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19. 新婚旅行⑤

 試飲を終えた一行がほろ酔い気分で貸し切りの昼食場所に集うと、ジェフはバルカスから呼び出される。

「なんだ」

「葡萄の収穫体験をシャルロット様とテルミアとしていたのですが、最中に従業員が頼まれたと言ってこの手紙を奥様に」

「ん?」

 既に封の割られた手紙をジェフが開く。


『親愛なる娘 シャルロットへ


 新婚旅行は楽しんでいるかい?

 随分と仲睦まじいようで何よりだ。

 孫の顔を見れるのも早いだろう。期待しているよ。

 だけどその前に、久しぶりに可愛い娘の顔を見せておくれ。

 旅行の土産話を楽しみにしている。

 是非ジェフ氏と共に食事を』


「マルーンか」

「危うい様子はありませんでしたが、今朝から気になる気配はありまして……どうもあちらの見張りがいるようですね」

 暗に監視を告げる手紙を寄越し、ジェフに対しての警告をしているに違いなかった。

「南部に来るなら工場予定地も近い。気にはなるだろうさ。だが一々下手な手を打つな? 何か後ろ暗い奴のすることだ。聞いてもいないのに吐いている」

「視察は中止しますか」

「いや、その為の遠乗りだ。行くよ」

「招待についてはどうします」

「そりゃあ、もちろん。パパからのご招待だ。シャルロットに返事を書かせろ」

「かしこまりました…あ、それとジェフ様」

「うん?」



 ****


 翌日は飲み過ぎて動けない主人を置いて皆で海に行き、ビビアンが誘うのでシャルロットは生まれて初めてメイド達に混じって海で泳いだ。砂浜で貝殻を拾い、セバスを砂に埋めて、寄ってくる男をバルカス達が追い払って楽しい夏の思い出を作る。


「いやこれ新婚旅行のはずですが!? 女学校の修学旅行みたいになってる!」

 日焼けした赤いセバスが、ディナーを終えてコーヒーを給仕しながら文句を言う。

「お前もよく日に焼けたじゃないか。楽しいバカンスで何よりだ。だけどさすがに昨日は飲み過ぎた。おえ。ビビアン相手だと耐久レースだなぁ」

「んまぁ~。私のせいにするつもりかしら、だらしのない! 私は一キロ泳ぎましたわ」

「君、バケモノみたいな体力だな。こっちは頭が痛いのなんの。眠れたようでどうだかな。しかしワイナリーは素晴らしかった! また行きたい。南部まで来たかいがあった」

 可愛い妻の水着も見ずにうっとりしている主人をテルミアが信じられない思いでねめつける。

「良かったですね、ジェフ」

「あ~、シャルロットは明日一緒にワインを開けようか。若い女性に人気の白ワインだよ」

「ありがとうございます」

「また酒の話! いい加減になさい、坊ちゃま!」

 にっこり微笑むシャルロットとジェフを見てセバスが角を立てる。全くロマンチックなイベントが発生しない夫婦に老執事も成す術がない。折角の海も本人不在では夕焼けも怒りで焼け焦げて終わりである。


「そうよねぇ、何も良くありませんわよ、シャルロット様。ジェフ様なんて大して強くもないのに飲みすぎだもの」

「新婚旅行中に二日酔いで潰れる夫なんて目も当てられません」

 バルカスもビビアンと並んでワインを飲みながら呆れている。ビビアンは相当量を飲んでも若さゆえにいつでも元気である。

「だが明日はシャルロットと遠乗りだ。どうだ、新婚ぽいだろう、なぁ? 我が妻よ」

「毎朝、少しずつ馬に乗っております。ご安心下さい!」

「ふむ、良いね」

「遠乗りはアンセルムとバルカスが同行します。奥様は何かございましたら何なりと彼らにお申し付けくださいませ。ジェフ様では気が回らないでしょうから」

「ありがとうございます! じゃあ、明日は早いので私は支度をして寝ます。泳ぐと疲れますね」

「よし、私が部屋まで送ろう」

「ジェフがですか? それは……ありがとうございます」

「さすがに今日はもう飲まないからな。そうだな、疲れているなら頭を押してやろう」

「えっ」



 青い顔をして逃げるように去っていくシャルロットを不気味な顔のジェフが早歩きで追いかけ、二人は夫婦の寝室へと帰り着く。

「頭は嫌ですっ」

「ずるいじゃないか、自分はやっておいて」

「だって恥ずかしいわ! 自分からあんな」

「あんな?」

 あんな恥ずかしい臭いがしたらと言いかけて、シャルロットはいたずらが見つかった子供のように誤魔化す笑みを顔に載せる。

「なんだその笑みは! ちょっと可愛いが」

「あっ、そうだ、おじ…ん~、ジェフ! 明日は本当に一緒にワインを開けてくださいね?」

「頼まれなくても開けるけどなんで」

「本当はちょっとサプライズにしたかったけど、ジェフはいつでも酔っぱらって寝ちゃうから言っておきます。日頃の御礼にフィグログを買ったので、一番おいしい間に食べて欲しくて。アリンドには持って帰れないそうですから」

