ラブレター フロム ハルカ カナタ~婚約破棄をしたその後の顛末~
あなたは「ロミオメール」という単語をご存じですか?
今日はその言葉の意味を学んでみましょう。
この国の北部国境沿いはディグニダッド辺境伯の地。
冬将軍が長くこの地を支配する期間は雪と氷に閉ざされるため、人々は屋内に籠り決して外には出ない。他の領地との交流は無いに等しい。
けれど、いくら長い冬が続いても一年中冬が続くわけではない。
冬は終わり、短い春がやってくる。
「リンドさま。黒の森で灰色熊による被害で死者が出たと報告が上がりました」
春になれば冬眠していた森の動物たちも活動を始める。
この城の城主代理をしているのは僕、リンド・ディグニダッド。父が王都にいる今、この地の管理は次期辺境伯である僕の仕事だ。雪が解ければ父も領地に帰還するだろう。
「そうか。痛ましいことだな。討伐隊を組んで熊を掃討しなければ……」
熊に人の味を覚えさせたままでは、森に入った人間が次々と被害者になってしまう。それを防ぐためにも人は怖い生き物だと野生動物に教え込ませなければならない。
思案していると城の老執事ホセが恐る恐るといった体で僕に話しかける。
「リンドさま。この春最初の行商人から、こちらのお手紙をお預かりしておりますが……」
「“おりますが”? どうした? 言葉を濁らせて」
ホセが持った銀の盆、その上に乗せた一通の手紙に目を止めた。
それは糊付けされただけの質素な封筒。ヨレヨレで、どこかくたびれた印象を受ける。
先代の辺境伯の時代からこの城に勤めている老執事はとても忠実かつ有能で、生き字引といってもいいほど物知りだ。僕にとっては幼き頃からの剣の師匠でもある。
そんな彼が、どこか困ったように言った。
「宛先が、グラシアナさまでして……」
グラシアナは二歳違いの僕の姉上。氷の妖精のような凛としたうつくしさを持つ大好きな姉上。今頃はなにをしていらっしゃるだろうか。
「姉上宛て? 差出人は誰だ?」
「無記名でしたが筆跡から鑑みるに……ジリポージャス元王子からのお手紙だと」
なんと。びっくりだ。
「ジリポージャス王子からなら王家の封蝋がしてあるはず……。いや、廃嫡されて追い出されたから王家の紋章を使えないのか」
「御意」
「たしか……あの方は廃嫡されたうえに王家から除籍。さらに王命に背いた罰で現在は罪人として南部の石切り場で労働を科されていると記憶しているが……いまさら姉上になんの用があるというのか」
「それが……ジリポージャス王子から今までも何度かこのような封書が届いておりまして……その都度グラシアナさまの指示を仰いでおりました」
「なるほど。既に姉上はこの城にはいない。だから僕に持ってきたということか」
「御意」
姉上宛ての手紙を僕に差し出した理由は理解した。
だがジリポージャス王子の意図は理解できない。いまさら何の用だ? 自分から姉上との婚約を破棄して陛下のお怒りを買ったというのに。
もしや姉上に許しでも乞うつもりだろうか。
僕は封蝋もされていない封書を手に取った。同時に差し出されたペーパーナイフを使い開封する。
「姉上はジリポージャス王子からの手紙をどうしていた? まさか大切に仕舞っていた、なんてことはないよな?」
一方的に婚約破棄してきた相手だ。憎しみこそあれ、慕情などひとかけらもないだろうに。
僕の問いにホセはにやりと笑った。
「グラシアナさまはその都度ご自分で拝読していました。そして腹を抱えて大笑いしたあと暖炉にくべておりました」
腹を抱えて笑った? あの淑女の鑑のような姉上が? そんな姿、とても信じられない。
「大笑いする内容だったのか?」
俄然、興味を引かれた僕は書面に目を落とした。
◇
【愛しい愛しい僕の婚約者、グラシアナへ】
いや、もう婚約は破棄したよな? しかもお前の希望で自分からしたよな?
【僕と僕の周りはこの曇天から降る雪のようにすっかり凍えてしまった】
……南部の石切り場って、降雪しない地域だったはずだが?
