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35. 夜会④

 初めて出会った時と同じ美しい妹との夜会は、色んな意味でバティークを刺激した。いつものお出かけとは違う装いは大人のそれで、未だ熟さないシャルロットの健康的な魅力をどこか崩して男を誘う。

 通り過ぎる若い男たちが二度見る目線の先にいるシャルロット。優越感を感じないわけにはいかなかった。やっぱりあの眼鏡のセンスがないだけなのだ。美しい妹。びっくりした時や面白かった時、腕に添えられた手に力が入るのも可愛らしい。


 リムジンに驚く姿も、ライトアップされた古城に感動する瞳も、クルクルと楽しそうに踊る姿、ほんのり頬を染めてワインを飲む様子、貴族の下卑たジョークに目を丸くする素朴さ、親友に向ける笑顔も、バティークは目が離せない。


「バティーク、久しぶりじゃないか。帰国は聞いていたけど、クラブになかなか顔を見せないから」

「ああ。忙しいんだ。元気だったかい?」

「変わりないよ。アーサーやミラには会った? 今日来てる」

「いや、まだだな。トビウスは?」

「そうか、バティークは留学していたから知らないんだな。トビウスは今訓練所だよ」

「訓練所?」

「ああ、陸軍に入った」

「トビウスが? そんなタイプだったかな?」

「どうだろ。でも、最近やたらと陸軍や海軍に入ったって話を聞くよ。ユージンもだ。爵位持ちの家から入隊すると待遇が良いって噂だ。確かに階級付きで継ぐ家のない次男以降は大きな顔が出来るからな。飛びつく気持ちも分かる」

「ユージンが? …そうなのか」 

 話しながら、決まって近づいて来た友人たちはチラチラと隣の妹を見る。

「バティーク、紹介してもらっても?」

「妹のシャルロットだよ」

「初めまして、シャルロット・カーターです」

「…あ! あなたが宰相殿の」

 二十回以上の同じような会話を繰り返し、男たちが粘着質な視線を自分の隣に向けるのをあしらって、シャルロットが退屈していないか、喉が渇いていないか、疲れていないか踊りたくないか…あらゆる気配りを溢れさせてエスコートする。

「楽しいかい? ロティ」

「はい! お姫様になったみたい。お兄様といると自分が誰だったかわからなくなりますね」

「はは。どういうこと? 君はずーっと僕の可愛い妹だよ」

 踊り、食べて、色んな人々と話をして、あっという間に素晴らしい時間が過ぎていく。正直に言って、今まで出席した夜会の中で今夜が一番楽しい夜だった。


「ちょっとバティーク様! 私にもロティを貸して下さいませ。ロティ、あっちのお姉様に紹介するわ! 女優のアニラのお姉様なのよ」

「えっ! アニラの!?」

 きゃ~、と腕を組んでビビアンとシャルロットが嬉しそうに跳ねていく。

「ちょっとテラスで涼みませんか」

 二人を見送り、バルカスが差し出したワインを手にバティークはテラスへと出て行く。冷えた外は人もまばらだった。


「疲れますね」

「ウェーバー様ほどじゃないです。ビビアンなんて恐れ多くてエスコート出来ない」

「ははは」

「彼女と婚約の予定が?」

「まさか」

「だけど、彼女は君を」

 やや間を開けて、バルカスは白いため息をついた。

「まだ、ね」

 バティークより年上の次期子爵は色気のある目で赤毛を眺める。

「それはそれは…苦労が多いな」

「多過ぎる! だけどバティーク様も帰国されてからは気苦労の連続だったでしょう。私なら急に妹が出来たなんて聞いたらどうだろうと思いますよ」

「ウェーバー…あー…もうお互いフランクにどうだろう? 年も近いね?」

「ええ、もちろん」

「バルカスに兄弟は?」

「姉がひとりと弟が二人。妹はいないから、きっと急に妹がと聞いたら動揺しそうだ」

「僕は一人っ子なんだ。公爵家なのに珍しいだろう? 普通もっと腹違いでも兄妹は沢山いていいのに。だからずっと淋しかった。ロティのことを聞いて、どれだけ嬉しかったか…」

 言いながら、また眼鏡のセリフを思い出してしまう。

 母は自分を産んでから父とは上手くいかなくなったと聞いていた。弟妹を欲したのは父母仲の回復を願う気持ちと同義でもあった。だけどそれももう、諦めて久しい。


『もし、シャルロット様に血の繋がりがなかったとしたらバティーク様はどうしますか』


 どうする…どうする…?

