光精の旅路2
…長い時が経った。
人の友と別れて後に、彼は小さな精霊として、世界を放浪し始めた。火山を眺め、大空を駆け、海原を潜り、大地に触れた。確固たる目的など無い旅立ちだったが、それはペッレと出会う以前には存在しなかった衝動であった。
いつしか、彼は多くの人に興味を持ち、触れ合うようになった。
幾度かの厄災に恐れ、幾度かの魔王と勇者の戦いに同行し、幾千もの定命の者たちを看取った。
そしていつしか、彼も再び力を取り戻し、以前のような高位精霊として存在するようになった頃。
大きな輝きに呼ばれたのだ。
『すまないね。星の神エレゲルがやってきて、「勇者に仕える精霊を捧げなさい。此度の勇者は、やや特殊です。優遇しすぎず、程度な距離感で付き合えるように、自我の強い存在にしなさい。そしてティニマ様の元へと案内するのです」という命を発してね』
大きな輝きは困ったような色を発しながら、以前と同じく、彼へと尋ねた。
『再び、勇者の手助けをしてやってはくれないか?』
…それに、彼は少し悩んでから、肯定したのだ。
・・・・・・
勇者は、少女だった。
齢14歳、人間としては年若く成長期で、体つきもまだまだ不完全な頃合いだろう。
少女は高慢だった。それはもう絵に描いたような。
そもそもこんな性格になった発端は、勇者の姉が彼女を苛め抜き、家から追放したのが原因らしい、というのは彼女の周囲に居座る小精霊から聞いた話だ。それに怒りと悲しみを強く抱いた勇者の心根が、かなりねじ曲がってしまったようだ。
今もそうだ、帝国学園の食堂にて、勇者は優雅な手付きで食事を摂っていたが。
「…あら?おかしいですわねぇ、どうしてアタクシのお皿に、嫌いな食べ物が入ってらっしゃるのかしらぁ?」
料理長をお呼びなさい、と命じれば、周囲は戦々恐々としながらそれに応じる。
出てきた料理長の前で、勇者は微笑みを浮かべて言う。
「アタクシ、以前に言いませんでした?この野菜は入れないように、と」
「も、もうしわけ御座いません姫様!手違いがあったようでして…」
「そうですね、でしたら、謝意を示していただかなければなりませんわよね?」
勇者は、完璧な微笑みを浮かべながら、料理長の眼の前でボトボトと料理をぶちまけて、踏みにじった。
「この上で跪きなさい」
この勇者はダメかもしれない、と流石の彼もそう思ってしまった。
そして、その空間には恐怖と畏怖と、軽蔑の感情ばかりが渦巻いていた。
…人間というものは理解できない生き物だ、と彼は思う。
悪意や隔意で人を貶めるくせに、打って変わったように他者へ温情を示す。その大きな感情の音は、意志が希薄な精霊にとってとても響く代物だ。だから、大きすぎて理解できない。間近で聞く大音響の鐘の音みたいなものだ。
勇者の気持ちなど、彼には理解の範疇外だ。ただ、今の彼女の状況が褒められたものではないのだということは、理解出来た。しかし、彼が勇者へ話しかけても、彼女はその声がうまく聞き取れていないようだ。心が殻に閉じこもっているからだろう。相手が拒絶すれば、たとえ適正があっても声は届かなくなる。
そのため、勇者の性格の矯正は儘ならぬまま、時が過ぎ…、
案の定、勇者は失墜した。
「アルブレス様…!?そんな端女と、どうして貴方が一緒にいらっしゃるのですか…!?このアタクシを差し置いて!!」
「…メルサディール、僕はもうウンザリだ。君はやりたい放題やってばかりで、学園の品位を落としている!そんな相手は婚約者に相応しくない!」
「そんな!?あ、アタクシのどこが相応しく無いと!?」
「あらあら、貴方のそのワガママばかりで奔放な生活態度を、改めてみたらいかがかしら?お姫様。貴方に侮辱された人間が、どれほどここにいるとお思いで?」
「この…女狐!貴方がアルブレス様を拐かしたのですわね!?いったいどんな卑怯な手段で…!」
