31. ティールーム②
宮殿のように天井高く広い店内は趣向を凝らしたクラシカルなインテリアで、艶のあるマホガニーのテーブルセットや美しい織の絨毯、大きな絵画が至る所にかかり、隣席との仕切りに使われるステンドグラス……入るだけでも見応えがあった。二人は庭園が見えるガラス張りの窓際席に通された。見るからに特等席である。丸テーブルを正面にして、並んで二人用のソファに腰かける。
「ふ~ん、会員をハイクラスに絞って営業をね。金をかけているがティルームだろう? そんな小さな単価で元が取れるのか? 何か他に…はは~ん。それで会員制ね。そのうち身分も意味を為さなくなるっていうのに、貴族共はこういうのが好きだな」
店内をわざとらしく見回してブツブツ言っているジェフを他所に、シャルロットは渡されたメニューをめくる。他の店と違ってびっくりするくらいに値段が高かった。紅茶が良く行く街中にあるカフェの五倍くらいで値段がつけられている。
「決まった?」
「びっくりするくらい値段が高いお店でした」
「何が? 会員制は似たようなもんだ。紅茶? カフェオレ?」
目線で控えていたウェイターを呼び、シャルロットに尋ねる。
「クリームブリュレだけにします」
「馬鹿言うな。喉が焼ける…ああ、さっきブリュレは頼んだがそれと、温かい紅茶…アールグレイでいいな? 私はコーヒーをブラック」
メニュー表を下げてわざとらしい程に恭しく去っていくウェイターを見送りながら、ジェフは大きな欠伸をする。
「眠たいですか?」
「いや。癖みたいなもんだ。屋敷に戻ったら寝る」
やっぱり疲れているのに。こんな所まで連れて来させてと、シャルロットは申し訳なく思う。
「お昼寝の前にたくさん押しますね」
「うん。あ~、シャルロット、バティークの件だが」
低い声がうんと小さくなって、長い腕がシャルロット側の背凭れを包んだ。ミルクティー色の頭が傾き、二人は自然な様子で内緒話をする。
「お兄様が会いに来られたのを聞かれたのですか?」
「ああ、セバスから。バティークはどうだった?」
「どうって?」
「私もあいさつ程度でしか話をしたことがない。印象はどうだった?」
「ん~…優しそうな、良い人だと思いました」
「うん」
「妹が出来て、と言うと少し変ですが、妹の存在を知れて嬉しかったお兄さんという印象です」
「なんだ、君、他人事みたいに」
「急でしたから、実感がなくて。でもお父様に代わって非人道的行為を謝って下さったりして、すごく一般的な感性の人だと思いました」
ジェフが笑いそうになって咳込む。
「一般的か、確かにそうだな。私たちの界隈ではそれを凡人と呼ぶが」
「ひどい」
「君も同じようなこと言ったんだぞ。貴族の会話でそれを言えば嫌みそのものだ」
なるほど。
「覚えておきます。お兄様は仲良くしようって仰いました。大丈夫ですか?」
「何が?」
「仲良くしても良いのかな、と」
「シャルロット、最初に言ってあるだろう。好きにして良い」
「……なるほど」
「エスコート役の話も聞いた。夜会に行くそうだね、ビビアンと」
「はい! あ、とても素敵なドレスをセバスさんに作って頂きました」
「………セバスに?」
「はい!」
ジェフはモヤッとして首を捻る。
「まぁいい…そのお兄様にエスコートしてもらうように頼むが問題ないか?」
「はい、ジェフが良いなら勿論。せっかくの記念の夜会ですから」
「何の記念なんだ」
何の気なしにジェフが尋ね、シャルロットが耳元に唇を寄せて囁いた。
だって、夜会なんて最初で最後ですから。
「ね?」
「………」
「すっごく素敵なドレスを、なんとオーダーメイドで作ってもらいました! ビーズが沢山ついてるの! すっごく可愛いくて、ジェフにも見せてあげたいくらい」
妻は花が咲いたような満面の笑みでおしえてくれる。
「…そうか」
コーヒーと紅茶がクリームブリュレと共に運ばれてくる。失礼します、という言葉の後に目前のワゴン上、小さなバーナーでブリュレ表面の砂糖が焦げ茶に染まっていく。
「わぁ、すごい! ここで焦げ目を、ねぇ、見て見て」
「ん? んん」
「どうぞ、マダム」
「ありがとうございます」
