34. 夜会③
機嫌の悪いバルカスがビビアンと一階の応接に降りてきて、三人でバティークの迎えを待つ。兄は今夜、三公爵家だけが持つリムジンで迎えに来るのだ。車体の長い黒塗りのリムジンは圧倒的な存在感を放ち、場を黙らせる(と言う)。男のロマンですよ、と以前バルカスが興奮をにじませて教えてくれた。
「ねぇ、喧嘩をしたの?」
小さな声でビビアンに尋ねると、『そうよ!』とツンと整った鼻梁に皺を寄せる。
「ドレスを見た途端に怒りだしたの。何考えるんだ、って。酷くない?」
「こんなに可愛いのに!?」
「そうよ、わざわざ東洋から取り寄せたのに!」
それは最近はやりのチャイナドレスというものである。
身体のラインを惜しげもなく晒した上に深いスリットが入ったドレスは艶やかで色っぽく、完璧にビビアンの魅力を引き立てていた。
「少し前の馬鹿みたいなバルーンのドレスなんてデコルデもろ見えで谷間見せるなんて普通の光景だったんだから、太もも位どうってことないじゃないの」
「言ったの? それ」
「そう、言ったら『縫え』って」
「スリットを?」
シャルロットがおかしそうに肩を揺らす。
「何を笑っていらっしゃるんですか?」
「だって、スリットを縫えだなんて」
バルカスがビビアンを睨む。
「シャルロット様がビビアンと同じ格好していたらバティーク様は卒倒しますよ」
「するかしら? お兄様が?」
「しないわよ。涎は垂らすだろうけど」
「垂らさないわよ」
きゃははと笑う二人に大層な溜息をついて、バルカスはとにかくとビビアンを窘める。
「ビビアン、今日は俺の左側にいろ」
「やぁよ」
言いながらソファでシナを作って右側の足を組む。スリットから割れた美しい脚がライトの元で晒される。バルカスの目が釘付けになる。
「なっ」
わなわなと震えて『ビビ!!』と怒りがマックスになった所でようやくビビアンの苛立ちも収まって脚を戻した。ニヤニヤ笑ってごめんなさい、と心にもなく謝っている。
「あ、いらしたみたいですよ」
ノックの音がして、シャルロットも白いポシェットを手に持ち立ち上がった。
「やぁ、お待たせしただろうか……ああ、ロティ!」
「お迎えありがとうございます、お兄様」
優雅に、だけど迷いなく妹に真っすぐ歩き、ハグと頬へのキスをすると嵐のように『可愛い、美しい、とにかく可愛過ぎる』と褒めちぎる。
「くふふふ、ありがとうございます」
「今日のロティは褒めれば褒める程に調子に乗っちゃうロティらしいですよ。私も居ることを忘れないで、バティーク様」
「ビビアン、チャイナドレスか! 物凄く似合っている。君の赤毛に映える赤だね。これはまた豪勢な刺繍だ。取り寄せたの?」
「そうなんです。中華で一番流行りの店から色合いを伝えて取り寄せました。まぁ、さすが見る方が見ればお分かりに。ねぇ? バルカス」
ビビアンの言葉を無視するバルカスとバティークが握手を交わす。
「今日はありがとうございます。どうぞお付き合いよろしくお願いします」
「こちらこそ、厚かましくも横入りするように参加させて頂いて。シャルロットの公式なデビュタントですから、粗相のないようにエスコートを。張り切ってきました」
最後にまた蕩けるような笑顔でシャルロットの肩を抱くと、兄妹はにっこりと微笑み合う。
「お兄様も素敵です。襟元の黒が恰好良いですね」
「嬉しいな。見てみて、君のパールと合わせてみた」
バティークのチャコールグレーで誂えられたスーツの襟だけが黒いシルクで、アクセントとして小粒のパールが襟穴から胸ポケットにかけてタラリと紐で縫い付けてある。
「かわいい~! 見て、ビビ。パールがお揃い」
「本当ね、可愛い~!」
「君達、お揃いなら何でも可愛いというソレ、どうにかならないか」
白けた顔でバルカスが言い放ち、バティークが苦笑している。だけどお揃いというだけで良いものに見えてくるお揃い病にかかっている二人にはどうしようもない。
「バルカスは全然わかってないんだから」
セバスとテルミアに見送られ、四人は長い長いリムジンへと乗り込む。
シャルロットはまるで部屋に通されたような広い車内に呆けた。普通の車みたいに前を向かず、後方と両サイドに椅子が設えてあり、テーブルまであった。車の癖に……!
