化けの皮
「それでは、血盟決議を始める」
厳かな宣言により、魔法士による魔法士のための評議会は、開催された。
魔法都市の権力者が集う議事堂、その入って正面にある大広間に、儀式場は開かれている。
広間の中心には魔法陣と、その中央に鎮座し、厳格な佇まいを見せる書物台。
その台の上には、魔法道具である羊皮紙が1セット、置かれていた。
台の傍には誰もおらず、儀式を執り行うゲーティオが、陣の少し離れた場所で杖を持って魔法を行使している。元来は数人がかりで行う魔法儀式だが、秀才ともいえるゲーティオの手腕ならば一人でも行えることが可能であったが故である。当然、儀式行使者のゲーティオは投票権を得られないが、当人もそれは了承済み。
まず、血盟決議は権力を持つ重鎮たちから投票を行う。上位講師、下位講師、一般魔法士という順繰りで投票を行うのだが…当然だが、カルヴァンの全魔法士が書き終えるだけで、とんでもない時間がかかる。故に、議事堂だけでなく別の場所にも投票場を設けており、そこも含めて票を集計するという、一日がかりで行われる儀式でもあった。
始まってすぐ、次期議長の候補者二人がそれぞれ演説を行った。各人のスタンス、政治的思想、それら諸々を改めて告げ、ようやく投票が行われる。
重鎮からの投票ということで、帝都からやってきている実権を握る魔法士が記名する。
指先に小さな針を突き刺せば、それは血を吸って赤くなった。それをたくさん置いてある小さな小瓶に入れれば、中のインクと混じり合って黒く染まる。そこにペン先をつけて、羊皮紙に記入する。この血の入ったインクが、当人識別を可能とするのだ。
なんとも、見慣れないものにとっては痛そうな儀式だが、そこは魔法道具の恩恵でさして痛みはなく、針を抜けば瞬時に癒えるのだ。
それを眺めているメルは、気を引き締めながらも周囲の様子を警戒していた。
(動きはありませんわね。けれど…嫌な予感が拭えませんわ)
彼女の予感、背筋がゾワゾワし、悪意の籠もった視線がこちらを睨めつけているのを感じ取れる。
それでも出処がわからず、メルは口端を引き締めることしか出来ない。
「それでは、メルサディール殿下」
名を呼ばれ、メルは顔を上げて前へと進み出る。
周囲から期待の満ちた目線を送られ、内心ではため息を吐きながらも、表面上は自信満面な笑みを浮かべる。いつだって外面は大事なのだと、この歳になれば悟るものだ。
書物台に向かい合い、たくさんある針の一本を取り、指先に刺す。
…少し指先が引っ張られるような感触。
インク瓶に針先を入れれば、中の血と混じり合う。
そして、ペンを手に持ち、メルは真っ白な羊皮紙と向き合った。
(…本当に、よろしいのかしら?)
冷や汗が流れる。
警鐘は確実にそれを止めろと訴えているのだが、メルとしては止めるわけにも行かない。
先程のカロンの言葉を、脳裏で思い浮かべる。
『良いかね?クレイビーはお前が罠にかかるのを待っているようだ。別にかからなくても問題ないとは思っているようだが、できることなら万全を期したい。だから、お前はあえてその罠に飛び込んでほしい』
いざとなれば自分がなんとかするから、と飄々と言い放つ老人に、メルは非常に胡散臭いものを見る目をしたものだ。
(おじい様の事でしょうから、どうせまたケルティオに無理をさせるつもりでしょうね)
どうにも、カロンはケルト達の鍛錬や戦力増強に注力している。裏を返せば、彼なりに急がねばならない理由があるのだろう。
無限に近い時を生きる神が急ぐ理由。
それに、メルもなんとなく予兆を感じ取っていた。
(…仕方がありませんわね)
自分は勇者だ。だが、自分一人で全てをなんとかできるとは思っていない。
ゲッシュやラーツェルなどの味方が居たから、使命を完遂できたと実感しているメルにとって、背中を任せられる後輩を育てるのは必須でもある。
それに…、
