21. 仲良し娘夫婦の食事会②
公爵と娘夫妻が長テーブルを挟んで向かい合い、運ばれてくるコース料理に舌鼓を打つ。
「大変結構な味だ。これはお抱えのシェフが?」
「ええ、今日は特に腕によりをかけてもらっています。念願の君との食事会だからね」
「んん! 是非我が家にも一日出張に来てもらいたいくらいだ。セバス達も喜ぶ…だろう?」
「ええ。そうですね」
カーター家は場所と皿は違うものの、ジェフの方針で皆が同じものを食べる。ジェフが不在の時、シャルロットは色んなテーブルにお邪魔するので、一人で食べることもない。
「カーター侯爵家は非常に使用人とフレンドリーだと聞いたが、本当にそうなのかね」
「ええ、皆家族です」
「へぇ…失礼だが、君は再婚だったね」
「ええ」
センシティブ爆弾を豪速球で投げる父親だなとシャルロットの手が止まるが、ジェフも『それが何か』くらいに打ち返しているので同類だった。
「前妻はコリンズ伯爵家のミレーヌ嬢だったかな。娘と違って随分と派手な女性だった」
「さすが、よくご存じで。今はコリンズではないようですが」
「ミレーヌ嬢は嫌がらなかったのかい? フレンドリーなんて。シャルロットは出自がアレだが、普通は嫌がるだろう」
「さぁ。どうだったでしょう。昔のことは覚えていません。ですが、家人たちと折り合いが悪かったのは確かですね。皆、目鼻や口の数も同じなのに不思議なものです」
「陛下も領主制度を廃止する法案を進めている……民主化に平等やら……君に感化されているんだな」
「陛下が私に? ご冗談を。唯一の存在に私ごときが影響など与えられるわけがない」
「だが民が皆一律になれば、やがて国王自身の首も絞めるだろう。真の平等とはそういうものだ」
穏やかな顔に見えて唾棄するように吐いたセリフに、ジェフは嬉しそうに笑う。
「どうでしょう。富が集中すれば議論を呼ぶでしょうが、今の王族は寝具ひとつ取ってもその購買を詳らかにしなければならない…むしろ三公爵家の方がよほど」
「よほど贅沢を?」
ジェフは軽く肩を竦める。
「あなた方は大金持ちだ。そうでしょう。大きな工場を建てるくらいに。シャルロット、ワインをもう少し? それとも別のものを?」
「えっと…いえ、お水を頂きます」
「聞こえたか? 彼女に水を」
ブランドンが大きく冷たい声を出す。
「もうすぐ予算委員会です。要望書の中にはビジョンの見えない設計も。マルーン公爵はどう読まれますか?」
「どの要望書の話だい?」
「土地相続に関する法改正草案などはどうです? 悪戯に下位貴族を苦しめるだけでは」
「ああ、あれには賛成だ。何なら相続は長男だけとか上から順に最初からと決めてしまえばいい」
「上から!?」
「いたずらに相続を自由にしても無駄な争いが生まれるだけだ。だから大して反対する理由もない。まぁ、我が家はシャルロットの兄一人だ。何も関係はないが。君だって関係ないだろう」
二人はシャルロットを置いて政治の話を始める。
つまらない会話。つまらない上に寒々しい。折角の美味しいディナーも魅力が三割減だった。だけどそう言えば、自分には会ったことのない兄がいたと思い出す。バティーク・マルーン。公爵に似ているのかしら。
シャルロットは淡々と話すジェフの横でのんびりと兄を妄想する。眼鏡ザルは外国にいると言っていた。留学ってなんの勉強だろう。頭がいい? もしくは努力家なのだろうか。
この屋敷に居た時は興味を抱きもしなかった兄についての妄想は、自分自身に余裕が出来てきたからなのだろうと自然に思えた。ほんの少し、会ってみたいとも思う。会ったらどんな話が出来る人だろうか。この父みたいなとんでもない野郎の確率が五十パーセント、『可愛い妹にお菓子を買ってあげよう』と言ってくれる男の確率が八十パーセント、『非人道的な父と眼鏡ザルで本当ごめん』と言ってくれる兄の確率が百パーセント…の希望パーセンテージかな。最後の希望を妄想すると、ナイフを手に自然に顔がにやけてしまう。
