3. 君を愛するつもりはない①
式場から直送された屋敷は、これもまた大きな屋敷であった。マルーンの屋敷には約三か月住んではいたもののほぼ軟禁状態で、寝起きしていた部屋とレッスンで使うホールくらいしかよく知らない。だから比べてどうとは判じ難いが、それにしたって立派なのでそこいらの普通の貴族じゃなさそうだった。
ウェディングドレスのまま連れてこられたシャルロットは精神的疲労でクタクタである。裾を持ち上げる気力もなく、重たくて長いトレーンは引きずられ、土や草露に濡れて茶色く濁っていた。
車から降りて、車椅子を押した男が気遣わし気に声をかけてくる。
「お疲れでしょう。湯と食事の支度をするように言っていますので、寛いでお待ち下さい。専属侍女もご紹介します。何か必要なものがあれば全て彼女に。屋敷についてのご説明は一度落ち着かれてから私か…ジェフ様から」
最後の言葉に、二人の目線が気を失ったままの男に落ちる。
「あの、普段からこのような」
このような感じで気を失っているのか? 皆まで言う前に男が頭を振る。
「いや、まさか!! 普段はいたって普通です。今日はほんの少し気を失っているだけで。大丈夫です、夜までにはシャキッとしてご夫婦の寝室に放り込みますので、ご安心ください」
シャルロットはぞっとする。寝室!! 安心!? 冗談ではない。むしろずっと気を失ってくれてて良い。
「どうして今日は気を失っているんですか?」
「う~ん…それには深い訳があります。説明すると長くなりますので」
「深い訳…」
「一言で申し上げれば、私が薬を盛ったからですが」
「薬!?」
全然深くなかった。
「あ、ご紹介が遅くなりました、私はジェフ様の側近でバルカスと言います。バルカス・ウェーバー。これから毎日顔を合わせることになると思います、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」
「シャルロットです、よろしく…………………………お願いいたします」
爽やかな顔で握手を求められたが、末永くよろしくしたくないシャルロットは目を泳がせながら会釈で返した。
それから自分の世話だけをすると言う年配メイドのテルミアを紹介され、数人がかりでウェディングドレスとコルセットを脱がされた。テルミアからは長らく屋敷で働いていると自己紹介をされる。
「わたくしはご事情を伺っておりますが、屋敷で奥様の出自を存じ上げている人間は多くありません。できるだけ生まれながらの公爵令嬢らしくお振舞い下さい。このカーター侯爵家は歴史が長く領地も広くて使用人も多くおります。もし何か失礼な目に合わせたものがいれば、すぐに私か筆頭執事のセバスに仰ってください」
「侯爵家なんですね…侯爵家、カーター…」
あれ、なんか聞いたことあるような。貴族名鑑丸覚えの巻を思い出し、シャルロットは『ぐぬぬぬぬ』と記憶をほじくり返す。
「奥様、もしかして何もご存じないのですか?」
「はい。結婚式も今朝聞きました」
側で聞いていた二名のメイドも含め、三人が目を見開いてシャルロットを見る。
「今朝!?」
「公爵家に引き取られてから、三か月ほとんど部屋で勉強漬け、外出もさせてもらえませんでした。それで急に今朝、あの眼鏡……あ~……オズワルドさんから、大聖堂に行くと」
「まさかと思いますが、ではジェフ様のことも?」
テルミアの言葉にこくんと頷く。
「式場で初めて神父様から名前を聞いて、ご本人を見ました」
ご本人は白目を剝いていたが。
「さ…さようでございますか」
「あの」
シャルロットは意を決して三人を見る。
「あの、お願いがあります!! 私を、今、ここから逃がして貰えないでしょうか!?」
「奥様」
だから服を着せてくれ。薄いレースの下着姿で懇願する。
「お金はなんとか工面して、かかった経費はお返しします。マルーンにも。日が浅いほうが返済も少なくて済むんです。だから、どうかもう」
返済額が気の遠い数字にならないうちに…!