「勘違いされては困るのですが、アルブレス様は私に指一本触れておられません、メルサディール殿下。そのすぐ男女をくっつけたがる妄想癖、改められた方が宜しいですね」
「な、なんて侮辱を…このアタクシに向かって!」
「アルブレス様に近づいた女生徒への当てこすりや嫌がらせ、知らないとお思いで?」
学園主催のパーティで起こった事件。勇者の婚約者が告発するという大騒動で、事態はてんやわんやの大騒ぎとなったのだが、精霊な彼にとっては至極、どうでもいい出来事である。
尚、婚約者の傍にいる女性だが、彼女はかなりの野心家らしい。積極的なアプローチをバレないようにかけており、怪しげな薬を混入して婚約者へ飲ませていたのを彼は見ていた。指一本触れていない、などと言っているが、実際は逢瀬の際にキスしているのも見ていた。たいそうな二枚舌だな、と彼は退屈そうに思う。
ともあれ、勇者のこれまでの態度に激怒した婚約者、もとい元婚約者の告発によって名誉は失墜。更に勇者の姉の口利きによって皇帝にもその話が行ったようで、婚約はスピード解消、一夜のうちに勇者はすべてを失ったのだ。
「うぅ…ひ、ひどい、酷いですわ…!あ、アタクシがなんでこんな目に…!!」
ベッドに伏して打ち拉がれている勇者だが、精霊としては何故このような騒動で精神的ダメージを食らっているのか、理解に苦しんだ。なので、とりあえずこの後の試練に立ち直ってもらうためにも、精神的ケアを狙って慰めてみたりする。正直、彼女の心境は理解できないが。
「…声が、聞こえますわ。貴方は誰ですの?昔から変な声が聞こえてましたけど…ぐすっ、あ、アタクシの味方になってくださるのね?」
境遇に関しては、自業自得の部分も大きいとは思うのだが、味方なのは事実なので肯定しておく。
それに、勇者は少しだけ顔を歪めて、涙を流していた。
・・・・・
翌日、エレゲル神から神託が下ったらしく、帝都は再び騒乱に包まれた。
天光神の眷属神からの託宣に、各教会は嬉々として布告を成した。
曰く、メルサディール・アルクーゼ・セラヴァルスは勇者である、と。
一方、帝国としては頭の痛い出来事であった。今まで冷遇してきた上に一時は修道院送りにした娘が、勇者であったなど。それに一番戦いていたのは、勇者の姉であったのだが。
しかも勇者の悪評は今や帝国中に響き渡っている。このまま使命を全うできなければ帝都の威信に関わる。
故に、帝国は一つの決断を成した。
皇城の玉座の間に呼ばれたメルサディールへ、皇帝は言った。
「メルサディール。お前は今日より、勇者の使命を帯びて旅立つがよい。無論、責任感の強いお前のことだ。国のことが気になるやもしれぬが、それには及ばぬ。皇族の地位は保留とし、勇者としての使命に集中するがよかろう」
要は、ただの厄介払いである。
もしも勇者が使命に失敗しても、出奔しているから無関係と主張できるし、よしんば帰ってきたら元の境遇に戻せば良いのだ。それに民へは、勇者自ら皇族の地位を捨てて旅立った、と、そう説明すればいいだけ。
そんな進退極まった勇者は、呆然としていたのだが、しかし意外にも彼女はすぐに笑みを浮かべて宣言した。
「お心遣い、感謝の念に堪えませんわ、皇帝陛下。世界救済などという関門、このアタクシの前では赤子の手を捻るよりも簡単でしてよ!!」
オーホッホッホ!と高笑い。しかし目が据わっている。
異様な様子の勇者はいろいろと吹っ切れたようで、今までのような暗い感情よりも清々しい…というか、もはやどうにでもな~れと言わんばかりの感情を迸らせながら、数名だけのお供を連れて帝都を旅立った。馬車に揺られる間も、少ない護衛…精鋭とは名ばかりで、実態は厄介払いされてきた兵士や騎士である…の中のドワーフが、馴れ馴れしく話しかけて来たりしたが、邪険に扱いつつも傷心模様だ。
『どうして、そこまで気落ちしているんだ?』
港町の夜、彼の問いかけに勇者はアンニュイな音で返した。
「アタクシ、勇者が務まるとは思えませんの…なんでアタクシなんかが…ありえませんわ、何かの間違いに違いないですのよ…」
