最強の騎士の弱点を克服するため王女は押しかける〜ちょっと扉が邪魔なので壊しますね〜
ファンタジーちっくな恋愛短編です。
平和なスメルナ王国に、突如天災とも呼べる魔物の大量襲来が起きた。
凶悪なエルダードラゴンに凶暴なサイクロプス、残酷なゴブリンやオークといった亜人種群、おまけに遠い砂漠の国の神話にある蛇の化け物ムシュフシュまで現れた。全土に現れた魔物のあまりの数にスメルナ王国の兵士たちは大いに苦戦し、犠牲は増える一方だ。国王は対応を迫られる。
王国存亡の危機に、大臣はこう上申した。
「陛下、大至急、最強の騎士を呼びましょう。噂では隣国に滞在していると聞き及んでおります。早馬を飛ばして三日、いや、二日で召喚できれば、この苦境を脱することができるはずです」
「では、手筈を整えてくれ。報酬は何でも約束する、とにかくこの国を救ってくれと伝えてほしい! 余は急ぎ報酬になるものをかき集める!」
「かしこまりました、すぐに」
こうしてスメルナ王国は最強と名高い騎士リーベル・ハルトークに救いを求め、王宮では財宝と貨幣を一カ所にかき集めて目録を作り、ハルトークに随行させる兵士たちを選抜した——のだが。
三日後、王宮に早馬が戻ってきた。伝令の兵士は、大慌てで国王と大臣へ報告する。
「隣国との国境にて騎士ハルトークと接触、我が国からの依頼を伝えたところ、承諾を得ました。しかし」
「しかし?」
「騎士ハルトークはそのまま我が国へ入り、一人で出会った魔物を片っ端から討伐しています。王宮へ戻る最中にもその情報がどんどんと流布し更新され、私が耳にしたところではすでにサイクロプスを討伐したと」
ハルトークのとんでもない魔物討伐の早さに、国王も上申した大臣も呆気に取られ、仕方なく集めた兵士たちはハルトークとの伝令部隊と、討伐後の市民の保護と拠点警戒をする部隊、国土を哨戒する部隊に分たれて、状況の把握を急ぐ。
毎日のように新しくハルトークの討伐した魔物の名前が王宮に届く。やっとスメルナ王国の兵士がハルトークに追いつき、補給物資を渡して連絡網を確立したのは、一週間近く経ってからだった。あまりにもハルトークの移動が早すぎて、居場所が分からなかったのだ。
とはいえ、十分な武器食糧を得て、伝令曰く「自分で荷物を守る必要がなくなった」ハルトークは今まで以上に迅速かつ徹底的に魔物を討伐するようになった。
その快進撃は、王宮の各所で話題となり、人々に希望をもたらした。滅亡を待つのみかと思われていたスメルナ王国は、さらに一週間もすれば快哉を叫ぶようになる。
ハルトークの戦果を報告する大臣は、明らかに喜びの色に溢れた声で、国王へ告げる。
「エルダードラゴンの番の二頭、サイクロプス九匹、亜人種群は確認できるだけで三百匹以上、ムシュフシュに加え地下を潜航していた蝮の怪物エキドナがそれぞれ一体ずつ、となっております」
さすがに国王も大臣以下その場にいた貴族や官僚たちも、驚くばかりだ。
「たった二週間で、それも実質一人で討伐したのか?」
「最強の騎士の名は偽りではなかった、ということか」
「聞けば隣国ではあまりにも多くの魔物を討伐したことで死刑執行人の異名を持つとか」
「彼を英雄と呼ぶ人々も多い。だが、奇行も目立つというじゃないか」
「奇行?」
「何でも、報酬を受け取ってすぐに姿を消すそうだ。それも、報酬と言ったって大したものを持っていくわけでもない。単なる魔物殺しが快楽という常軌を逸した人間ではないかとも言われている」
「そうか、それなら騎士なのに流浪の身であるのも納得が行く」
喉元過ぎれば熱さ忘れる、人々は恐ろしい魔物を倒すハルトークを、今度は魔物よりも手に負えない存在ではないかと畏怖しはじめるものだ。徐々にハルトークをよく思わない声が増えつつある中、国王はそんな悪感情をかき消すように叫ぶ。
「騎士リーベル・ハルトークを王宮へ招待せよ! この国を救った英雄をもてなさぬわけにはいくまい! 何としてでも連れてくるのだ!」