隅っこでまるめられた薄汚れたウェディングドレスが視界に入る。十万やそこらではきかないだろう素敵なドレス。ああ、あれを着て嫁いだ先が普通の庶民で普通に目を開けている男だったらどんなにまだマシだったか。
別に結婚願望など欠片もないし、そもそも男は大嫌いなのだが、今この状態じゃなければそれで良かった。
「女性として…奥様のお気持ちはお察しいたします」
「テルミアさん!」
「ですが」
テルミアはその双眸を苦し気に歪め、謝罪する。
「ですが、私達も本気なのです。申し訳ございません、シャルロット様」
「本気って、何がですか」
「奥様は希望の光なのです。わたくしの口からこれ以上を申し上げるつもりはございません。ですがわたくし共が生半可な気持ちでジェフ様に薬を盛ったと思わないでいただければ」
二人のメイドも頷いている。
「わたくしども!? え、バルカスさんが盛ったんじゃなくて」
「ええ、この結婚はカーター家の総意です、侯爵家が、使用人一同が心から奥様をお待ちしておりました」
全員総意で主人に薬を盛る。余程嫌われている? そんなにいやな奴なのか?
「ささ、湯へどうぞ。ボディメイクがしっかりついていますから、全員でお供いたしますね」
「えっ、ちょっ」
始めは目を白黒させていたシャルロットだったが、エステ室で体中を磨かれて、マッサージしてもらい、良い香りのするオイルで整えられるうち思考を奪われてしまう。最後はバスタブに浸かってホカホカのままバスローブに包まれた。正直言って、最高に気持ちよかった。マッサージ台ではトロトロに眠り、お姫様みたいな気分を味わう。なにこれちょっと天国みたい…
「それでは奥様のお部屋に移動いたしましょう」
「私の部屋があるんですか」
「もちろんでございます」
バスルームから連れだって移動して『自室』に通される。
そこには、恐ろしほどに可愛くお洒落な世界が広がっていた。
「か…かわいい!!!」
「喜んでいただけましたか。このテルミア、インテリアコーディネーターと共に奥様の為に選びに選び抜きました」
「めちゃくちゃ……めちゃくちゃ可愛いです!!!」
「それはよろしゅうございました」
大空間にはスッキリとしたライトが折り上げ天井に埋め込まれ、飾りであろう繊細なシャンデリアが吊られている。南側の白い格子状の掃き出し窓には薄白の紗の生地とサーモンピンクの分厚いカーテン。そばにはアンティークなマホガニーのキャビネットが三つほど同じものが連なり、出窓のある角には文机と椅子、猫足の応接セット。扉の反対側奥には花をあしらった美しいレースが幾重にも張られた衝立が立ち、その奥に大きな鏡がついた鏡台、天蓋付きのお姫様ベッドが見える。
「何かお気に召さないものがあったり、欲しい家具がございましたら仰ってくださいませ」
「………」
感想を言いはしたものの、寧ろ出ていきたいので自分の部屋という感慨はない。汚さないよう床で寝ても良かった。
「ではお食事をお持ちいたします」
「あの、服を」
バスローブなんだが。
「奥様…しばし…しばしお待ちくださいませ?」
テルミアが苦し気な顔で宥める。服を着せたら逃げ出すと思っているのだろう。もちろんその通りだ。逃げたいなんて馬鹿正直に懇願するんじゃなかったと、シャルロットは後悔する。
結局、バスローブ姿で食事をした。
食事はおいしかった筈だが、さすがに味もせず食欲もない。
テルミアが困った顔で色々と勧めてくれるが、途中から完全にカトラリを持つ手は膝に、謝って食事を下げてもらった。色々とパニックで、怒りや情けなさや申し訳なさでぐちゃぐちゃになり、シャルロットの瞳からポロリと涙が零れ落ちる。多分食事を終えたら有無を言わさず夫婦の寝室に移動するのだろう。結婚した初日なのだ。それはつまり今晩が初夜ということを指す。
白目に手籠めにされてしまう!!
「奥様」
シャルロットは顔を覆って泣き始めた。
「すいません、少し…一人にさせてください…」
「しかし」
「どうせこんな姿です。逃げるつもりは、ありませ…ぐす…」
テルミアが後ろ髪をひかれる様子を見せながら部屋を出て、シャルロットはぐすぐすと泣いた。母がこの世を去ってから紆余曲折があって、気持ちが折られる度に強くなってきたから滅多には泣かなくなっていたが、さすがに見知らぬ人との出会いばかりで疲れて淋しかった。死んだ母や遠くの友達とは言わぬ、花屋の奥さんとご主人でいいから会いたかった。
涙が止まってソファでぼーっとした後、立ち上がって窓に近寄る。
外は真っ暗で、広いテラスがあった。静かに開けて、スリッパでペタリと出る。
二階と言っても一階の天井が高いので、地面までは距離がある。何とか降りられるような高さではない。それでも手すりから下を見降ろさずにはいられなかった。
(落ちて怪我でもすれば…ここからなら、死にはしない気がする)