『だが間違いなく、貴方は勇者だ』
「どうしてそう言えますの?」
『貴方の魂が、そう告げている』
「ふん…魂、ですのね」
勇者は胡乱げに虚空を見上げながら、呟いた。
「ならどうして、アタクシは最初から勇者じゃなかったのかしら?それならエリエンディールお姉さまにイジメられることも、アルブレス様と別れることもなかったですのに…」
『貴方はあのアルブレスという男を、まだ好いているのか?』
「当然ですわ!だってあの方はアタクシの…」
『貴方を裏切ったのに?』
「っ…!!」
『私から見れば、奇妙な関係だ。なぜなら貴方と彼は、ほとんど会ったことがないのに、好きだと言える。それはどうしてだ?』
詰まる彼女へ、彼は悪意なく尋ねる。悪意が無いだけ、その疑問は勇者に突き刺さったようだったが。
そのまま勇者は何も言えずに、「…もう寝ます」と、ふて寝してしまった。
それにキョトンとしながら、彼は彼女の傍に付き添っていた。
どうにも、人間の、思春期の少女の心というのは、複雑なようだ。
…それから、勇者の長い旅が始まった。
獣種の住まうザーレド大陸を渡り、彼らの王国で歓待されながら森を踏破して火の神殿、南の砂漠を乗り越えて風の神殿にたどり着いた。森でディア族に襲われて簀巻きにされた挙げ句に食べられかけ、火の神殿では爆弾を調薬しろという試練で山一つふっ飛ばし、出会った獅子の獣種に大笑いで背中を叩かれた衝撃でふっ飛ばされ、とりあえず受難は続いた。
「ふ…ふっ、ふふふっ!このアタクシへの挑戦、大いに結構ですわ!この程度、今までの恥辱に比べれば子供だましのようなもの!!」
彼女にとって苦難とは、プライドへの損害の度合いで決まるようだ。
各精霊王から渡された書物…錬金術が記された秘本を片手に、夜遅くまで勉学と実験に明け暮れた。
そんな彼女を心配するのは、髭面のドワーフと、白い騎士である。
「よぉメルメル!昨日も寝不足なんだろ?もっとぐっすり眠らなきゃ駄目だぜ!俺みたいになぁ!」
「貴方は寝過ぎですのよゲッシュ!?…と、ともあれ、使命の前では徹夜など当然です。一分一秒でも早く使命を完遂せねば、世界が危ないのですから」
「ですが姫、体調管理も使命の一つと心得るべきです。貴方が倒られては元も子もない」
「わかってますわよ!」
勇者は邪険にしながらも、ドワーフの事は嫌っていないようだ。むしろ、白騎士の方への敵意が強い。彼女にとって、白騎士は嫌いなタイプの人間のようだった。とはいえ、彼から見れば白騎士の勇者へ向ける感情の音は、どこか浮ついているようにも聞こえるのだが。
ともあれ、2つの神殿を攻略し、お次はメルディニマ大陸へ。
翼種の住まう山岳大陸では、ヒップフォークに乗って大空を駆けまわり、翼種の天族・地族の王族に歓待されながら、水の神殿と土の神殿へと辿り着いた。
その最中、天族の刺客によって崖から落とされたり、それを白騎士が庇って大怪我を負ったり、空を歩く老人に助けられたり、その老人に「おじい様!?」と叫んで驚かれたり、そのまま弟子入りして錬金術の習得のために一年近くを過ごしたりと、とりあえずいろいろとあった。
この頃になると、少女だった勇者も、女性としての丸みを帯び、その聡明さが顕著になってきていた。不貞腐れて帝都の中に囚われていた時とは違い、今の彼女はどこかのびのびとしている。
中でも、彼女が白騎士へ向ける目は、どこか以前とは違っていた。
『貴方は彼を好いているのか?』
と尋ねれば、勇者はポカンとしてから、ぽっと両頬を染めて考え込んでしまった。どうやら、本当に好意を持っているようだ。あの元婚約者への恋慕と似た、否、或いはそれとは別種の感情だ。しかし、どこか耳心地の良い音であった。
何故、あれほど嫌っていた者へ、唐突に好意を寄せられるのだろう。