「なんと! 好物だ。どこで?」

「あのワイナリーです。ちゃんと私が自分のお金で買いました!」

「……あ~…そういうことか。日頃の礼とは何の礼だ?」

「そりゃあ、お屋敷において頂いている御礼です。毎日住むところとお食事にビビアン先生に。フィグログなんかでは到底足りませんけれど。いつかもっとお金持ちになったらちゃんとしたお礼をします」



『…あ、それとジェフ様』

『うん?』

『差し出がましいようですが、シャルロット様に自由になるお金を?』

『何の話だ。金は契約完了後にちゃんと書面で取り決めてある』

『はぁ…良いですか? 今! 奥様は働き口がないのですから、現金を手にする機会がありません。今まであった給料はないのです。貴族の奥様は実家からの持参金もあるでしょうが、その辺りはどうなっているんです? マルーンから色々あったのではないですか? もしくは旦那様から自由になる口座も渡したりするでしょう? それをしているのですか、とお聞きしています』

『そんなものセバスがしているだろう』

『している訳ないでしょう! セバスだってジェフ様に雇われている身なのに!』

『だがミレーヌにもそんなもの用意しなかったぞ。なのに湯水のように遣っていた。あ~…どこかに妻用に受け継がれる魔法の口座があるんじゃないのか』

『あるわけないですよね。わざとらしい。あれはミレーヌ様が銀行に押しかけて侯爵家の口座から大量に自分専用口座に流し込んでいらっしゃっただけでしょう。

 ジェフ様が放置されていたから逆手に取って! 一度シャルロット様の財布をご覧になれば良い。それから財布と中身の補充を。いいですね!!』



 ジェフは昼間のバルカスとのやり取りを思い出して、ミレーヌという女は非常にやり手だったのだな、と改めて感心する。例え契約妻でもミレーヌならば同じことをしただろう。金に名前は書けない。取ったもの勝ちだ。


 だが目の前のシャルロットにはそういった考えは毛頭ない。気配もない。

 当たり前だった。別の人間なのだから。

「………はぁ」

「どうしましたか? まだ頭が痛いですか?」

「いや。明後日はどこか中心部へ出かけようか」

「? はい、かしこまりました」



 ****


 翌早朝、アンセルムの誘導で遠乗りが始まった。

 直ぐに古城から最も近い山へ分け入り、グネグネとした道なき道を進む。バルカスが頻繁にあたりを見回しながら一行は進んだ。

「もっと…穏やかな道を想定していました…はぁ」

「申し訳ございません、奥様。ワイナリーから少し事情が変わりまして」

「いえ、頑張ります」

「いや、そろそろ良いだろう。シャルロットがもたない」

「そうですね。では奥様、ジェフ様の馬へ」

「え?」

「ここから走ります」

 こともなげに全員が言い、近づいたバルカスにシャルロットが降ろされ、そのままジェフの馬に渡される。ジェフが小さな声で囁いた。

「マルーンの監視が付いてきている。手紙を貰った手前、うっかりを装っても殺せないからな。撒いて行きたい」

「ころ?」

 目を丸くするシャルロットを前に乗せ、バルカスがシャルロットの馬を木に繋ぐ。

「怖かったら私に捕まって。目を瞑っていれば、そのうち着く。よし、行こう」

「ひぇっ」

 手綱が一打ちされると、アンセルムを先頭に三頭の馬が山道を駆け始める。全然早朝に練習した意味なんてないじゃないか! シャルロットは心の中で叫びながら落ちそうになってジェフの胸に捕まる。

「落ちる! 落ちます!」

「落ちない、大丈夫だ。腕を回して良いから、捕まって」

 ぎゃーと半泣きでしがみついて目を瞑り、歯を食いしばって振動に耐えた。

 アンセルムは山際を降りることなく獣道を駆け続け、小一時間が経った頃、ようやく馬が止まる。

「着いたぞ、シャルロット。なんだ、泣いているのか」

「こ、こわかった…!」

「ははは。我慢できたじゃないか。偉かった」

 ジェフが悪かったと涙目の小さな背を撫でる。

「お疲れ様でした、奥様。大丈夫ですか? お水をどうぞ」

「飲めるか?」

 アンセルムが渡した水筒をジェフが疲れ切ったシャルロットの口元に運ぶ。

「道が悪くて申し訳ございません。ただ最短距離で来れましたし、さすがに追手もバレずに追うのは無理でしたね」

 横道で子飼いと話していたバルカスが戻る。

「大丈夫でしょう。離脱したのを確認したと。ジェフ様、そちらの裏手から、これを」

 背負っていた筒状の望遠鏡を取り出し、背中の夫に手渡す。

「奥様、少し降りますか?」


 頷いてバルカスに降ろしてもらい、力の入らない足腰で木の根に座った。

「いったい何を見に来たのですか? 視察というからもっと何か施設を見に来たのかと」

「工場予定地ですよ。シャルロット様のお父様が建設を希望されている医薬品製造工場の」

「公爵ですか」

「ええ」

 マルーンは元々病院経営が主体事業だったと思い出す。三か月の間に何度も眼鏡ザルが自慢げにホスピタリティの高さを語っていた。望遠鏡を覗き込むジェフとアンセルムの声が聞こえる。


