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1. 隠し子

 シャルロット・アップルトンはその辺にいる街娘である。勤務先は首都アリンドの中心地に近い花屋で、店の主人が花市場で仕入れてきた切り花を昼には美しいご婦人、夜には路面電車から降りて来た仕事帰りのスーツの男達に売りつけ、店が閑散とするまで売りまくる。そんな程度には真面目な働き者の庶民であった。

「じゃあ、上がります」

「はいな、今週もありがとう、ロティ。じゃあまた火曜にね!」

 日曜夜、ひとつに纏めたミルクティー色の髪を揺らして奥さんに元気よく挨拶し、退勤する。

「お疲れさまです、また来週!」


 夕方の霧雨で湿った道に電燈が反射する。あちらこちらの角を曲がりながら漕ぐ、ギコギコ音のなる錆びた自転車。走る石畳はでこぼこだ。

(今日のご飯は何にしようかなぁ。昨日のスープがまだ残っているし、チキンでも買って…ミートボールも捨てがたい)

 手元の腕時計は七時十五分。スーパーマーケットは六時から傷みだした魚、野菜、肉、加工肉の順で安くなっていく。シャルロットの部屋にはコンロが一つ。残念ながら洗い場がないので、日持ちしないメインは大抵安くなった総菜を買うと決めている。

(あ、前の甘辛チキン売っているかな?)

 鼻歌を歌いながらペダルを漕いでいた時、突然前方に両手を広げた男が現れた。慌ててブレーキのグリップを握る。

「っ!!!!!!!!!」

 急ブレーキの反動で体がつんのめった。何とか男にぶつからずに済んで顔をあげたが、

「ちょっと! 何考えて」

 上げた可愛らしい大声は途中で途切れる。

 ツンとした刺激臭がして、目の前が真っ暗になった。


 シャルロットはその日、生まれて初めてさらわれた。



 ****


「起きたかな」


 男の声が聞こえた。ぼやける視界に瞬きを繰り返し、働かない頭で記憶を辿る。

 花屋…ごはん…自転車…

 首を傾けると見覚えのない部屋に壮年の男、身体の下にはふかふかの感触。

「う…」

「ああ、急に起き上がらないほうがいい。ゆっくり…そうゆっくり」

 寝かされていたソファでずるずると身体を起こすと、シャルロットの重たい思考が浮上してくる。ここはどこ? 私はシャルロット・アップルトン。しがない花屋の売り子です。


 だけど今いる場所はしがない売り子風情がいるべき場所とは程遠く、どうやら貴族の住まいのようだった。もはや部屋と言うのも憚られる程の度肝を抜く広い空間に、重厚な造りの家具、暖炉、絵画、店の花を全部集めても足りない巨大な花瓶に活けられた花々。複雑な模様が織り上げられた絨毯は床一面に敷きつめられて一ミリの隙もない豪華さである。

 困惑しながら周囲と状況を確認するシャルロットに、対面の男が微笑みかける。年の頃は五十代くらいだろうか。小柄だが恰幅良く、つやつやとした赤ら顔、丸っこい瞳に整えられた口髭、柔和な印象をもたらす人であった。

「初めまして、シャルロット」

「………どなたですか」

「そう警戒しないでほしい」

 この状況で?

 警戒しない人がいるならお目にかかりたいものである。

「ああ、シャルロット! 私は一刻も早く君に会いたかった」

 いやだから誰なんだ。威嚇音を出しそうなシャルロットにかまわず、男は嬉しそうに見つめてくる。

「私の名はブランドン・マルーン。ここはアリンドの隣にある私の領地で、マルーンの屋敷です」

「マルーンさん?」

 聞いたことがあるような。だけど知り合い伝いにもそのような名があったのか、思い出そうとするが上手くいかない。顔にも見覚えがないし、つまり知らないおじさんである。

「マルーンは歴史の長い公爵家でね。遡れば、かれこれ七世紀ほどはっきりとルーツをたどることができる。その昔は王家に跡継ぎが生まれなかった時代など、請われて国王になった者もいたものだ」