彼にとっては不思議でならなかった。助けられたことは確かに良いことだろうが、だが白騎士にとってはそれが仕事なのだ。死んででも勇者を守るという任務を帯びている彼にとって、それは当然の行為であると精霊の彼は思った。
だが、それよりも人の心はずっと複雑怪奇だ。
憎悪が反転して愛情となるように、ふとした切っ掛けで相手への思いは裏返る。どこか余所余所しい勇者の態度に気づいているらしき白騎士は、やはりどこか浮ついた音を出しているのだから。
二人の音は響いて合わさり、どこか暖かな音となって漂っている。
この共鳴は、彼らの言う愛なのだろうか、と彼は思った。
精霊である彼には理解できなかった感情。
…だが、ここで彼は、ようやく気づく。
ペッレを救おうとしたあの衝動は、きっとそれに近いものなのだろう、と。
…人間の複雑怪奇さを目の当たりにしながら、勇者達と彼はゲンニ大陸へ戻って来た。
そして帝都へ顔を出したのだが、数年間で勇者は随分と成長したらしい。
どこか恐れを含んでいた感情はどこへやら、凛とした様子で皇帝と相対していた。
「恐れながら陛下、この使命を完遂したら、話したいことがありますの」
それは勇者の将来に関わることだ、と彼は直感した。
その言葉に、彼女はどこか強い決意を抱いていたようだったのだ。
・・・・・・
そして、彼女は光と闇の神殿を踏破し、遂に大地を癒す神薬を完成させた。
大きな輝き曰く、神々の力にはコストがかかるという。それを賄うために勇者は大地の修復を命じられた。神にとっては不可能ではない修復は、しかし勇者の努力によって成し遂げられた。すなわち、神に等しい偉業とも言えよう。
その神薬を手にした彼女と共に、彼は転移を行って、彼女だけを大地神の座へと通した。
…見る者によって神界の情景は変わる。それが原初神の領域だというのならば、人にとってはどのように見えるのだろうか?
地平にまで広がる草原の只中、なだらかな丘の上には、枝葉を広げる雄大な巨木。
陽の光に照らされるそれは、彼にとっても暖かで、どこか安心感を与える温もりだった。
「………綺麗」
勇者が呟く。彼女も、同じ光景が見えているのだろうか?
小さな精霊達が、母なる大樹に寄り添うように巡っている。
その輝きの全てが、この世界そのものなのだ。
勇者が神薬を大樹へ捧げれば、雫はキラキラと雨のごとく空へと流れ、枝枯れしていた大樹はその葉を青々と茂らせた。
地面が鳴動し、まるでさざ波のように、花々の輪が広がっていく。
あたかも大地が歓喜しているかのようだ、と彼には感じた。
ティニマの喜びの声を受け取ったのか、勇者は畏まって頭を下げた。長々と訓示を与えるような神ではないので、その内容はひどく緩い代物だったが。
声が終わってから、彼は頭を上げた勇者へ告げた。
『…では、ここで別れよう』
「…え、い、行ってしまいますの?」
ここでは精霊を見ることが出来るようで、彼女は不安げにこちらを見ている。召喚された訳でもないのに見えているというのも、彼にとっては奇妙な状況だ。
そんな勇者へ、彼は人間のような仕草で頷いた。
『元々、貴方を手助けするのが使命だった。それが完遂された以上、もはや共に居るべき理由はない』
「…前々から思ってましたけど、貴方がた精霊って素っ気ないですわよね」
『そうかもしれない。だが、不思議と貴方と離れるのは、少し寂しいように思える』
意外だったらしい言葉に、勇者は目を丸くする。
それに、少しだけ彼は愉快な色を出した。
『私は定命の者の感情は理解できない。だが、貴方と共にいた事で、ようやく何かを掴めたような気がした。…遠き日の友が、私へ託した意味も、いつか理解できるのだろうか』
「…出来ますわよ、きっと。だって貴方、どこか精霊としては変人ですから」
『面白い表現だ。…勇者よ、貴方にとって辛く長い旅だったが、よくぞ使命を完遂してくれた。全ての神々を代表して、敬意と感謝を贈ろう』
「うふふ、光栄ですわ。…でも、いい加減、名前で呼んでくださらない?アタクシにはメルサディールという立派な名前がありますのよ」
