2. 結婚式
困ります、とか、冗談ですよね、しか言ってない二時間後、シャルロットは荘厳なるシュルツヴァーン大聖堂の大扉の前に立たされていた。もちろん純白のウェディングドレス姿である。
振り返ればこの二時間、過分に用意周到であった。まず押し込まれた車内は鍵をかけられてドアから出られず、必要以上に猛スピードの車は降りられる訳もなく。大聖堂の新婦用の控室に放り込まれると、襲い掛かってきた女性達に身ぐるみはがされ、上から下までコルセットのようなもので締め上げられた。次にテカテカにボディメイクをされてから鍵のかかった部屋に放置。しばらくして入ってきたウェディングプランナーに式次第の流れを怒涛のように説明されてパニックになりながらも『どうにかして逃げなければ』と思うのだが、いつまで経ってもコルセットの下着姿とガウンだけで服を着せてもらえない。
さらに再び化粧をお直しされて『新郎がご入場です!!』という力んだ叫びが聞こえるや否や、ウェディングドレスと装飾品を持った最初の女性達が突進してきたのだ。
「今までで一番綺麗だよ、シャルロット…うう…」
隣に立った公爵が乾いた目元を押さえている。鼻水しか出ていない。今までって所要時間三十分くらいの事務的事案の為にお前とは五回しか会ってないのだが。
(じょ…冗談じゃない)
シャルロットは焦る。結婚なんて、男なんて冗談ではない。
(男なんて大嫌いなのに!!)
衣食住の生活に釣られ、こんな事態に陥るなど…なんで信じた私!!!
誰と結婚するのかも知らないのにウェディングドレスを着ているのだ。信じられなかった。聞いても誰も教えてくれないが、絶対絶対絶対アウトな相手に決まってる。めちゃくちゃ気持ち悪い男の人の確率が百二十パーセント、口から汚物の臭いがする男の人の確率が二百パーセント、お尻からちょっと汚物が出ているかもしれないおじいちゃんの確率が五百三十パーセント、平民上がりの公爵の隠し子でも構わないド変態の確率は千パーセント…!
「ひぃぃぃいぃ」
「どうした、シャルロット。別れが淋しいんだね。お前の家は我が屋敷だ、時々呼び寄せるからその時には仲良く伴侶と共に帰ってきなさい」
そこはお前『ひとりでもいつでも帰ってこい』だろう。
心中で冷静に突っ込むが、公爵の反対側の横で延々と自分を監視している眼鏡ザルから『よかったですね』と言われ、怒りに乾いた笑いしか出てこない。
「逝ってらっしゃいませ!」
幸福に満ち溢れたトーンの台詞と共に、二人がかりで古くて重い、歴史ある大きな扉が開かれる。公爵がグイっとシャルロットの手を掴んで自分の曲げた肘上に置いた。生まれて初めて父親に触ったというのに、数分で見知らぬ男に引き渡される運命である。
パイプオルガンの和音が鳴り響く。父と娘が一歩ずつ赤い絨毯の上を踏みしめる。ひとりも知らない参列者に見守られ、顔面蒼白な新婦が真っ直ぐに神父と新郎の待つ場所へと運ばれていく。
(新郎…新郎は…)
うつむきがちなまま視線を巡らせ、シャルロットは正面に置かれた車椅子を見つけた。新郎は明らかに項垂れている。
(!!…お身体が…?)
