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どうも、邪神です  作者: 満月丸
冒険者編
40/120

吸血鬼の死闘

 蝙蝠に変じたハディは、森の合間を縫ってダーナの影を探した。だがエルフ故なのか森の中では足が早く、未だに彼女の痕跡を見つけられてはいない。森の木々や落ち葉が少女の足跡を隠し、あの波打つ黒髪の端すら見えない。ここはまさに樹海だ。


「う~ん、やっぱり無理かなぁ……一度、みんなと合流しようかな」


 迷子になったら大変なので、仕方なしに元の場所へ戻ろうとした。この歳で迷子など、カロンになんて言われて爆笑されるか分かったものではない。


 その時だ。


 ハディの鋭い聴覚に、微かな悲鳴が聞こえた。

 思わず取って返して、声が響いた方角を飛翔する。こういう時、蝙蝠は素早く動けるので助かる。


 空飛ぶ蝙蝠が目にしたのは、木々が開けた崖の上。

 腕を掴まれて宙吊りにされたダーナと、見知らぬ男が一人。


「ダーナ!?」


 咄嗟にダーナの元へと飛翔するも、その最中にダーナは掴んでいた男の腕に思いっきり噛み付いた。

 痛みと激昂が入り混じった表情の男は、ダーナの頭を躊躇なく殴りつけ、更に腕を振るって大きく突き飛ばす。

 小さな少女が飛んだ先は、崖だ。


 ―――まずい!!


 ハディは蝙蝠の羽を畳み、速度をつけて弾丸のように空を切り、落下していたダーナの下にたどり着くと同時に、変化を解いて人化した。

 そしてダーナを抱きかかえ、


「……って! こっから考えてなかったぁ!?」


 そのまま一緒に悲鳴を上げながら落下したのである。



・・・・・・・・・・・・



「……い、ってぇぇ……!」


 崖下の森の中。火事場の何とやらなのか、ハディは落ちる寸前、部分変化によって皮膜の翼を出して咄嗟に滑空した。間に合わなかったようだが、死にはせず不時着はしたようである。とはいっても、高い樹上の枝に引っかかっている状態だが。

 ハディは抱えていた少女を見る。気を失っている彼女に眉をひそめてから、できるだけ衝撃を与えないようにゆっくりと翼で滑空した。こういう時、自分が人外で良かったと思うのである。

 地面にゆっくりと下ろしてから、ペチペチと頬を叩く。


「おい、ダーナ? ダーナ!……生きてるよな?」


 呼吸はしているので、目を回しているようだけのだ。

 ホッと息をついてから、少女を見ていると、


(……って、女の子だ。そうだ、女の子だよ)


 同年代と少女と触れ合うなど、いったい何時ぶりなのか。孤児院では命の瀬戸際でそれどころではなかったし、引き取られた村は小さかったので同い年の女の子はほとんどいなかった。