『ふむ…わかった、メルメル』
「その名前は…まあ、いいですわ、貴方なら」
『故に私も名を教えよう。私の名は…』
名を聞いて、メルサディールは微笑みを浮かべた。それは穏やかで、彼女らしい薔薇のような笑みであった。
そして互いに、最後の挨拶をする。
「それでは御機嫌よう、□□□□□□。…また、いつか」
『さらばだ、メルサディール。また、いつか…旅をしよう』
互いに簡素な挨拶と共に、彼は勇者と別れた。
どこか後ろ髪を引かれる思いをしながら、自らの居るべき領域へと。
………そして。
彼は、「世界」の声を聞いた。
※※※
…目を開き、彼…ケルトは、我に返った。
「…ここは、私は…」
視界は白一色。
目眩にも似た光景に思わず目を擦ってしまうのだが、やはり現状は変わらない。
なにより、体の重さを感じなかった。
自らを見下ろせば、そこには人型の輝きがあるだけ。
「目を覚ましましたね、ケルティオ」
言葉…否、それは空気を震わせる音ではなく、精神へ伝わってくる念波のようなものだ。
それを発した相手を見れば、そこには微笑み佇むセイラが居た。
「セイラさん…ここは?」
「ここは精霊界、下界でも神界でもない、狭間の次元の一つです」
「精霊界…」
真っ白な光景に、不思議と二重に風景が見えた。
それは大空で、そして眼下に見えるのは、ひょっとしてケンタックの町並みか。
それとは別に、白の光景の狭間に、精霊が飛翔し舞い飛ぶ、綺羅びやかな光の世界が見える。
「精霊界は、下界を覆うように存在しています。全ての精霊は、この世界に遍在しているのです」
「…今の私は、魂だけなのですか?」
「そうです。在るが儘の貴方、肉体から脱した、精霊に最も近い貴方自身。常よりずっと開放感を感じているのではありませんか?」
事実、そのとおりだった。肉体という枷のない現状は、不思議と何者にも縛られていないような気がした。
今なら、この大空も自在に飛び回れる。
それは限りない、自由だ。
「ケルティオ、貴方は精霊の記憶を思い出しましたね。これで、貴方は自らが何だったのか、理解したはずです」
「…やはり先程までのアレは、私の前世なのですか」
「そのとおり。貴方は原初に生まれた古き精霊です。本来ならばもっと高位の存在になることも出来ていたのですが…」
ペッレを救うがために、その道を自ら断った、ということか。
それに、ケルトは少しだけホッとする。
「前世を思い出しても、他人事のようにしか感じられませんが…それでも、安心はします。前世の私は少なくとも、人でなしではなかったようですから」
セイラはクスクスと笑みを浮かている。微笑ましい様子だ。
ふと、ケルトはセイラの後ろに繋がる何かに、目を引かれた。
黒い一本の綱のようなものが、セイラの背から出て奥へと繋がっていた。
「ああ、これですか?」
ケルトの視線にセイラが気づいたのか、それを引っ張る。
すると、唐突に現れたのは、巨大な門。
どす黒く、禍々しい、血と闇の塊のようなそれ。
見た瞬間、思わずケルトは震えが奔っていた。
しかしセイラは、なんでもないかのように門を撫でている。
「私達がいつもいるのは、この中なのです」
「その………中、ですか」
「ええ。…見ますか?」
笑みを浮かべて問うそれに、ケルトはかろうじて首を振ることしか出来なかった。
初めて目の前の存在が、どこか恐ろしい存在に思えてならなかったのだ。
………と、そこで、タイミング良く背後の空間が捻じれ、何かが大声で飛び出てきた。
「…うきゃああっ!?」
「む、なんだ姉上。もう終わっていたのか」
そこから飛び出たのは、黒い人影を鷲掴んでいる男、ヴェイユだ。片腕で小さな黒影を持っているのだが、それは目を回しているようで、ふらふらと頭を振っていた。
そんな黒影など気にもせず、ヴェイユはケルトを見て、快活な笑みを浮かべた。
「はっはっは!どうだ元に戻った感覚は!実に爽快だろう!?」
