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こちらを伏し目がちに見て柔らかく笑う彼女が大好きだった。
2023年春。
俺はいわゆるK-POPアイドルに憧れて、練習生として芸能事務所に所属していた。
所属と言っても練習生だから勿論給料は出ないし、なんならレッスン料などは支払わなければならない。
単位を落とさない程度に大学に通って、レッスン代のためにスキマ時間でアルバイトをして、それが終わったら夜遅くまでダンスや歌の練習。
学業を疎かにしないというのが練習生になるにあたっての両親との約束だった。
毎日ハードだったが、なんでもない大学生が何かになれるような気がして、すごく充実していた。
彼女に会ったのは、練習生になって2回目の春。大学2年生、20歳になる年だった。
周りには既にデビューを掴んだ奴や、後から入ったのに俺なんかより全然歌もダンスも上手い奴がいて、たった2年目だというのに焦燥感でいっぱいだった。
そんな中、新しいダンスのトレーナーがきた。
背は低めで、鎖骨が隠れる程度の長さの美しい黒髪が特徴的な女性だった。
ダンスのトレーナーには珍しく(と言っては他の人に失礼だが)、とても落ち着いて柔らかな口調で、姿勢の良いその姿はダンス着を着ているにも関わらず、どこかのお嬢様のようだった。
(若く見えるけど・・俺より年上なのかな)
彼女は少し頭をさげ、挨拶をした。そのときに肩からさらりと落ちた一束の髪になぜだかドキリと心臓が動き、目を奪われた。
今思えば、この時既に彼女に惹かれていたんだろう。
「大川詩ともうします。私のことはどうぞウタとお呼びください」
(おおかわ、うた‥)
前任のコーチも女性だったが、よもや女性であることを忘れるくらい、トレッドヘアの髪を震わせながら罵詈雑言を浴びせるような人物だったため、練習生相手にも丁寧なウタ先生の口調と所作に拍子抜けしてしまった。
「今日からよろしくお願いします。デビューを目指して頑張りましょう」
彼女はふわりと笑った。