「住めそうですね」
「住めないよ、ロティ」
だけど物置小屋より遥かに快適そう。偽物がバレて追い出されたら、夜だけ寝かせてもらえないかなぁ。シャルロットの中で最近作っている『寝床候補リスト』が更新される。
探偵のフランコから先日また手紙が来た。今は二つ目の地方都市を回ってくれている。ようやく生前の母を知る友人に話を聞くことができたけれど、マルーンで働く前に勤めていたハウスクリーニング店時代の同僚であるその人からは大した情報はなかった。ただ、母はよくモテていたという印象で、たびたび店の利用客からデートの誘いを受けていたらしい。給金も高くなく、長く病気がちな父親をあてに出来なかった為に仕事を掛け持ちしていた母は割と忙しかったそうだ。長く続いたような特定の恋人は、誰にも記憶されていなかった。また写真を見せても男のことは知らなかったそうだ。
どうやらこのハウスクリーニング店からの伝手でマルーンのお屋敷へと紹介があったらしい。やはり時期的に考えても、マルーンでメイドとして働きだした後に写真の男と知り合った可能性が高いと手紙の最後に書かれていた。だが、三公爵の周りを嗅ぎまわると結構怖いことが多いので難しいかも…とも。怖いことってなんだろう。シャルロットにはわからない。
マルーンのお屋敷にはこれまでの雇用者名簿などが存在しているだろうか。貴重品や文化財も所有している屋敷なので、当然のように出入り業者についてリスト化していると想像されたし、実際に貴族の妻としての役割にそうした家人の管理は含まれているとビビアン先生からは教わった(カーターの家では契約妻なので全くしていないが)。
親切な兄から母が勤めていた時代のリストを融通して貰えれば助かるが、どんな理由を作るのかが悩ましい。母と絡めて上手く言い訳を考えなければならない。単純に『母の話を聞きたいから』と言えば済む気もしたが、後ろめたいことがあると、人間はどれもこれも怪しくないかの判断が鈍るものである。そうこうしているうちに日は過ぎていた。
有料優先道路を三十分ほど走ると、四人を乗せたリムジンはアリンドから離れた山近く、古城の車寄せへと入って行く。車寄せには黒塗りの高級車ばかりが居並び、次々とドレスアップした大人たちが降り立つ様子が見えた。
一行はそんな中、最も注目を浴びながらリムジンから降り立つ。兄に丁寧にエスコートされたシャルロットはキャメルの毛皮を纏い、狼狽えながら辺りを見渡す。ビビアンが隣にくっつきにきたので手を取り合った。
「なんか、見られているような…?」
「可愛い君が誰なのかって、皆が興味津々なんだよ」
「そうそう! でもよく考えたら、ロティったらバティーク様のガールフレンドじゃないかって勘違いされちゃいそうね」
「あ、本当だ。お兄様に申し訳ないですね」
そう言えば興味がなくて聞いたことがなかったが、兄には婚約者や恋人は居ないのだろうか。シャルロットは初めて思い当る。
「光栄だよ、可愛いロティなら。別に怒る人もいない」
いなかった。秒で疑問は解決し、シャルロットは何とも言えぬ顔で頷く。
人々が遠目に四人を見ては噂話をしていたが、次期公爵はさすがに場慣れしていて、素知らぬ顔をしてシャルロットを古城へ上る階段へと誘った。
あたりは一面がライトアップされ、浮かび上がる古城は十二月ということもあってクリスマスの飾りが施された幻想的な雰囲気である。これまで見たことのないほどのラグジュアリーなイルミネーションに口を開けて見入るシャルロットをビビアンとバティークが覗き込む。
「すご……」
「女の子はこういうのが好きだね?」
「だいだいだいだい、だいすきです!」
「はは」
「何回見たってクリスマスのイルミネーションは良いよね~! カーターさん家もこういうのしてくれないかしら」