 シャルロットがいなくなる。それだけはわかる。大きな喪失感の予感しかない。


「ブランドン公爵もきっと喜ばれていただろう。シャルロット様のことは以前から探されていたとか?」

「いや…どうだろう…そういえばその辺りのことは全く聞いていなかったな」

 大体、最初からでっち上げかもしれないので『探し始めた』の意図するところがセンシティブな岐路になる。今になれば探るのも気後れがした。

「父は時々人を駒のように動かす…ロティもたった三か月でジェフのもとへ」

「ええ。ご当主のステファン様に正式な打診があったのはシャルロット様が公爵家に拉致…招かれた二か月ほど前だったかな。そこからしばらく後にジェフ様を除いた家人の一部に相談があり、チームを組んで奥様を歓迎することになって」

「聞いたよ。ジェフに薬を盛ったんだって?」

「盛りまくった。再婚しないなんてゴネるから、ステファン様がいよいよな。案外ジェフ様は薬に強くて…加減が分からず。何度も起きるから慌ててまた飲ませて、冷や冷やした…ははははは」

 二人は笑う。

「いいなぁ。僕も式に参加したかった」

 夜風が火照った頬を過ぎていく。きっとウェディングドレスを着た妹は美しかったことだろう。

「だけど君なら参加の前に大反対だろう。正直なところ、息子の君は良識人だ」

「否定しないよ。大声で言えた話じゃないが、父の非人道的な面は受け付けない…まさか娘にまでそんな扱いするなんて。結局一昨年死んだ母とも長らく別居していたし、家族に執着のない人だったようだ」

「妹が可愛いか? バティーク」

「ああ……いや…きっとロティが可愛いんだ。もしまた別の妹が出てきたとしても、彼女の可愛さは特別だと思う」

「まだ妹が出てくるのか!?」

 ぎょっとして声を出したバルカスに柔和な顔で首を振る。

「たとえ話だよ。ロティは無垢でスれてない。色々知らないから可愛いだろう?」

「それは、確かに。カーターの執事もメイド達もみんな可愛がっている…ビビアンまで」

 バティークはバルカスの言葉を聞きながら嬉しそうに頷いた。

「ビビアンに言われたよ。自分の境遇については絶対にロティに言うなと。言ったらパパにあることないこと吹き込むって。余程気に入ってる」

「こっわ」

「似ているから、余計にロティに親しみを感じているんだろうね」

「そうだな。俺が家庭教師としてビビアンを連れてきた。その時は友のいないビビとも気が合えばとも思ったが、まずは今後のシャルロット様の一助になればと。まさかこんなに仲が良くなるとは思ってなかった」


 離婚したのならば、バツイチ公爵令嬢としての助けになるように。

 ジェフと生涯添ってくれるのならば、素敵な侯爵夫人になれるように。


「はは。一助にしては大き過ぎないか」

 目前の男の、何の疑いも抱かず愉快そうにしている様子を見て取ると、バルカスはスッと身体を寄せ、小さな声で囁いた。

「バティーク、大きな声は出さないで欲しい」

「え? ……ああ」

「ジェフ様とシャルロット様は本当の夫婦じゃない」

「……え」

「いずれ離婚が前提の、賃金が発生している契約婚、白い結婚だ」

「!?」

 思いがけない爆弾の投入に、垂れ目が見開かれる。

「直ぐに離婚するには、あまりに待遇が酷過ぎた。騙されたように嫁がされた十六も年が離れた娘だ。ジェフ様だって勿論、良識はある。頃合いを見て円満に離婚して自由にしようと。シャルロット様も納得してサインをされた。離婚後に困らないよう不動産や慰謝料も」

「本当に? いつ離婚するつもりなんだ!?」

「声を小さく……シャルロット様に聞いてみるといい。嘘じゃない。二人とも酷い強引さで縁を結ばされたんだ。きっと何か公爵には意図があったと思っている。だけどその意図がわからない。早々に離婚した場合の報復も読めない。離婚の時期は、だから未だ決まらない」

 バティークは口元をきつく押さえる。少し迷った様子を見せた後、バルカスが見守る中で口をひらいた。

「以前に、ジェフがその…不能だと聞いたことがあって。白いのかもとは少し思ったことはあった…父は嘘だと否定していたが。だから何となく、彼はシャルロットのことを家族として迎え入れてくれているのかって勝手に」

「大体間違いじゃない。ジェフ様は確かに大事に扱っているよ。本当に不能なのかどうかは、俺も抱かれたことがないからわからないが」

「馬鹿言わないでくれよ……そうか…ロティは…」

「安心したかな」

「……安心なのかこれは。だけど大事にしてもらっていることには感謝だな」

 一方で安心しながら、だが同時にバティークの胸に強い疑念がわく。

「一番初めに聞いた時に『あれ』とは思ったんだ。そういうのは大事にしなくちゃいけなかった。父とジェフは仲が悪かったのに」

「そうだ。水と油くらいに相性が悪い。それなのに、娘を嫁がせた」

 ブランドンの起こした事業や政策への関与は根回しが深く、実態の見えないケースが多かった。その為ジェフはいつもウィリアムを慎重に誘導する。これまでの宰相なら直ぐに通った法案も、カーターが立って以来スムーズさを欠いていた。


