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24. 母の命日①

 秋になり、ビビアンの授業が終了となった。

 半年契約なので契約期間自体は残っていたのだが、シャルロットは周囲が予想していたよりも飲み込みが良く、すっかり教養も身についてしまったのだ。ビビアンがこれ以上の授業は必要ないと判断したのである。

「でもなんか楽しいから、まだ契約期間中はお屋敷に通います」

「本当に!?」

「ええ! もっとシャルロット様と仲良くなりたいの。これからは先生じゃなくて普通のビビアンとしてね。折角だし、立派な淑女になった記念として今度は仮面じゃない夜会に行きましょう。ドレスを誂えて。それと、お茶会もね! ジェフ様だってシャルロット様が行きたいって言えば良いって仰るわよ、ねぇ? 私も責任を持って社交場を選ぶから」

 シャルロットの部屋で新聞を広げ、株価についておしゃべりした後でビビアンがテルミアにも聞こえるように言う。

「まぁ、なんて素敵な提案でしょう! 早速ドレスショップへ連絡いたします。 いえ、バルカス様の方が良いですかね。一番流行りの工房を呼ばなくては」

「テルミアさん、そんな」

「いいえ、ここはしっかりお役目を果たさせていただきます。あ~、旦那様がエスコートなさらないかしら」

「されませんよ。第一、ジェフは忙しいので遊んでいる暇はありません」

 契約妻を社交場には連れて出さないつもりなのは分かっているし、宰相職が忙し過ぎて公務以外の夜会になど出たくもないだろう。シャルロット達は三人でどうしようかと首を捻る。きっとバルカスも一緒に忙しい。ここの所、なんとかの委員会が始まる大詰めでジェフを屋敷でほとんどみなかった。

「そうよねぇ。ん~…ちょっとお相手もどうするか考えなきゃ。売り出し中の俳優とか狙い目なんですけどね。お家がパトロンで社交界にご紹介! ってよくマダムがお遊びでしているやつ。あとは……昔ほどがちがちではないけど、本当なら親族が一番良いかなぁ」

「冗談でも嫌です」

 狸にこってりしたドレス姿でエスコートされている自分を想像すると酷い有様になった。悪目立ちもしたくない。

「エスコートの男性が選べなかったら、多少声をかけられるかもしれないけれど適当にいなしながら遊ぶ感じにしましょ。私が一緒だし何とでもなるわ」



 翌々日、早速どのような手を使ったのか、今一番予約の取れないデザイナーが屋敷を訪れる。

「初めまして奥様! ジャンヌ・クロードです。他ならぬバルカス様のご紹介ですから、しばらく店を閉めて参りました。専念してあっという間にお作りさせていただきますわ!どうぞよろしくお願いいたします」

 ジャンヌと名乗った口元のほくろが色気たっぷりのマダムは、バルカスにエスコートされて即席の採寸室へとやってきた。

「シャルロット・カーターです。急なお願いにもかかわらず、お運び頂いてありがとうございます。人生で初めてのオーダーメイドです。嬉しくて嬉しくて」

「人生で初めて!?」

「あ~~~、シャルロット様、初めてくらいに嬉しくて、ですよね。ジャンヌ、奥様はとっても感激屋さんでね。それくらい初めて貴女に作ってもらえるのが嬉しいってことだよ」

「まぁ、バルカスったら」

 マダムがバルカスの頬を撫でる様子をビビアンがじっとりした目で見ている。

「ではジェフ様の元へ戻るよ。あとは任せる、テルミア」

「かしこまりました」

 バルカスは忙しそうにツンとしたビビアンの頬にキスをしてさっさと去っていった。


 早速採寸しましょうか、とジャンヌは下着姿になったシャルロットの採寸を始める。流れる手つきで肩にかけたメジャーを使い、測って測って測って、連れてきた部下にどんどん書き込ませてく。