(それに、彼らが次の世代を導いてくれるでしょうし、ね)
時代は巡る。メルは勇者として既に役割を終えているが、歴史はまだまだ続いていくのだ。その先、メルが居なくなって後にも、この世界を支えられるような者たちは必要なのだ、と彼女は考えていた。
だから、次世代の若者を育てるために、メルはあえて虎穴へと足を踏み入れたのだ。
「…終わりましたわ」
血の署名は、書かれたと同時にスゥっと皮紙に吸い込まれて、シミ一つ残さない。
それに背を向け、メルは覚悟を決めて杖を握った。
・・・・・
・・・・
・・・
「…それでは、当会場での投票は全て終えたということで、全体開票まで休憩としよう」
魔法陣の上で行使し続けるゲーティオの言葉に、人々はどこか気の抜けた様子で互いに話し始める。皆が皆、この状況で行われる儀式に、不安を感じていたのだ。
ただの取り越し苦労ならば良いが、とメルとゲーティオはそれぞれホッとしつつも、警戒を深くさせながら議会場を見回していた。
と、その時。
「…た、大変ですっ!!」
バッターン!と大扉を叩き開けながら飛び込んできたのは、警備兵の一人だ。
「どうした!?」
騒然とする場で、ゲーティオだけが凛とした口調で尋ねれば、警備兵は呂律が回らない様子で口を動かした。
「きょ、きょ、巨大な魔物が…魔物が、カルヴァン上空に現れました!!」
「なんだと…!?結界はどうした!?」
「はっ!け、結界のおかげで巨大な魔物の侵入は抑えられておりますが…た、たくさんの魔物が、巨大な魔物の身の内から現れ、今にも突破してきそうです!」
その報告にメルは思考し、これはすぐに出るべきだと頷いてから、ゲーティオへ声をかける。
「ゲーティオ様、アタクシが出ます。貴方は皆様と一緒に、ここの守りをお願いしますわ」
「…最高法士としては不甲斐ないばかりですが、頼みます」
ラドリオンから私兵部隊を率いていたとおり、ゲーティオは指揮官として戦場に出る立場の人物だ。しかし、現在はカルヴァンの議長代理でもあり、そちらの方が優先される。
どちらにせよ、ゲーティオがここの守りに回ってくれねば、何かあった時に面倒なことになりかねない。
後ろの守りを任せるつもりで頷き、メルは出口へと歩を進めようとした。
その一歩を踏み出した途端、
ゾワリ、と、メルの背筋が泡立った。
「…ヒョッヒョッヒョ!まあそう急ぐことは無いであるぞ、勇者よ!!」
「っ!?この、声は…!!」
突如として響き渡った甲高い声に、メルは咄嗟に振り返って杖を向けた。
そこに居た人物はニヤリと笑みを浮かべ、
パチン、と指を鳴らした。
…瞬間、メルを含めた全ての魔法士が、膝を付き地面に崩れ落ちたのだ。
※※※
「な、なんだねあれはぁぁっ!?」
「魔物…なんて、大きい…!!」
カーマスの悲鳴に関わる暇もなく、冷や汗を流しながらも、ケルトは巨大に浮遊するそれを見上げて観察していた。
白い鱗を持ち、長大な胴を晒す大蛇だ。
体のそこかしこから、巨大な蜘蛛の足のようなものが伸び、ギョロリとした多くの白い目玉がこちらを睨めつけている。長い顔の中央にあるひときわ大きな目玉は、ぐるぐると周囲を睥睨するように回転してから、その下の口を開いておぞましい遠吠えをした。
「…クレイビーめ、あれが真打ちですか!」
「どどどど、どうするんだねケルティオ!?あ、あんな巨大なのに立ち向かうってわけじゃなかろうね!?」
「安心してください、メルさんの結界がある限り、魔物は手を出せないはずです」
ケルトの言葉を裏付けるように、巨大な魔物は都市へ頭を向けるのだが、それはバチンと叩かれたように弾かれる。忌々しげにガリガリと節くれだった虫のような細い足で削り取ろうとするも、その結界はびくともしない。
「は、ははは!な、なんだい驚かせてくれるね!あんな巨大なだけの木偶の坊、この僕の華麗な魔法で仕留めてあげようじゃないか!!」
