彷徨う甲冑.6
「私の連れが何か?」
白皙の美丈夫が、誰もが見惚れる完璧な笑みを浮かべティナに近づくと、すっと肩を抱き寄せる。黒猫は助けて貰ったことに安堵しつつも丸い目を器用に眇め、ブロンド髪の男を見上げた。
「し、師匠!!」
顔に幾つもの引っ掻き傷を作った男を押しのけ、ティナはベンジャミンの元へと駆け寄っていく。
「師匠! 師匠!! ししょう!!!」
「はいはい。全くいつまでたっても師匠離れのできない弟子だな」
ベンジャミンは黒猫を肩の上に乗せると、抱きついてきたティナの頭をよしよしと撫でた。心温まる師弟の再会なのだが、それを見る黒猫の表情は憮然としている。
「ティナ、あの男は?」
「ワインを奢ってくれました。そしたら突然腕を掴まれて……」
「はぁ、ティナ。知らない男にお酒を奢って貰うのはいけない。そこの男、連れが世話になった」
悠然と微笑むと、酒代だと言ってコインをテーブルに投げて、ベンジャミンはティナの背を押す。
「おい、ちょっと待て。俺は彼女……むぐっっ」
声を荒げるも、途端口を縫い付けられたかのようにもごもごし始める。
「師匠も今夜ここに泊まるんですか?」
「ああ、部屋を取っている」
「むぐぐっっ」
「では一晩中ゆっくり話ができますね。手紙に書ききれないことが沢山あったのです」
「確かにあの手紙は何を伝えたいのかよく分からなかった。もう少し要点を纏めようか」
「むぐぐっっっっ!」
ぴょんぴょんと跳ねながらベンジャミンと一緒に店を出るティナ。後ろではすっかり存在を忘れられた男がむぐむぐ言っていた。
ティナは軽い足取りで部屋の扉を開けると、どうぞどうぞ、とひとつだけある椅子を勧める。ティナがベッドに腰かけると、ベンジャミンの肩から飛び降りた黒猫が素早くその隣に座った。尻尾が分かりやすく膨らんでいる。
一方ベンジャミンは、そんな黒猫に余裕の笑みを返し、窓枠に鎮座する天使像を手に取った。
「これが例の天使像か。なるほど確かに可愛い顔をしている」
「最近は朝起こしてくれるんですよ!」
「相変わらずティナは呪いったらしだな」
人ったらしならぬ呪いったらし。褒め言葉だと思っているティナがふふふ、と照れ笑いするのを黒猫は胡乱な目で見上げた。
「で、そこの鉄の塊は? 手紙には書いていなかったな」
「すみません、お伝えするのが遅れました。最近仲間に入った甲冑さんです」
ガシャリと敬礼する甲冑。なかなか空気が読めている。べンジャミンは宜しく、と爽やかに微笑むとティナが勧めた椅子に座り、さて本題だとばかりに目を眇めた。
「で、そこの黒猫は?」
「はい、実は……」
※
ティナがリアムの呪いを話し終えると、ベンジャミンは立ち上がり、ベッドの傍にしゃがみ込んで黒猫と視線を合わせた。
「なるほど、あの時の客か」
「そうだ。ティナの話では、貴方は今、魔法を使えない状態だとか」
ちょっとでも堂々と見えるよう胸を張るも、ただ可愛いだけである。ティナが目を細め頭を撫でる。
「その通りだ。ゆえに今の私にその呪いは解けない」
「では、再び魔法が使えるようになったときは解呪してもらえないだろうか?」
「もちろん、と言いたいところだが、断言はできない。人にかかった呪いは解呪が難しいので最善は尽くすと答えておく。ところで君が今夜泊まる部屋はどこかな?」
にこりと微笑むも目は笑っていない。うっ、と言葉に詰まるリアムとは反対に、ティナが当然とばかりに答える。
「リアム様は今夜、私と一緒にここに泊まります。チェックインした時には既に猫になっていましたから部屋を一つしか取れませんでした」
「ふーん。そういえば手紙には三日に一度黒猫が訪れると書いてあったな」