瞳を輝かせながらスプーンを入れて一口食べる。シャルロットは一度我慢しようとして、結局にやけた。
「おいしい?」
「ジェフも一口……あ、こういうのはマナーが」
「誰も見てない」
まるで悪巧みするような顔をして、ジェフが周囲からブリュレを隠すみたいにテーブルに肘までついた。実際は係のウェイターがこれ以上の粗相がないように目を見開いてこちらを窺っているのだが。小さく笑いながらシャルロットがスプーンをジェフの口に入れる。
「美味しいでしょう?」
「あまいな。全部食べたら胸焼けしそうだ」
「くふふ」
「夜会が終わったら、バティークを招待して食事をする。君も一緒に。まだはっきりとはわからないが、仲良くなれそうならどこかのタイミングで私たちの…状態を彼に共有するかもしれない。その方が信頼を得られると踏んだら打ち明ける」
言いながら、ジェフがブリュレを味わう白い頬を撫でる。シャルロットは真面目な顔で頷いた。
「かしこまりました」
「彼は随分と妹に興味があるようだと」
「お兄様って呼んだら、鼻血が…あははは」
急に可愛い声で笑い出したシャルロットを呆れるように見て、ジェフは心配になる。
「シャルロット、まだ懐くんじゃないぞ」
「え? でもさっきは好きにして良いって」
「それとこれとは別だ」
「難しい! また遊びに来られるそうですよ。お父様と違って良い人そうだから、きっとジェフも仲良くなります」
「別に友達になりたい訳じゃない」
席を立つ頃、慌てて店に駆け付けてきたオーナーのガードナーが転がるようにやってきて、何事かをジェフに耳打ちされた後、真っ青になっていた。シャルロットは何がなんだかわからなかったけれど、夫には色んな所に知り合いがいることがよくわかった。
屋敷に戻って昼寝をする前にジェフの頭を押し、やがて寝入った側から離れて部屋に戻る。
一通の上品な封筒が机に置かれていた。
****
テルミアは昼過ぎに届いた『カーター侯爵邸方 シャルロット・アップルトン宛』の封筒に書かれた差出人の名を記憶していた。それは確か、奥様が高等部の二年と三年だった頃に同じクラスで仲良くしていた女の子。写真でしか見たことはなかったが、そばかすが可愛い背の高い女の子だった。
「高校をご卒業からしばらくして、お友達はご家族の都合によりアリンドから離れたと記憶しています。その為、インタビューが出来なかったのです。ほら、私のノートにもそのように」
手元を覗き込んだセバスがどれどれ、とメモを読む。
「だけど、手紙が来ただけなんでしょう?」
「ええ。ですが、二回とも差出人の住所はアリンド内の消印でした」
「テルミアたん、探偵みたい!」
ビビアンがキョトンとして専属侍女を見る。
「わたくし、奥様のことを誰よりも理解しておきたいのです。ですから、あえて奥様にお尋ねしたのです。こちらの差出人の方はどなたですか、と。しばらく前にも素敵な封筒で届いていましたね、と」
セバスとビビアンとバルカスがじっとテルミアの話の続きを待つ。
「そうしたら奥様は『最近暇があったので、高校時代の友達に手紙を書いたから、その返事が来た』と仰いました。ちなみに、離婚するから結婚したことも伝えていないとのことです」
バルカスは少し難しそうな顔をする。
「確かに微妙なラインだな。確かな住所がわかるタイミングが見えない」
「そうでしょう? 私がそのお友達がアリンドに居ないと知ったのは奥様がマルーンのお屋敷に拉致されたすぐ後です。それからアリンドに戻られたとして、お友達がどうやって奥様に戻り先の住所を教えられます?」
「なるほど、それだと難しそうに思えますね」
「すごくニオイます」
セバスがそっと頭を触って指を嗅ぐ。
「いや、まだわからないぞ。何かを疑うのは早い。第一、疑うって何を? って話だ」
「そうよ、テルミアたん。ロティがお友達と偽って隠れてやり取りをするなんて、どんな…」
ビビアンが無作為に放った言葉で、四人ともが同じ可能性を思いついた。
「え、おとこ?」
小さくビビアンが呟く。
「ですがシャルロット様はほとんど男嫌いの域にいます。エリアに入れるのは人畜無害な老人と枯れたおじさんだけです。もしくは、かっこ、兄」