カーマスの強がりな口上に触発されたのか、周囲にした魔法士もそれに反応して触媒を向けた。
放たれた大小様々な魔法は結界を通り抜き、すべて魔物の腹側へと直撃する。
命中と同時に轟く轟音と、怪物の遠吠え。
「ど、どうだね!?これが僕らカルヴァンの…」
「…いえ、無傷のようです」
「ええっ!?」
遠見の魔法で観察するケルトの目には、傷一つ無い魔物の体が見える。
その様子を見て、ケルトは眉を顰める。
「クレイビーめ…なにか細工をしていますね」
「ま、魔法をこれだけ放っても無傷ってどういうことなんだい!?」
「おそらく何か、アミュレットのような物を持たせているのかもしれません。奴が錬金術を習得しているのなら、ありうることです」
アミュレットは所持者がヴァルを込めることで効果を発動し、魔法などを軽減したり増幅したりする魔法道具である。昔からある割とポピュラーな代物なのだが、ここで敵が持っているのは予想外であった。
しかも、本来は作成者当人しか扱えないアミュレットと違い、あれはおそらく錬金術で作成された魔法道具であろう。だから意志なき魔物でも、その効果を発揮する。
そこまで察したケルトは、周囲へ聞こえるように叫んだ。
「遠見の魔法でアミュレットの位置を探してください!それさえ破壊できれば、敵はただの張子の虎です!」
「な、なるほど!ならば僕だって!」
魔法士達は遠見の魔法を詠唱し、拡大された視界で敵の姿をつぶさに観察する。
「うぅ…き、気持ち悪い…」
しかし、その巨体とグロテスクな姿は、虫嫌いな者にとってはなかなかにショッキングであったようだ。青くなっているカーマスを尻目に、ケルトは風の精霊を用いて送言の魔法を行使し、メルへと連絡しようとした。
「メルさん!メルさん…!!…くっ!繋がらない!?まさか邪魔されているのですか!?ならば…ラーツェルさん!…ダメか!」
風の精霊の戸惑いようから、おそらくあちら側の精霊に何かが起こったようだ。身の危険から契約を無視して逃げ出したか、食われたか…。
メルの次善策も、どうやら敵の方が一枚上手であったようだ。
「ぐぁ…!?」
「うがぁ…か、体、が…!」
「こ、今度はなんだい…!?」
周囲の声に意識を戻せば、思わずケルトは目を見開く。
幾人かの魔法士が、急に苦しみ藻掻くように地面に崩れ落ちたのだ。駆け寄って見てみれば、身体に纏わりつくような魔力の糸…ケルトのような存在にしか見えない、魔力の繋がりだ。繋がりはその人物の生命力を吸い取っているようで、キラキラとした糸の先は、議事堂へと向かっている。
「これは…まさか、儀式が原因か…!?」
やられた、とケルトは思った。
血がキーワードだったのは気づいていたが、まさかそれを逆手に、大多数の魔法士を無力化してみせるとは。見れば儀式参加者である魔法士のほとんどが蹲り、動ける状態ではない。
そうこうしていれば、結界に取り付いた大蛇の体中から、小さなムカデの魔物たちがモゴモゴと現れた。それはウゾウゾと大蛇の身体を這い回り、結界の一点をガリガリと削り始めた。バリバリと反発によってムカデ達の身体は削れているが、そんな事は意に返さない様子で、奴らは結界を一点突破しようとしている。
その有様に、皆はゾッとした様子で顔を青ざめさせていた。
「な、なんて気味の悪い連中なんだ!まさか突破されないだろうね…」
まさか、とは思うのだが、見ている側としては恐怖しか感じない。
「…ともあれ、動けない人々を安全な場所へ…」
ふと、気づいた。不可視である、闇の精霊が場違いにも集ってきているのだ。
キラキラと、黒紫の光は一点を目指して向かっていき、その視線の先に居たのは…
天を見上げる魔法士の只中で、何かを持って詠唱する、黒髪の子供。
その子供は紫色の瞳を見開き、地面へ手を翳していた。
「…シェロ・ズーヨル・ゲン・バドレ・アシャル…」
(第7レベル魔法…!?)