「見世物小屋みたいな真似するわけない。ビビ、こっちに。手を」
嬉しそうにビビアンがバルカスの隣へ行き、シャルロットもオレンジの光にライトアップされた兄の腕とアイアンの手すりに掴まって、長い石の階段を上がる。
「古城は美しいが、古くて足場が悪いのが特徴だ」
「見て、お兄様。あの方は諦めて抱えてもらっているわ」
「ヒールでこけたりしたら大変だからね…って言ってる側からビビアンがねだってるよ」
後ろで『抱っこして』と普通に要求しているビビアンの声がする。何やら小さな声でバルカスが叱っているようだが、前の二人にははっきり聞こえない。写真がどうのと聞こえはしているが…。
「今日は遊びが大好きなダドリー侯爵夫妻とマヌエラ夫人が開いた夜会だよ」
「マヌエラ夫人…って、あのマヌエラ夫人ですか?」
シャルロットはバティークの説明に首を傾げる。
「知っているの?」
「必要な知識は全部ビビアン先生から。マヌエラ夫人は前宰相の奥様ですね…亡くなった」
「そう、ジェフの一つ前だね。彼が交代してから二年後に急死したんだ。夫人は宰相が存命だった頃は随分遊びを我慢していたから、今必死で遊んでいるんだよ」
「………」
シャルロットの顔を見てバティークが笑う。
「なんて顔だ」
「だって前ファーストレディが必死で遊んでるって……語感がすごい」
「貴族とは底知れぬ生き物だろう。さ、昔と違って順番などさほど気にしないから、適当に楽しんで、その主催者を見つけたら挨拶をするよ。それに僕の友人たちも大勢来ていると思う。ごめんね、たぶん数が多い。紹介しろと言われるだろうから鬱陶しいかも」
「ご挨拶ですか」
そういうものなんだ。
シャルロットは具体的に想像が出来ておらず、妹として大勢へ挨拶することに尻込みをした。本当の妹じゃなかったって後でわかったら、この人は酷い恥をかくのでは?
「あの」
「ロティ、どうした?」
「お待たせ~」
ちょっと立ち止まっていると、ビビアンがバルカスに降ろしてもらい寄ってくる。
「初っ端から苦行……はぁ……シャルロット様、手袋を預かります。屋内では指輪を見せておいてください」
「あ、はい」
そう言えばそうだった。言われてダークピンクの手袋を脱ぐ。
手袋から姿を現した強烈なダイヤの指輪を見ると、最後に『楽しんでおいで』と見送ってくれたジェフを思い出した。なんだか急に、猛烈に心細くなってジェフに会いたくなる。
「ロティ、さぁ行こう。君のデビュタントだ。楽しまなきゃ」
「………」
「いらっしゃいませ、コートをお預かりいたします」
バティークが優しく背中を押し、クロークで毛皮を脱がせてもらうと素敵なドレス姿になった。
「きゃ~、ロティ、楽しもう~! どんな美味しいものがあるかしら。バルカスと踊るのが楽しみでしょうがないわ」
「一曲だけだぞ」
クロークを出て会場入りすると、そこはもう知らなかった煌びやかな世界。
「シャルロット様、何か困ったことがあればいつでも呼んでください」
後ろからそっとバルカスが囁き、シャルロットは小さく頷く。
「ようこそいらっしゃいました。まずはシャンパンをいかがですか?」
給仕の男性が踊るように近づいてくる。
「ロティ、シャンパン飲もう~」
「いただきますっ」
眺める先の光景が、自分の姿がだんだんシャルロットに元気を取り戻させる。今日はジェフの妻として相応しいドレスを着せてもらい、彼と揃いの指輪をしているシャルロット・カーター!
ジェフの言った通り楽しまなくちゃ。今日は人生における最初で最後の貴族のお祭りなのだ。
(いっぱい楽しんで、全部覚えて帰ろう)
たった一晩会っただけの自分をそう覚えている人もいないだろう。そのうち皆私のことなど忘れてしまう。シャルロット・アップルトンはちっぽけな自覚と持ち前の適当さを取り戻した。




