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33. 夜会②

「バティーク様」

 ひとり大きな姿見の前、抜かりがないか口の中までチェックしていたところ突然声をかけられて肩が跳ねる。

「うわっ」

 こいつはいつもいつも急に現れる。

 穏やかなバティークだったが、オズワルドだけは昔から非常に容易く彼の心に波風を立ててくる天敵のような存在である。

「ノックをしろ、ノックを!!」

「三度しましたが、バティーク様は夢中で鏡に向かっていらっしゃったのか全くへん」

「だまれ」

 オズワルドは無言でバティークに近寄ってくると、ふっと腕を上げてバティークの顔の側に手を寄せた。

「!?」

「糸くずです」

「……そ、そうか。どうも」

「今日は夜会ですか……シャルロット様と」

「ああ、そうだ」

「毎日毎日飽きもせず。随分とご執心ですね、妹君に」

「悪いか」

 痛々しいモノを見る瞳が眼鏡の奥からバティークを見る。

「私にも妹がいますが、まさか成人後までエスコートなどしようとは思えません。理解に苦しむほどの素晴らしい兄妹愛だと感じます」

「シャルロットは特別だ。たぶん他のご令嬢が妹だったとしてもこんなに可愛がったりはしなかっただろうと思うよ」

「要は珍しいのですね。市井で育った庶民の女性が」

 眼鏡の物言いにバティークはムッとする。

「貴族じゃなくても擦れている女なんて沢山いる。ロティはいつも自然体で一緒にいても気疲れしないんだ。君にはわからないだろうけど」

「わかりませんね。シャルロット様は恐らく私のことはお好きでは無かったようですし。いつもオドオドされていたので自然体に見えた試しがまずありません」

「それは君のせいだろう」

 しかも好きじゃない、ではなく嫌いの間違いだと喉まで出かかったが最早どうでも良くなって口を閉じる。


「何の用だ」

「ブランドン様がお呼びです」

「わかった。用意が終わったら行く」

 ポケットチーフを広げ返事をする。胸ポケットに入れる為、一度、二度、とサイドテーブルの上で折りたたんでいたバティークは、出て行かないオズワルドに気が付いて顔を上げた。

「例えばですが」

 眼鏡を押し上げながら父の側近が低い低い声を出す。

「もし、シャルロット様に血の繋がりがなかったとしたらバティーク様はどうしますか」

「妹じゃなかったらってことか? なんだそれは。どうするもこうするも、まず考えたこともない」

「そうですか」

「何が言いたい?」


「いえ。ただ、本当の所は出産した女性にしかわからないことではないかと思いましてね。思いませんか?」

 微笑を浮かべたオズワルドが首を傾げる。

「ブランドン様の過去の火遊びなどは存じ上げませんが、別に娘に仕立て上げるなら他にもっと器量も頭も良い女性が居たのではないかと。『こんな妹が良かった』とバティーク様も願望をお持ちだったでしょう? それと比べてどうです?」

「馬鹿を言うな。妹はでっち上げるものじゃない。第一彼女は洗練されてあれだけ美しいんだ、十分じゃないか。君はマルーンに女優でも欲しているのか」

「でっちあげなど貴族社会においては目新しいものでは。養子縁組は日常的に横行していますし」


 淡々としたオズワルドの態度が兄の心にスッと切り口を作った。バティークは冷や水をかけられたように『そういう可能性もある』と気づく。誰しも血は赤いのだ。瓜二つでもなければ子供の父親など何の証拠もない。

「いや…違う! シャルロットは可愛い妹だ」

 流されそうになる思考に狼狽えてバティークは声を大きくした。

「私はご忠告申し上げているのです」

「忠告?」

「ええ。あまりにシャルロット様に夢中になられて、見ていられません。また別の妹君が現われたらどうするんです?実はこちらが本物、あちらは偽物でしたとか。そのたびに夢中になるおつもりですか」

「何言ってるんだ、そんな突然次から次へと」

「ですが、シャルロット様も突然でしたよ」

「そ」

「真偽など今となっては誰にもわからないでしょう? 偽物かもしれない女性に現を抜かすのはやめた方が良い、と忠告しているのです。今のあなたは誰がどう見ても腑抜けだ。だけどあなたのお父上である公爵は政治家でもないのに政治家以上の手腕を振るうプロの嘘つきです。ありとあらゆる嘘を」

「嘘…」


 歪んだ顔をして、バティークが離れていく眼鏡から目を逸らした。

「とにかく、今夜は大勢の人前です。婚約者も持たれず妹に腑抜けになっているなどと言う噂を立てられることのないよう、マルーン公爵家として恥ずかしくないお振舞いをなさってください」