「え、ええ…それより、そちらの精霊は…」
「おお、これか。…ほれ小娘、この程度で音を上げるな」
「だ、だ、誰が音を上げてるっての!?この大クマ暴力黒男!舌噛んで悶絶しなさい!」
「…その感じ、まさかダーナですか?」
「え?…って、あ、アンタは誰よ…?アタシは光の知り合いなんて居ないんだからね!」
「私です、ケルトですよ」
「ケルト?って、もやしの?」
「も、もやし…」
もやし呼ばわりで密かに落ち込むケルト。筋肉が付かないのを地味に気にしているお年頃なのである。
その間に、セイラがこちらへ言った。
「長い旅路、お疲れ様でした。貴方がたは自分がなんだったのか、これで明確に自覚したはずです」
「自覚は認識に繋がる。お前たちの扉に手をかける鍵の一つだが、まあ開けるかどうかはお前達次第だな」
「な、何を訳わかんないこと言ってるのよ!?だいたい!あんな冥府だとかの記憶を見せられて何だって言うの!?」
「おいおい、小娘。お前は元々は冥府の仕事を手伝う精霊だったのだぞ?ルドラ神に仕えていたその光栄がわからんのか」
「し、知らないわよ…!真っ黒でこわいやつの事は覚えてるけど」
死に携わる精霊であったからこそ、ダーナは力が死に特化している、ということか。などと密かにケルトが考察していると、不意に背後でカッと何かが輝いた。
振り返れば、そこには巨大な輝きが鎮座し、徐々に人の形を纏って留まった。
その唐突な出現に、しかし驚くこともなく双子は接した。
「ああ、光輝の王ですか。貴方も来たのですね」
「やあやあ二柱共、我が旧友が目覚めるかもしれぬと察してやって来たよ」
輝ける相貌、長い白髪、真っ白の光の衣を纏い、鋭角を晒す光翼を纏う人型。
雌雄のわからぬそれは、親しげにケルトへ近づいた。
「やあ、友よ。久しぶりだな」
「…貴方は、まさか…光の精霊王!?」
「おや、自我は人のままなんだな。いや、以前の君よりずっと人らしい。なんとも愉快じゃないか」
「な、なによ眩しい奴ね!もっとあっち行ってよ!」
「ははは!君も居たんだな、小さき死の子よ。しかし、君も可愛らしくなったものだな。以前はもっと巨大で、見るだけで小さな精霊たちが砕けてしまうほどに凶悪だったのに」
「それもこれも、すべてルドラ様のご温情でしょう。この子を欠片にして力を分散させたのですから」
「もっとも、その残った力を分散させるのに苦労した上に、欠片を飲み込んだ者たちが死を見られるようになったは誤算だったがな」
「ち、ちょっと!人を無視して話しを進めるんじゃないわよ!!」
「だ、ダーナ…ちょっと落ち着いてください…」
ギャンギャン怒鳴るダーナに、ケルトはハラハラしっ放しだ。良くも悪くも、彼女は恐れ知らずだった。
ともあれ、怒るダーナを宥めつつ、ケルトは精霊王へ言った。
「そ、その、光輝の王よ…私は貴方のことを思い出せても、以前の私とは違うのです」
恐縮するように申し訳なく言うも、精霊王はカラカラと笑う音を発した。
「ああ、わかっているさ、そう萎縮せずとも良い。魂が同一である以上、君は私の同胞にして旧友。魂の真核が消えない限り、私は君を友として扱うのさ」
「は、はぁ…その、前世の私と今の私、本当に同一の私なんでしょうか」
「何を言う?君は君じゃないか。記憶と人格を失せさせ、死して流転する身となろうとも、魂さえ同じならばそれは君自身だ。変わったのが人格の事を指しているのならば、それ自体は些末なことだよ」
「些末?人格が、ですか?」
「そうだとも。…ああ、そうか。我ら精霊は自身が存在しているとこそが重要で、そこに付帯する表層的な物に興味は持たない。人格や個性、価値観が変わっても、根底が同じならば構わない。そういう考え方をするんだよ」
精霊的な物の考えなのだろうか。正直、今のケルトには理解できない言葉だった。
転生したとしても、彼らにとってケルトは前世の彼と同じなのだ。