国王の鶴の一声で、大臣をはじめとした人々は歓待の準備を急ぐ。
だが、ことはそう上手くはいかなかったし、国王はあることを忘れていた。
ハルトークへ渡す報酬の候補に、己の娘を勘定に入れていたのだ。その話はすでに伝えており——王女ユーディットはすっかりその気になっていた。
スメルナ王国の王都の下町にある宿へ、王女ユーディットは一人でやってきた。
王宮を抜け出し、スメルナ王国王族の証である輝くような金の髪と緑の双眸をスカーフで隠して、貴族のお忍びの格好を真似て大きめのコートを羽織っている。装飾品の類は持ってこなかった、少しでも人目につくことを避けるためだ。
幼馴染の兵士から聞いたところによれば、ここに騎士ハルトークがいる。行商人や巡礼者が使うような比較的安価な宿で、とても救国の英雄が滞在する場所とは思えない。宿の主人にチップを渡し、ユーディットはハルトークの宿泊する部屋の前にやってきた。二階の角部屋、彼はそう指定して、前金を払ってもう三日滞在しているのだとか。
その前金というのは、彼がスメルナ王国へ要求したとりあえずの報酬、金貨一枚なのだから、訳が分からない。ハルトークを王宮へ連れていこうとする伝令を捕まえて、金貨一枚を借りて、下町の宿で休むと言い残したらしい。あとで伝令には大臣から金貨一枚が与えられ、大臣も首を傾げてハルトークへ何度か王宮へ来るよう要請しているものの、一向に色よい返事はないそうだ。
「私、ハルトーク様に嫁ぐかもしれないって話はどうなったの? もしかして、嫌がられているの?」
そんな不安でいっぱいになり、痺れを切らしたユーディットは、ついにハルトークの泊まっている宿の部屋の前にこっそりやってきた。そして、部屋の扉を叩く。
挨拶と用件を告げようとしたところで、部屋の中が騒がしくなり、ドタバタと足音が近づいてくる。
そしていきなり、扉が開かれた。
「もういいって! 俺は王宮なんか嫌なの!」
ほんとにもう! とドアノブを掴んでフランクに怒っている青年が現れた。
顔も体も傷だらけの、パジャマのズボンだけ履いた半裸の赤毛の青年は、ぴたりと動きを止めた。ユーディットを見つめ、固まっている。
ユーディットはやっと会えた結婚相手候補に、声を弾ませる。てっきり強力な魔物を討伐しつづける騎士なら筋骨隆々の気難しい人か、と思っていたのに、それほど怖い顔でもない。むしろ童顔だ。ユーディットより少し年上の、二十歳そこそこの青年だろう。
「ハルトーク様ですね? 私、ユーディットと申し」
「いやああああ!!!」
いきなりの悲鳴、そして扉は閉められた。
閉め出されたユーディットは、唖然とする。半裸の青年がいきなり女性のような悲鳴を上げて扉を閉めた。何事か、とユーディットは混乱したが、すぐに頭を振って扉を再度叩く。
「あの! ハルトーク様ですよね? 私、スメルナ王国王女のユーディットです!」
「知りません知りません帰ってえっち!」
「何がえっちですか! 帰りません! あなたがハルトーク様であることは確かなのですね? 宿帳も見ました、ばっちりリーベル・ハルトークと書いていました!」
「偽名です!」
「それを宿の主人の前で言えますか?」
「言えません! 嘘吐きました! ごめんね!」
ユーディットはドアノブを回そうとする。しかし、内側からがっちり掴まれていて、開く気配はない。いっそ壊して入ってやろうか、とユーディットのお転婆の本性が見え隠れしてきたそのとき、ハルトークは妥協案を示してきた。
「待って! ちょっと聞いて話!」
「何ですか?」
「いやさ、俺に話があるんだよね?」
「はい、急ぎの話です」
「じゃあそこで話して」
「はあ?」
「嫌なら帰ってください」
「分かりました、話します。耳かっぽじってよく聞いてくださいね」
「やだ何それ怖い」
こほん、とユーディットは咳払いをして、明朗な声で扉へ語りかける。
「王女である私は、あなたへの報酬として嫁ぐことになりそうなのですが、いかがですか? あなたはお嫌ではありませんか?」