「だけど男じゃなかったら後はどんな? 他に隠れ蓑にしなければいけない関係なんてあるかしら。あ! 実は借金があるとか? 取り立ての手紙とか」
「借金はマルーンが全て返済したとオズワルドという側近が婚姻時に厭味ったらしく報告していたからそれはない。だいたい、それだって払う必要のない学費だけだったんだ」
「ん~、そっかぁ」
「ビビアン、奥様に何か様子がどうとかありませんか」
「ええ? わかんないわよ。ロティってチャキチャキしているようでのんびりもしているから、ぼーっとしてても別に不思議はないし」
「そうなんですよね。だけど急に嬉しそうな可愛らしいお顔を一人でされている時もあって」
「あれ、可愛い!」
「そう、本当にお可愛らしい」
「あ!」
バルカスが大きな声を上げた。年長の二人が小さく飛び上がる。
「びっくりした! なんですか急に。心臓が止まりますよ」
「アレじゃないか。離婚後のことで、何かを相談しているとか。例えば弁護士とか?」
「…それは有り得るかもしれませんね」
セバスが然もありなんと深く首肯する。
「契約婚の報酬金額まではっきりとは知りませんが、別に慰謝料を請求しても間違いではない」
「じゃあ、離婚後にジェフ様は何か訴えられるかもしれないってことね」
「挙式中に恥をかかされたとか、自分はベッドで寝てたのに窓際に寝かされて風邪を引かされたとか、新婚旅行中ずっと酒浸りだったとか? 心当たりが多すぎるな」
「頭皮ハラスメントも最近加わりましたからね」
「珍しく例のティールームに連れて行ってあげるなんて気が利いていたけど、時既に遅しか」
「ああ、あれはビックリでしたね、急に! でも多分オーナーをとっちめてやりたかっただけでしょう。件の案内役のホストは今頃クビでしょうよ」
「ブリュレ美味しかったぁ!」
翌日屋敷に届いた大量のブリュレを思い出してセバスとバルカスは苦笑する。
「ま、とにかく、より一層気を引き締めてお二人を注視していきましょう。お兄様の出現で奥様も色々と思う所がおありでしょうし」
「そうですね」
「アイアイサー!」
四人は改めて今後の体制を確認し合い、本日の『契約破棄の会』は終了となる。
「あ~、あんなに昼寝したのにまだ眠いな。俺はもう一度寝るよ」
「じゃあ、私も~!」
「ビビアン、もう勝手に部屋には入ってくるな」
「考えとくわ」
ビビアンがするりとバルカスに絡まる。四人は屋敷のバーカウンターから去って行った。
日を置かず、バティークからジェフあてにアポイントメントが入る。比較的遅めの出勤の朝に調整されると、カーター侯爵邸を訪れた。バティークはノーカラーシャツに柔らかな生地のスーツ姿で、聞いていた通り優し気な印象のままジェフに握手を求める。
「朝のお忙しいところ申し訳ありません。先日はお手紙をありがとうございました。何度か会議などでご挨拶は」
「ええ、お久しぶりですね」
「今日は彼女の兄として、ご挨拶をさせて頂こうと。実は良いオペラのチケットが手に入ったので、是非招待させてもらいたくて」
出勤前の応接で、出かける準備の済んだネクタイにベスト姿のジェフが軽く驚いた顔を演出して、人好きのする笑顔を見せた。
「そうですか。それは彼女も喜びそうだ。シャルロットとは既に会われたと聞きました。とても優しそうなお兄さんだったと」
「そうですか、彼女はそんな風に!」
やたらと嬉しそうに扉の向こうを見るが、別に妹を待機させてはいない。いるのは恐らく聴診器を手にした側近だけである。
「帰国して妹に結婚にと…しかも嫁ぎ先がカーター侯爵家など…驚きの連続でした」
「ちょうどあなたが留学されていた時期に持ち上がった話で、当主同士で決めた縁談ですから。私も知ったのは式の一週間前でね。してやられましたよ」
はっはっはっは。
「一週間!?」
「当日のシャルロットよりはマシですが。なので、あなたともまさか縁続きになるとは思いもしていなかった」
「それはそれは…確かに私も、まさか宰相殿と義理の兄弟になるとは…その…強引な父でして、色々と…彼女からも既に聞き及んでいらっしゃるでしょうけれど」
二人は互いに苦笑する。
