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12. 仮面舞踏会の夜②

 偶然が二つ重なると、大抵のことは偶然ではない。

 長年の経験から導き出した原則を冷静に思いながら、ジェフはバスルームから出て来た妻なる女性を見遣る。経緯は知らないが家人たちはどうやら気に入っているらしい。優秀な側近も。あいつは可愛い部下だが、時々あからさまに嵌めてくるのが難点だ。最早それすらも策である。だけどもっと巧妙に嵌めてくれ。きっと朝まで誰も来ないのだろうが、どんな顔して部屋を出ればいいのやら。


 巨大なベッドと、対面のソファ席。

 促さなければ契約妻は一体どちらに座るだろうかとふと興味が湧いた。

 酒を飲みながら黙っていると、所在なげに部屋を見渡してから出窓の方へと歩き、ライトアップされた園庭をしばらくじぃっと見ていた。それからこちらを振り返る。ソファかと思った矢先、軽々とした身のこなしでシャルロットは出窓に後ろ向きに座る。


「……ふ」


 可笑しそうにするジェフに、シャルロットは自分の振舞いが良くなかったのだと気が付いた。

「あ…」

 慌てて降りようとする前に、笑顔のままでジェフは首を振る。

「いい、いい。私と君しかいない」

「すいません。なかなかご婦人らしくなれなくて」

「そんなことはない。来た頃より『らしく』なってる」

 たぶん。

「だと良いのですけど」

 適当な賛辞に適当な返事を返して会話は終わり、部屋から声がなくなった。

 夜会の鳴りやまぬ音楽が小さなボリュームで空気を満たす。


 出窓の床板で身体を捻ってまた外を眺めるシャルロットが、先に口を開いた。

「おじさま」

「………」

「バルカスさんから、おじさまがカティネの家に手紙を書いて下さったと聞きました。御面倒をおかけして申し訳ありませんでした」

「ああ…うん」

 先日、公爵家と連名で訴状を作成し、兄弟を拉致監禁で捕えると、その供述から芋づる式に両親を虐待と横領で訴えることになった。本来、被養育者の学費は一括で引取り手に養護施設を通して国から支払われ、学校側にそのままプールされる。だが、カティネ子爵はそれをポケットに収め、実際に支払っていたのは奨学金を申請していたシャルロット本人であった。

 既に公爵が引き取った際に全ての奨学金が返済されていたが、今回明るみに出た学費に関しては横領以外の何物でもない。ケチな子爵はケチな罪状で多くを失う。

 刑務所に入る訳では無いので、前科が付いて新聞に載り、信用と財産が減るだけだった。しかし遺恨は残るかもしれない。恨めば破滅と最後に一筆ジェフから子爵にしたためた手紙の話である。


「君が支払った返済分が戻って来ないか問い合わせさせている。まだ返答がないが」

「返ってきませんよ、そんなの」

「なぜ?」

 言ってしまってからシャルロットが『しまった』という顔をした。相手は役所側の人間だったのに、要らぬ返事をしてしまった。

「え~っと……国は、取っていくのは上手ですが、返すのは下手だから……です?」

 予想に反して急にマイルドになった返答にジェフが吹きだす。

「気を遣わせたか」

「ごめんなさい」

 出窓の前で、謝りながらシャルロットも肩を揺らした。

「別に言えば良いさ。搾り取るだけ搾り取って、散々手間をかけないと金は返さない。国なんてそんなもんだな」

「宰相様がそれを言うのですか?」

「搾取が私の役割だからなぁ。上手に搾取して、上手に遣う。結局はそれが政治だ」

「おじさまは上手?」

「さぁどうだろう。上手でありたいとは思う」

「きっと、上手ですね」

 褒められたジェフは目を丸くする。

「わからないぞ、そんなこと」

「でも、セバスさんもテルミアさんも屋敷の方は皆、楽しそうです。カティネでも公爵様のお屋敷でも、そんな風ではありませんでした。もっとこう……小さかった。あんな風に皆、自分の意見なんて言いません。だから屋敷が国になっても、結局国民を楽しくしてくださるんじゃないですか」

「屋敷と国じゃあ、規模が違い過ぎるだろう」

「それはそうですけど」

「大体、うちの奴らは意見を言い過ぎている」

 それと俺に好き勝手もなぁ…心の中でぼやいてジェフは酒を置く。

「君も何か飲む?あいにく酒はこんなのしかないが」

「さっき少しワインを飲んだので、もうお水でいいです」

 立ち上がったジェフが部屋の隅にあるテーブルにセットされたレモン水、銀ポットとティーポッド、茶葉や菓子を持ってくる。

「ポットの湯はまだ温かい。紅茶は?」

「それならいただきます」

 窓辺からストンと降りたシャルロットが近づく。勧められた対面のソファ席に腰かけて自分でしますと湯のポットを貰い、茶葉と湯を注いで紅茶を作る。ジェフはまた座って、椅子の肘置きに頬杖をついてその手慣れた様子を観察した。