 今も、工場の事業許可が降りない。


 バティークの脳裏に父との会話が蘇る。


 まさか…政治的な取引に使う為に宰相と縁続きになる画策をしたのか? 娘を使って身内に取り込もうとしている? だから娘が欲しかった? だからロティを…


「バティーク? 大丈夫か、顔色が悪い」

「……大丈夫だ…」

「水を持ってこよう。少し冷えてきたんじゃないか? 中へ?」

「いや結構だ。今は中に入りたくない」

 少し離れたテラスチェアへと移動してバティークを座らせ、水を飲ませる。バルカスは対面の椅子には座らず、顔色の悪い年下の男の側に膝をつく。

「色々と聞いてショックだろう。言わなかった方が良かったかもしれないが」

「まさか! まさか。感謝している。だけど、僕はこれを知っても良かったのか? こんな大きな秘密を」

「もちろん。君はシャルロット様の兄だ。こう言ってはなんが……本当の意味で彼女にとって唯一の保護者になるのかもしれない。そう、ジェフ様が」

 保護者、という言葉で脱力していた体に再び火が灯る。

 確かにそうだった。父が妹を駒にするようなら、自分が手綱を持たなくてはならない。ジェフも挨拶した時に言っていたじゃないか。シャルロットを頼むと……。


 バティークの瞳に強い光が宿るのを確認して、バルカスは細く笑む。

「この夜会が終われば、食事会があると聞いている。是非そこで、ジェフ様と話を」

「もちろんだよ」

「本当ならお二人が一番気にされている、婚姻の理由が分かればいいんだが…君にスパイのような真似事もさせられない」

「いいや、それは違う。家族のことを知りたいと思う気持ちに疚しさなんてあるものか。普通に尋ねるだけだよ」

 だけど、とバルカスが言いにくそうに口ごもる。

「何か?」

「……俺が言ったとは言わないで欲しいんだが、お二人の婚姻には政治が絡んでいるような気がしてならない。特に、今滞留している大きな案件が」

「工場のことかい? それについては僕もちょうど君に尋ねてみたかった。ここまで腹を割ってくれたのだからどうだろう、本当のことを教えてくれないか?」

「え?」

「なぜ、ジェフは事業許可を出さないのだろう? ワクチンはウィリアム陛下にとっても切望されていたものだ」

「……バティーク」

 バルカスが薄っすらと唇を舐める。目の前の坊ちゃんは本当に何も聞かされていないのだ。父親が工場で本当は何を作ろうとしているのか。

「陛下は富が集中することを嫌がっていらっしゃるのだろうか? マルーンはそれほど疎ましい存在に?」


 それは違う。


 そう言おうとした時、知らぬ男の声がかかった。


「君は、バティーク・マルーンじゃないか?」

「………グリュクン公」

 バルカスが振り返り、バティークはテラスチェアから立ち上がって、近づいてくる特別身なりの良い男を見た。彫りの深い相貌、鷲鼻が特徴的なダフネ人は嬉しそうにバティークと握手をする。

「歓談中にすまない。失礼をしてしまった! バティークを見つけて嬉しくて、思わず声をかけてしまったんだ」

 バルカスもにこりと笑んで自己紹介をする。

「初めまして、ウェーバー殿。私は数か月前から滞在しているダフネの大使でサミュエル・グリュクンだ。確か君は宰相の側近だね」

「よくご存じですね」

「いやぁ、あまり国交がないので人脈づくりに貴族名鑑を丸覚えしたところでね。良かったら私のことを宰相殿に売り込んでおいてくれないか。ダフネの良いワインを紹介したい」

「ボスはワインに目がありません。きっと喜びます」

「本当かい?」

 グリュクンは大げさに驚いて笑い、大声で給仕を呼んで三人はグラスを合わせる。

「いいね! 良い夜会だ! 少し前までの夜会は期待していた成果がなくてね。何と言うか、少し貧相な面子が多くて」

「ああ、そうですね。リンドは十二月からが本格的なシーズンですから。ダフネにはそうしたシーズンはありませんでしたね」

「そうだ。民主化も完了して長い。もう夜会が殆どないからね。社交がしたければ自分でどんどん営業をかけていく。だがリンドでそれをやると品がないと。これは参る」

「確かにそうなりますね。今日は良い出会いがありましたか?」

「んん! 沢山連絡先を交換したよ。ビッグネームが多い。ホクホクだ。大きな夜会だけあって美しい女性も多いし…いいね。そうだ、さっきとんでもないお嬢さんがいたよ」

「とんでもない?」

「ああ、ちょっと煙草を吸いに外に出ていたんだが、離れた向こうの方に男に追いかけられていたお嬢さんがいてね。何やら揉めていそうだったから助けようかと思ったら、なんと投げ飛ばしたんだ!」

 ぶほっ。バルカスが酒を吐いた。

「バルカス!大丈夫か、君!?」

「あぁ、いや、すまない、あ~汚した! ちょっと急いで拭いてくる!」

「あ、バルカス!」

 バルカスは一目散に走り出した。


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