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37. 食事会

 夜会が終わってから次の日曜、約束の時間より早くバティーク・マルーンがやってくる。大量のプレゼントと共に、いつにも増して覇気なくカーター侯爵家の車寄せに降り立った。

「いらっしゃいませ、ようこそバティーク様」

「ありがとう、セバス。このプレゼントをロティの部屋まで運んでくれるかい? 同じ包装紙が二つあるのは片方をビビアンにと。揃いなので中は同じだ。黄色と茶色い包装紙はセザンヌ通りで今一番人気のタルト店のケーキだ。屋敷の皆でデザートにでも食べてくれ」

「これはこれは! お気遣いありがとうございます。皆喜びます」

「時間よりも少し早く来てしまった。その……ロティはどうしているだろうか」

 すっかり馴染になった老執事によってにこやかに迎えられるが、応接に行くまでに既に落ち込み具合を露呈してはばからない。

「奥様は今、バティーク様がいらっしゃるからと厨房でアップルパイを焼かれている所です。内緒ですよ」

「あ……アップルパイだって!? 僕に!! ……ああ……ああぁぁぁ……こんな僕の為に」

「そのように肩を落とされて。夜会の件ですか? お手紙はジェフ様にお届けいたしましたよ」

「うん、謝罪の文は送ったが…全く不甲斐なくて嫌になる」

 苦笑するセバスが若い小間使いに呼びに行かせ、執務室にいたジェフが外面用のさわやかな顔で降りてきた。

「やぁ、バティーク」

「ジェフ!! その、夜会の折は本当に」

「ああ、手紙は貰った。返事を書かずで済まなかったね」

「それは勿論です! お忙しいのに。とにかくシャルロットを一人にさせて本当に申し訳ありませんでした! 僕の失態です。何ともなかったから良かったが、相手がたまたま転んで頭を打たなかったらと思うと。大事になっていたかもしれない」

「話を聞くとビビアンが調子に乗って度数の高い酒を何杯も呷ったらしい。シャルロットも酔っていたし、二人とも判断が甘くなっていたようだ。酒が抜けてからちゃんと叱っておいた。ビビアンも家に帰されたから、暫く絞られているだろう」

「家…家に帰されたって、ではあの時、陛下が!?」

「ははは。近くで用事があってね。むしろ久しぶりに連れて帰る口実が出来て喜んでいらした。ご機嫌だから問題はないよ」

「あ~…だけど…マルーンがまた嫌われてしまうのでは…」

「ん?」

 頭を抱えだした青年に眉を上げると、情けない顔で切り出す。

「……あの工場の許可が降りないのは陛下がマルーンに富が集まるのを嫌がっておられるからではないですか? 陛下は民主化を推し進めていらっしゃいます。本当は三公爵家のことも疎ましく思っておられるのではないですか。元々リンド家との因縁は深い」

「ああ、なるほど。いや、工場の件はそれが理由なのではないよ」

「そうなのですか? あぁ、それなら良かった……では、何が理由か窺っても?」


 ジェフは尋ねてくる垂れ目の男を見る。

 バルカスの報告通り、バティークに兵器製造の件が知らされている様子はない。蚊帳の外だ。また今日までの観察から彼が奸計に不向きなタイプだと知れた。ブランドンも言えば反発必至と踏んでいるのだろう。ならば利用するには持ってこいである。

「バティーク」

「はい?」

「バルカスから、私とシャルロットの契約のことを聞いてもらったと思う」

 ごくりとバティークが唾をのんだ。ちらりと戸口に控えた老執事を見ている。

「大丈夫だ。セバスも承知。彼の采配で屋敷の家人で信頼できる者にも共有してある。だから彼女に肩身の狭い生活も送らせてはいない。それは安心して欲しい」

「安心など……本当に何と言って良いか……父の始めた意味不明な駆け引きを貴方に尻ぬぐいさせるなんて」

「意味不明ではない」

 バティークは強い口調に顔を上げる。ジェフはアイコンタクトをしてセバスを部屋から下がらせた。

「公爵は工場の敷地でワクチンの他にも作ろうとしているものがある」

「他?」

「私の口からは言わない。バティーク、君が自分で答えを見つけて欲しい。私はそれが原因で許可を出せない。だが世情も鑑みると巨大工場は欲しい、いやマストだ。現状医薬品に明るく流通ルートを持ち、尚且つ資金力のある家は限られているんだ。できればマルーン公爵家にはこのまま良い結果を期待したい…させて欲しい」

「では、上物だけを完成させて取り上げるようなおつもりは陛下にはないと?」

「まさか。そのような考えは」

 ないこともないが。

「これから前回よりさらに大きな戦争になるのは避けられないだろう。ワクチンや薬の自給自足は本当なら国家で担保しなければならない。だが今は」

「領地解体で手が回らない」

 ジェフが頷く。

「そうだ。加えて余剰金は防衛に回したいのが正直な所でね。良い意味でこれまでが平和過ぎた。随分早くから民主化した国で軍事政権が相次いで立ってきている。君の留学先はどうだった?」