 思わず硬直したハディの前で、


 ……ふっと、ダーナが目を開いた。


 翠玉のような綺羅びやかな瞳と目が合い、思わずハディは呼吸が止まった。

 長い沈黙の間。


 そして、目を覚ましたダーナは瞳を見開いてから、


「……な、何してんのよぉっ!?」


「うごはぁっ!?」


 ハディの顔面にグーパンをお見舞いした。



※※※



「いってぇ……すっげぇ硬い拳だった」

「……な、なによ……悪かったって言ってるじゃないの……」


 頬を撫で擦るハディの前には、木立を盾にしたダーナがこっちを見ていた。完全に警戒されている。

 ビクビクしているダーナは、しかし語気荒くハディへと言い募る。


「で、でも、あんた達が勝手に入ってきたのが悪いんだからね……ここはアタシ達の森なんだから……! に、人間は出ていってよ!」

「人間じゃないんだけど」

「……えっ!?」

「俺、吸血鬼なんだよ」


 実にあっけらかんと言い放つハディ。自分が人外になっているという認識はあるが、基本はポジティブシンキングなこの子供、前向きに現状を受け止めているのである。

 一方、吸血鬼と言われても、ピンとこないダーナは首を傾げて懐疑的。


「な、なによそれ……適当なこと言って、アタシを煙にまこうをしてるんじゃないでしょうね……!?」

「違うんだけどなぁ……ああ、ほら、翼とか出るけど」


 バサァ! と飛び出た蝙蝠羽に、流石のダーナも悲鳴を上げて逃げる。その反応にちょっと傷つくハディだが、ダーナは恐る恐ると帰ってきてくれたようだ。

 しかし、警戒しつつも怒りの感情は見えない。戸惑っていながらも、信用はしてくれたらしい。


「ほ、本当に人間じゃないのね……?」

「まあ、普通の人間はこんな羽とか出せないな」

「……じ、じゃあ、いいわ。人間じゃないのなら」


 先程までの攻撃的な姿勢は鳴りを潜め、どこか不安そうに唇を尖らせて地面を見ている。勘違いで殴った相手へ、どう接すれば良いのかわからない様子だ。

 何やら困っている相手に、ハディは尋ねてみた。


「あのさ、なんでそんなに人間を嫌ってるんだ? さっき言ってた観光ってのとか、あの男と関係あるのか?」


 ハディへちらりと視線を向けてから、ダーナはポツポツと口を開く。


「……そ、そうよ。ネーンパルラの市長がね、ここを観光地にするために森を切り開いて、神殿までの道を作るって言ったのよ。で、でも、木を切り倒したら、土や風のヴァルが逃げていっちゃうのよ。それじゃ闇の神殿を守るものが無くなっちゃうの……」

「闇の神殿を、守るって?」

「な、何も知らないのね……いいけど」


 ダーナは、ハディへ語った。


 闇の神殿は、古来よりエルフにとっての聖地でもあり、神が作り出した神聖なる建造物でもあった。

 そもそも、勇者が来るようになる原初の時代、ルドラ神が自ら作り出した闇の神を祀る場所を設けようと、この神殿を建てたのである。……なお、当の本人は勇者システムを作るまで、作ったことをバッチリ忘れていたりする。その聖地を守る為にエルフはここに住まい、来る者を遠ざけていたのだが、人間の戦乱に巻き込まれたエルフの多くは守りを捨て、光の神殿がある南の大森林へと移住していってしまった。

 現状、この森に残っているエルフの数は多くなく、その大半も人と関わり合いになりたくないという点から引きこもり、聖地を守る先祖の意志も忘れてしまっていた。

 だが、ダーナのような闇エルフは、その使命を忘れずここに残っていたが……今この森に残っている闇エルフは、祖母が死んで以降は、既にダーナしか残っていない。

 聖地は踏み荒らされぬように、と、先祖の力で結界を張っているのだが、これは森のエネルギーを元に維持されている。つまり、木が少なくなると、結界が弱まるのである。


「ま、魔物が聖地を壊しちゃったら大変だから、結界はとても重要なのよ……だから、アタシ達のご先祖様は、神様からここを守るようにって言いつかってたの」


 なお、ルドラは「エルフが結界を張ったなら、まぁ私が結界を張らなくてもいっか! 面倒だし!!」という面倒くさがりが発生したため、手を出さなかった。また、先程も言ったようにルドラはエルフにそんな事を命じていたのを頭の中からスッパリ忘れていた。エルフにとってはいい迷惑である。

 話を聞いたハディは、合点が行ったように頷いた。


「……そうか、それじゃさっきの奴は、そのネーンパルラの市長の?」

「きっとそうよ。アタシを追い出そうと、いつも狙ってくるのよ。それに以前にも……ケームズが伐採の邪魔をするから、使役者のアタシを殺せば居なくなるって思ってるの」

「……ひどい話だな」


 世界は理不尽で満ちているが、だからといって「はいそうですね」で終わらせられるほど、ハディも人生悟ってはいない。それに、少女を殺そうとするような連中を放って帰るのも、柄じゃないのだ。