(あんまり貴族っぽくない人がいいなぁ)
貴族はコリゴリである。だけど次期公爵、まぁ無理だろう。
真に血縁の兄弟姉妹など昔の自分からすれば宝くじの当選より確率の低い出会いに違いない。
(…血縁者…)
シャルロットはグラスに残った血のようにドス黒い赤ワインをぼんやりと見つめる。
そんな兄がまさか自身の存在をひた隠す為に異国に追いやられているとはつゆ知らず、出生すら知られていない妹は赤ら顔の父の顔を盗み見ながら丸い貝の内側にフォークを刺そうとする。
「あっ」
ツルっと先が空刺しした貝は、スポンと皿を飛び出しピュンと飛び上がった。
ハッとした一瞬の後、貝はジェフが伸ばした手のひらの中に入る。
「ごごごごめんなさい!!」
「活きがいい」
ひとつ頷いてジェフが貝を皿に置き、後ろからメイドが持って来たフィンガーボウルで指を洗ってタオルで拭く。
「どうした? 政治の話ばかりでつまらないか」
夫の顔をした男は人差し指でシャルロットの白い頬を撫でた。
「いいえ、ちょっと色々と考え事をしてしまい…酷いマナーでした、すいません」
「ははは。貝のままサーブしたこちらの不手際だよ、気にするな、シャルロット。食事を終えたら君は実家なのだし、一番広いバスルームを使ってゆっくりするといい。用意させよう。一緒にエステやマッサージはどうだい?」
「そうだね、里帰りなんだ。公爵の言う通り、のびのびするといい」
「お父様とジェフは?」
「私は折角だし、沢山持って来た新婚旅行土産のワインを御父上と頂こうかと」
「良いね、ジェフ君」
ははははははは。
さっむ、とブルってシャルロットは食事を続け、最高に美味しいはずの洋ナシのコンポートが乗せられたパイを淑やかに平らげた後、メイドに誘われて席を立つ。ジェフが優しい顔で座ったまま腰を抱き、まるでいつもしているように頬を差し出すのでシャルロットもごく自然にキスをする。それから反対にキスをもらい、失礼しますとブランドンに断って迎賓用のダイニングホールを後にした。非常に面倒な食事会であった。
(あ~、早く帰って皆とご飯を食べたい!)
少し離れたところからもうひとつ足音が聞こえていることに気が付き、顔を顰めて振り向くとやっぱり眼鏡が付いてきていた。
「オ」
「オ?」
「オズワルドさん」
「また忘れていましたね。全くいつまで経っても物覚えが苦手な方だ。貴族名鑑の最初のページに載っていたカーター家だって覚えていなかったのではないですか?」
「………」
シャルロットは全知全能の力で髪の毛が毎日百本ずつ余計に抜ける呪いをかける。
「なぜ付いてくるのですか」
「この屋敷内の全ての動向を把握しておく義務がありますから」
「お父様が、先ほど私にバスルームの用意をして下さると」
「ええ」
「あなたはこれから、私が…つまり女性が湯を使う前、最中、後と全て把握するおつもりですか?」
「………」
今度は眼鏡が黙る番である。
「ジェフを呼びますよ」
「いえ、決してそのような妙な気は」
シャルロットは眉を下げ、誘導係のメイドに縋る。
「夫を呼んで来てくださいませんか、この方…わたし、怖いです」
「あ、は、はい! 申し訳ございません、すぐに誰かを」
「うぉっほん、おっほん、不要だ、ええ!! 全く一ミリもそのようなつもりはないので、ここで下がりましょうとも」
眼鏡はブルブルと頭を振って一歩引き二歩を引き、シャルロットがメイドの背後から睨んでいる間に背を向けて引き返して行った。
「怖いです…あの方は昔ここに住んでいた時も勝手に部屋に入ってきたりして」