段々と後ろ姿だけを見せる車椅子に近づき、やがて公爵が止まった。
「シャルロット…残念だけど、私はここまで。後は彼に託そう…どうか、幸せに…」
絞り出すように悲痛な声で最後にそう告げた公爵が、切な気な笑顔でそうっと肘を抜いて身体を後方へと引いていく。
ベールの中から胡乱な目つきで公爵を見送った新婦は、そこでようやく身体を前に傾けて車椅子に座る新郎を見た。男は深く俯いて顔が見えず、微動だにしない。見せる気も無さそうだった。
(そりゃそうだ。この人だって私と結婚なんてしたくないわ)
当たり前である。なんちゃって公爵令嬢。知っているのか知らないのかは判らないが……。きっと公爵の娘を娶ろうと言うのだから、この人だってそこそこの貴族だろう。
「では、これより新郎ジェフ・カーターと新婦シャルロット・マルーンの神前式を始めます」
穏やかな神父が宣言を始めると、まずは讃美歌が流れ、大聖堂の中二階に現れた合唱隊が美しい歌声を響かせた。シャルロットは真面目な顔をして歌声を聞く。新郎の名はもちろん知らぬ奴である。それより今は概算でも良いので金勘定が先だった。
三か月分の家賃と食費、家庭教師代。一体いくらになるだろう。いくら払えば親子関係を解消できる? 飲まず食わずで花屋で働いても、ゆうに三十年は返済にかかりそう。ここはいっそ、娼館にでも駆け込むか。いや、だがそう考えると客が一人のこの結婚はある意味お値段以上かもしれない。だけど気持ち悪かったらアウトぉぉぉぉ…
「…誓いますか?」
我に返ると、神父が動かぬ新郎に向け誓いの言葉を促した所だった。
「誓います」
後ろから、声が聞こえた。
え?
シャルロットは思わず振り返る。
だが穏やか仮面神父は止まることなく続行し、今度は新婦へと誓いを尋ねる。
「新婦、誓いますか?」
「………」
さすがに宣誓には抵抗があり、唇を引き結んだシャルロットの背後から、またもや声があがった。
「誓います」
「!!」
また急いで後ろを振り返る。
(今の、思い切り眼鏡ザルの声だったんですけど!?)
「では、指輪の交換を」
淡々と穏やか仮面が式を強行していく。だが隣の男はやはり俯いて差し出された指輪を見ようともしなかった。
「………」
激しい沈黙が流れ、後ろから『パスで』と声がした。
「パス!?」
シャルロットは思わず声を上げる。そんなパスあるのか!?
だんだんと腹が立ってきた。一体なんなのこの男は。グダグダと俯いて自己主張もない。嫌なら嫌だと言えばいいのに、ここまで来て顔のひとつも見せないなんて、なんて子供っぽい奴なのだ!
「あの!」
ついにシャルロットは声を上げる。
「では、誓いのキスを」
まるでロボットのように無感動極まりなく神父がそう言ったのと同時、シャルロットが新郎の肩を強く叩いた。だがやはり微動だにしない。なんと頑固な!
「ちょっと、あの!?」
「あっ」
新郎側の参列席から慌てたような声があがった。ええい、イラつく!!シャルロットが肩を押してゆする。がくん!!と新郎の首が大きく揺らいで仰け反った。
「……きゃ」
ぎゃ~~~~~~~~~~~~~~~っ
仰け反った新郎は白目を剥いてだらりと口を開け放ち、動きを止めた。
死…死んでる!?
シャルロットは仰天して大声で叫んだ。
「大丈夫です、シャルロット様。お気になさらず」
参列席最前列からすーっと駆け付けた長髪の優男が、仰け反った白目の頭をグリンとまた俯かせ、シャルロットに笑顔で話しかけた。
「お気になさらない人なんているわけない!!!」
「こう見えても生きています、大丈夫です」
そこじゃない!
「神父様、誓いのキスもパスで。大丈夫です」
「大丈夫です」
男の声にかぶせるようにまた後ろの眼鏡ザルから声が上がった。
「何にも大丈夫じゃないんだけど!?」
ではここに、新たな夫婦の誕生を祝福します!
穏やか仮面が力いっぱい宣言した。
「さぁ、では新郎新婦の退場です。皆さん拍手でお見送りください!」
「おめでとうございます、シャルロット様! さぁ、行きましょう」
意識のない新郎の車椅子を押す男がシャルロットを誘い、背後から拍手が巻き起こった。なんなのこの式は。とにかく一刻も早く逃げ出さねば。ふらふらと一歩を踏み出したシャルロットの腕を、にこにこと笑む長髪ががっちり掴む。
おめでとうございます。
おめでとうございます!
参列者達は仮面のような笑顔を貼り付けて花弁を撒き散らし、新郎新婦を送り出す。誰が鳴らしているのか、大聖堂の由緒ある大鐘がリンゴンリンゴンと腹に響く騒音を吐き散らした。
一体いつ始まって終わったのか皆目わからない神前式は、とにもかくにも無事に終わりを告げてしまう。
こうしてシャルロット・アップルトンはシャルロット・マルーンになり、ついにシャルロット・カーターになった。