「ははは、しかししかし、性格を持つのは面白いものだな。こうまで態度が変わるとは、こちらも化身を纏って下界に降りてみようかな?彼の御方のように」
どこぞの爺みたいに精霊王が現世に干渉してきた場合、どうなるのかは想像がつかない。が、どうせロクな事にはならないだろうな、ということだけはわかった。
光輝の王は、一通り笑ってから話を変えた。
「さてさて、友よ。今の君達は人だが、同時にこちら側でもある。そちらのセル「セイラです」…そうか、セイラ達の手によって、魂の記憶を思い出した。そこでだ…君たちが了承するのならば、しばらくこちら側で過ごしてはどうだい?」
「…ええ?」
「君たちが力の使い方で悩んでいるのは聞いた。だから、まずはこの世界で本来の力の使い方を学ぶといい。使い方がわかればそれだけ、別の道を模索できる」
「べ、別にアタシは悩んでないし…魔法はほとんど使わないし」
「おいおい小娘、お前はハディがどうなっても言いというのか?薄情者め」
「そ、そんなんじゃないわよ!…わかったわよ、学べばいいんでしょ!学べば!」
「決まりだね」
光輝の王は楽しげに見える様子で、両手を叩く。
パン、という音の後に、ザァァ…っと世界に色が溢れて集ってくる。
思わず見上げていると、こちらへ向けてくる様々な色から、意志が伝わってきた。
「…これは、全て精霊ですか!?」
「そのとおり、世界は色で満ちている。世界は精霊で満ちている。彼らと触れ合い、力の使い方を思い出してくるといい。…というわけで、皆のもの!我らが兄弟姉妹を歓迎してあげなさい!」
「「「「はーーい!!!」」」」
途端、精霊たちの大合唱。
感情の色が凄まじい勢いで押し合い流され、多すぎるそれにケルト達はフラフラになった。その隙に、小さな精霊たちが大挙して纏わり付いてワイワイと矢継ぎ早に話しかけてくる。
「わーい!お友達、お友達」
「あそぼ、あそぼ」
「ぼくこっちの子とあそぶ」
「わたしがこっちの大きなひとー、でっかいよ!」
「ちょ、ちょっと!?引っ張らないでください…!?」
「ど、どこに連れて行くのよこらー!?」
わちゃわちゃしながら、二人は魂のまま精霊たちの手によって、何処かへと連れ去られていった。
それを見送り、残された者たちは肩を竦めている。
「いやはや、しかししかし、ルドラ神も思い切ったことをするものだ。人を神に押し上げる事も了承済みなのだろう?」
「とはいえ、元精霊という事は、それ相応の格は持っていますから。やや不安定ですが、現在のケルティオはとても安定しています。これなら覚醒することも十分ありえるでしょうね」
「覚醒、か。それ相応の強い覚悟や感情を抱かねば、魂の練磨は有りえん。結局、魂を練磨するのに必要な磨き砂は、感情だからだ。まあ例外もあるがな」
精霊が覚醒する事は少ない。感情が希薄だからだ。
しかし、情動を持つ人ならば、その可能性は大いに有り得る。
感情が色や音で現れる精霊界、そこの精霊の発する感情の雨嵐で悲鳴を上げている二人を眺めながら、ヴェイユは呟く。
「さて、覚醒すれば、あいつはどんな神になるのやら。楽しみではないか、なぁ?」
「君たちの提案を蹴っ飛ばした彼なんだ。きっと新しい何かになるだろうさ。ああ、愉快だ愉快!やはり人間とは面白い生き物だ!見ていて凄く飽きないともさ!」
「はぁ、面白いというのは私達にはよくわからないですが…ともあれ、私たちも教えに行きましょうか。主上の名の下に、すべてを完璧にこなさねば、信徒としての名折れです」
「まったくだな」
なんだか楽しげな3柱は、互いに顔を見合わせてから飛び立った。
神に近しい存在ならば、普通は後進の育成に精を出す事はないのだが、そんな珍しい例外で遊ぶ…もとい、磨き上げることでどんな姿を見せるのか、興味が出たのである。
…結果、まる一週間以上に渡ってケルトとダーナは精霊界で揉んで遊ばれ、魂だけヘトヘトになって現世へ帰還するのである。




