No.58『とに角』
根岸「もう少しだ、もう少し持ちこたえれば―――」
根岸「くそっ、今回もダメか! 撤退! 全軍撤退ー!」
―――
根岸「はぁ……はぁ……、また負け戦だ……。この一ヶ月、まるでダメだ……」
佐原「ふっふっふ」
根岸「……っ! 誰だ!」
佐原「負け続けで、お困りのようですね!」
根岸「誰だ貴様!」
佐原「私こそ、この世界の王たる存在! キング佐原!」
根岸「キング佐原……」
佐原「私にかかれば、この戦乱の世においても常勝無敗の焼肉定食! 今ならあんみつがサービスでついてきます!」
根岸「……」
佐原「いかがかな?」
根岸「っていうか佐原じゃねぇか!」
佐原「そう、佐原だよ! 久しぶり!」
根岸「久しぶりじゃないよ、一ヶ月もどこ行ってた。お前がいないせいで、うちの軍はこの一ヶ月負け続けだ」
佐原「俺の力がそろそろ必要かなと思ってな」
根岸「常に必要だよ。駒が足りないんだ」
佐原「一ヶ月間……、そう、長く苦しい日々だった」
根岸「一ヶ月も、何を」
佐原「ハロワ行ったり」
根岸「ただの求職活動じゃないか」
佐原「ネット上でな!」
根岸「引きこもりじゃないか」
佐原「なかなか希望のカッコイイ仕事がなくてなー」
根岸「お前、辞めるなら辞めるで後任を見つけてからいけよ。こっちが困るだろうが」
佐原「最悪、戻ってくる場所は必要かと思って」
根岸「完全にお前の都合じゃんか……」
佐原「で、まあなかなか希望の仕事がないから。修行をしていたんだ」
根岸「んん?」
佐原「どうせ戻るなら、強くなってから戻ろうと思ってな」
根岸「強く……」
佐原「ふふふ! だが私は戻ってきた!」
根岸「戻ってきたなぁ。前と違いがあるようには見えないが、結局なんの修行をしてきたんだ」
佐原「ふふふ、それはこの姿を見れば一目瞭然の焼き魚定食! 今なら目玉焼きもサービスでつけちゃいます!」
根岸「おお! わからん!」
佐原「お、おお、そうか、わからんか」
根岸「修行の成果が何、見た目に出てるの? どう見ても前と同じだけど」
佐原「そう、このとおりだ!」
根岸「おお! わからん!」
佐原「そ、そうか、わからんか」
根岸「具体的に何が前の佐原と違うんだ」
佐原「主な成長は内面だな。一足早い夏休みで、前より少し大人になったよ」
根岸「見た目関係ないじゃん」
佐原「ひと夏の経験が、ぼくくんを少し大人にしたのさ」
根岸「そうですか」
佐原「……で」
根岸「……で?」
佐原「具体的に何がどう変わったのか、聞いてくれ!」
根岸「だからさっきそれ聞いたじゃん。何が変わったのさ」
佐原「王になった」
根岸「はい?」
佐原「王」
根岸「は?」
佐原「キング」
根岸「なったの?」
佐原「なっちゃった! あいあむキング!」
根岸「王って、なんの?」
佐原「んー、まあ、言うなれば、世界の? 俺が頂点にして唯一で無敵で完璧なもともと特別なオンリーワンっていうかね?」
根岸「いやお前はたくさんいる雑兵のうちのひとりだろう」
佐原「身も蓋もない! 違うのー、俺はもうオンリーワンになったのー」
根岸「いや、だからって、王って」
佐原「王になってしまったのだから仕方ない。ひれ伏すが良い」
根岸「ははぁー。はっ、身体が勝手に!」
佐原「これが王の力である! 頭では否定していても、身体は正直なようだな!」
根岸「いやいやいや、なんだよ、修行して王になったって、どういうことだよ」
佐原「がんばれば、王になれるんだよ。ほらどっかの海賊王目指してる少年もさ、頑張ってるじゃない?」
根岸「いやうん、あれはそういう漫画だしな?」
佐原「あとほら、石油を掘り当てたりすると、石油王になれる」
根岸「まあ、それはアリか……」
佐原「な? 血統意外でも王になろうと思えば、なれるんだよ」
根岸「……いやいや。石油王はいいよ、石油で富を得たんだろ。―――でもお前は何かを得たのか?」
佐原「……偉さ、かな」
根岸「……どうやって」
佐原「修行によって」
根岸「どうやって修行して偉さを……」
佐原「そこは秘密だよ。根岸も修行したら根岸も偉くなっちゃう。この世界に王はたくさんいらないのじゃ!」
根岸「……うん。まあ俺は王にはならないけどさ」
佐原「ふふふ、なら安心だ」
根岸「でも、お前も王になっちゃダメだろう」
佐原「なんでだよー、アイツですら王なんだろ?」
根岸「指ささないの、アレでもうちらの王なんだから」
佐原「無能じゃん、足遅いし!」
根岸「足の遅さはまあ、仕方ないじゃないか、王なんだし。っていうかお前も遅いだろう」
佐原「ふふふ、まっすぐ前進しかできない俺は、昔の話さ」
根岸「昔の話になっちゃったのか」
佐原「今の俺はすごいぞ、どこへでもワープできる!」
根岸「えぇ……」
佐原「無敵にして完璧な王である!」
根岸「……あのな、佐原」
佐原「なんぞ!」
根岸「なんぞ、ってなんぞ……。いや、王は一人いればいいんだよ」
佐原「だから俺が!」
根岸「お前は歩だろう」
佐原「……」
根岸「歩。将棋の駒だ」
佐原「……」
根岸「……」
佐原「……昔は、そう、俺は歩だった」
根岸「今も歩だよ。見た目はどうみても歩だ」
佐原「ふ……ふふふ、何を馬鹿な。俺がそんなモブその1みたいな」
根岸「その笑い方」
佐原「ふふっ!?」
根岸「歩、特有の笑い方、昔から変わっちゃいない」
佐原「ぐぬぬ!」
根岸「いいか、将棋っていうのはな、王は一人でいいんだ。あとな、どこへでもワープできる能力とか、ルール崩壊するだろう?」
佐原「し、しかし!」
根岸「しかしもかかしもない、お前は歩なんだ、その役割を放棄して、っていうか一ヶ月もどっか行っちゃったら、困るだろう!」
佐原「でもぉー」
根岸「お前がいないから、うちの桂馬はいつもすぐどこかへ飛んでっちゃうんだ」
佐原「……根岸はいいよ」
根岸「何がだよ」
佐原「だって、根岸は角じゃん! 強いじゃん! 足も速いしさ!」
根岸「斜めにしか動けないけどな」
佐原「そういう斜に構えた感じもカッコイイしさ、ずるいよ!」
根岸「ずるいって言ったって、それが俺の役割なんだし」
佐原「前に一歩! これだけがぼくのアイデンティティーです、って悲しすぎるだろう! 婚活パーティーでモテるわけがない!」
根岸「周りは同じようなヤツらばっかりだろうに」
佐原「うん、みんなモテない」
根岸「悲しいなぁ」
佐原「だから、俺は王になることにしたんだ! こんなしょぼい個性、いるもんか!」
根岸「とにかく。お前は歩なの」
佐原「で、でも、王になりたかったんだ! だから!」
根岸「成っちゃダメだってば」
閉幕