【僕の傍にきみがいない。それだけで僕の心は凍り付きそうに寒いんだ】
あぁ。心象風景が豪雪だったってことか。ザマーミロ、だ。
【僕たちに科せられた過酷な試練】
僕たち? 罪を科せられたのはお前だけだろ? なんせ身勝手な理由で王命に背いたんだし。
【きみに、愛しいきみに会えないなんて、神さまはなんていじわるなんだ!】
神さま? いやいやお前に刑を与えたのはお前の父上である国王陛下だよ?
【でも僕は決心したよ】
はあ? 嫌な予感しかしない。
【ずっと待たせてごめんね】
待ってねぇし。
【ここを抜け出してきみに会いに行くよ!】
はあ? 脱走の決意表明かよ⁈
【愛しい愛しい僕の小鳥、グラシアナ】
うわ。キモチワルっ。姉上は小鳥じゃねーしお前のモンでもねぇよっ!
【もしかしたらきみはまだ誤解しているのかい?】
え? なんの?
【だから返事をくれないのだね?】
いや。姉上はお前を見限ったからだよ。もう関わりたくないからだよ。
【つれない態度のきみだけど、寛大な僕は赦すと言ってあげるよ】
腹立つな。先に陛下に赦すと言って貰えよ。辺境伯が怖くて絶対言わないだろうがな!
【僕は、あの悪い魔女のせいで狂ってしまった】
魔女? ってもしかして胸が大きくて頭空っぽのあの男爵令嬢のことか?
だいぶ現を抜かしてたもんな。
【魔女が僕の目を塞ぎ、本当の愛がなんなのか分からなくなってしまった】
すっかり骨抜きにされて、卒業式で姉上に冤罪の断罪を仕掛けてきたな。
【あの魔女のせいできみとの婚約を破棄してしまったこと、後悔しない日はないんだ】
いやいや、結局は自分の決断じゃね? だけど後悔できる知能があって良かったじゃん。まぁバカでも分かるか。廃嫡され罪人として扱われたらね。
【不甲斐ないことではあったけれど、僕はやっと目覚めることができた!】
はあ?
【それもこれも全部、きみという真実の愛の相手がいてくれたお陰だね!】
いやいや、姉上はなにもしていない。過酷な労働のせいじゃね?
【あぁ、愛しているよグラシアナ!】
うげっキモチワルっ!
【早くきみに会いたい】
もう二度と会わせたくない。
【今、僕は父上のご命令でとても過酷な環境にいるんだ】
石切り場は囚人の労働としても過酷だって聞いてるよ。でも過酷じゃないと罰にならないじゃん。
【とてもツライんだ】
ザマーミロ。
【きみは今でも僕を待っているんだろう?】
待ってませーん。
【あの辺境で、きみの家の領地のあの堅固な城で、僕が来る日を待ち望んでいるんだろう?】
待ってませんよー。冬が始まる前に隣のプリマベーラ王国へ嫁入りしましたー。すっごく綺麗な花嫁姿であっちの王子ってばデレデレでしたー。
【あぁ、初めてきみと会った日のことを今でもよく夢に見るんだ】
まじか。意外と物覚えいいんだな。
【きみは初々しく愛らしい、ちいさな姫君だった。辺境のあの緑の大地で僕と追いかけっこしたね】
んん?
「ホセ。ジリポージャス王子が過去、このディグニダッドの地に来たことがあったのか?」
疑問に思った僕は生き字引みたいな老執事に尋ねた。
『辺境伯』をただの田舎伯爵だと思ってたあのバカが来たことあるだと?
「はい。グラシアナさまとご婚約する前に一度、王妃殿下とともに避暑に訪れたことがございました」
「僕は覚えがない」
「いかんせん、あの時はグラシアナさまが五歳、若さまは三歳のみぎりでしたから、ご記憶になくとも致し方ないかと」
なるほど。三歳の記憶ではあのバカが来たかどうかなんていちいち覚えてないな。
「枝に蛇を巻き付け幼い王子を追いかけ回すグラシアナさまの雄姿! よき思い出です」
ホセは目を閉じて思い出を追いかけているようだ。僕はまた書簡に目を落とした。
【僕たちがよく追いかけっこをした森にバンガローがあったよね】
バンガロー? 黒の森にいくつかあった遭難者のための避難小屋か? 数年前に熊に荒らされたから廃棄したはずだ。
【あそこで落ち合おうよ】
え?