「まぁ…! さようでございますか。かしこまりました、では彼が近寄らないように他の者にも連絡しておきましょう」
「はぁ…うれしいです。助かります、ありがとう、あの、お名前をおしえてもらっても?」
『人間なんてものはね、簡単な生き物なんですよ、奥様。たとえマルーンのお屋敷にいる使用人がその色に染まっていても、優しくされればカーターの色に寄ってきます。その時にはいつも通り、奥様が我々になさるのと同じように、自己紹介を経て個人として尊重する…それだけで十分なんです。同じ人間なんだって、ごく当たり前の意識で会話するだけでも。そうしてね、ちょーっと頼るんです。あなたしか頼れない、そんなニュアンスでね。マルーンの屋敷など金で雇われてるだけに過ぎないただの雇用主と使用人の関係でしょうからね。さすれば全員、このセバスのように可愛い奥様にイチコロですよ。使用人を味方に付けると安らぎや行動範囲、屋敷内で把握できる内容は大きく変わってきます。ひとりずつ、丁寧にやってみると良いですよ』
それは、離婚後にも関係は終わらないマルーンという実家との付き合い方についての年長者からのアドバイスだった。セバスが言ったその言葉通り、シャルロットより少し年上らしきメイドのミラは、ものの五分で笑顔の絶えない優しい女性になった。
ミラはテルミア達が用意してくれた荷からナイトウェアなどを、そしてエステ着とオイルを準備しながら段取りを説明してくれる。
「ミラさんはこのお屋敷は長いのですか?」
「いいえ、長かったのは私の母です。私はまだ三年目で。以前は水回りの担当だったので、シャルロット様のお側にあがる機会もありませんでした」
「そうだったのですね。お母様は今はいらっしゃらないのですか?」
「はい。母は腰を悪くしてしまって、今は自宅でのんびり過ごしています。実はシャルロット様のお話を母にした所」
「え?」
「母はシャルロット様のお母様と会ったことがあるそうです」
「えええっ!?」
驚くと、ミラは破顔する。
「凄い偶然でしょう?私、その話を聞いてから実はお嬢様と一度お話をしてみたかったのです」
「えーーーーっ! それは嬉しいです! 生前の母の話を聞くのが、私は大好きで」
今度はミラが驚いた顔をする。
「そ…え、申し訳ございません、存じ上げませんでした! 奥様は」
「そうなんです。母は私が十四の歳に亡くなりました。あの流行り病で」
「私…なんてことを!」
「いえいえ、そんな全く。お母様は今どちらに?」
「今は田舎です。シャルロット様のお母様とはだいぶ年も持ち場も離れていたようで、親しく話す機会はなかったそうなんですけど。ですがよく歌を歌っていらっしゃった綺麗な方だったと言っていました」
「そうですか……歌を。母は屋敷を出て私を産んでからは働きづめで。あの頃は火葬場すらいっぱいの時期だったので葬儀も出来ずで。だから私は母の知り合いや友人をほとんど知らなくて。そうですか、本当にこのお屋敷で働いて……歌を」
ミラはそっとシャルロットの手を握る。
「シャルロット様は大変なご苦労をされたと思います…お屋敷にいらっしゃってからも、あっという間にカーター様と婚姻で」
「正直、オズワルドさんには色々としてやられました」
最後は茶目っ気を効かせて愚痴を吐き出すと、何度もミラが頷いて同調してくれる。
「オズワルド様は他の使用人たちとも関係が悪いです。いつもこのお屋敷のご主人様ではないのに、私達を見下してくるので」
本当に、それ!!
「彼は格下と決めつけた相手には徹底的に貶めてくるタイプですね。はぁ、でもさっきは本当に助かりました!」
「いえいえ、何かお困りがありましたら、いつでもお声がけください」
それからシャルロットは風呂と三か月の逗留以来のエステを楽しみ、ミラと共に用意されているジェフとの寝室に戻った。