「強いリーダーシップは時に必要です。プライベートがどうであれ、公爵が頼もしい先輩であることに変わりはありません。ですが…小公爵殿と私の方が感覚は近そうだ。シャルロットは未だ貴族社会に馴染みが薄い。私はどうしても留守がちで。手紙にも書きましたが、これから彼女の強い味方になって頂けると助かります」
「もちろんです!!」
また鼻血を吹くんじゃないか。そんな気配を纏わせ、興奮気味でバティークが何度も頷く。後ろに控えたセバスの手にも柔らかいタオルが準備されている。
「シャルロットはまだ朝食中です。朝食はもう召し上がられましたか? 良ければ彼女と一緒にコーヒーでも」
「それは嬉しいです! 観劇の話をしてみます。今夜の予定はどうだろう」
「今夜?」
「ええ。今夜です。早速誘ってみます。あ、エスコートの件もありがとうございます。ドレスも素晴らしい美しさで、あれではロティがエスコート無しでは心配だったでしょう」
「………ろ」
「宰相殿? …あ、いや、お兄さんとお呼びしても…義理とは言え、弟とはさすがに」
恥ずかしそうに、バティークは是非仲良くなりたいのですと正直に言った。
「いや…すまない。はは、お兄さんはよしてくれ。ジェフと。ドレスが美しかったなら何よりだ。用意した甲斐があったなぁ、セバス?」
「え? ええ」
急に振られた執事は訝し気な顔でとりあえず頷く。
「ありがとう、ジェフ! これからどうぞよろしくお願いします。お恥ずかしい話、僕はずっと弟か妹に憧れがあって…もうお互いに大人になってしまっていますが、ロティは何と言うか……色々教えてあげたくなります。見せたり、食べさせたり、そういう色んなことを。擦れていない感じが凄く…良い、可愛らしかった。ですがまだまだ磨けば光りますね。とにかく会えた日から毎日が嬉しくて!」
「………」
笑顔を顔面に張り付けている主人をセバスが遠目に見る。
「毎日でも楽しませてあげたいです! ちょくちょくお邪魔するつもりなので、どうぞよろしくお願いします!」
それは、ぴっかぴかの笑顔だった。
ジェフはクラクラする。
ま、まぶしい…
折よくノックがあり、そろそろ出ねば遅刻になると優秀な側近が宰相に助け舟を出す。
「申し訳ない、出なければ。セバス、彼をシャルロットの所へ」
「かしこまりました」
扉を開け、唇の歪むバルカスに誘われて車に乗り込んだ。
フロントミラーにはいつまでも見送る義理の兄の姿が映る。バルカスがミラーを見ながら小刻みに震え笑っている。
「想像以上の熱量で」
「ちょくちょく来るそうだ…あの様子だと毎日でも来そうだな」
「留学から戻った所で暫くは仕事復帰を伸ばせるタイミングでしょうからね。復帰を延期してでも頻繁に来られるのでは」
「まぁいい。バティークがこちらにどっぷり浸かればしめたもんだ。公爵も文句があるはずはない、ただ可愛い妹に会いに来ているんだからな。まずはあいつが父親の悪巧みをどの程度共有されているかだ。確かオズワルドと同じく秘書的な役割も受け持っていたが、名代として動く機会もあった。普通で行けばあれだけ大きな工場なんだ、おしえられるはずだろう。動く金がデカすぎる」
「シャルロット様のこともありますが、海外へ飛ばしていたのは着工が過ぎてから打ち明ける腹積もりもあったのかもしれませんね」
「ああ。既に表向きの工場についての着工は始まった。兵器の設備が入る前に公爵自ら手を引かせなければ。何とか説得…いっそ代替わりが一番望ましいがな」
「それはまだ無理では? 公爵はまだまだ現役感しかない」
「…ひとまずは様子をみる。お前はバティークと腹を割って話せるような関係になれ」
「腹を割る」
「嘘でも本当でも、好きにしろ。こちらに付く気があるのかどうかだ。俺では難しい。立場的にはお前が近しいしな。任せたぞ」
「はい」
信号が青になり、黒塗りの車は石畳をゆっくりと進む。霧雨が降るアリンドの街中へ入っていった。
さ〜年末年始の始まりでっす。
まだ仕事あるけど…もう、いい!!
今年も一年お疲れ様でした( ^∀^)
年末年始で終わってしまいたいので、ちと多くなりますが、明日からよろしくお願いします。




