No.53『不条理ゆえ条理』
佐原「かくかくしかじか、というわけです」
根岸「それではわかりません」
佐原「つまり―――
帰ってきたナミナリは、ドアの前で立ち尽くした。彼の家にはドアが無い。
当然といえば当然だが、屋根も無い。
壁も無いし、窓もない。でもシャワーだけはしっかりあるのが彼の自慢だった。
無いドアを開けるフリをして、彼は家に入った。おやつの時間だからだろう、椅子の上には画鋲が置いてあった。ナミナリは構わず座ると顔をしかめた。
ナミナリは気がついた、ここは彼の家じゃない。じゃあ誰の家なのかというと、彼の家じゃない。だからといっておやつの時間を無視していいのかといえば、答えは戸棚の中だ。
戸棚を開けると溶けた冷蔵庫が入っていた。今日はあったかいものな。
彼の家じゃないから、戸棚も壁も椅子もテーブルも屋根も窓もある。でもドアはバーチャルリアリティだからやっぱり存在していない。
「仕方ない、おやつは昨日も食べたものな」
立ち上がると、尻から画鋲が落ちて床に突き刺さった。夢のようだ。
床に刺さった画鋲を踏む。電子音が響いたりはしない。
「……そうか」
床のことを考えれば、答えが見えてくる。
ピアノを探しに出かけなければ、ナミナリは思い出すべくして思い出したのだ。鍵盤の右からみっつめのファにメガネを忘れてきたので、取りにいかなければいけないのだ。
引き出しから予備の単三電池を取り出して、ナミナリは背中のボタンを押した。右の肩甲骨の内側にあるから、いつも腕がつりそうになる。
腰の横の電池入れが開いて中から古い電池が飛び出して、ナミナリは動かなくなった。
やっと自由になった電池は脱皮するために丁度いいエンピツを探してデスクに上った。手も足も無い電池がどうやってデスクを上ったのかというと、エスカレーターだ。間違えた、エレベーターだ。Rのボタンを押せばデスクの上に出られるのは野性のロバならみんなが知っている。
果たして、エンピツは無かった。キノコが踊っていた。
デスクの上は綺麗だったし、キノコの胞子なんて全然落ちてない。
あったのは一本のシャープペンシル。それを取り合うシャープペンシルの芯たち。折れてどんどん数が増えていく。気がつけば回遊魚の群れよりも多くなっていて、デスクの上はキノコの踏み場もないくらいだ。
電池はというと、エンピツが無いから仕方なく空を飛んだ。
羽も羽根もない電池がどうやって空を飛ぶのかというと、空が落ちてきたのだ。誰も自由に飛んでるなんて言ってないじゃないか。
空が落ちてきたので今日はもう夜になった。
電池は眠りにつく前に化学反応を止めた。そうしないと豆電球のやつに見つかったときにピカピカ光ってしまうからだ。あいつは人の迷惑を考えないからな、と電池は溜息をついた。
じゃあ、今日もおやすみ。朝になるには下水に流れている太陽を拾い上げないとね。
―――というわけです」
根岸「止めるタイミング見失ったわ! なんだこれ!」
佐原「かくかくしかじかの中身です」
根岸「キミのセリフの中に他の人のセリフ入っちゃってるじゃないか」
佐原「ナミナリですね」
根岸「なんだ、電池がどうなったんだ……というかなんだったんだ……」
佐原「ト書きもかぎかっこも自由自在です」
根岸「うん、そうだね、自由だね……」
佐原「まあ、つまりはそういうわけです」
根岸「そういうわけって、なんださっきのは……」
佐原「シュールレアリズム的なやつです」
根岸「ええ、と、いや、うん。あのね佐原くん」
佐原「はい」
根岸「なんで我が社を志望したのかを聞いたんだけど?」
佐原「はい! かくかくしかじかで!」
根岸「だからそのかくかくしかじかの中身を―――」
佐原「ですからナミナリが―――」
根岸「誰なんだね……」
佐原「ナミナリはスペース銀行マンです」
根岸「今度はSFか」
佐原「いえ、空き地でひとり銀行業務を行う悲しい男です」
根岸「スペースって」
佐原「空き地です!」
根岸「そうか……いやそうじゃなくてね」
佐原「シュールレアリズムに意味を求めてはいけません」
根岸「特に意味はないのかね、さっきのは」
佐原「もちろんです」
根岸「……。話を戻そう」
佐原「はい、この宇宙におけるちっぽけなひとつの人生に意味はあるのかという話ですね」
根岸「そんな大きな話はしていないよ。今の話は、キミが何故、うちに入社したいと思ったのか、だ」
佐原「特に意味も理由もありません! なんとなくです!」
根岸「言い切ったよこいつ」
佐原「シュールレアリズム的なやつです」
根岸「意味なんてないのか……」
佐原「いえ、あるかもしれません。ないかもしれない意味を深く考えたりするのもシュールレアリズムです、たぶん」
根岸「んー、……つまり?」
佐原「志望動機は、入ってから考えます!」
根岸「……」
佐原「どやぁ」
根岸「―――不採用通知は、追って送りますので」
佐原「あ、はい」
閉幕