しばし沈黙があって、ユーディットはその間もドアノブを回そうとしているが、びくともしない。やがて、中から不安げな声が聞こえてきた。
「え、そんな話聞いてないし、別に欲しくない」
「何ですか! 私が嫌なのですか!」
「違うから! 俺は嫁さんなんて欲しくないの!」
「男性がお好みですか?」
「違います! でも女も嫌!」
「わがままですね! じゃああなた、結婚でもしているのですか?」
「してません」
「じゃあ何が嫌なのですか。他の報酬を選ぶためにも、お教えくださいませ」
再びの沈黙を受け入れるほど、ユーディットは気が長くない。
「答えないなら斧を持ってきますよ」
「王女が斧持つの? この国野蛮!」
「あなたがそれを言いますか」
「俺は野蛮じゃないですー。話の通じない魔物をぶっ殺してるだけですー」
「ならそれでいいですから、答えてください」
「だって……女って怖いじゃん。すぐ怒るし殴るし殺そうとしてくるし」
「はあ?」
「何でそんなドスの効いた声出せるの? 君本当に王女?」
そんな言葉を無視し、ユーディットは、まるで扉を開けようとしないハルトークを相手に今日はこれ以上ここで粘っても無駄だと確信した。
「分かりました、では今日のところは帰ります」
「はい、お疲れ様でした。その話断るからもう来なくていいよ」
「明日も来ます。何なら明後日も来ます。ここにいてくださいね」
「何で? 俺ここから出られないじゃん!」
「出てもいいのですよ。ちゃんと面と向かってお話ししましょうか」
「嫌です」
「あなた、本当に最強の騎士リーベル・ハルトークなのですか? 随分と、イメージと違いますけど」
「そんなこと俺に言われても。勝手に想像してて俺に文句言われても。理不尽よそれ」
確かに、理不尽ではある。それはユーディットも反省した。
この日、ユーディットはあっさりと退散し、宿の主人にハルトークが逃げないよう見張っておいてほしいと言い含めて金貨を握らせた。
そして翌日。ユーディットは本当に斧を持ってきた。
「おはようございます、ハルトーク様! 開けなければ斧で扉を叩き割りますが、今すぐ出てくるならやりません!」
「もおおおお!!! 何でそんなことするの! いや!」
部屋の扉の向こう、眠そうな声でハルトークは駄々をこねる。
しかしユーディットは気にしない。斧を振りかぶり、思いっきりドアノブ横へと叩きつけた。ぐしゃりと古い木の板は割れ、木製の扉にしっかり斧の刃がめり込む。
「ちょっと何してんの!? 本当に斧持ってきやがったこの王女!」
「やると言ったではありませんか。王女に二言はありませんよ」
「やめてよもおおお!」
「あなたが出てくれば済む話です。ですが、今日のところは、これ以上扉を壊されたくなければ、お話ししましょう」
「本当に話だけでいいの? 大丈夫? 騙そうとしてない?」
「今日は話だけでかまいません。なぜあなたが女性を怖いと思うのか、その理由を聞きたいと思ったのです。何か、事情がおありなのですか?」
斧が刺さったままの扉を挟んで、ハルトークはため息を吐きながら話しはじめた。
「あのね、俺のお袋はマジでアマゾネスの女王でね。竜殺しの親父と決闘して負けたから嫁入りしたっていうもうそれ聞くだけでおかしい馴れ初めなんだけど」
それはまたとんでもない話だ、とユーディットは目を丸くするが、ハルトークには見えない。女性兵士だけで構成されたアマゾネス女王国の女王といえば、この大陸でもっとも強い女性と言っても過言ではない。そのアマゾネスの女王をハルトークの父親は決闘で倒して結婚に漕ぎつけた、もはや伝説の域である。
「親父を超える男になれって散々ひどい目に遭わされて、姉ちゃんたちも同じこと言ってきていたぶられていじめられてとても青少年の情操教育に悪い可愛がられ方もしたもんだから、俺は家出したの。それが五年前です」
「なるほど。あなたの噂が聞こえはじめた時期と重なりますね」