【この雪が解けたら。春になったら。なんとしても僕はそこへ行くから。そこできみが来てくれるのを待っているから】
え? もしかして脱走の決意表明はここにかかるのか? 今年の春にってことか?
【あの幼い日のように、またふたりで追いかけっこだ】
キモチワルっ!
【でも今の僕は、ぜったいきみに捕まってしまう運命なんだけどね☆】
ぶふっっっ! なんだこの星は!
【僕というプレゼントが溢れるような愛とともにきみを待っているからね☆ぜったい見つけておくれよ?】
僕というプレゼント⁈ 片腹痛いっっwww
いらん、いらん! なんという悪意の贈り物! 全力でお断りだっ!
【愛しい愛しい婚約者グラシアナへ】
【君の宝物、ジリポージャスより】
なんだこれーーーーーー!!!!
宝物、よりにもよって自分自身を宝物呼びーーーー!!!
腹いてぇぇぇぇぇwwwwww
「リンド坊ちゃま? いかがいたしましたか?」
腹を抱えて声もなく笑っていた僕に、忠実な老執事が声をかける。その“坊ちゃま”呼びにちょっと冷静になれた。
「はぁ、はぁ、大丈夫だ、ちょっと空気が薄いだけで」
「……は?」
笑い声を押し殺すというのは呼吸困難になりやすいんだな。初めて知った。
「そういえばホセ。灰色熊の被害者が出たと言っていたが……黒の森近くの村の人間か?」
「いいえ。村の人間は皆無事です。どうやら流れ者だったようで、身元が分かる物を所持しておりませんでした」
「ふうん……どこかの犯罪者が紛れたかな……犯罪心理学とやらでね、罪を犯した者が逃亡先に選ぶのは北の地が圧倒的に多いそうだ」
「北の地に住む我々には迷惑な話でございますな」
ホセが鼻を鳴らしながらばっさり言い切った。
「まったくだ。大人しく捕まって刑に従えば、長生きできるものを」
僕もホセと同意見だ。
僕は読んだばかりのバカからの手紙を暖炉にくべた。
ひと冬、行商人が大切に保管してやっと届けられただろうそれは、ぼうっと音を立てて火に嘗め尽くされ、あっという間に消し炭になった。
どっとはらい
※ロミオメールとは
→別れた男が元カノに復縁を求め送るメール。特徴は酔っ払ったようなポエム、反省なし、謎の上から目線、元カノが待っていると信じている強心臓etcが上げられる。
※女性版を「ジュリメール」と呼ぶらしい。
※どなたさまも、こんな阿呆なメールを受け取ることがありませんように。そして書くような阿呆になりませんように。なーむー。
※因みに
グラシアナお姉さまが爆笑し暖炉に投下したお手紙を再現しました。
ご笑納くださいませ。
【南部に送られるなんてあまりにも酷すぎると思わないか?
ああ、グラシアナ、グラシアナ
どうしてきみはグラシアナなのか
父上がたいそうお怒りなんだ
ディグニダッドが恐ろしいという
恐ろし過ぎると怯えている
どうにかして欲しい
だから僕という贄が必要だと わけがわからないことを言い出した
きみの家ディグニダッドは国境警備をしているんだって?
それならきみには僕を守る義務があるんだ
ぼくはこの国の次代の王 きみが守るべき大切な宝なのだから!
きみがお父上と縁を切り、ディグニダッドの名を捨ててくれ
それが無理なら
せめて僕を愛すると誓って 僕を守らなければならない
そうすれば僕は なんの憂いもなく王家の名を捨てられる
やさしいきみは 愛するこの僕を 必ず助け守ってくれると信じている
助けてくれ 僕を救ってくれ 迎えに来てくれ グラシアナ 僕のグラシアナ】