 お前はどの立場から物申しているのだ! 去って行く後姿を睨みながらバティークは(心の中で)怒鳴った。



 父の部屋を訪れると、今日も変わらない赤い丸顔を艶々とさせて席に座れと促される。

「お話とは何ですか」

「随分とシャルロットに構っているらしいね。私に黙って」

「妹に会いに行くのに父上の断りが必要ですか?」

「そりゃあ、私の可愛い娘なんだ。夜会なんぞに連れ回すなら許可をもらってくれなくては」

「なぜです? 夫君の許可はちゃんと頂いています」

「大昔の夜会と違って確かにカジュアルにはなったが…とにかく人前に晒す時は連絡をしろ。しかも一緒にビビアン様とあの側近の子爵令息が行くと?ビビアン様はどういうつもりで」

「ロティとビビアンは親友ですから」

「目立ってかなわん。シャルロットには諸々あまり深入りさせたくないと言うのに」

 ブランドンは面白くなさそうに呟いた。

「ロティにはビビアンの希望で何も知らされていません」


「まぁいい……それより、お前にまだ伝えていない事業計画がある」

 バティークが突然始まった家業の話に顔を上げる。

「医薬品の製造工場を計画している」

「ああ、数年前から仰っていた輸入に頼らずレシピから製薬するという件ですね。工場を!」

「そうだ。主力はワクチンにした」

「ワクチンですか。良いですね。それは陛下も喜ばれたのでは」

「恐らく」

「恐らく? 事業計画の許可は申請されていないのですか?」

「いや、申請はしているが…まだ許可が下りない」

「なぜですか」

「止まっているんだ、宰相の所で。だが建設自体の着工許可は下りているから、既に基礎工事は始まっている」

「なぜそんなチグハグな。止まっているって、何が理由ですか? だんだんと国際情勢も怪しい、ワクチン輸入は難しくなってくるでしょう」

「お前でさえわかることなのになぁ。不思議だろう? どうしてだと思う」

「どこか別で製薬工場を予定している?」

「目を光らせているが、それはない。ウチ以外に製薬ができるほどの体力があるとすればザレス家くらいだろうが、あそこは目下跡継ぎの泥沼試合でそれどころじゃない。死人まで出ている。全く解体されるというのに呑気なものだ」

「解体と言っても家がなくなる訳ではありません。巨額の相続がつきまとうのですから争いにもなるでしょう。我が家が珍しいだけで」

「そうだ……私にはお前しかいない」

「………」

 妹の顔が頭を横切ったが、オズワルドとのやり取りが直前だったこともあり沈黙を選ぶ。

「可能性としては、陛下が嫌がっておられるのではないかと」

「陛下が!?」

「民主化を進めているくらいだ。ウィリアム陛下は突出した富の集中を嫌がる。カーターが気に入りなのも、彼の思想が『世の中の平均化』だからだ。まるで資本主義を否定するかのような。そこに私たちが更なる富の種を植えようとしている…気に入らない可能性は高い」

 バティークは父の話に納得した。だがワクチン事業自体は『富』の一辺倒では済まされない側面もある。

「既に着工許可は下りているのですよね?」

「ああ。事業許可だけがまだだ。これは本当に予測だが…下準備をさせるだけさせて、国が買い上げるつもりなのかもしれない。もしくは例えば複数の企業に連立させて払い下げるという手もある。これから家の解体が進めば、保有している企業体はまとめて『財閥』になる。似通った企業を持つ家同士が連立するのは悪くない話だからな」

「そんな」

「ああ、そんなことになれば困るんだ。ワクチンは…この工場は私が最後にしなければいけない仕事なのだから」

「わかりました。宰相殿の腹を探れということですね」

「やってくれるか」

「ええ。ちょうど今日はウェーバーと共に過ごします。探ってみましょう」

 父は安堵した顔をして『頼んだ』と言い、息子の肩を叩いた。



 ****


 ヘアメイクを施され、ドレスを着てパールのアクセサリーを付けると、人生の中で一番オシャレなシャルロットが鏡の中で爆誕した。

「やっぱり、可愛い~!」

「ええ、最高です! 奥様」

「ありがとうございます、テルミアさん」

「結局どちらのバッグにするかお決まりですか? 携行品はこちらにまとめてありますから、決められましたら仰ってください」

 バッグは自分が最初に良いと思った黒いクラッチとビビアンお勧めの白いポシェットで迷っている。どちらも良さがあって決めるのが難しい。

「ん~…。先にジェフの所に行ってきます。その間に決めます」

「かしこまりました。あ、奥様」

「はぁい?」

「セバスからですが」



 せっかくなのでヒールもちゃんと履き、ジェフに完璧なドレス姿を見せてあげようと執務室へと向かった。ノックをして、開いていた隙間から顔を覗かせるが誰も居ない。そのまま本棚のエリアを過ぎ、奥の夫婦の寝室へと足を進める。