「奥様、ドレスのご希望がございますか? 普段はどんな感じのドレスを?」

「普段…えっと、着たことがあるドレスは真っ白なドレスと、大きなリボンが後ろについた迷子防止のドレスです」

「……え、二着? まっしろ? それは」

「マダム・ジャンヌ! 奥様は感激屋さんのあまり色んな思い出が頭の中でスパークしてしまうのです。公爵令嬢ですもの、生涯忘れられないウェディングドレスしか記憶には残らないくらいにそれはもう何万着も。ですからどうぞ、お好みだけを聞いて差し上げてください」

 シャルロットは早口のテルミアの言葉を聞きながら『そーだった、生まれながらの公爵令嬢シャルロットだった』と妄想で己の頬をぶつ。


 どんなドレスがいいかしら。

 きっと、こんな風にドレスを作ってもらうなんて最初で最後の大チャンスである。


「先生」

「なぁに?」

「ジェフが一緒じゃなくても、私はシャルロット・カーターで出席するのですよね」

「もちろん。エスコートが出来る方がいらっしゃらなければ私と一緒に美味しいものを食べたり、同じ年頃のご令嬢とお喋りして終わり!」

「そうですか……では、ジェフの奥様らしいドレスをお願いしたいです」

「どうして? ジェフ様はエスコート出来ないのに?」

「いらっしゃらないから、ちゃんと奥様をしないと」

 どういう意味? と顔を見合わせるビビアンとテルミアにシャルロットは『まぁまぁ、いいじゃないですか』と取りなしてジャンヌに頼む。

「色やデザインはお任せします。ただ、彼の妻だったという記念に残るようなドレスにしてください」

「妻だった?」

 ジャンヌの声が裏返る。

「まぁぁぁぁぁ! 奥様、なんてセンチメンタルなご希望でしょうか。日々全てが最後でも構わないくらいに最愛の日だということでございますね、感動でございます!」

 ジャンヌはシャルロットをいぶかし気な目で見ていたが、テルミアの言葉にもなんとなく納得して要望を了解してくれた。


 それから何枚かの布をあてて顔映えを確かめた後、手持ちのアクセサリーを確認してジャンヌは帰っていった。

「奥様、心臓に悪いことを仰らないで下さいませ。テルミアは寿命が減りました」

「ふふふふふ! 減りませんよ。でもほら、やっぱり大きな記念ですから。私が『誰かの奥様』で、それで貴族の社交場にでるなんて」

「そのようなつれないことを仰らないで下さい」

「つれないなんて。実際にそのうち契約期間は終わりになります」

 カーターの屋敷を出れば、ちょっと金持ちになった元のシャルロットに戻るだけだ。

「シャルロット様、何かあったの?」

 ビビアンがミルクティー色の頭を回り込んで尋ねてくる。

「なにかって?」

「……無いなら良いですけど。ジェフ様に夜会のことで何か言われたとか?」

「まっさか。会ったのは随分前ですし、ジェフは夜会にでることも知りません」

 かれこれ二週間近く顔を見ていない夫を思い出して、シャルロットはルームシューズの先っぽを見つめる。

「あ~…」

 然もありなん。

「ねぇ、テルミアさん、マダムとバルカスはとっても大人な雰囲気でしたね? 恋人なのかしら」

 シャルロットがこそっとテルミアに尋ねる。

「どうでしょう。バルカス様は、それはもうおモテになりますから。どの方が本命なのかは私などにはわかりません」

「そうなのですね。優しそうだし、女性が放っておかないか」

 ビビアンが急に大きな声で流行歌を歌い始めたので、二人はそれ以上の口を噤んだ。



 ドレスの出来上がりを楽しみに待つ間に急激に秋が深まり、しっかり者のテルミアが熱を出してしまった。朝にやってきてくれた別のメイドであるエリサから伝えられ、咳も出ているからしばらく休むとのことだった。