 やおら立ち上がったハディは、ダーナへ笑顔を向けた。


「それじゃさ、俺達が追い払うのを手伝うよ!」


 その宣言に、逆に驚くのはダーナである。


「……え、ええぇっ!? なんで!? だ、だってあんたには何の関係もないじゃないの!」

「だって聞いてて腹がたったから。それにさ、母さんにはいつも『困ってる子、特に女の子を放るなんて男の風上にも置けないボケナスだから、絶対にそんなろくでなしにはならないように! 隣家のマダオみたいなのをマネしちゃ駄目よ!』って口を酸っぱく言われてたし」


 隣家のマダオは酒飲みの賭博狂で女関係にだらし無く妻に逃げられたという、まさにダメ男っぷりが極まっていたおっさんであった。そんなのを見て育ったハディは、とりあえず「ああいうのを男やもめって言うんだな」と幼心に思ったりしたのである。


「とりあえずさ、俺の仲間達なら、なんかいいアイディアが浮かぶと思うんだ。俺は馬鹿だけど、他のみんなは頼りになるから」

「た、頼りになるの? 人間なんかが……」

「なるさ! メル姉は凄い魔法が使えるし、ケルトはいろんな事を知ってるし、ネセレはどんな場所でも入り込めるんだぜ!」

「あのおじいさんは?」

「カロン爺さんは…………うん、なんていうか、ダメ人間代表?」

「最低ね」


 ハディからルドラへの評価は散々である。……誰だって死ぬ寸前までボコられ続けたり、昼間は酒飲んで飯食ってグータラしてる姿を見続ければ、そんな評価になるだろう。仕事していても気づかれないところで行っているので、そういう評価になるわけである。まさに昼行灯気取りなのだが、当人にそんな狙いは全く無い。


「信用できないかも知れないけども、まずは相談してみようぜ。何かいい案とか浮かぶかも知れないし、メル姉なら絶対に助けてくれるさ。だって、勇者だからな!」


 ハディの笑顔は、まるで太陽にように眩い。

 それに照らされて、思わずダーナは口を噤んでから、あーとかうーとか呟く。


「…………ま、まあ、アンタがそこまで言うなら、行ってあげてもいいけど……で、でも、アタシは人間は嫌いなんだからね! ま、まだ許さないんだもん!」

「ははは! そんじゃ、一緒に戻ろうか。さっきの男に見つかる前に、みんなと合流……」


「おっとぉ、さっきの男ってのは、こんな顔だったかぁ?」


 突然の声に、ハディは咄嗟にダーナを背後に庇った。


 見れば、木立の向こうから現れたのは、3人組の男たちだ。革鎧を着込み、武器を手に、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。リーダーなのだろう、先頭の男は葉巻を咥えてこちらを見ていた。

 そんな相手の姿に、ハディは目を細める。


「冒険者か」

「ご明察だ、ボウズ。悪いが、そのチビを始末しろってのが、俺らの仕事でね」

「ネーンパルラの市長が、そんな事を依頼したってのか?」

「へへへ……どうだろうなぁ?」


 冒険者、それもごろつきに分類される連中を相手にも臆さず、ハディはスラリと腰の剣を抜いた。

 刀身が僅かに輝き、それはハディの手の中でしっかりと主張している。

 だが葉巻の男は、その剣を見て目を細めた。


「……ガキには似つかわしくない剣だな。生意気だ……おい、殺せ」


 その一言を皮切りに、二人の男達が武器を掲げて距離を詰めてきた。

 だが、その速度を評するならば一言、遅い。


(ネセレの速さとは比べ物にならないな)


 人類最速の大盗賊と比較するのは酷だが、ハディにとっては彼女が強さの指針になりつつある。


「おらぁ!!」


 剣を上段に掲げて襲いかかる相手を視て、ハディは剣の芯でそれを迎え撃つ。


 ――カキィンッ!