「子爵家では食事もなかったとか」

「最初の一年は使用人の皆さんと食べていましたよ。その後は自分の部屋で食べていました」

「食費はどうしてたんだ」

「働くまでは子爵家の使用人の方達がこっそり分けてくださって。アルバイトを始めてからは、なるべく自分でやりくりをしていました」

「学費も払っていたのでは足りなかっただろう?」

「ロジアンの…アルバイト先の奥さんが本当に頻繁に食べさせてくださったり、お弁当を持たせてくださったのです。それでも苦しい時は無心で過ごす技を覚えました」

「無心!」

「はい。太陽の光と水があれば、案外生きていけます」

 光合成? ジェフは頭を掻く。

「んあ~……お菓子、食べる?」

「食べます!」

 硬いシナモンクッキーを受け取ると、シャルロットは嬉しそうに袋を剥いて口に入れた。

「お菓子が好きかい?」

「はい、お菓子は大事です!」

 微妙に返事がズレているが、少しずつ少しずつ食べる様子を見ていると、言葉通りではあった。

 喜んで大切そうに菓子を食べる小娘と、状況が面倒くさくてブランデーを飲むしかない自分には全く接点が見当たらない。他に何を話せばいいのかもわからないし、これ以上の間も持ちそうにない。バルカスよ、いったいこの先に何を見出せと?


「大丈夫ですよ」

「ん?」

「私は居ないものと思っていただいて。きっと、お仕事とか何か考え事をされていたのでしょう? 邪魔にならないようにしておきます。私はそういう感じで大丈夫ですので」

「む」

 ごっくんと飲み込んだブランデーが喉を落ちていく。

 シャルロットは紅茶を飲み終えるとまた窓辺に戻り、窓の外を眺めた。


 部屋にはホールの音楽と、時折廊下を通る人の声がする。

 カラカラとグラスの氷をつついては回し、ジェフは有難く降ってわいた思考時間に沈む。

 飽きるほど見た要望書を頭の中に並べ、時折既に通した予算の草案書を空中に浮かべて見比べ各省のあるべき本音を推し量る。『変な所はない』頭の中で揶揄う様なウィリアムの声がする。無いならそれで良いのだが。不穏点を見つけ出すことは同時に安心を求める行為でもある。


 随分と深い思考に潜っていたジェフがふと瞼をあげる。部屋にはいつの間にか、小さな鼻歌が聞こえていた。音楽に乗るささやかな、か細い調べ。窓辺から紡がれる声に、急に力が抜けたように思考が緩んだ。

 少し頭が痛む。

 ジェフはいつでも、ちょっと疲れていた。

「シャルロット」

 呼びかけると、ピタリと声が止んでしまう。

「すいません、つい」

「いや」

 氷の溶けたグラスを置いて立ち上がり、ジェフはタイを緩め、ジャケットを脱いでシャルロットに近づいていく。シャルロットは窓越しにそんな彼の姿を見て顔が険しくなる。

「頼みがあるんだが」

「なんですか?」

 か細い体で縮こまり、両肘を抱く。

「俺が寝るまで、さっきのヤツを繰り返してくれないか」

「…………さっきの?」

「そう、ふふんふ~ん、てヤツ」

「歌のこと?」

「そう、歌を。その上手くも下手くそでもない程度で、同じテンポで、同じボリュームで」

 頼むよ、と言いながら中年男子は歩きながらガチャガチャとベルトを外してズボンを脱ぎシャツを脱ぎ、あっという間に下着姿で大きなベッドの中に入っていく。

「さぁ」

 掛布の中からにょきっと伸びた腕が指を鳴らして合図する。

 なんなのこのおじさん…。シャルロットは正体不明のベッドの上の物体を見遣る。


「はぁ………じゃあ」

 促されるまま音楽に耳を澄まし、やる気なく続きを歌い始めた。


 それは母がよく口ずさんでいた有名な恋の曲。昔を思い出すのよ、と優しい顔をしながらお酒を飲んでいた姿。すっかり覚えてしまったメロディをなぞる。

 ベッドの中は特に動く気配はない。歌い手はまた窓の外を見た。見下ろす庭では痴話げんかして仲直りする男女や仮面を付けたまま手をつなぐ男女、仮面をとって談笑している男達。それを遠目からみている仮面の娘達。色んな物語が繰り広げられていた。

 シャルロットは夫(仮)に恋の曲を歌う。


 男は大した時間をおかずに小さくいびきをかいて巨大なベッドで寝始めた。

「………」

 音もなく床に立ち、シャルロットは大口を開けて眠るジェフをのぞき込む。

 少し癖のある跳ね気味の髪、眠っているのに刻まれたままの眉間と目尻の皺、案外長い睫毛に、張りのない肌。枯れた唇が小さく開いてて間抜けに見えた。だけど…

「気持ちよさそぉ」

 妙に幸せそうな顔で眠っている。警戒していたのが馬鹿らしくなるような、力の抜ける呆けた素顔。それはセバスがこよなく愛する『坊ちゃまの天使の寝顔』なのだが、シャルロットが知る由もない。


(この人、本当に安全なんだわ)


 寝顔を見ながら、本当にどんどん自分の肩の力が抜けていくのがわかった。

 ぼーっといびきを聞いていたら、ミルクティー色の頭もゆらゆらと揺れ始める。

 シャルロットは一つ枕を拝借し、窓辺に戻って丸くなる。

(おやすみなさい、おじさま)


 がーがー、すやすや。夫婦が共に過ごした初めての夜が明けていく。


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