30. ティールーム①
「釣れ過ぎだな」
セバスからの報告を聞いて、ジェフが半目になる。
「想定していたよりも『妹』に対する思い入れが強いのでしょうかね?」
策を考えてみたバルカスも、予想以上のバティークの釣果に舌を巻く。
「三十前になって急に湧いた妹に思い入れ? 本当にか?」
「それは人それぞれですから。訪問時から目に見えてソワソワされて、大変うれしそうでしたよ。坊ちゃまには一番わからない領域でしょうけどね」
「マルーン公爵は側からどんどん人が離れていく家族の縁の薄い人です。奥方も早々に別居、自身の弟とも早くに死に別れたり。彼も一人っ子だ。そういう面ではバティークも淋しかったのかもしれませんね。女嫌いという話も聞きますから女性もいない様子ですし。まぁ、何より」
「奥様が可愛らし過ぎますから」
「………」
無言になる主人を二人が見つめるが、特に反応はない。
「夜会か」
「エスコート役はバティーク様にお任せしても? 今の所、他に候補はおりませんし。やはり顔が売れてませんし、何かあったら心配ですから」
「んん…。ビビアンはどうする、第三お」
「僕が行きます、ビビアンのエスコート役。予定を空けます。バティークと距離を詰めますから丁度いいでしょう」
頬杖をついて小指で唇の端を触りながらジェフが了解する。
「夜会の件を含めて、一度バティークにシャルロットを頼むと手紙を書く。夜会が終わったらカーターで食事に招待しよう。バルカスはさっさと夜会を決めろ。どうせもう十二月だ。オンシーズンに入れば大きな夜会が目白押しだろう。セバスはその後で食事会の段取りを」
「かしこまりました」
その日は珍しく午後から休みで、ジェフとバルカスがカーターに戻り、セバスからの報告と相談をしていた。話がまとまるとバルカスは侯爵家内の自室でぶっ倒れたように眠り、ジェフはバティークの話をしようと契約妻の姿を探した。
「シャルロットはどこにいる?」
「奥様ならビビアン様とおでかけですよ」
「あら、もう帰ってこられてるわよ」
「え、もう? ランチに行かれたのじゃなかったっけ」
「門前払いだったらしくて。悲しそうに帰ってこられたわよ。あの私、少し前に洗濯場で子供たちとシャボン玉をしているのを見ました」
「門前払いってなんだ」
「さぁ…詳しくは。結局お食事は食堂で取られていました」
洗濯場に行くと、もう居なかった。聞けば厩舎に行ったと言う。
「お呼びいたしましょうか」
「いや、いい。行ってくる」
なんなんだ。少しもじっとしてないな。悲しそうなのか元気なのかどっちなんだ。俺は昼寝がしたいんだが。
秋の晴れた空、太い毛糸で編まれたカーディガンを羽織り、首を縮めて厩舎へ向かう。厩舎に近づくと耳に馴染んだ可愛らしい声の歌が聞こえてきた。
「上手ね、ロティ。そのサビは結構難しいわ」
「『あなたのぉ』って所が高いから難しい」
あなぁたのぉ~ おもいをぉうぉ
わたしにぃ たらたたたたっ
ビビアンとシャルロットが大声で歌う声に何となく脱力して、ジェフは馬場の柵に凭れて歌を聞いた。知らないが、最近はやりの歌だろう。若者が好きそうなキャッチーなフレーズだ。
二人は馬をブラッシングしているようで、歌やお喋りを交えてキャッキャッと楽しそうにしていた。先日は眠りが浅いと聞いていたから心配したが、それ以降はまた以前のように元気な様子で夜更かししている日もあると言う。元気な様子にホッとして、厩舎の入り口へ向けた足が聞こえた声で止まった。
「そう言えば、ジェフ様とはまだ寝室は別なの?」
「え? もちろんよ。どうして?」
「この間一緒に寝たんでしょう。その時すごくぐっすり眠れたって聞いたから」
「あ~、そうそう、すっごくぐっすり! 前もそうだったの。ジェフって睡眠薬みたい。色々考え事をしてしばらく眠りが浅かったんだけど、あの夜から眠れるようになったの」
シャルロットはあっけらかんと答える。
ぐっすり眠ると不思議と思考はスッキリして、郵便の時間だけは気になるものの無意味に怖くならなくなった。単純に郵便が来ない状況に慣れたのもある。加えて深刻さが続かないのはカティネの家でのサバイバー体験により深刻な状況に耐性が付いているからだった。怯えているより、もうすぐ終わる今の生活を楽しもう。シャルロットはそんな風に思っている。
「もういっそ一緒に寝たら良いのに」
ビビアンの言葉にジェフは固まる。
「ん~…だけど、ジェフはいつもお疲れだから。私が隣にいたら邪魔でしょう」
「邪魔なんて思うかしら? 思わないわよ、きっと」
おいおい、俺の気持ちを勝手に代弁するな。
「第一ロティのベッドで一緒に寝ていたわけでしょう?人のベッドに勝手に上がり込んだのは向こうじゃない」
「そういうのとは違うような?」
そうだ、違う。断じて勝手に上がり込んではいない。合意の上だ。
「とにかく私は、ジェフの邪魔にはなれないのよ。これ以上迷惑はかけたくないし」
立ち止まっている男の耳に、甘い声が邪魔というフレーズを届ける。ジェフは内心首を捻った。はて、俺はそんなに邪険にしたことがあっただろうか。
