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20. 仲良し娘夫婦の食事会①

 新婚旅行から帰って、日常が戻る。

 ジェフは相変わらず忙しく、バルカスも共に駆け回っていた。

 シャルロットはビビアンと楽しく授業を続け、リンドの貴族たちとその力関係を理解し、奥様方の構成する社交界についても把握が進む。把握した所でジェフは契約妻を社交場に連れていくつもりはないのだが、契約完了後の生活で何か支えになるかもしれないと離婚後の立ち居振る舞いを含めてビビアンは様々なことを教授してくれた。

 今の所、離婚後の契約金を手にして始めるのは不動産事業だ。土地の値段が上がりそうな一画を買ったりマンション経営をしたり…ビビアンも相談している士業の専門家を紹介してもらっている。着々と頼もしい人脈が整いつつあった。


 そんな日常の中で時々旅行を思い出してはチェストに眠る財布を眺める。


 遠乗りの翌日、ジェフが運転する車で南部で一番都会の街中まで出向き、貴族ばかりが買い物をするハイブランドの通りで突然財布を買ってもらった。びっくりするほど素敵な財布だった。

 フィグログの礼だと言って全く釣り合わない財布に加えて、アリンドに戻ってから銀行券を渡された。カーターの妻用として口座を開いたという。通帳には目が点になるくらいのゼロがあった。

「何に使う用ですか?」

 と尋ねれば

「さぁ?」

 とジェフも首を捻るだけである。だけど何も返す必要はないので好きに遣いなさいとスタスタと部屋から出て行った。


 なんとなく怖いので、通帳はチェストにしまったままだ。

 財布だけ引き出しを開けて、じっと見ては閉めた。ラムスキンを可愛いピンクに染めた財布は旅行そのものを表しているような気がしたから、見ていると色んなことを思い出せた。美味い、美味いと食べていたフィグログが頭から離れない。

 いつ終了なのかはわからないが、契約期間はそれほど長くはないだろう。テルミアもセバスもバルカスもビビアンも、お屋敷のメイド達も皆が自分に良くしてくれて、シャルロットは嫁がせてもらったのがカーター侯爵家で幸運だったと感じている。あまり良い思い出がないマルーンだったが、経緯はさておきでそこだけは感謝している。


 明日はそんなマルーンへと数か月ぶりに里帰りする日である。

 テルミアと一泊分の里帰りの用意をして、シャルロットは自室のベッドで目を閉じた。



 ****


 バルカスが運転する車は、さして時間を置かず巨大な屋敷へと到着した。

「意外に近いんですね」

 シャルロットは車の窓から見覚えのある正門を眺める。

「隣の領だからな。さぁ、降りるぞ」

「はい」

 あの結婚式からの帰り道は最悪という名の列車で谷底へ落下しているようだった。そんな感覚が永久に続いていたのを思い出す。シャルロットは自分を待っている男の所へと車を回って行く。

「もっと遠くだった気がします。公爵領から大聖堂も、大聖堂からお屋敷までの距離も」

「式の話はするな」

 苦虫を噛んだような顔のジェフに思わず笑ってしまう。

「ジェフは白目を剝いていましたね?」

「知らん」

「私が揺すると」

「んぁ~~~~~~~知らん知らん知らん知らん! 行くぞ」

 左の肘が差し出され、うふふと手を添える。

「やっぱりウマが。練り直さねば……」

 バルカスが後ろから荷物を持って呟き、馬がなんだとジェフが一瞥する。


 事前に打ち合わせをしていた通り、二人は仲睦まじい夫婦としてマルーン邸を訪れる段取りだ。それはひとえに意図のわからぬ婚姻への難癖回避と契約終了後に円満離婚を主張する為である。要は『私の娘を邪険に扱っているだって? 訴える!』とか『離婚の原因は夫の振る舞いが悪かったのは見てわかっている!』とか言わせない為である。


「わかっているな、今夜は特別仲良し夫婦だ」

「もちろんです!」

 得意げにシャルロットが二の腕に頬を寄せてニコリと微笑むと、ジェフが穏やかな顔で妻の頬を撫でる。既に車寄せからポーチの先、巨大な玄関ホールには知らぬ男がこちらを待ちわびていた。