 ノックすると返事が聞こえた。

「失礼します」

 焦げ茶の頭がソファに寝ころんだ姿勢から起き上がったところだった。

「お」

 遠目からシャルロットを見つけて、にやりと笑う。

「ごめんなさい、お昼寝してましたか?」

「いや、考えごとだ。気にしなくていい……準備は済んだな」

「ばっちり! どうですか?」

 ニマニマしながらソファの夫の前に近づいて、虎の威ならぬドレスの威を借りた今日だけは自信満々のシャルロットが両手を広げて全身を見せつけた。

 ジェフが眩しそうな顔をしながら、ソファの背に片肘をついて可愛い妻を眺める。

「そのままそこで回って」

「こう?」

「いや、もっとゆっくり…そう」

「こう」

「うん、いいね。君には派手なジュエリーも不要だな」

「でしょう!? 特別素敵なドレスですもの。今日の私はリンドで一番オシャレです!」

「ははぁ、そうか。リンドいちオシャレな妻か。それは光栄だな」

「嬉しいでしょう」

「うん、いいね」

「それしか言ってない、ジェフ」

 一瞬真顔になったシャルロットに慌ててジェフが口を開いた。

「あ~、可愛い、可愛い」

「本当?」

「ああ。パールも良い。君には白が良く合う」

「白ですか? ふふ」

 褒めてもらってまたニマニマするシャルロットに思わず笑い声が漏れる。ジェフは頭を掻いた後で背の高いキャビネットへと向かった。

「ちゃんと指先まで綺麗にしてもらった?」

 女は準備が多い。

「はい、薄いピンク色のマニキュアを塗って頂きました。これも、いちばん可愛いです」

「よしよし。じゃあ、左手を出して」

「左ですか?」

 爪を確認していたシャルロットが、側まで戻ってきたジェフを見上げる。

「そう、手を」

 差し出された大きな手のひらに左手を置くと、長い指がゆっくり指輪をはめる。

「あ、これ」

「そう、私たちの結婚指輪だ」

「わぁ、すご……ダイヤモンドですか、これ」

 指輪には、ぐるりと小さくないダイヤが三列に連なって付いている。

「うん」

「交換をパスしたやつですね」

 ふたりで吹きだす。

「ふふふ…でもちゃんと薬指にピッタリ。どうして?」

「あぁ、この指輪は君のところの眼鏡ザル君とウチのバルカス君の共同制作らしいよ」

 ジェフの説明に更に二人は笑った。

「あちらで服のサイズとか頭も靴も指のサイズも、確かに測ったことがありました」

「それだな。私のはどうしたんだろう」

「ジェフなんてぐうぐう酔っぱらって寝てる間にいくらでも測れますよ」

「それもそうだな」

「ジェフのもダイヤモンドが付いていますか? 見てもいい?」

「君は式の時に見たんじゃないのか」

「リングピローが出されたのはうっすら覚えてますけど、デザインまで覚えていませんよ」

 どれだけパニックだったと思っているのだ。シャルロットは唇を尖らせる。

 再びジェフがビロードの箱から、今度は大きなサイズの指輪を持ってくる。何の装飾もない銀色の輪だった。

「そっちは何も付いていませんね」

「そうだな。有っても邪魔だろう」

「綺麗ですよ」

「私に綺麗は不要だろう。とにかくそれ、今日は付けておいて欲しい」

「かしこまりました」

「お兄さんが付いているから大丈夫だとは思うが、おかしな男に捕まらないように」

「まさかそんなラジオドラマみたいなこと。ねぇ、ジェフも付けて?」

「ん?」

「つけても良い?」

 ジェフが見下ろした長い睫毛がピンクの指先で摘まみ上げた指輪を見つめ、あっという間にジェフの左手の薬指にはめる。

「今日だけ手元もお揃い!」

 互いの両手を繋いでくっつけ指輪を見て、いたずらをしたようにシャルロットが笑う。

「………」

「あ、そうだ、ジェフ」

 シャルロットが小さく両手指をぎゅっと握った。

「ん?」

「ドレス、ありがとうございます」

 ジェフの唇が微かに開く。

「私、ちょっとあんまりわかっていなくって。ごめんなさい、一番に御礼を言わなくちゃいけなかったのに。すごく、すごく高いオーダーメイドのこのドレスは、ジェフが買って下さったものだって」

「……あぁ…」

「あのお財布とこのドレスは、私の一生のお気に入り確定です。ずっとずっと、ありがとうございます!」


 ずっと、ありがとう。変な言葉だ。

 だけどジェフはちょっと、言葉が出なかった。


「シャルロット」

「はぁい?」

 ちょっとだけ、と低い小さな声が聞こえて、シャルロットはいつの間にかジェフに強くギュッとされた。ミルクティー色の頭はびっくりして動きが止まる。


(……あ)


 息をするといつものジェフの匂いがすることに気が付く。もう慣れた男の匂い。深く吸い込んで目を閉じ、大人しくじっとして腕に抱かれた。


 果たしてその時間は長かったのか短かったのか。ゆっくり夫は離れる。かすれたような声ですまんと言って。

 シャルロットは少し恥ずかしそうにして、だけどにっこり笑って首を振った。

 白い小さな頬を親指が撫でる。

「バティークとバルカスから離れるな…楽しんでおいで」

「はい!」


 ドレス姿の契約妻が夫婦の寝室を出て行く。

 ジェフは顎を触りながら閉じていく扉を見つめた。


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