「ブラッシングおーわり! はぁ、あっつい! ビビみたいに半袖にしてくれば良かった」
「ほんと~! 良い食後の運動にな…あら、ジェフ様」
「やぁ、ビビアン。シャルロットに用があって」
「おかえりなさい、ジェフ」
「ただいま…君たち、身体から湯気が出てる…あったかそうだな。ははは」
秋の陽光に照らされて、並んだ二人の身体から白い湯気が立ち上る。
「そうなの? ビビを見てもわからないですね」
「私もわかんないわ…あっ、でも離れたらわかる! あはは」
「あ、本当だ。ジェフは寒そうですね?」
「寒いよ、気温は一桁だぞ。シャルロット、おいで。ビビアン、午後は休みにした。あいつは部屋で爆睡しているだろうけど」
「んまっ! じゃあね、ロティ!」
「行ってらっしゃい、ビビ」
張り切りだしたビビアンをクスクスと笑って見送ると、シャルロットは寒そうなジェフの懐にペタッと張り付いてやる。
「あったかいでしょう」
「湯たんぼみたいだな。いつもブラッシングを?」
「ん~、今日は急に時間が空いたので、今度久しぶりに遠乗りするからお世話をしに行こうということになって」
ジェフはカーディガンでシャルロットを覆いながら暖を取り、抱えるようにして屋敷まで歩く。
「さっき何か門前払いにあったって聞いたが」
「あぁ。そう、そうです。最近オープンした会員制ティールーム。ランチとスイーツがとっても美味しいってビビアンが聞いてきたので、じゃあ会員になろうって行ってみたのですが、私では会員になれませんでした」
「なんで?」
「基本的にハイクラス層しか受け付けませんと」
「ちゃんと名前を言った? …ビビアンも一緒に行ったのに?」
「名前は言いましたが、余程じゃなければ一見は、って。嘘を吐いていると思われたみたいです。ビビアンも一緒ですけど、それがなんです?」
「いや、最近のオープンか。ふ~ん。行きたかった?」
「ええ。そこのクリームブリュレがすっごく美味しいって。私、ブリュレは大好きなんです」
じゃあ、今から行こうか。ジェフはそんな予定ではなかったのに提案を口にする。
「え? 今から?」
「要は会員になっておけばいいんだろう? そこは多分ガードナー辺りが開いた店だろう。呼び出して、こってり絞ってやる」
「でもせっかくの休みなのに。ジェフ、ゆっくりしたかったんじゃないんですか」
カーディガンの中から、契約妻が夫を見上げた。
「構わないよ。だけど帰ったら頭を押してもらおう。そろそろ頭汁が噴水のように毛穴から飛び出そうだから」
「ぷっ」
想像したシャルロットが楽しそうに笑った。
****
運転手が車を横に着けたティールームのエントランス。カーディガンという適当な私服のままのジェフがシャルロットを伴って降りると、ちょうど店から知り合いが出てきた所だった。
「ジェフ! 久しぶりだな」
「やぁ、ハリソン。暫くだね、元気そうだ」
小太りの紳士はジェフよりずっと年上で、小洒落たスーツにハットを被り、際どいワンピースを来た若い女性を連れている。紳士はハリソン・ブリッジ侯爵。侯爵の中でも最も大きな領地を抱える富豪であった。
「おや、まさかこちらが?」
「ああ…シャルロット」
呼んで妻を引き寄せると、男に紹介する。
「初めまして、シャルロット・カーターです」
「お目にかかれて光栄です、カーター夫人。ブリッジ侯爵家のハリソンです。いつもジェフには本当に世話になっています。いや、貴女のお噂はかねがね…ジェフがなかなか表に出さないから、よほど可愛がっているのだろうと」
「まぁ」
「可愛いでしょう?」
ふふふふふ。夫婦は笑う。
「ハリソン、この店にはよく来るのかい? オーナーを知ってる?」
「ああ、何度か。今日はガールフレンドが行きたいと言うのでね」
「なるほど、お嬢さんが」
「ジェフは初めてかい? オーナーはガードナーだ。あいつの好きそうなこった」
「やっぱりそうか。だが手広くやり過ぎて、だんだん躾が甘くなってきているな」
「なにか?」
「昼前に食べに来たウチのとビビアンを追い返した」
「ビ!? …それはそれは……はは、潰されるぞ」
「早めに忠告してやるさ。足止めして済まなかったね」
「いやいや、またクラブで会おう」
ハリソンの横でツンとしている若い女性が髪の毛をくるくる指先で遊び始めたのを機に、ふたりが車に乗り込む。
少し離れた場所からやり取りを見ていたスーツの男が、青褪めた顔、両手指をもじゃもじゃとせわし気に動かしながら前かがみの姿勢で寄ってきた。
「あの…」
シャルロットの眉間に皺が寄る。寄ってきたのは昼前に自分たちを門前払いしたその人であった。
「うん?」
ジェフは男ににこやかに一つ頷く。それから腰を抱いた妻に尋ねた。
「何が食べたいんだっけ?」
「クリームブリュレ、です…」
「はいっ、ただいま、お席をご用意いたします!!奥様、大変な失礼を、大変、大変申し訳ございませんでした!!」
ジェフのカーディガンに引っ付いたまま、シャルロットはじっと謝る男を見る。
世の中って世知辛い。この世は金と権力がないと食べることのできぬクリームブリュレが存在しているのね。
「食べて帰る?」
「それはもちろん、絶対に!」