「うんそう。最初は故郷の隣の国の騎士に誘われて、そのまま騎士団入ったんだけどね。いやあれはだめだわ、ちょっと魔物を一掃しただけで女に迫られるんだもん。引っ張られて馬から落とされそうになったし。それが嫌で騎士団辞めて魔物討伐して金稼いでうろうろしてたんだけど、どこに行っても女が追いかけてきてマジで怖い。身に覚えのない子供の認知を迫られたときが一番怖かった」
「それは大変でしたね。じゃあ何ですか? あなた、ひょっとして、女性恐怖症ですか?」
「はいそうです」
「はあ、情けない」
「ちょっとひどくない? 俺悪くなくない?」
「あなたが女性のあしらい方を知っていれば、そんなことにはなりませんでしたよ」
「それを言われるとぐうの音も出ない」
「他の騎士たちは軽くあしらっていたでしょう?」
「やってたけどあのキザさは俺には無理よ」
それはそうである。理想の姫君に仕えることを至上とする騎士たちは、女性の扱いに熟達している。それはもう傍で聞いているほうが赤面したくなるような浮ついた言葉を平気で発し、女性を手玉に取って上手く制御する。それをこの青年に求めるのは無理そうだ、とユーディットも分かってきた。
なので、今度はユーディットが妥協案を出した。
「じゃあ、こうしましょう。私と結婚しなくていいので、その女性恐怖症を治すお手伝いをさせてください。それをこの国を救っていただいた報酬の一つにしましょう」
がたん、と扉の向こうで何か反応した音がした。少しして、ハルトークはか細い声を出す。
「いじめない?」
「しません。最強の騎士をいじめたりしません」
「そんなこと言ったって信用できません」
「明日もここへ来て、お話しします。扉越しなら話せるでしょう? 少しずつ慣れていけばいいのです」
何だかんだと、ユーディットもハルトークに同情心が芽生えてきていた。このまま結婚云々という話をしても仕方がないし、せめて国を救ってもらった恩返しくらいになれば、と考えての提案だ。
余計なお世話と分かってはいる。だが、このまま報酬を拒むハルトークを出国させるわけにはいかない。国王がハルトークに渡す報酬を選定して説得する間に、ユーディットは自分なりに必要と思われる報酬を与えようとしている。
ハルトークは了承したのか、こんなことを言ってきた。
「扉を開けた瞬間に押し倒して既成事実を作ったりしないでね」
「王女になんてことを言うのですか」
この扉が開いていれば殴っている、と言いかけてユーディットは抑えた。女性恐怖症を悪化させることはしてはいけない、と自戒する。
翌日からも、ユーディットは椅子を持ってきて、宿の部屋の扉越しにハルトークへ話しかける。昨日斧で開けた扉の穴は、部屋の中から布切れで塞がれていた。
「おはようございます、ハルトーク様。ひょっとして、ハルトーク様は女性をその気にさせるようなことを言っていませんか?」
「朝からいきなりひどいこと言われたんだけど言ってません」
「本当に? あとでね、とか、嬉しいよ、とか言いませんでしたか?」
「そのくらいなら言ったかも」
「それです。その気がないならしっかり断らないと、女性は押してきますよ」
「えっ何それ怖い」
どうやらハルトークはそんなことも知らなかったようだ。
ユーディットはなぜ断らなければならないのか、きちんと説明する。
「世の女性は意中の男性を射止めるためなら手段を選びませんよ。ましてやあなたは騎士です、平民から見ればちょうど射止められそうな身分で、貴族から見れば囲っておきたい存在です。どちらからも引く手数多ですよ」
「そうなんだ俺もうできるだけ人と話さないようにする」
「違います。それは余計に迫られるだけです」
「じゃあどうしろって言うのよ」
「一番いいのは騎士らしく仕える姫君がいればいいのですが、あなたにはできなさそうなので、他の手段を考えましょう」
「さりげにディスられた気がする」
うーん、とユーディットは悩み、最近読んだ小説の設定を流用することにした。