「えっ」

 公爵!? ギョッとして目を剝く。どうりで聞いたことがある名前だ。新聞やらラジオやらで流れる名前なのだから。

「あの、それでどうして私のこと」

「ソフィアは今まで出会った中で最も美しい女性だった」

 シャルロットは突然語られ出した亡き母の名に驚く。

「若い頃、彼女に夢中になってね」

「母をご存知なんですか!?」

「彼女はこの屋敷で働いていたのだよ。美しい屋敷に似合う、美しいメイドだった。私は直ぐに虜になってしまってね」

「はぁ」

「だけど妻が、それは激しく嫉妬してしまって」

「つ、妻?」

 そりゃ怒るだろう。

「私のあずかり知らない内に手切れ金を渡して、ソフィアを追い出してしまい……彼女には気の毒なことをした」

「きのどく」

 シャルロットが覚えている限りの母は、美しい屋敷に似合う美しいメイドでは全くなかった。毎日毎日せっせとホテルの清掃をして働いて、それでも生活は厳しくて。よく小さなシャルロットと家でも内職をしていた。忙しくてもいつでも朗らかで優しかった母。結局、十四歳の頃に強烈な流行り病で早世してしまったのだけれど。

「ソフィアからだと偽の手紙を渡されて、書かれていた通り彼女には他に恋人がいたのだと思い込んでしまった。お腹の中に既にシャルロットがいたことも知らず」

「へ」

「一昨年、そのことが発覚したんだ。君は一度里子に出されたことになっていて、役所からは他人に引き取り先は教えられないと断られた。探し出すのに時間がかかった」

「………」

「どうか許してほしい」

 シャルロットは目が点になる。

 誰が何をゆるすって?

「何の話ですか?」

「まだわからないのかい? ちょっとアレ…まぁいい、うぉっほん、つまりシャルロット、君は、私の、娘、なのです!」

「む?」

 そこから時を止めたシャルロットに気付いているのかいないのか、マルーン公爵が両腕を広げる。

「今日まで放置していて済まなかった、シャルロット!! 今から私をお父様と呼んでおくれ!」

「お」


 ええええ~~~~っと…


 頭の中に何も入ってこない。シャルロットは宇宙空間に放り出されたような気持ちになる。

 だが今、目の前でお父様が爆誕した。

「ほら、呼んでごらん、シャルロット」

「や…あのちょっと、状況についていけません」

「なんと! そうか…私は…息子ひとりで、本当に娘が欲しかった。シャ…シャルロットのような…うう…ぐす…可愛い娘が…」

 公爵は潤みもしていない目頭を押さえてシャルロットに微笑む。鼻水は垂れていた。

「今日からここで、一緒に暮らそう?」

「えっ!!」

 シャルロットは今日一番の大声を出して立ち上がる。前のめりで公爵との距離を詰める。

「それ、本当ですか!?」

「えっ…ええ、もちろん本気ですよ。部屋を用意しています。必要なものも全て」

「きゃーーーーーーっ!!!!!」

 拍手をして小躍りする。

「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、公爵!!」

「いや、公爵ではなく父と」

「後で家賃とか請求されませんよね!?」

「家賃? ええ、もちろん」

 ごくり。

「その…住まいだけじゃなくて…食事付き…? ですか…?」

「ええ、何も心配せず。衣食住、すべての面倒を見るよ」

 再びシャルロットは心中で叫ぶ。

 やった、やった、やったやった!!! もうあの家に帰らないで済む!!!!!

「救世主です、公爵様!」

「喜んでもらえた…ようで? 何より。では案内させるから、部屋へどうぞ。食事はまだだね?」

 そう言えばそうだった。お腹を押さえて頷くと、部屋に食事を運ばせると言う。お嬢様みたい!! メイドが呼ばれ、シャルロットはふかふかの大きなベッドがどどん、と置かれた広い部屋へと案内された。夢のような部屋に夢のような豪華な食事、ライオンの口から湯が吹き出る風呂のもてなしを受けた後、さらにお姫様が纏う類のネグリジェを着て夢のような一晩を終えた。いやもう全部夢かもしれないと思いながら眠りにつく。



 しかし、翌朝起きても夢は続いていた。

 午前に色んな書類にサインをして、正式に公爵の娘になった。

 自分が書いた書類がどこにどのように提出されるのかわからなかったが、夜に花屋のことを思い出した時には『お嬢様は既に花屋を退職されています』と公爵の側近だという痩せた眼鏡のオズワルドから伝えられる。退職届も書いていたらしい。書いた覚えはないのだが。


