16. 新婚旅行②
生まれて初めての旅行だと言うのに、荷造りを自分でしないのは尻のすわりが悪くて仕方がなかったが、テルミアが全てを采配してくれるのでやることもない。シャルロットは文机の椅子に腰かけて皆が手際よくお出かけ着をトランクに詰めていく様子を見守る。
「そんなに持っていくのですか? 旅先でもこのお屋敷にいるのと同じですね」
「さようでございますよ。奥様にご不便がないように準備するのが私共の仕事でございますから」
「はぁ。あり」
また御礼を言いそうになって、慌ててパクっと言葉を食べた。
テルミアと目が合って、ふふふ、と笑う。
「まみまもーむまいまむ」
「口を閉じても御礼は結構です」
「…むむ」
「行きは駅まで車ですが、列車を一両貸し切って行くそうですよ。随分と良い列車だとか。もちろん私もご一緒させていただきます、楽しみですね」
「ええっ! 一両を貸し切りですか! すごいですね。長距離の鉄道も初めてなのに! わぁ……ワクワクします」
「列車がトンネルに入る時は必ず窓を閉めてくださいませ。お顔が真っ黒になります」
「真っ黒ですか?」
「ええ。煤が窓から入ってきてしまいますからね」
「大変ですね?」
「奥様は黙って旦那様のお側にいらっしゃれば問題はありません」
専属侍女の言葉に奥様の眉が急にハの字になる。
「おじさまのですか? 席が決まっているのですか?」
「いえ……決まっているわけではありませんが」
「ではビビアン先生の横に座ります! たくさん授業をしてもらわなくっちゃ」
「………奥様、その件はどうぞ持ち帰らせてくださいませ」
「おじさまは長旅ならきっとお酒を飲まれるでしょうから。バルカスさんがお付き合いされる方がきっと楽しいですよ?」
「しかしその、人目というものがございますし」
「貸し切りなのでしょう?」
「………」
ウィリアムから結婚祝いに滞在を贈られた別荘は小さな城であった。
「しかし古いな」
ジェフが見上げて呟く。
「素敵過ぎるぅ!!」
「こんな所に一週間も泊まれるなんて! 籤に勝って良かった~!」
「すっごいわ! なにこの景色!!」
「きゃー! 最高じゃないこれ!」
連れてきたメイド達も黄色い声を上げて喜ぶ素晴らしい古城は、普段から入れはしないものの観光スポットにもなっていて、趣ある歴史的な建造物である。
「こちらはアリンドより随分と暖かいというか…もう暑いくらいですね」
「そうだな。長袖も上着も必要ないくらいだ」
城の入り口で玄関ホールを見渡しているジェフとシャルロットを置いて、皆が荷物を片付けに散っていく。
采配を終えた大柄な男が近づいてくる。
「宰相様、陛下より皆さまのご案内を仰せ使っております、管理人のアンセルムです。一週間視察の件も含めてお世話させていただきます。どうぞ、ごゆるりとお過ごし下さい」
「ああ、君がアンセルムか。ジェフ・カーターだ。よろしく」
壮年の男、アンセルムに手を差し出したジェフがごく自然にシャルロットの腰を抱く。
「妻のシャルロットだ」
優しい顔で促され、シャルロットもビビアンから教わった通りにアンセルムに挨拶をする。
「シャルロット・カーターにございます。素晴らしいお城で素敵な旅行になりそうです! ご面倒をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いいたします、奥様。アンセルムでございます。いや、可愛らしい御方だ。羨ましいですね、カーター様」
「そうでしょう」
「さぁ、どうぞお茶の用意をしております。こちらへ」
「おじさま」
自分を離さず進む夫を見上げて、シャルロットは小さな声で呼ぶ。
「シャルロット、もうソレはダメだ。ジェフと」
「ジェフ様?」
「ジェフでいい」
「かしこまりました」
