序説
「世の中で一番コワいのは人間だ」というの聞いたことがある。まだ16年しか人生を歩んでいないけど、僕もその通りだと思う。
人通りが朝にしては多くない通学路を、その少年は何故か怯えるように進んでいた。同じ高校の制服を着た、同級生らしき人物と何人かすれ違ったが、挨拶どころか目もくれず足早に歩いていく。
「おい、見ろよ。矢薙の奴、ま~た一人競歩やってるぜ」
くくっとかみ殺すような笑いと自分に対する嘲りのセリフが聞こえてきた。だが、少年 矢薙 雪久にとって、大事の前の小事、何事も無く学校に辿り着くことの方が重要だった。
(・・朝っぱらから誰がっルール知ってんのか!)心の中で文句言いつつ、僕は姉の目覚まし声に気付かなかったことを後悔していた。
「私も忙しいんだし、1回で起きなかったらほっとくからね」
当初から、そう宣言していた姉の方針は徹底していた。一家の総料理長でもある姉に、苦情を言うなど出来やしない。元々はアラームをセットし忘れたのがいけなかったけれど・・・。いつもなら、奴らに会わないようもっと早めに家を出ていたのに。
はぁ、愚痴を言っても仕方ない。もっと面倒になる前に急がなければ。
「あの、」
残った学校までの距離を走ろうとしたとき、声を掛けられた。・・いや別の人にだろう。
「あのう、すみません!」
無視を決めようかと思ったけど、その声は確実に僕の耳に届く。…僕に声を掛けているのだ。
ここで無視して去ろうものなら、今朝は同級生がちらほらいるのだ。後で何を言われるか知れたものじゃない。
「・・・」
足を止め、呼び掛けてきた人物に向かって、ゆっくり振り返る。
そこにいたのは、気の良さそうな中年男性だった。釣りに行った帰りだったのか、釣り竿と保冷バッグを持っていた。・・・ここまでは、いい。
ここからが問題だ。
男性の服は、綺麗な青いワイシャツだったんだろう。泥まみれでそこかしこ破れているけど、ところどころから元の色が見えるからだ。ズボンも、上半身と同じく泥で汚れ、おまけに右足には釣り糸が巻きついている。地肌に釣り針が刺さり、血が出ている。
(まただよ・・・)僕は小さくため息を吐いた。
「? どうかしました」
男性はそんな僕を見、不思議そうにしている。…ああ、額からも血が出てますよ。
・・・様子を見る限り、出血はあるけど意識は正常。自力歩行は、何とか可能か。
「ちょt「これを!」
何か口にしかけた男性の言葉を遮り、空いている手にメモ用紙を渡した。
書いてあるのは、ここから一番近い病院の名前と住所と電話番号だ。
「・・・は?」そのメモを見、男性は今度は心底不思議そうな顔をした。疑問符がマンガみたいに、頭の上に浮かび上がってるみたいだ。
「そこ、近いんですけど連れて行きましょうか?」
一応、本人の意向は確認しなきゃな。
「あ、いや、結構だが・・」
困惑しているようだけど、この人は意識がしっかりしている。僕が居なくても大丈夫、というか大丈夫であってくれ!
「あの」
「あ、ああ、そうだね。学生さん呼び止めてすまなかった、私なら平気だ・・・どうも、ありがとう」
男性は、ニッカリと笑顔で送ってくれた。その顔に流れる血を見て、やっぱり病院に連れて行こうか迷ったけど・・・僕はその場を離れた。
「・・・名前を聞いてなかったな」
少年が通学路を去って行くのを見つめながら、後に残った男性は呟いた。そして、改めて自分を見、通学路を歩いて行く人々を見た。ー誰も自分の傷だらけの姿を、通学路という平和極まりない場所であれば、気付くであろう男性の異様な姿を見る者はいなかったー
まるで、初めから見えないようだ。
男性が最初に声を掛けたのは、あの少年の後ろを歩いていた、会社員の男性だった。しかし、声を掛けた会社員は通り過ぎ、実際に男性に気付いたのは、少年だった。
少年が残したメモ用紙を見つめ、男性は通学路で立ち尽くしている。
そういえば、自分はどうしてここに居たんだろうか。いつから?どうやって?道行く人々に何を尋ねようとしたんだろう。
「・・・・・・そうか」
男性は、ふっと寂しそうな笑顔を浮かべた。彼の横を、女子高生達がカラカラした笑い声を上げながら通って行く。
「私は・・・・・・・」
彼女らが過ぎ去ったとき、男性の姿はもう無かった。
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