「ダフネですか? ええ、揺れていました。国民からは現政権の首相よりアシッドという将軍人気が凄まじいのです。強くて演説が上手い。貧しい家の出身で、カリスマ性がある」

「民主化すると、そういう野心の大きな輩がゴロゴロと出てくる…強い指導力で盲目的に人々を誘う。別に悪いことではないが」

「リンドは大丈夫なのですか?」

 迷い子のような顔をした青年が年若い宰相を見つめる。

「さぁ、どうだろう。私にもわからない」

「大きな時化に揺れる小舟に乗った気分です」

「ひとつだけ確定しているのは、リンドは先に銃を持たないということだ。我々が先に持つのは受話器だな」

「受話器?」

「ああ。とにかく外交だ。その為に私がいる」

「ジェフ、私は貴方の……国の力になりたい」

「………」

「父に聞きました。なぜシャルロットを貴方に嫁がせたのか」

「公爵はなんと?」

「愚問だと一蹴されて終わりです。カーターの次に嫁げそうな先があったら教えろとも言われましたね」

「次!?」

「いや、まさか僕がそれは許しません」

 バティークは腸が煮えくり返りそうだった父の言葉を思い出す。いくら当主が子の婚姻を決められる権利を持っていても、あからさまが過ぎた。端から離婚してもおかしくないような嫁ぎ方をさせておいて更に次の再婚候補など、家族として到底あり得ない。


 ジェフは難しい顔で明後日の方向を見る。

「公爵がどういうつもりでシャルロットを寄越したのかはまだわからないが、恐らくそのもう一つの工場の目的と関係があるのではないかと想像している」

「身内を何かの駆け引きに使う、そういうことですね……あの」

 バティークは語尾を強めて前のめりになる。

「ジェフ、シャルロットと先に離婚するのはどうでしょうか」

「先に?」

「このまま彼女が父から都合よく利用される前に引き取りたいのです」

「………」

「利用されたと知れば、またロティは傷つくでしょう。最初から最後までずっと父親から利用されるなんて……そんなことになれば彼女はマルーンが大嫌いになる」

 ジェフは黙り込んだ。

 遅かれ早かれ手放す契約妻である。その時期が思ったよりも早くなるだけだ。シャルロット本人にも次期公爵が確定している兄という強い後ろ盾も出来ている。ブランドンが目論んでいる内容も大体知れたのだ。


 契約を終了しない理由は見当たらなかった。



 ****


「お兄様」

「ロティ!」

 プライベートダイニングでは兄妹が久しぶりのハグをする。兄は眩しそうな顔をしながら妹を何度も撫でた。

「夜会では先に帰ってしまってごめんなさい」

「謝らなければならないのは僕の方だ。ジェフには謝罪したが、本当に済まなかった。怖い思いをしただろう」

「…ええ…」

 キモおじさんが。

 ジェフをチラリと見ると首を振っているので、シャルロットはそれ以上の口を噤む。

「ビビアンがいないんだって? さみしいだろう」

「とっても! でもアニラの三日連続のお芝居があるので、来週からまた戻ってきてくれるってお手紙が来たのです」

「ふふ、そうか。それは楽しみだね」

「はい、キャンセルにならなくて本当に良かったです」


 立ち話の中でセバスが声をかけ、三人は食事の席につく。

「公爵邸での食事ほど我が家は格式張って食べない。物足りなさがあれば申し訳ないが、バティークにもリラックスして食事を一緒に楽しんで欲しい」

 バティークはジェフの言葉に嬉しそうに頷いて、三人は正方形のテーブルで互いの顔を近くに見ながら話をする。

 男性二人はポロとゴルフの話題で盛り上がり、シャルロットは相槌を打ちながら時々笑う。二人はシャルロットを置いてけぼりにはせずに、説明や面白い話を間に挟んでくれるからあっという間に時間は過ぎた。


「ではデザートとコーヒーをご用意しましたので、暖炉の方へどうぞ」

 三人はテーブルから暖炉前の応接セットへ移る。セバスに案内され、バティークは一人掛けの、夫婦は長椅子に並んで腰かける。

 コトリと置かれたアップルパイに兄が妹の顔を見るが、シャルロットはじっとして知らんぷりだ。香ばしいパイと酸味の残る林檎のコンポートが口の中に広がり、良い味だった。元より可愛い妹が作ったパイなら腐っていても美味しいと思えるくらいには狂いかかっているのだが。バティークが『すごく美味しいアップルパイだ』と声に出すと、シャルロットは何も言わずにんまりとしていた。

 バティークは花が咲いたようなその笑みに吸い込まれる。


 その時、ジェフが隣の妻に小さく何かを耳打ちした。その言葉に歯を見せて笑って、夫の身体とくっつくのも構わずソファに凭れ掛かる。


 モヤッとした形状出来ない気持ちが垂れ目の奥で沸き上がった。

 まるで睦まじい仕草だね、それはまるで夫婦のような。

 リラックスしている姿は良い環境の証だった。可愛い笑みだって。それを用意してくれているジェフには感謝しかない。


 だけど、契約ならそれらしい距離感があって然るべきだろう?