 と鋭い金属音と共に、一瞬だけ鋼がぶつかり合う。が、ハディはそのまま受け止めはせず、半円を描くように剣を逸し、相手の剣を重心の儘に真横へ反らした。

 結果、男はたたらを踏んで前のめりになり、ハディは返す刃で斬撃一閃。一撃を受けた男は悲鳴を上げて転げ回った。


「このクソガキ!?」


 間髪入れず切り込む相手は大斧。上段から振り落とされるそれは、脅威の一言に尽きる。


(けど、隙も多い)


 ゆっくりとした、ハディから見ればゆっくりした動作で振り下ろされるそれの前で、最小限の動きで半身を反らせば、真横スレスレを斧が通過する。地響き立てる斧を尻目に、ハディは上段からの一撃。これまた男は悲鳴を上げてひっくり返り、苦しむ羽目になる。


(弱い……いや、俺が強くなってる? けど、相手の動きも悪かった。斧の使い方も下手だったし……)


 多用な武器を扱えるネセレであったら、初撃はフェイント込みの横一閃だろうか。上段は、来るとわかれば、見切るのはそう難しくない。フェイントも無い相手の力量など、たかが知れている。


「あ、あんた……意外と凄いのね」


 ダーナの素直な称賛に内心で照れつつ、ハディは残った一人に相対する。


「さぁ、あとはお前だけだ! さっさと手を退いて帰れ!」

「…………へっへっへ! いやぁ、いいぜ。活きの良いガキは嫌いじゃねえさ。でもまぁ、大人の怖さってのを思い知らせてやらなきゃなぁ」


 残った葉巻を咥えた男は、ニヤニヤと笑いながら、持っていたダガーナイフを構えて、詠唱した。


「『第5座に御わす水の精霊を招致せん! 我が声に耳を傾けよ! 範囲、満ちて、及ぼせ!』アマネシュト・クィ・マウラス!」


「なっ!? 魔法士か!?」


 瞬間、ハディの足元を魔法陣が包む。

 咄嗟に離れようとするが、


「がら空きだぜぇ!!」

「っ!!」


 投擲されたナイフを弾いた為、動けない。後ろにはダーナがいるから、回避など念頭にはないのだ。

 飛来するナイフを叩き落とす合間、紛れて飛んでくるのは小瓶。それも思わず叩き落とした途端、ハディを包む魔法陣が音を立てて凍りついたのだ。


「くっ!?」


「はっはぁ!!」


 足が凍りつき、腕も霜によって動きづらくなったハディへ、男は接近して攻撃を仕掛ける。動けずとも迎撃して、とハディは剣を構えたが、しかし間合いの直前で男は唐突に何かを投げて背後に跳び、