「テルミアさんの熱はどれくらいあるのですか」

「特に大変な病気ではありません。ただの風邪です。元々この時期のテルミアはアレルギーもあるので、身体が弱りやすい。ですからどうぞご心配なく」

 セバスが朝食の席で、しょんぼりしたシャルロットに説明してくれる。

「咳があると」

「それも半分はアレルギーのせいでしょう。もう薬を飲み始めたので、そのうち治まります」

 目に見えて元気のない様子のシャルロットをセバスは励ますように『大丈夫』だと繰り返した。

「マスクをするので、一度様子を見に行きます」

「まさか! うつったら大変です」

「だからマスクをしますし、もちろんテルミアさんが疲れるでしょうから長居もしません、本当に様子を見るだけ、ね?」

 何度かやり取りを繰り返して、引き下がらない頑固さにセバスが根負けした形でシャルロットは見舞いの権利を勝ち取った。



 通いではない使用人のための別棟にはセバスやテルミア達の部屋がある。ピカピカで温かく住み心地の良い建物だった。シャルロットは遊ぶのにしょっちゅう出入りしているのでテルミアの部屋ももちろん知っていた。

 ノックをして『入りますよ』と声をかけて静かに近寄ると、ベッドの中で赤い顔をしたテルミアが潤んだ目を丸くしている。

「奥様……いけません! ゲホッ、ゲホ、ゲッホ……うつったら…ァっ……どうなさる、ぅのですか、セバスは!?」

「起きないで! 寝ていてください。酷い咳……マスクをするから、って私が頼み込んだのです。ご飯は食べていますか? ほとんど食べていないって。喉が痛いから食べにくいってエリサに聞きました」

「ゴホ、ゴホ、ご心配をおかけして……ア”、大したことはございません、ヴォッホ、この時期はよ、ヴ……く風邪をひくんです。喉も痛いで……が、病気の間は……べない方が治りが良い、すよ。犬や猫も食べません」

「じゃあ私も今度からはそうします」

「奥様! ゴホ、ゴホ!」

「ツルンとしていれば食べられますか?」

「……はぁ、まぁ……ヴェッホ……それ、は、そ、です……ね」

 真剣な表情のシャルロットに気圧されテルミアが頷く。


 一度だけと言いながら、結局何度も会いに行った。一日目は近くのフルーツショップまで果物のゼリー寄せを買い求めて、二日目はあっさりしたプリンの美味しい店までエリサと共に買いに出かけ、テルミアを喜ばせた。


 三日目にはすっかり熱も下がり、咳だけが残るもののベッドの上に起き上がってシャルロットを迎えてくれる。

「何度も何度も、私などの為に足をお運びくださって」

「熱が下がって本当に良かったです…!! これで少し安心ですね」

「少しだなんて。ただの風邪ですから。あとはもう一日休んでいれば完全に治ります」

 困ったように微笑んだテルミアは未だに深刻な表情を続ける奥様に『もう見舞いは必要ない』と遠回しに伝えるが、シャルロットは完全に無視をし続けた。

「今日は少し用事があります。次はおやつの時間を過ぎたあたりに来ますから、調子が良ければ一緒におやつを食べましょうね!」

「シャルロット様…かしこまりました、では体調が良ければ下の食堂に降りますので、一緒にお茶なども出していただくようにしましょう」

「かしこまりました、エリサに伝えておきます!」

「かしこまりました、は、いい加減にお止めください」

 ハッとしてにひひ、と誤魔化して笑ったシャルロットは手を振って部屋を後にする。そのまま自然に屋敷への通路を使わず別棟の玄関を出た。


「おはよう、トムさん」

「おはようございます、奥様。またテルミアですか」

「やっと、熱が下がりましたよ!」

「それは良かったですなぁ。テルミアは幸せ者です」


「おはようございます、奥様」

「おはようございます、ヴィゴさん。今日もお庭が綺麗ですね」

「あれ、おでかけですか?」

「いえ、ちょっとお散歩がてらポストを見に行って来るだけです」

「行ってきましょうか」

「ううん! 大丈夫です!」


 次々と会う庭師や庶務を担当している者などと挨拶を交わし、シャルロットは裏口の扉の方へ向かう。今日は一人で外に出ちゃうのだ。ポストを見るなんてのは嘘である。


 テルミアの部屋に行く前に裏口近くの木陰に置いていた紙袋からポシェットと上着をだし、さも一般人(元々一般人なのだが)になって外を歩いた。久しぶりの公道での一人歩きだ。迷いなく高級タウンハウス街を出て路面電車の乗り場に向かい、直ぐにやってきた電車に乗り込み座る。