「ロティ」

「はぁい?」

「マルーンの家のことをどう思ってるかな?」

「どう?」

「嫌いかな?」

「……ん~…前ほどは嫌いじゃありません。お兄様はマルーンの人ですし」

「ロティも元はマルーンの人だよ」

 シャルロットは困ったような顔で作り笑む。

「契約を終えてもらうから、マルーンに戻ってこないか」

「バティーク」

 ジェフが驚いて声を張る。シャルロットがすぐ隣の夫の顔を見上げた。

「お兄様に契約のことを?」

「あ…あぁ、そうだ。伝えた。伝えたが」

 ジェフが眉間に皺を寄せてバティークを見たが、バティークは妹しか見えていない。

「シャルロット、父上のことは気にしなくていい。僕が君の全てに責任を持つよ。どのみち父上も隠居して、僕が当主になるんだから。その時期を早めてもいい。領地が解体されても十分な経営基盤はあるし、君が望まないのなら再婚はせずに僕とずっと二人でマルーンにいればいい」

 ずっと二人で、というセンテンスにジェフの皺が深くなる。

「しかしバティーク、君もいずれは伴侶を得る」

「ふふ。ジェフから言われるのは意外ですね」

「………」

 言いかけて、ジェフは口を閉じた。

「僕は正直、女性が苦手でして。あ、ロティは違うよ? …だからリンド家からまた継いでもらっても良いかと思っているくらいです。残念ながら父は僕の他に男子がいませんでしたから。もしくは」

 愁いをにじませ、バティークは未来に思いを馳せる。

「もし、君に他の男が出来たら…その時は婿に迎えても良い。生まれた子が後を継いでくれる」


 しかし、シャルロットは青い顔をして立ち上がった。

「ありえません!」

「ロティ?」

「私の子なんて…そんなのありえない」

 顔色の悪いシャルロットにジェフが怪訝な顔でどうしたと尋ねる。

「ジェフにも、お兄様にも、良い機会なのでお願いを」

 夫と兄の二人を交互に見遣る。

「契約が終了したら、私をアップルトンに戻してください」

「ロティ!? どうして」

「もう、良いんです。十分、いえ一生分の体験をさせてもらいました。私はあの物置から出られればそれで良かった……これ以上は犯罪です。契約が終わったら元のシャルロット・アップルトンとして暮らしていきたいのです」

「そんなつれないことを言わないで。一緒に暮らそう? 今度こそ家族として」

 縋るようにバティークが言い募るが、シャルロットは絨毯に向かってゆるゆると首を振る。

「ありがとうございます。だけど、私はママをひとりぼっちにしたくないから」

「………」

 ジェフはソファから契約妻の横顔を見上げ、シャルロットという存在の希薄さを再び思い出した。急に現れて、急に消えて、元に戻るだけの存在。



 そういう存在だったはずだ。



 バティークもジェフも長らく沈黙した。

 シャルロットは静かな部屋で業を煮やす。何なの、このだんまりは。どう考えても自分の言っていることは一番筋が通っていて、最も合理的なはず。だって元に戻るだけなのだから。子を跡取りだなんて冗談ではない。まず自分とあの公爵の血が繋がってない確率が九十九パーセント、だから由緒ある家を乗っ取った詐欺罪で牢屋に入れられる確率が二百パーセント…!

 黙り込み、顎を引いて何も言わなくなったジェフのカーディガンを細い指が引っ張る。

「ジェフ、聞いていますか?」

「いや……済まない、あ~酔いが回ってぼうっとしていた。何の話だったかな」

「は?」

「とにかくこの美味しそうなアップルパイをいただこう。さぁ、君も食べなきゃ」

「ちょっと?」

 おかまいなしにジェフがシャルロットの腕を強く引いて、自分の隣に座らせる。

「え、ジェフ? 私は真面目に…んんっ」

 ん~なかなか美味い。と言う言葉と共に、あっという間にフォークに刺さったアップルパイが抗議の声を上げる口に押し込まれる。

「バティークもパイの続きを。何ならおかわりを?」

「ええ……おかわりを頂きます。一生食べたいくらいに美味しいアップルパイですから。食べられなくなるなんて考えられない」

 スッと現れたセバスがアップルパイを置きながら『お酒をお持ちいたしましょうか』と提案する。

「そうだな、飲もうか。強めで」

「ええ、僕も強めで」

「バティーク様がご宿泊されるお部屋も用意は整ってございますので、どうぞ後のことは全て私共にお任せくださいませ。ぜひご記憶がなくなるまで飲まれては」

 おいおい。

 シャルロットは大変に難しい顔で三人の会話を聞いていたが、繰り返しねっとりしたアップルパイを口に押し込まれ、速攻で始まった酒盛りに口を挟めぬまま話題は強制終了となった。


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