38. 蝙蝠
食事会以降、バティークは本格的に仕事復帰をし、時折ひっそりとカーターの屋敷を訪ねるようになった。出迎えるのはセバスのみ、夜半を過ぎて街には人気のない時間が主だった。シャルロットさえ来訪を知らされず、執務室では男三人が頭を突き合わせる。
「先日バティークから聞いた公爵の再来週のゴルフメンバーがこの三人。どう見ても緊急性もうま味もない面子なので調べたところ、すぐ後ろからのスタートで予約されているグループにこれらの四人の名がありました」
バルカスが報告書と四名それぞれの隠し撮りらしき写真を広げる。
「中東の人間たちとリンドの大学准教授に、化学薬品の専門卸会社の専務か」
「恐らくプレイがスタートしてから合流する腹でしょう」
バティークも覗き込んで白髪の専務を指さす。
「この化学薬品商社は医薬品素材も取り扱いがありますが、安さが売りで二流です。マルーンとの取引もありません」
頷きながらバルカスが別の書類を出してくる。
「こちらが二年前の業績と公表されている商材のリストです。取り扱っている薬品の八割は危険物かその原材料」
「何の原料になる……」
ジェフがリストをじっと見る。
「許可が降りないために父は調整が取れなくなってきています。頻繁に面識のない企業名で申し込みがありますが、オズワルドにアポを断らせているようです」
「その企業とはどういう業種だ」
「様々ですが、一番多いのが怪しげなコンサルティング会社ですね。病院経営が母体なので医薬品メーカーを騙っているケースも多いです。余程の開発があったなら別ですが今更小さなメーカーと話など嘘くさいと感じます」
「こちらが許可しない内は売りも買いも明確な話ができない、つまり取引先は決まっていないということだ。バルカス」
「ははぁ。取引したいと業者を当て込むんですね」
「そうだ。実際の契約書をドラフトで良いから書かせてしまえ。内容も見たい。取引したくなる業者については候補をバティークが考えろ」
「わかりました」
こういったことが繰り返され、あらゆる角度から証拠集めが行われた。
またブランドンは進まぬ事業許可に度々陳情書を送り付けた。
バティークはもちろん父親からも呼び出される。同じ屋敷に住む親子なので、あちらにもこちらにも顔を立てる難しい役どころであった。
「上手くカーターの陣営に出入りしているようだな」
父の執務室、ローテーブルを挟んで父子は向き合う。
「ええ」
「事業許可はいつ降りる? 降りない理由はわかったのか」
バティークはまじまじと赤ら顔の父を見る。
ジェフとの会話以来、父が医薬品の他に何を製造しようとしているのかは、割と早い段階でわかった。自身が渡航していた間に父が使った通信履歴を業者に開示させたからだ。この通信事業は国と三公爵家が敷設したものだったので、屋敷からの電話一本でいくらでも手に入った。記録は膨大な量だったが、偏った番号を中心に調べさせれば早くに予想が立った。
連絡先は密かに軍事コンサルを営む外国人、そこから繋がったであろう欧州系と中東の化学薬品の専門商社。ただ、最初は戦車でも作るのかと思ったが、鉄鋼関連の連絡先が出てこない。どうやら化学兵器の類であると気が付いたが、一体どうやって販売するのかがなかなか浮かび上がって来なかった。最も、密かに製造するには戦車だとデカすぎたが。
なぜもっと慎重に連絡を取らなかったのだ。
戦慄するほど父は次から次へと手を打って事業を組み立てて行った形跡があった。これほどのスピードで為せばバレても後の祭りだとでも思ったのか。それともバレないと? 耄碌したのだろうか。正直ぞっとした。
しかし一番理解できないのが目的だった。父は左派を否定する保守派だ。民主化も毛嫌いしているし、武力を行使して物事を決めるなど馬鹿だと軽蔑していた。それがなぜ化学兵器など…。人道的にも悖る、武力どころか世界中に唾棄する者がいる種のものだ。トルシュでさえ化学兵器には手を出していなかった。加えて未開の分野だ。たとえ開発に成功しても、さらに大量に商品化するのは生半ではない。金と情報操作が出来る社会的な立場、実行力を持たねばまず動かせる事業ではないのだ。
今のマルーンかザレスなら兵器を含め事業の設立は可能だとは思う。その点に関してはジェフも賛同はしていた。ベルジック公爵家は当主がまだ若く、先代が事業に失敗して現状の資金力には乏しい。
だが諸刃の刃だ。この工場が引き金となって攻めてこられたらどうする。もう既に数々の国から同盟の話が持ち上がっている。ウィリアム陛下はのらりくらりと躱し、十分な戦局がわかるまではどこにも加担などしないだろう。仮に単独で同盟など結んだ挙句、連盟側が負ければリンドは無くなる。それくらいの自衛と国力しかない。だが欧州などそんな国ばかりだった。そこへ突然化学兵器を大量生産する国が現われたらどうなる? パワーバランスが予想できないほどに大きく崩れてしまう。
何を考えているのですか、あなたは。
毎度のように喉元迄出かかるが、息子は唾液と共に飲み込んで穏やかな垂れ目で父を見る。
「いえ、はっきりとは…ですが、どうやら陛下は水面下でベルジックと連絡を取り始めたようです」
「ベルジックと!?」
「あの家には柱になる事業がありません。持たせるためにいくつかの伯爵家と連立させるつもりかもしれませんね」
「保健事業を担当させるなら当主も若くベルジックは飼いやすいか…」
「父上、これはあくまで提案ですが」
「なんだ」
「当家も代替わりをするという噂を流してみるのはどうでしょう」
「噂か。お前はまだ当主にはなりたくないのか。ベルジックはお前より二つ下の歳で当主になった」
「まさか。僕にはまだ到底無理です。父上やおじい様のようにはなかなか」
「もっと覇気を持て。代替わりはまだだ。時期は決めてある」
「いつですか?」
「まだ教えん。お前、それまでにもう少し威厳のある当主になるよう準備をしろ。金を遣って自分だけの手足を増やしておけ」
「それはわかっています。渡航制限が出たのでレシェクもダフネから戻ってきていますし、部下たちも既に休暇から戻ってきています」
「そうか。いよいよダフネは危ないな……さっきの代替わりの噂というのは有効かもしれない。やってみるか。とにかく何でも良いから許可を」
「わかりました。ではクラブ経由で噂を流します」
立ち上がろうとした息子を、ブランドンが手で制す。
「大した人間ではないが、うちを嗅ぎまわっている男がいるようだ。何か思い当ることはあるか。寄ってくる女がいたとか」
「興信所ですか」
「おそらく。お前と縁を結びたい貴族は多い。その関係ではないかと思っているんだが…少し当たり方が気になる」
「それはどういった?」
例えばバティークの外出先を調べてハンカチーフを落としてきたり、食事の席で隣に座ってきたり夜会の小部屋に数人がかりで連れ込もうとして来たり。そんなことは留学前まで頻繁にあった。
「調べているのはお前のことでも私のことでもない。使用人について調べてるらしい」
「へぇ……誰か素行の悪い使用人でも?」
「いや、辞めた人間を中心に探しているようだ」
ふと、以前にシャルロットからねだられた過去の使用人台帳のことを思い出した。母を知っている人がいれば話をきいてみたいから、と言っていた。渡してやったのは先月だ。少し一緒に中を覗いたが、現住所までは追っていないのでがっかりしていた。あの件も、もう少し親身になってやらねば。
「まぁ、それほど気にする必要はないのかもしれん」
「わかりました、一応、私も気を付けておきます」