どだい、子供どころか普通の魔法士では不可能なレベルの魔法を感知し、
―――あれは敵だ!
ケルトは背筋を凍らせながら咄嗟に杖を向けた。
「カトゥ!」
放たれた一閃。
しかし、少年、アズキエルは、ニヤリと笑みを深めてケルトを見た。
瞬間、
パシュン、と、光の魔法は直前で消し飛び、同じくアズキエルの持っていたネックレスの石の一つが、パキンと割れて粉々となった。
それに、ケルトは目を見開く。
「…魔法道具…アミュレット!?まさか光魔法を無効化する代物ですか…!」
そして、アズキエルは最後の1音を、放った。
「…ヴェルシア!」
…次の瞬間、アズキエルの周囲の影がボコボコと盛り上がり、それは人型の影の戦士となって立塞がる。と同時に、アズキエルの持っていた飾り石が次々と割れて全て砕け落ちる。
驚愕に包まれる場で、更にアズキエルは同じ首飾りを取り出し、地面に手をついて詠唱した。
『第8の光の精霊よ!巡り巡れ、そして解け!楔を解き放つ呪とならん!』
「っ!!まずい!!誰か彼を止めてください!!」
解呪の印を打とうとする子供の脅威にようやく反応したのか、周囲の者たちがめいめいに動いた。
しかし、
「ぎゃあっ!?」
それを阻むように、呼び出した影の戦士が近づく者へ攻撃し、弾き飛ばした。
「くっ!」
ならばとケルトが魔法を放てば、それは確かに敵を貫き霧散させた。しかし他の者の魔法は、何故か効いている素振りがない。
(何故…!そうか、あれは闇の7レベル魔法の存在。特攻である光魔法以外の攻撃が通用しないのか!)
しかも、強い魔法でなくば効果が薄い。
同じ事を思ったらしき動ける魔法士が光魔法を放つも、それらは影に止められ霧散する。
…光魔法の適正を持つ魔法士は、珍しい。ある程度の適正が無くとも魔法は扱えるのだが、5レベル以上となれば、ほとんどの者は他属性を扱えない。基本、自分の得手な属性を伸ばすからだ。そのため、弱い光の魔法が闇の魔法に負けて霧散したのだ。
ケルトも大急ぎで魔法を唱え、影の戦士を貫くのだが、それより先に相手の方が早かったようだ。
最後の一音が放たれ、そして…、
カルヴァンを覆っていた勇者の結界が、いっそ簡単なほどにパチン、と弾け飛んだのだ。
※※※
強力な魔力の負荷に晒されて膝をついたメルの前で、その人物は微笑みを浮かべて腕を広げる。
「なんともなんとも、まさかお主がこれに嵌るとは、思ってもいなかったであるぞ」
「…なんてこと、貴方が…」
「然り」
その人物、サーテュは、ニヤリと笑みを深めてメルを見下ろしている。
メルが視線を巡らせれば、コルショーやシオルを含めた周囲の全ての魔法士が膝をつき、また倒れ伏している。例外は報告に来た警備兵だが、そんな彼も悲鳴を上げて逃げ出してしまった。懸命である。
そんな膝をつく人々の只中で、サーテュ…否、サーテュに変じていたその人物は、胸からぶら下げていたペンダントの紐を千切る。カシャン、と首からそれが落ちれば、姿は影のように変化…否、戻ったのだ。
その顔を見たメルは、思わず叫んだ。
「…クレイビー・カルネット!」
「左様、久しぶりであるなぁ?救世姫よ」
ニヤリ、と左目を見開いたままの、陰湿な笑み。真っ白な髪に真っ白な瞳の老人は、あいも変わらず飄々とした様子で佇んでいた。
そんな相手へ、メルは憎々しげに睨めつける。
「随分と陰湿な魔法ですわね…やはり、血を扱った魔法!」
「正解である!これは我輩が最近になって作り上げた、錬金術を用いた巨大錬成儀式であーる!」
「いったい、どういう目的ですの?あんな代物、普通ならば何の効果も与えられないはず」
「否、否!お主の勇者としても彗眼も所詮はその程度であるか。確かに錬金術にはヴァルタイトなどの魔力補助石が必須となっているであるが…そのようなものに縛られるなど愚の骨頂!ヴァルタイトは精霊の放つエネルギーが自然に宿った蓄積物であり、これを人為的に作り出すとなれば確かにいろいろと問題が山積みである。しかし!それを成し得る解法は、いくつか存在するのである!」
あいも変わらずペラペラと捲し立てるお喋りな老人に、メルは眉を顰めつつ様子を見る。まだ、こちらへ手を出す気はないようである。
ならば、今は時間を稼ごう。メルはそう思った。
「…解法、それは、つまりヴァルタイトの代わりとなる力を得た、ということ、ですの?そんな代物………いえ、まさか…!」