「馬鹿が! 拘束した相手にむざむざ突っ込む奴がいるかよ!!」


 男が投げた小瓶が、不意を撃たれたハディの身体に当たって砕け、中の液体を被ってしまう。

 ツンと来る異臭、それは錬金術性の油だ。


「トドメだ、クソガキ」


 ぴんっ! と放られるのは、葉巻の火。

 咄嗟に避けようとするも、霜で覆われた腕はまともに動かず、かろうじて背後のダーナを突き飛ばした。


「うあああぁあぁぁっっ!?!?」


 そして引火と同時に全身に炎が襲いかかった。

 突き飛ばされて倒れたダーナは、しかし眼前の炎に目を剥いた。


「あ、あんたっ……!? え、えと……『お願い闇の精霊よ! アタシに力を貸して……火を消してあげて!』」

「あぁ? 原始魔法だとぉ?」


 怪訝な男の前で、ダーナが行使した魔法……エーティバルトが呪文を作り出すより以前の魔法が発動し、ハディの身体にまとわり付いていた炎が消えて無くなった。

 地に伏せて呻くハディの身体は黒焦げ、一目で重症だとわかるだろう。この世界でも例に漏れず、吸血鬼は火に弱い。

 ハディに駆け寄ろうとしたダーナは、しかし次いで詠唱と共に、その小さな体躯が水の帯によって囚われてしまった。束縛魔法だ。

 宙に拘束された少女は、ジタバタしながら藻掻いている。


「くっ……!? は、放しなさいよっ!!」

「へっへっへ、わりぃなチビ。お前は殺すように言われているが、殺す方法は指定されてねえんだわ。だから、俺の好きにお前を嬲ることが出来る」

「……ひっ!?」


 思わずか細い悲鳴を上げたダーナを見て、男は加虐的な笑みを浮かべている。そんな相手に恐怖の眼差しを向けたダーナだが、しかし次いで思い出したように怒りに震えた。


「あ、アンタが……アンタ達がおばあちゃんを殺したんでしょう!?」

「あぁ? なに言ってんだ?」

「しらばっくれないで!! おばあちゃんを魔法で嬲るようにして殺したの、アタシは知ってるんだから……!! あの白い奴だってあんた達の仲間なんでしょ!? なんでよ、なんでそこまでアタシ達を殺そうとしてるの!? なんで!?」