「あなたは病気で亡くなった許嫁に操を立てているので誰とも親しくはならない、でどうでしょう?」
「それは噂を流すってこと? もし親父やお袋の耳に入ったらとんでもないことになるんだけど?」
「では別の設定にしましょう」
「設定やめない? 嘘じゃん」
「じゃあどうすればいいのですか。今度はあなたが考えてください」
ユーディットは会話のボールをハルトークへ投げてみた。ハルトークは会話が苦手なわけではなく、単に適切なコミュニケーションの経験が足りないのではないか、と見抜いたからだ。
案の定、ハルトークは会話のボールを適切な位置に投げてこない。
「いいこと思いついた、兜をフルフェイスにしよう。顔が見えない相手なら迫ってこないんじゃ」
「まあミステリアスな方、兜の中は麗しい殿方に違いないわ、って言われたいですか?」
「女の思考が分からない! 何でそう自分の都合のいい方向に考えるの!」
「人間はそういうものですよ。男女問わずです」
「マジで? 俺もう嫌なんだけど」
「はい次。そうですね、マントに刺繍でもしますか? たとえば戦の女神を描いて、信奉しているから女性に現を抜かさないと表明したり」
「おお、何かいい案出た」
「ところでハルトーク様は何の宗教を信じておられるのですか?」
「特にないです」
「じゃあだめですね。バチが当たります」
「そっかー」
ハルトークは案外素直に諦めた。一応、何の関係もない神を背負ったりするのはマナー違反だ。何か宗教を信じていればそこに関連する神を描けたが、そういうこともできそうにない。
結局、この日は結論は出なかった。ユーディットは悩みながら王宮に戻る。
王宮では、ハルトークに与える報酬をどれにするか、と国王と大臣たちが議論を尽くしていたが、未だに決定していない。それはハルトークが要望を出したり話し合いに参加したりしないせいでもあるが、そもそもスメルナ王国はそれほど豊かでもない。ましてや、天災のような魔物の襲来のあとだ。国民の生活の立て直しや犠牲者の家族への支援金を拠出すれば、今年の国庫は隙間風が吹くだろう。状況が状況だ、すぐに税金を徴収することもできない。
となれば、ハルトークに何を与えればいいか、それはとても微妙な話だ。金銭や財宝ではなく、貴族の位や称号を与えるという手段もなくはないが、大して価値はないし、各地を放浪するハルトークは受け取らないだろう。
世知辛い世の中だ。ユーディットはこっそり自室に戻り、身代わりをしていたメイドと入れ替わる。
せめて、ハルトークの役に立つものを与えられればいいのだが、何が役に立つだろうか。ユーディットには思いつかない。このままでは報酬も受け取らず、ハルトークはどこかへ去ってしまう。
さて、毎日同じことを一日、二日、三日と繰り返して、少しはハルトークと距離が縮まってきたころ、ユーディットは扉越しにこんな話を切り出した。
「ハルトーク様。真面目な話をしてもいいですか」
「何? 俺結婚しないよ?」
「それではなく、この国の話です。スメルナ王国は、決して豊かな国ではありません。主要産業は農業で、国境沿いの山間に鉱山がちらほらある程度です。他国のように魔法道具を作る知識、機械を開発する人材、貿易ができる港、そんなものは一切ありません」
ハルトークが真面目に聞いているかどうかは分からないものの、ユーディットは続ける。
「ですから、もし今回ハルトーク様が来ても来なくても、やがて没落していくことは目に見えていました。誰もそのことを話しませんが、このままではどうにもならないのです。王家の財産はとっくに底をついていて、さらに今回の魔物の襲来もあっては、周辺国へ借金でもしなくては冬も越せないでしょう」
それはスメルナ王国の誰もが目を逸らしている現実だ。
この国は斜陽もいいところで、実は建国以来一度も裕福になったことはない。王家も国民も土地も貧しく、王宮も他国からすれば大きめの砦のようなものだ。だからユーディットはメイドも兵士も幼馴染だらけだし、抜け出すのもわけない。