ベンジャミンは黒猫の首のうしろを掴んで持ち上げる。リアムにとっては実に不本意な扱いだけれど、目の前のライトブルーの冷たい視線と、あれやこれの後ろめたさから動くことができない。
「なるほど、私がいない間に妙な虫が飛び交うようになったものだ」
激しく首を振る黒猫。
ベンジャミンがパッと手を離せば、猫のくせにびちゃんと床に腹から落ちた。
「ティナ、あなたが常識はずれなのは分かっているけれど、夜に男と二人で部屋にいてはいけないと教えたよな」
「はい。こうのとりさんが赤ちゃんを連れてくるからですよね」
「はぁ!?」
何言ってるんだと思わず眉を顰める黒猫に対し、ティナは至極真面目な顔で頷いている。本気だ。
「リアム様は、夜は黒猫の姿なのでこうのとりさんはきていません」
「そうか、それは良かった」
「はい、突然赤ちゃんを窓から放り込まれても困りますもの。赤ちゃんのお世話が大変なのは師匠で経験済みですから」
「まさか、ベンジャミン氏との間に子供がいるのか!?」
どこから突っ込めば良いのか分からない会話だが、そこだけは聞き捨てならなかった。
まさか、と愕然とする黒猫に、意味ありげに笑うベンジャミンは明らかにその反応を楽しんでいる。
「そんなことあるわけないじゃないですか。昔、師匠が変身薬で赤ちゃんになったことがあるんです。三時間おきのミルクにおむつ替え、すっごく大変でした」
「そ、そうか。……っておむつ替えまでしたのか」
「はい」
それはそれで良いのかと黒猫の眉間に皺がよる。
もはや何をもって良しとするのか、判断基準が分からない。
頭を前足で押さえ床で丸くなる黒猫をベンジャミンは指先した。
「ところで今夜だが、黒猫は私の部屋で預かろう」
「師匠の部屋ですか? うっ、でも」
ティナが何か言いたげに黒猫を見る。何だか意味ありげな熱っぽい視線に、黒猫の耳がピンと立った。
「何か問題でも?」
「その……あの。私、人に変わる瞬間を今まで見たことがないんです。あっ、正確には一度だけ出くわしたことがあるのですが、はっきりとは見えませんでした。ですから、できればその様子を見てみたいのです」
「変わる瞬間に出くわしただと?」
じとりと切れ長の瞳が黒猫を射る。ぞわっと毛を逆立てつつも、黒猫は必死に首を振って不可抗力であったことを訴えた。
「それは黒猫……リアム殿も了承の上、なのか?」
「はい」
「おい! 承知した覚えはないぞ! すまないが今夜はベンジャミン氏の部屋の隅で眠らせて貰えないだろうか。枕一つ置いてくれれば丸まって寝るので問題ない」
当然頷くだろうと思っていたけれど、ベンジャミンはうーん、と腕をくみ思案し始めた。
「確かに考えようによっては良い機会ではある。変身の呪いを掛けることができる術者は限られていて、貴重だからな。百聞は一見にしかずともいうし」
「ベンジャミン氏?」
何やら怪しくなってきた雲行きに、黒猫が髭をピクピクさせていると、大きな手にひょいと抱きかかえられてしまった。
「まあ、一部を布で隠せば。それほど大きな布でなくても……」
「ちょっと待て、人間になればそれなりに……」
「では、黒猫は私の部屋で預かるとして。天使像、夜明け前にティナを起こしてくれ」
はいっと手を挙げる天使像。こちらも空気を読んでいる。
「あぁ、どうしてこの師弟は人の話を聞かないんだぁ!!」
黒猫の悲鳴を残しながら、扉はパタンと閉められた。
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作者には献本が貰えるのですが、まだ手元に届いてない笑。まだかなぁ。
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