「知るかよ。俺はお前のおばあちゃんとやらは知らんね」

「う、嘘つかないで!!」

「うるっせぇガキだな」

「あぐっ!?」


 遠慮も躊躇もなく少女を殴りつけた男は、歪んだ笑みを浮かべて笑った。


「気が触れたか知らねえけどよ、なんでもかんでも人のせいにするもんじゃねぇなあ」


 殴られながらも、ダーナは敵意の滲む目を止めはしない。相手を睨みあげ、歯を食いしばる。


「うっ……く、アンタなんか……アンタ達みたいな、人間なんかに……! 好き勝手されるもんか……!」

「あぁそうかい。だがなぁチビ、覚えとけ。この世界はなぁ、強い奴こそが絶対的な正義だ。だから俺はお前らを好き勝手出来る。それが、世の真理ってやつだよ」


 含み笑い、ダガーを持つ手を掲げる。

 その鋭い切っ先がダーナの頬を撫で、小さなキズを作ってその緑の瞳の前に掲げられた。


「ガキの悲鳴はなぁ、よーく響くんだよ。街に聞こえるほど遠くまで、良い声で哭けよぉ? くっ、ひっひっひっ!」

「……っ!」


 その切っ先が、焦らすように目前に迫るのを見て、ダーナは思わず目を瞑った。

 悲鳴をあげるのだけは、彼女のプライドが許せなかった。

 だから、ダーナは歯を食いしばり、顔を歪めて耐えようとした。


「……あぁ?」


 その男の足を、掴む者がいた。

 ハディだ。

 黒焦げの少年は、焼け焦げた顔を歪めながらも、男の凶行を止めようと手を必死に伸ばしたのだ。


 そんなハディを一瞥して、男は無表情で少年を蹴り飛ばす。

 転がったハディは、それでも爛々と赤目を輝かせ、男を睨めつけている。

 決して、敗者ではないその瞳に、男は顔を歪めた。


「……あぁ、クソみてぇな目ぇしやがって。気に食わねぇなぁ。獲物はなぁ、もっと怯えた兎みたいな顔をしてりゃいいんだよ!」


 響く肉切音。

 ダガーの一撃がハディの右腕に突き刺さったのだ。

 思わず苦悶の声が漏れ出るが、それでもハディは抵抗しようとそれを抜き払い、飛び起きてから腕一本で男に向かう。

 が、負傷したハディの動きは稚拙で、男は容易にそれを避け、すれ違いざまにハディのもう片腕を切り飛ばす。


 血と共に腕が舞い、地面に落ちた。


「がっ……!」


 思わず倒れ伏すハディに、男は追撃とばかりに右足をダガーで射止め、骨を抉りつつ、ハディを覗き込みつつ尋ねる。


「おい、クソガキ。まだ生きてるかぁ? 生きてるよなぁ? ……なんでお前、諦めないんだよ。見たところお前も冒険者のようだが、新米かぁ? ……じゃ、先輩から教えてやるがな、この世界じゃ死んだらおしまいだ。だから、死なないように万全を期して準備し、それでも駄目なら逃げる。それが長生きの秘訣だ」


 だから、逃げの手を打たなかったハディは、冒険者としては失格だ、と。


「情だかなんだか知らねぇが、糞みてぇなもんに命を掛けるに値するのかよ? 所詮、この世なんざ他人を蹴落としてナンボだろうによぉ」

「……お、れは……にげ、ない……」

「あぁ?」

「逃げるもんか……二度と、誰かを失うなんて……いやだ」

「……青臭え、糞みてぇに青臭え。だがまぁ、だったらそれでもいいぜぇ。お前の目の前で、この守るべきチビが嬲り殺されるのを見ても、同じことが言えるか……試してみるか?」


 そして、男はダガーを引き抜いてから、死に体のハディに背を向けた。

 その先にいるのは、拘束されたダーナだ。


(……守れないのか? また)


 脳裏によぎるのは、あの夜のこと。


 魔物に向かっている父の後ろ姿。

 魔物に捕まって空に攫われた母の声。

 それが、耳に、目に焼き付いて、離れない。


 そして、名を隠して生きろと、そう言って死んだ本当の母を思い返す。


(いやだ……諦めたくない……あんな思いはもう、いやだ……!!)


 身体を起こそうとするが、震える片腕は使い物にならない。片足も血が流れ、動く気配はない。何よりも……猛烈な飢餓感が襲いかかってくる。


 地に血が流れ、本能が理性を圧迫する。


 視界が真っ赤に染まり、本能の声を聞きながら、抗った。


 牙を剥けば、血の匂いが強まる。


(そうだ、片足一本あればいい……それだけで事足りる。それだけで、アレを殺せる……そうだ、殺せるんだ)


『そうだ、殺せ。臆弱な人間一匹、お前の手で引き裂いてやれ。四肢をバラバラにし、腹を引き裂き、その喉笛を噛みちぎってやれ』


 レビの声が聞こえる。

 それは甘美な声色で、衝動が更に強まった気がした。

 レビの声の赴くままに、ハディは顔を起こして、男の背を睨め付ける。



 ――殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ



 響く声が大きくなる。

 腹が空いた。眼の前のアレを喰らいたい。躊躇など必要ない、血の一片も残さず食い殺してやれ。


(殺せ……殺せ……食い殺してやる)


『所詮、人間など血の詰まった肉塊だ。袋なぞ引き裂いてやれ、赤き聖餐で世界を染めてやれ。さぁ我が宿主よ、虚無の声に耳を傾け、我が主の賛歌を唱えよ。この世の全てを喰らうのだ、赤月の鬼よ』


 真っ赤に茹だる脳の儘、ハディは口角が引きつった。


(殺してやる、アレも、魔物も、人間も、何もかも、食い)



 ――思考が完全に染まる、その瞬間、



 ハディの脳裏に過ぎる、声。



『 汝、得る事の足るを知れ 』



「……っ!?」


 一言、どこかで聞いたような声が脳裏で響き、ハディは我に返る。

 茹だるような熱が冷め、次いで襲いかかるのは猛烈な飢餓と、困惑。


 何が起こったかわからぬまま、しかしハディは本能の直感に従って、片足で地を蹴った。




 ……背後の物音に、男は思わず後ろを見た。


 同時に、男の喉笛に、吸血鬼の牙が突き立ったのだ。




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