いずれはスメルナ王国は静かに滅び去っていく。それが魔物の襲来で急速に早まるところだった。そこへ、ハルトークがやってきて多少流れを止めることはできたが、おおよその運命までは変えられない。
「つまり、スメルナ王国の滅亡は少し遅くなっただけです。いずれ国民は飢えて、王国は滅びるでしょう。どれほどの死者が出るか、それをどれほど抑えられるか。もはや、そこに焦点が当たるほど、進退窮まっているのです」
ユーディットはその現実をきちんと認識していた。ハルトークとの結婚話も、国王は報酬としてではなく娘を国外へ出す理由にしようとしていたのだろう。そのくらいはユーディットも分かっていた。だから無理には話を進めなかった。
ハルトークは複雑そうに呟く。
「そっか……魔物を倒せば全部解決って話じゃないんだな」
「ええ。おまけに魔物の死体は多くが毒です。利用できる毒を回収しようにも、しばらく魔物の出現がなかった我が国には十分な経験も道具もありません。せいぜい骨や皮は使えるでしょうが、あれは肉が腐って白骨化するまで数年単位の事業になりますし、その間、土地は汚染されます。今回はエルダードラゴンにサイクロプス、エキドナまでいましたから、余計にひどくなるでしょう」
その程度の知識はこの大陸では常識だが、スメルナ王国が貧乏でも存続できていたのは、ひとえに魔物が出なかったからだ。他国のように魔物との戦いに力を傾ける必要がなく、それゆえに魔物の死体の利用法が浸透していなかった。いくらドラゴンの牙や皮が高く売れると知っていても、その加工の技術がなく、他国に売り渡すにしても立場が弱く、買い叩かれることは目に見えている。
しかも、売れないゴブリンなど大量に放置するしかない魔物の死体は土地を汚染し、スメルナ王国唯一の産業である農業を崩壊させる。そこから立ち直るのは、容易なことではない。体力のないこの国は、汚染が除去されるまで保つかどうかも分からない。
万事休すだ。この国は、詰んでいた。
それでも、少なからず人命は助かったのだから、ハルトークの努力は決して無駄ではない。
「ごめんなさい。あなたのやったことが無駄だったと言うわけではありません。確かに助けられた人々は大勢いて、この国は一時でも救われました。とても感謝しています、だからそれに見合う報酬をお渡ししたいのですが、我が国ではおそらく用意できないでしょう。こんな内情は誰も言い出せないかもしれませんから、せめて伝えておくことが誠意だと思いました」
ユーディットは内心、申し訳なく思っていた。ハルトークはこんな国に来て何も得るものがない。その尽力は誰かの命を救ったとしても、ハルトークの利益にはならないのだ。最強の騎士が無償奉仕をしたなどと思われては、他の国でもただ働きをさせられかねない、とてもそんな噂を立てさせるわけにはいかない。だが、どうすればいいのか。
ユーディットはうつむき、黙る。ハルトークがせめて何かを要求してくれればいいのだが、王宮の呼びかけは梨の礫だと聞く。この国の事情を話せばその態度を軟化させて、建前でも何か要求をするかもしれないし、交渉のテーブルにつくかもしれない。
ハルトークは応えた。だが、それはユーディットの思うようなものではない。
「なあユーディット、俺にできることは?」
ユーディットは呆れる。先の働きの報酬の話をしているのに、ハルトークはこの国へまだ尽くそうとしている。
ユーディットは苛立つ。そんなことを考えなくていい、と言いたい気持ちを抑えて。
「女性恐怖症のあなたに何ができると?」
「まあひどい言われよう」
「あなたは他の国で必要とされているでしょう。こんなところに留まっていないで、早く行かなくてはならないはずです」
「それはそうだけど納得しないし」
ハルトークがこれ以上スメルナ王国へ同情する前に、ユーディットは話を打ち切った。
「帰ります。滅ぶ国の王女と結婚なんてもってのほか、それだけ分かってくださればいいのです。大丈夫、また明日も女性恐怖症の克服のために」