 それから怒涛の毎日が始まった。


 公爵家の娘にふさわしい人になって欲しい。公爵たっての願いで、シャルロットは内面も外見も共に最高の先生が付けられた。マナーに社交ダンス、ウォーキングに話し方、エステに刺繍、一般教養に家政学、貴族名鑑丸覚え。与えられた部屋には入れ替わり立ち替わり講師がやってきて、ランチを取るのもひと苦労な有様である。朝起きてから寝るまで。もう『みっちり』なんて言葉では表現が追い付かない。

「あの、これってそんなに急いでしなくてはいけないことなのでしょうか!?」

 ひと月の間に何度もオズワルドに確認したが、

「急いでも何も、既に手遅れなくらいにお年を召していらっしゃいますから」

 と、にべもない。

 そう言われると、どうしようもなく手遅れではある。だってもう二十二歳。身寄りをなくしてから中等部を卒業するまで養護施設で過ごし、その後母の遠縁だと役所が探し当てた子爵家に無理矢理預けられてギリギリ高等部までは出た。アルバイトが忙しく、寝ている授業も多かったのだが。

 そこから花屋で雇ってもらい、丸三年が経ったところだ。マナーも刺繍も教養がなくても大きな問題はなかった。

「大変ありがたい境遇で、もったいないくらいなのは山々なのですが……今まで、出来なくても生きて来れたのですし、こんなに突然、急激に詰め込む必要だって特にないのではないかと思うのですが」

 控えめに反論してみるが、オズワルドには鼻で笑われて終わった。そこからシャルロットは心の中でオズワルドを眼鏡ザルと呼んでいる。あいつは嫌な奴だ。月に一度、必ず眼鏡が割れますように。


 ひと月が経った後で思ったより筋が良いと褒められ、朝食からマナーの講師が入ることになった。朝食も昼食も夕食もマナーの講師とおしゃべり禁止、失敗すればきついお灸をすえられる。誉められない方がマシだった。

 公爵家に引き取られてから一度たりとも『家族』と食事を共にしていない。眼鏡ザルからは『奥様は既にいらっしゃいません』と説明された。可哀そうに、公爵は妻に先立たれた人なのだった。息子もいると聞いたが、去年から国外にいるらしい。しばらくお戻りにはなりません、とのこと。

 広大な屋敷でシャルロットは延々と三か月に渡って教育を詰め込まれた。粗末な食事が多かった肌つやはいきいきとして血色もよくなり、ダンスとウォーキング指導の成果もあって姿勢もよくなった。


 毎日大変だったが、それまでゼロだった自分磨きの成果を毎朝コッソリと確認するのは楽しかった。

 その朝も可愛いワンピースを着せてもらい、丁寧にメイクされて髪を結ってもらった。ひとり巨大なクローゼットの姿見に向かってウィンクしていると後ろに眼鏡ザルが立っている。

「ぎゃっ」

「……おはようございます」

「ノックくらいしてください!!」

「三度しましたが、お嬢様は夢中で鏡に向かっていらっしゃったのか全くへん」

「あーーーもーーーーわかったわかりましたおはようございます」

 眼鏡ザルが冷ややかな目で銀縁の眼鏡を押し上げて言った。

「今日は外出の予定です」

「えっ」

 屋敷に来て、初めての外出である。外に出たいと言っても「次の授業がある」と一日たりとも許可してもらえなかったのだ。シャルロットは驚いて、嬉しくなる。

「初めての外出です! どこへ行くのですか?」

「シュルツヴァーン大聖堂です」

「アリンドですね。どなたかの宗教的なお祝いが?」

「はい、今日はお嬢様の結婚式です」

「結婚式ですか。どこのお嬢様の? 私も出席するほうがいいんですね?」

「ええ、もちろんでございます。シャルロット様の結婚式ですから」

「……………え?」

「さぁ、身支度は必要ありません。あとは着替えるだけです」


 おいおい、誰の結婚式だと?


 理解が追い付かないシャルロットお嬢様を、眼鏡ザルが引きずって移動させ始める。



 シャルロットはその日、生まれて初めて新婦になった。


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