「ようこそ、いらっしゃいました! ジェフ様。お帰りなさいませ、お嬢様」

「ただいま。お久しぶりです」

 シャルロットは優雅に挨拶を返したが、内心全く見覚えのない執事らしきおじさんに首を捻る。誰だっけ?正直マルーンの家の人間は眼鏡ザル以外殆ど記憶に無い。執事などいたような気がするくらいである。

「わたくし、長らくマルーン公爵家で執事を務めておりますカリムトと申します。どうぞよろしくお願いいたします、宰相様」

 やっぱり執事だった。

「ジェフ・カーターだ。よろしく頼む」

「ええ、ええ。旦那様がお待ちです。どうぞ応接へ」

 カリムトに誘われ、バルカスと玄関で別れた二人は寄り添いあって後に続く。シャルロットは見覚えのあるような無いような屋敷をチラチラと盗み見る。

「どうした?」

「いえ」

「懐かしいか?」

 こちらを見る夫に曖昧に首を傾げ、シャルロットは適当に返す。三か月暮らしたというのに、まるで知らない屋敷に来たような新鮮さだった。

「シャルロットお嬢様は大変に勉強熱心な方でしたから、あまりお部屋から出られませんでしたしね。まだ当家の間取りも覚えない間に嫁がれてしまわれたと思いますよ」

「そうか、君はどこにいても努力家なんだね」

「そんなことありませんわ」


 こちらが応接です、と執事がノック後に金ぴかのドアノブを回すと、眩しいシャンデリアが二人を迎えた。扉の向こうで小太りな男が人の良さそうな笑みを浮かべて立ち上がる。

「シャルロット! ああ、会いたかったよ! 私の可愛い娘!!」

「お久しぶりです、お父様」

 一ミリも感動の無い再会を果たした親子は形ばかりの声を上げる。

「おお、ジェフ! 議会以来だね。ようやく君をファミリーとして迎えられて光栄だ」

「ご無沙汰しております、マルーン公爵…いえ、父上、ですかね?」

 ははははは…

 シャルロットは夏なのに上着を持ってくれば良かったと寒々しい空気に腕をさする。なにこれ、一晩もこんな苦行が続くの。

「お久しぶりです、シャルロット様」

「お…めが……」

 シャルロットは薄っすら口を開けて名を思い出そうとするが出てこない。だけど幾重にも呪いをかけた此奴だけは確かに知っている。眼鏡は割れてはいないようだが。冷ややかで神経質な目線が見下ろしてくる様には懐かしさすら覚える。