そのときだった。扉のドアノブの横、先日ユーディットが斧で開けた穴に、内側から拳が突っ込まれて穴が拡大した。肘近くまで伸ばされた右拳が、部屋の外に出ている。
ハルトークが拳で木製の扉に空いた穴をさらにぶち破ったのだが、その手はユーディットへと差し出されていた。
「これなら何とか、克服に使えるかも」
傷だらけの大きな右手のひらが、激戦のあとを物語る。火傷痕も毒で変色した皮膚も、ハルトークが戦ってきた証だ。これが人々を救ってきた、最強の騎士の手だ。
おずおずと、ユーディットは手を伸ばす。
「手に触れても?」
「優しくしてね」
「つねりますよ」
ハルトークの手のひらに、ユーディットの華奢な指先が触れる。そのまま包み込むように、ハルトークの五指が存外優しく握る。
「うーんお袋とも姉ちゃんたちとも違う手だ。こんな手が斧を振りかぶるなんて」
「貧乏な国です、王女も冬を前にすれば手が足りなくて薪割りをしますから」
「そういうもんかぁ」
「ええ、そういうものですよ」
しばらく握られていた指が暖かくなったころ、ハルトークはやっと、ユーディットの期待に沿う話へと舵を切る。
「あのさユーディット、報酬について、王宮に伝えてほしいことがあるんだけど」
ハルトークのその答えは、ユーディットを随分と悩ませたが、最終的にユーディットは折れた。国王へとその答えを伝えるため、ユーディットは王宮に急いで戻る。
ほんの一週間後のことだ。
ハルトークはようやく王宮への招待を受け入れた。というのも、ハルトークが出した答えによって、状況が変わったからだ。
「陛下! ファルヴィーズ王国から使者がまいりました! 魔物の利用について交渉がしたいとのことです!」
「こちらにも、バルテリア共和国から手紙が山ほど! 商業組合や大学からも打診の手紙が来ております!」
次々と国王のもとへ報告が入る。スメルナ王国に対し、周辺国が数々の友好的な支援の申し入れを急遽打ち出してきたのだ。
それもこれも、ハルトークが手紙を書いたからだ。各国の首脳へ、スメルナ王国の実情を説き、支援の必要性を訴えた。決して損をさせないというハルトークの口約束を彼らは信じ、魔物の死体処理に必要な人員と物資をすでに派遣し、慈善団体を通じて魔物によって故郷の村落を追われた避難民への食糧提供も始めた。
たった一週間で、がらりとスメルナ王国を取り巻く情勢は一変し、ハルトークの影響力の大きさを目の当たりにした国王以下スメルナ王国の人々は、ただただ驚き、感謝し、対処に追われている。
鎧兜を身につけてやってきたハルトークに、国王は問いかける。
「なぜここまでしてくれるのだ、ハルトーク」
ハルトークは平然と答える。
「何か、このままこの国を離れたら後悔するだろうなって思ったので? それに魔物倒して終わりってわけじゃないってこの前教わりました」
「教わった? 誰にだ?」
それに関しては、ハルトークは無言で誤魔化す。一応、ユーディットはお忍びでハルトークの宿にやってきていたのを思い出したからだ。
「俺の名前を出せば、色々融通してくれる国や組織があると思います。もし魔物の討伐が条件になれば俺が行きますし、この国を拠点に活動してるって宣伝もしてきます。そしたら、多少はこの国もよくなるかなって」
ハルトークの考えは、間違ってはいないし、十分すぎるほどスメルナ王国を助けている。問題があるとすれば、ハルトークは自分の影響力の大きさを正確に自覚はしておらず、何とかなるだろう程度にしか考えていないことだ。最強の騎士の称号とこれまでの功績は、誰もが尊敬し、大国の王族でさえも一目置くものだとは分かっていない。
それは国王も完璧に把握しているわけではないが、事態の重大さはハルトークよりも理解している。
「だが、そこまでしてもらっても、何も返せるものはない。もちろん、これからの利益を還元はできるが……とても働きに見合う額ではない」