「……地図で想定していたより見晴らしが悪いな」

「ええ。広い土地で市民に影響がないようにということでしょうけれど。あちら側から見れば工場が出来て初めてわかる程度にしか見えないような場所です」

「従業員が通いにくいだろう、こんな場所じゃ」

「通いの人間は最初から入れないつもりかもしれません」

「だが港までの導線は悪くない…あの辺の…川沿いの土地も買い上げているのかもしれないな」

「西側の土地ですね。調べましょう」

「あの川を下った辺りにあるバカでかいのは?」

「あれは物流倉庫です」

「あのマーク……ホフマンの所の倉庫か」

「ええ。南側からリンドに入るにはこの港になりますから、元々物流の要ではありました。ホフマン伯爵もそうですが、もう少し西よりの港にも商会ごとに倉庫が建てられています。反対側の向こう側は国境…隣国ゴーランドですし、そちらからの農産物など、陸路の物流もストックされています」

 ジェフは黙って望遠鏡を見つめ、やがて瞳を離した。

「案内ありがとう、アンセルム。助かったよ。後は陛下に報告は私から」

「かしこまりました」


 馬を降りたジェフが木にとまる黄色い鳥を眺めるシャルロットの横に膝をつく。

「こんな場所まで済まなかった。用事は済んだから、もう少しまともな遠乗りをして戻ろう」

「はい。ねぇジェフ、あの鳥、すごく可愛い声で鳴くんです」

「貴重種だな」

 ジェフがへぇ、と驚いた様子で鳥を見る。南部に生息する貴重な鳥らしかった。


「お父様…マーブル公爵がなにか?」

「うん。まだわからないが。立てるか?」

「はい、たぶん」

 まだ力の入りにくい太ももを押さえて立ち上がろうとすると、ジェフが身体を掬い上げ、結局馬まで運んでくれる。

「ではあちらから降りましょう。山を下れば隣国のゴーランドとの間に街があります。貴族の遠乗り先に多い、海が見える自然公園へご案内しますよ。きっと今度は奥様も喜ばれます」

「へぇ、それは楽しみだな? シャルロット」

「はい、楽しみです……たぶん」


 今度は駆け続けることもなく、会話もできるスピードで進んだ。山道を降り、街中へと入っていく。

「疲れただろう、ちょっとどこかで休憩しようか。バルカス、アンセルムに」

「ええ、ちょうど昼時ですね。言ってきます」

 バルカスとアンセルムが馬を並べ、ジェフがゆっくり距離を離し、遅れて続く。

「ジェフ、本当は腰が痛いです」

 駆けていた間は横乗りで体を捻ってジェフにしがみついていたため、相当に腰が痛かった。恥を忍んで打ち明ける。

「ああ、さっきから痛そうだな。早く休憩しよう。もっと背中をこっちに…凭れてくれて良いぞ」

「だけど重いでしょう」

「大丈夫だ、おいで」

 しばらく我慢したが、根負けして結局背中を預けた。

「すいません」

「悪いのはこちらだ。迷惑をかけた。君が一緒だと後からどうにでも言い逃れが出来るから」

「公爵にですか?」

「ああ」

「何かあると仰っていた件ですね」

「恐らくは。食事の件もそうだろう」

「あのお手紙…バルカスさんから返事を『行く』と書いて出すようにと」

 嫁いで初めての父からの手紙を思い出す。差出人の名前もなかったが、上質な封筒と便せん、封蝋は確かにマルーンからで間違いはなさそうだった。

「ああ。もう書いた?」

「はい。今朝セバスさんにお渡ししています」

「では日程の打診が来るだろう。新婚旅行の土産話を作らなくてはな」

「もう沢山ありますよ。すごく楽しい新婚旅行でした」

 ジェフが目を丸くする。

「すごく楽しかったのか」

「はい! 鉄道もお城も、お庭もワイナリーも、海もこの遠乗りも。旅行なんて初めてで。すごく楽しい思い出になりました! 新婚旅行に連れてきていただいて本当にありがとうございます」

「そうか」

 ジェフは気が付いた。

 俺との思い出は全て頭の臭いになっているのでは……


 見下ろした契約妻は長い睫毛の下で楽しかった思い出を色々と話している。試しにコッソリとミルクティー色の頭に鼻を近づけてみた。


 スンスン


「ちょっと!? 今、嗅ぎましたね!?」

 バッとシャルロットが頭を押さえて振り返る。ジェフは知らん顔でそっぽを向いた。

「嗅いでない」

「うっそぉ!だめだめ、頭髪ハラスメントですよ、降ります!」

「こらこら、危ないからやめなさい」

「おじさまのばか」

「ば」

「あ、おじさまって言っちゃった。聞こえてないですよね? ごめんなさい、ジェフ」

 またもや可愛い顔で謝って前を向く。

 ジェフは眉間に皺を寄せた。

 世の中は不公平だ。

 ミルクティー色の頭は、信じられない位に甘い匂いがした。

 


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