ジェフ、ジェフ、と小さく何度もシャルロットが囁く。
ジェフは背中がこそばゆい。
「練習しなくていい。発音が難しい名前じゃあるまいし」
「だって慣れないから…ジェフ?」
「………」
見上げて呼びかけてみたが、夫は難し気な顔をして妻を見ようともしない。
「返事をしてくださらないと。練習してるのに!」
「んぁ」
「あ、ねぇ、お~……ジェフ。さっきのご挨拶は大丈夫でしたか?」
「あー、満点だよ」
「本当ですか!良かった」
にこにこと嬉しそうなシャルロットと共に、ジェフは促された品の良いウェルカムホールのソファに腰を下ろす。直ぐに古城のメイドがお茶を用意しにやってくる。
「このお城にもメイドがたくさんいらっしゃるんですね?」
「ああ、そりゃあそうだ、王族の城なんだから。私達は今回客人だしな。何でもやってくれる」
「ではどうしてカーターのお屋敷からあんなに沢山のメイドを?」
「そりゃ皆も泊まってみたいだろ。王族の城に泊まれるなんて一生であるかないかだ」
「あ……そういうことですか」
シャルロットは少し驚いた後で、にっこりとジェフを見る。
「なんだ」
「いいえ、何でも」
側にアンセルムが立ち、二人は揃って顔を上げる。
「良いですね! 新婚旅行! ご歓談中申し訳ございません。宰相様、視察の要綱をまとめたものです。こちらから出す警備は少なめにと伺っておりますので、二名ほど。場所は地図をご覧ください。少し距離はありますから、馬をご用意します。奥様と遠乗り、という体で?」
「ああ、合っている。こちらからは側近のバルカスも行く」
「かしこまりました。奥様、乗馬はどの程度?」
アンセルムに尋ねられ、シャルロットは一度こちらを見るジェフを見てから答える。
「習っていますので、多少は。速く駆けたりはしたことがありませんが…」
「それであれば大丈夫でしょう。では奥様の馬もご用意しておりますので」
「ありがとう。視察は四日目だな」
「はい。それまではセバス様よりスケジュールを頂いておりますので、手配は出来ております」
何気なくお茶を飲んでいたジェフが小さく噎せる。
「スケジュール?」
優雅にアンセルムは頷いて、シャルロットに微笑みかけた。
「奥様は南部が初めてでいらっしゃいますか?」
「はい」
「セバス様は、それはそれは素晴らしいスケジュールを立てていらっしゃいますので、余すことなくお楽しみ頂けると存じます」
「それは楽しみです! 楽しみですね、お…ジェフ」
おじさまと言いかけてスーッと真顔になるシャルロットに思わず笑いそうになり、脱力してジェフは頷いた。セバス一味はどうやらまた性懲りもなくしょうもないことを画策しているのだろう。新婚旅行はついでと言ったのに、全く話を聞いていない。
「そうだね、シャルロット」
「私は一階の管理人室に常駐しておりますので、何かあればお呼びください。片付けが終わられましたら皆様の分もウェルカムドリンクをご用意できておりますので、あちらのテーブルにお出しいたします」
「大勢の家人たちを連れてきて済まない。世話をかけるね」
「滅相もございません」
アンセルムは一礼をして去り、メイド達が冷たいドリンクの用意を始める。
「アンセルムさんにも契約結婚だとは内緒なのですか」
「べらべらと話すようなものじゃない。セバスが気を利かせて、テルミアなんかの一部の人間しか私と君の世話は任せていないようだから、実際のところを知っている者などこの旅行に来ている程度の一握りの人間だ。まさか公爵のところまで白い結婚だとバレるわけにはいかないからな」
「そうなのですね。じゃあ頑張って奥様します!」
「別に頑張らなくてもいい。適当に腰でも抱いていたら妻に見える。おじさまはダメだが」
「かしこまりました、では適当に頑張ります」
「そうしてくれ」