「そのまさか、である」
ニヤニヤと笑みを深めて、クレイビーは半円を描くように腕を振るう。
「人には生命力がある。そのエネルギーは、ヴァルととてもよく似ているのであるぞ」
「…血盟決議に参加した人々を生贄に!?そんな、とんでもないことを行うおつもりですの!?」
「至極、効率的な手法であろう?血という繋がりを介して、参加した全ての魔法士の生命力を逆流させ、変換し、消費させるのである。倫理観さえ逸脱すれば、効率よく大量破壊兵器を作り出すことが可能な手法。これこそ、人が、帝国が求めている消費物である」
ギリ、とメルは歯を噛みしめる。敵の意向が理解できたのだ。
クレイビーは今回、血を基点に魔法パフォーマンスを用いていた。これもまたヒントだったのだろう。
血という繋がりを用いて、魔法士全ての命を生贄にするという、ヒント。
このゲームをフェアにするための、遊び。
それを理解し、メルは悔しげにしながらも口を開く。
「…どうやって…どうやって貴方は、血盟決議を横入りすることができましたの?アタクシは貴方も含めて警戒しておりましたけど、詠唱などというそんな素振りは、いっさい無かったはず」
「ひょっひょっひょ!甘いなぁ、実に甘いであるぞ!この議会場が儀式に使われるとわかっておったのならば、まずはそこの捜索を第一にすべきであったなぁ?」
クレイビーは、トントン、と地面を足で蹴った。
それに疑問符を上げてから、メルは目を見開く。
「まさか…この絨毯の下…!?」
「左様、この巨大なカーペット、実に良いカモフラージュになったである」
議会場には広く大きな絨毯が敷かれている。わざわざ、こんな代物を剥がしてみようとする酔狂な者などいない。この絨毯の下に、クレイビーは一年かけて儀式へ横入りする魔法陣を描いていた。だから、指を一つ振るうだけで、全ては済んだのだ。
クレイビーはメルを愉悦の目で見下ろしながら、歩き回りつつお喋りを続ける。
「しかししかし、あの死体の持ち主が誰かは、わからなかったようであるなぁ?」
「…あれは、サーテュ教授、でしたのね」
その問いに、クレイビーはニヤリと笑みを返す。
「そのとおり。以前、我輩はこの学園都市を舞台に、一つ騒乱を起こそうと思いついた。その際に内部へ入り込ませるスパイが欲しかった故に、ちょいっと人間を一体ほど拝借したのである。念入りに、我が同輩の魅了をかけて、な」
それは、赤い髪の吸血鬼の仕業だったのだろう。魅了に抗える人間は少なく、それは魔法士とて同じこと。
「そしてお主らとゲームを始めようと思い立ち、不要となったアレは処分したのである。まあ死体は燃やすより、どうせならゲームの演出に良かろうと思い立ってな?ああして装飾を施したのであるが…ご感想はいかがだったであるか?」
「悪趣味の限りですわね…!」
「ご好評のようで何よりである。…しかし、理解できぬはお主だ、勇者よ。何故に我が罠に自ら掛かったのであるか?勇者ならば、この程度の障害は理解できていように」
「あら、お褒めに預かり恐縮ですわね…けれども、あいにくとこれっぽっちも罠は察していませんでしたの」
「嘘はいかんであるなぁ、嘘は。嘘をついてはダメだと親から習わなかったであるかぁ?」
「あいにくと両親ともに疎遠ですので」
「ふむ、帝国の家庭事情というのも問題だらけであるな。健全な精神は健全な肉体と家庭環境によって成し得るものである。その点、お主は稀有な例ではあるが」
カツカツとメルへ歩み寄り、クレイビーはメルの髪を無造作に鷲掴み、その目を見下ろす。
真っ白い、何色にも見えぬ、虚無の色。
「あの老人の助言であるか?」
その言葉に、メルは僅かに口端を歪めた。
笑みにも見えるそれに、クレイビーは軋んだように嘲笑った。
「なるほど、やはり、かの魔法士の入れ知恵か…おかしいと思ったのである。勇者は最悪を予知する。それは我輩ら虚無にとっても、実に厄介な能力の一つ。それをこの程度の罠で突破できるなどありえぬ、とな。まあ本来はもう2・3重の罠を仕掛けておったのだが、無意味になったようで至極、残念である」
髪を放しながら、本当に残念そうに肩を竦める。
虚無の前で膝をつく羽目になったメルは、胸中で憎々しげにカロンの顔を思い浮かべる。
(もう、おじい様…!いったい、いつ出てらっしゃいますの!?)