 中心地へと向かう路面電車からは、大体見知った風景が現われては後ろへと流れていった。

 シャルロットは窓の外、少し曇った空のせいで灰色に染まった街を眺めた。忙しそうなブルーの制服を着た配達人が車から降りる様子、上品そうなタウンハウス街から出てきたピンク色の貴婦人が楽しそうにカフェへ入る眩しい光景、子どもと手をつないだ母親が持っている赤い棒付きキャンディ。アップルトンだった頃にも普通に見ていた風景は、不思議と少し違って見えた。

 休息や美味しい食べ物という手に入れたかった一瞬はそれほど欲の対象でなくなり、引き換えに失われた単調で地に足が付いていた日常。だけど自分の周りからは確実に兄弟や飢え、身近な将来への不安と言う脅威は去った。

 手に入れたコレがどういった因果で巡ってきたものなのか。そんなことは死ぬまでわからないのかもしれない。死んだってわからないかも。ただの公爵の気まぐれと思いつき。それ以外にない。


 電車のアナウンスが街の真ん中にある役所を告げると、シャルロットは降車する。

 役所ではキョロキョロしながら総合案内を探し、街で一番大きな探偵社の場所を尋ねた。

「一番大きい、と言われてもわかりませんが…そうですね。長く営業しているならココとか、ココかしら。こちらは浮気専門で、そっちは浮気も人やモノ探しもしていると書いてありますから、そっちの方が大きそうですね」

「ありがとうございます、ではそこにします。あ、あと銀行はどこでしょうか?」

「銀行は役所の斜め前にありますよ」

「ありがとうございます」


 メモをした探偵社の電話番号と住所を持って、まずは役所から電話をかけた。

『はい、こちらフランコ探偵社です』

「お忙しいところ恐れ入ります。今からそちらに伺っても良いでしょうか」

『ええ、今なら大丈夫ですよ。ちなみにご用件は』

「人探しです」

『OK、私が担当させてもらえるので問題はありません』

「次回以降はなかなかそちらにお伺い出来ない事情があるので、可能な限り先にお支払いしたいのですが、大体の相場をおしえてください」

 先方は少々間があったが、成功報酬分を抜いた経費の相場を伝えてくる。想像した通り少し値が張ったので、シャルロットは初めてジェフから貰った金を口座から引き出して探偵社の戸を叩いた。


「おやおや、可愛らしいお嬢さんでしたね、こりゃ」

「先ほどは電話でどうも。シャルロット・アップルトンです」

「フランコ・ビッセルです。どうぞ座って?」

 ジェフよりももう少し若いと思われる男、フランコが出迎えた。少しよれたワイシャツとサスペンダーでどこかくたびれた様子だが、名前からして探偵社の代表だろう。事務所にいくつか並んだ机を見つつ、通された応接室に腰かける。

「すいません、事情がありましてそれほど長居が出来ません」

「ああ、お電話でも」

 シャルロットは用意していた紙をフランコに渡す。

「今日も無理やり時間を作って来ました。今後のやり取りは友達の名を借りる形で手紙でのやり取りにしてもらいたいのです。名前はこちら、住所はここへ。私はこのお屋敷で働いています。書類等は郵便局留めに。手紙で連絡を貰ったら、機会を作って私が取りに行きます。残りのお支払いは現金書留で送ります」

「ふむふむ。ちょっと用件によりますから、まずは探し人についてお伺いしても?」

「この写真の人を、探して欲しいのです」

 シャルロットはポシェットから一枚の写真を取り出して机に置いた。



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