやら」

「そっかぁ…自分の生活も大変だったのに、偉いね?」

「偉くなんかないわ。ただ、施設に入っていた時、同じように誕生日とクリスマスに貰えるプレゼントが本当に嬉しくて。だから、同じことをしたいの」

「ロティがだいすき!」

「え~! 私もビビがだいだいだいだいすき!」

 ケラケラと二人で笑って、また手紙を書く。


「お二人とも、そう続けて書いていては背中が疲れますよ。さぁ、お茶を。こちらのテーブルに置いておきます」

「ありがとうございます、テルミアさん」

「ねぇねぇ、カーターさん家はいつもクリスマスはどうしているの?」

 ビビアンがソファのテーブルに紅茶を置いたテルミアに尋ねる。

「クリスマスは、いつもジェフ様がご不在でしたから、特にお屋敷で何かをしたことはございません」

 前妻がいた間は酒池肉林パーティーが繰り広げられた年もあったが、テルミアはそっと記憶を投げ捨てる。

「クリスマスまでお仕事だったの? そんなことないはずよ? 国王陛下だってクリスマスは毎年休むんだから」

「そうなの?」

「そうよ、決まっています」

 シャルロットは自信満々なビビアン先生に目を丸くする。

「どうだったでしょうか。仕事なのか、接待なのか、ご友人とお食事に行かれていたこともあったのかもしれませんが、正直ジェフ様お独りのクリスマスには私ども興味がなくて」

「正直ですね、テルミアたん」

「毎年ボトルを抱きしめている坊ちゃまを起こすのは飽きたとセバスも」

「あ~」

 然もありなん。シャルロットにも容易に酔いつぶれているジェフが想像出来た。

「今年はどうするの? もう来週よ」

「私たちはいつもセバスがクリスマス会をします。プレゼント交換が楽しみです」

「えっ! なぁに、それ。私も行って良いですか?」

「………奥様は…」

 どうでしょう? テルミアは頬に手を当てて首を傾げる。

「申し訳ございません、奥様の分のプレゼントのご用意が間に合いそうにありませんね」

「え?プレゼント交換って、普通一人ひとつずつ持ち寄るんじゃ」

「ねぇ、ロティ。形だけとは言え、あなたとジェフは家族なのよ」

 珍しく真面目な顔をしたビビアンが身を乗り出してシャルロットを諭す。

「? ええ、まぁ、そうですね」

「それなのに夫婦でプレゼント交換をしないのも変に思われるし、バラバラで過ごすのは対外的に良くないわ」

「対外的? 誰に向けて?」

「奥様、わたくしもビビアンの意見に賛成です。良くありません。もし別々に過ごしていらっしゃることを………に見られたら」

「え? 誰? 誰って?」

「婚姻の不履行だと怒られるかもしれません!」

「誰に怒られるの?」

 シャルロットがキョロキョロして索敵するが、いるわけない。

 ビビアンが大きな声を出して手を打つ。

「じゃあ、ロティはジェフ様と二人で過ごすしかないわね!」

「え?」

 なんで?

「それは素晴らしいアイデアですね! 早速セバスにも伝えましょう」

「何をですか?」

「シャルロット様が旦那様と二人で素敵なクリスマスの夜を過ごしたいと仰っているとジェフ様に伝えてもらわなければ!!」

 一言もいってない。

「よぉ~し、じゃあ私たちも残りのカードとラッピングをがんばろう~!」


 拳を振り上げられると『お~!』と言いたくなる性分なので、シャルロットは首を傾げながら乗っておいた。どうせ忙しいしジェフが断るだろう、そう思いながら。


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