「しかし、あの老人。いつになれば出てくるのか…今を置いて他にはあるまいに」
奇しくも思考が被ったようだ。
汚らわしい敵と考えが被るなんて!と、そんなことを思っていた間際、
「おっと、そういえばお主のことを忘れておったな?」
パキン、とクレイビーの胸元で飾り石が一つ割れ、同時に着弾した炎が眼前で燃え盛った。しかしその熱気すら歯牙にもかけず、クレイビーはゆらりと視線を巡らせた。
「ゲーティオ・アレギシセル最高法士殿?」
その視線に先には、険しい顔で杖を突きつけるゲーティオの姿が。
この場で唯一人、儀式に参加しなかったゲーティオだけは、弱体化から逃れられていたのだ。そのまま、様子を見つつ攻撃する機会を伺っていたのだろう。
そんなことはともかく、とばかりにクレイビーは両腕を広げた。
「いやはや、帝国の図抜けた阿呆共から最高法士という栄誉を与えられた若き秀才!その実力は如何ほどかとお見受けしたかったのであるがなぁ?これは良い機会になりそうであるぞ」
「………なるほど、貴様があの赤い女の仲間、ということか」
「ひょっひょっ!我が同輩より聞いておるぞ?さして実力は感じられぬが、あの青二才の親族なだけはあって、確かに魔法の才能はあるだろう、と。しかししかし、我輩から見ればそれは的外れ。魔法の才すら凡人の域を出ぬ凡俗である」
挑発とも言える言葉にゲーティオは眉を顰め、杖を掲げて詠唱をしようと試みた。
「おっと!まあそう逸るものではないぞ。しばし待たれよ」
しかし、クレイビーは掌でそれを制して、くるりと指を回して詠唱し、虚空に魔法陣を描き出す。
魔法陣は低い音を立てながら、空中に両腕を吊り下げられた、一人の少年を召喚したのだ。
少年は意識を失い、蒼白な顔色を晒していた。
「っ!?コルティス!!」
息を呑むゲーティオへ、クレイビーは楽しげに笑う。
「左様!元はあやつと遊ぶために捕らえたのだが、まあお主とでも問題はない。…アレギシセル最高法士殿?この弟君の命を賭けて、我輩と遊んではくれぬだろうか?」
「貴様っ!!」
「おっと、我輩の拘束呪は強力であるぞ?解呪するだけ時間の無駄。むしろ、我輩を殺した方がよほど早かろう?まあ、戦意を喪失してこの小童が死するまで指を咥えて傍観しているのも、乙なものであろうがなぁ?」
軋んだ笑い声を上げるクレイビーへ、ゲーティオは怒りの形相で魔法を放つ。
それを掌で受け止め、クレイビーはケタケタと嘲笑った。
「ぬるいぬるい!ならば今度はこちらから行くであるぞ!?」
そして、クレイビーは戦いの火蓋を切って落とした。