「目が何か? お忘れですか? オズワルドですが」

「まさか! もちろん忘れません、オズワルドさん。お久しぶりです、その節はどうもお世話になりました」

「君か、ウチのバルカスと愛を誓い合ったというのは」

「お戯れを。公爵様側近のオズワルドです、今後ともよろしくお願いいたします」

 オズワルドとジェフが握手を交わし、公爵と娘夫妻は応接に腰かける。直ぐに年配のメイドが爽やかな香りが漂うティーセットを運んできた。

「どうぞ、最近凝っているアップルティーだ。シャルロットの母君を忍んで時折いただいているんだよ」

「…いただきます」

「もう少ししたら命日だね。僕も花を添えに行かなくては…ローレンスの丘に」

「はい」

 シャルロットの最初の名はアップルトンである。思い出しも出来ないであろう母の名を会話の糸口に使うのは趣味が悪い。母の眠る墓地まで把握していて少しムッとした。

「公爵はシャルロットの母君の美しさに惹かれたとか」

 ジェフが紅茶に口をつけた後で尋ねる。

「そうだよ。彼女は際立って美しかった。シャルロットも益々美しくなるだろうね」

「今でも十二分に美しいですが」

 言ってから夫は妻の手を取って引き寄せる。

「ありがとうございます、ジェフ」

「随分と仲が良いね?素晴らしいことだ」

「お陰様で。可愛い妻をいただきました」

「本当だよ。可愛い娘はあっという間に私の腕の中から消えていった」

 お前が全速力で投げたんだが、とシャルロットは喉元まで出かかるが、うふふふと笑って済ませる。


 握られたままの手がポンポン、とジェフに優しく叩かれた。


 ちょっとだけ目を伏せて紅茶を飲み、シャルロットは顔を上げる。

「カーターのお家に嫁がせていただいて、感謝しています、お父様」

「そうかね、シャルロット。それは良かった」

「はい」

 今となれば、嘘偽りのない本心だった。ジェフと繋いだ手を握りなおすと、スッキリした顔で自然と笑顔が漏れる。

「……ふぅむ…良い縁だったんだね」

 小さくブランドンが呟いていた。


 それから食事の時間まで、公爵家の庭が自慢と聞いたというジェフの嘘っぱちを発端に、特に思い入れのない自室やダンスホールを眼鏡ザルに案内され、夫婦はバラ園へ足を運ぶ。眼鏡ザルはとてもつまらなさそうに薔薇の講釈を垂れている。二人はヒソヒソと話をした。

「彼とは面識があるんだな」

「はい。当時の私の世話はほとんど彼が」

「その割には名前を?」

「……実は心の中で眼鏡ザルと呼んでいて…ちょっと名前が」

 ジェフが苦し気に眉を歪めて口元を押さえる。

「やめろ、シャルロット! それしか出てこなくなる」

「だって腹がたムフ」

 慌てて無邪気な口を押さえたジェフが怪訝な顔のオズワルドに意味不明に頷く。

「いや、あまりに素敵なバラだから欲しいとね、行儀が悪いぞと…どうぞ、続けて?」

「気に入られましたか? 土産に持たせましょう」

「良かったな、シャルロット」

「んむ」

「…本当に、ご夫婦が円満で何よりですね。実は私、僭越ながら深く心配しておりました」

 立ち止まり向き合った三人、胸を痛めた様子でオズワルドが眼鏡を持ち上げる。

「しんぱい」

 だと? 嘘つき眼鏡にシャルロットは白い眼を向けた。

「はい、さすがにシャルロット様も結婚式の朝には驚かれておりましたし」

「あれで驚かない人はいませんよ」

「君、当日はやりすぎだろう。私は一週間前だったぞ」

 目くそ鼻くそだったが、ジェフがせめてもの抗議をしてくれる。

「ですが、恐らく事前にお伝えすれば、シャルロット様は逃げてしまわれるでしょう。そうなれば気絶者同士の式典になってしまいます」

 シャルロットは想像してゾーッとする。

「もうバルカスと君が挙式すれば良かったんじゃないか」

「まさかまさか!ブランドン様もカーター侯爵様も随分と楽しみになさっていらっしゃいましたから。ですがこうしてお二人の仲睦まじいご様子を拝見して、肩の荷が下りました」

 勝手に下ろすな。ムッとするが、怒れる背中をジェフの手が撫でた。

「安心するといい。彼女は幸せになる」

「そうですよ! 私は幸せに」

 なるんだから。


 冷ややかな目線で眼鏡がシャルロットを見下ろす。

「そうですね。御父上のお二人もお孫様の誕生を心待ちにされているようですし、私もお二人を応援しています。ご懐妊の兆候があれば良いお医者もご紹介できますから直ぐにお知らせくださいませ」

「孫!? ま」

「そうだな。頑張るよ。子どもは何人いても良い。な?」

 ジェフが背に回した手を腰に回し、シャルロットを抱き寄せる。返し方がわからず、シャルロットは夫の腕の下に顔を隠した。

「おやおや…申し訳ありません、差出口を」

「いや」


 先に屋敷に戻る眼鏡ザルを眺めて、ジェフが腕の中のミルクティー色の頭を撫でた。

「んぁー。すまん。リップサービスだ」

「知ってます」

「そんな可愛い顔して怒るな」

「知りません!」

「はは。さぁ、戻ろう。もう食事だろう」



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