「あ、そういうのはいりません。その代わりに頼みたいことがありまして」
「おお、できることなら何でもしよう」
「じゃあ遠慮なく」
遠慮なくと言いつつ、ハルトークは言いづらそうに要求を伝える。さっき気遣ったのに水の泡だと分かってしまったからだ。
「えーと、女性避けと女性恐怖症克服に、ユーディット王女に知恵を絞ってもらえたらと……はい」
ハルトークは簡単に言い訳をする。ユーディットのおかげで多少は女性恐怖症もマシにはなった、だから今後も助けてもらいたい、純朴な青年は正直に話したつもりだった。
とはいえ、そのチャンスを国王は逃すまいとする。
「ハルトーク、ユーディットと結婚はしないか?」
「いやまあそれは気が早いっていうか心の準備がまったくできてないので回避したいです」
「そう言わずに、あのお転婆は嫁の貰い手がないのだ。我が国が貧乏なせいもあって、相手も見つからず」
「そんなこと言われると断りづらいじゃないですか」
「そう仕向けているのだ。どうだ、婚約だけでも」
国王はもはやなりふり構わず、ユーディットをハルトークに嫁がせようとしている。ハルトークのためではなく、娘を思えばこそだろう、とさすがにハルトークも察し、断れなかった。
「じゃあ、はい、女性避けになりますし、婚約はします」
「そうか! それはよかった!」
「でも結婚するって言ってませんからね! ユーディット王女にいいお相手が見つかったらそっちと結婚してくださいね!」
「うむうむ、そうしようそうしよう」
「あっ、これはやらない返事」
「気にするな、最強の騎士よ!」
そんな調子で国王との初めての会談は終えて、ハルトークは持ってきた荷物を抱えて、ユーディットの待つ王宮の中庭にやってきた。
中庭に入ってきたハルトークを見て、ユーディットは問う。
「ハルトーク様。どうして扉を盾のように持ち歩いているのですか」
「まだ近づくのはちょっとね、怖いから」
宿の主人に怒られ、取り替えるようになった穴の空いた木製の扉を持ってきたハルトークは、直接ユーディットを見ないように何とか扉を活用していた。努力の賜物だろう、こうして会話はできるようになったのだから、とユーディットは許す。
「そうですか。まあ追々、せめて顔を見られるくらいになりましょう」
「そだねうん、がんばる」
「とりあえず、手を」
今度はユーディットから差し出した手を、扉の穴から手を伸ばしてハルトークはおっかなびっくり触れる。
「指が細いから触ると壊れそうで怖い」
「そんなにやわな手ではありませんよ。あまり文句を言うとその扉、斧で叩き割りますよ」
「何この子野蛮すぎない?」
そうは言いつつも、二人は椅子を持ってきて日当たりのいい場所に座る。穴の空いた扉を介してだが、文句を言いつつも女性に触れられるようになったハルトークは、随分と進歩したものだ。
「今度、衝立を作りましょうか。穴が空いているやつがいいですね。扉を持ちつづけると話に集中できないでしょう?」
「うーん外堀を埋められてる感ある」
「女性恐怖症を克服したくないのですか?」
「したいです」
「ならがんばりましょう。大丈夫、第一関門の手を繋ぐはクリアです」
「第二関門は?」
「いきなり顔を見て話すのは大変でしょうから、仮面をして対面できるようになりましょう」
「あっそれならできるかも」
「私はすでにあなたの上半身裸を見ているのでとても今更ですが」
「お婿に行けなくなるからやめてえっち」
「安心してください。私がもらいますから」
「やだ本気だわこれ」
そんな調子で、ユーディットとハルトークはゆっくり進んでいく。
やがてスメルナ王国は、十分に復興したのちに共和政へと切り替わる。王家はもはや国を統治するだけの財も力も失った、という理由だったのだが、最強の騎士と名高い娘婿ハルトークの威光をもってすれば存続は可能だった——と言われつつも、スメルナ王家はその歴史に幕を閉じた。
リーベル・ハルトークとユーディット・スメルナは、こうして結ばれたとさ。
おしまい。




