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どうも、邪神です  作者: 満月丸
冒険者編
30/120

幕間の夜

 夜半、ハディは宿の自室で瞑想をしていた。

 吸精は3日に数回はこなさねばならないが、以前に比べれば随分と落ち着いたものだ、と自分でも思う。煙のように呼吸を通して何かが身の内に入ってくる感触がして、腹の奥で渦巻いていた微かな飢餓感は、それによって霧散していく。

 そんな微動だにしない食事行為と同時に、ハディはある事をしていた。傍目は静かに気を落ち着かせ、無心でいるように見えるが、実は頭の中で会話をしているのだ。

 そう、彼の中にいる、レビと。


『……で、面白おかしい冒険者生活の開幕というわけだな。珍妙なことだ』


 脳裏でレビは、笑いながら皮肉げにそう言った。


(なんだよレビ。なんか言いたいのか?)

『さてな、こんな訳のわからん連中だらけのパーティなぞ、誰も知らぬぞ。どいつもこいつも濃い面子ばかりだ』

(ああ、まぁレビも濃いしな)

『お前も濃いわ、吸血小僧』


 レビは、ハディが人を襲いかけて街から追われ、当て所無く彷徨っている時に、声を掛けてきた存在だ。

 当時は頭が混乱している幻聴かと思いこんで無視していたが、徐々に冷静になる内に、なんとなくポツポツと会話をし始めていた。相手は得体の知れない存在だから、会話などするべきではないといのはわかっていたが、それでもハディは孤独感に負けてしまったのだ。無理もない。彼はまだ10を少し過ぎた程度の子供なのだから。

 その日から、レビはハディの中に住まう同居人にして、愉快な話し相手となった。ただ、レビは虚無らしく、ハディが破滅することを望んでいるようだが、その意志に反してハディへの助言は多い。 どうにも意志が一貫していない様子だが、まだ自我が芽生えたばかりの反動だろうか。


『それで、どうなのだ? あの老人に揉まれて、少しはマシにはなっただろう』

(あぁ……うん、そうだな……あの地獄を乗り越えれば、飢餓感も子供だましみたいに感じられるんだな……俺、初めて知ったよ。まともに息が吸えるのって素晴らしいんだなって)


 死んだ目をしているハディの中で、レビは大仰なため息を吐いている。

 無理もない。あの老人の訓練は、訓練ではない。あれは拷問レベルだ。

 子供に対して、飢餓感を克服させる為に一方的に手足をアレするレベルの攻撃を加えたり、かといってそれを一瞬で治癒してみせたり、それから「さぁ、さっさと立ち上がれ。そしてかかってこい」とニヤリ笑いで宣うのだから。狂人か。

 確かに、あの治癒と苦痛の無限ループを数ヶ月ほど耐えきれれば、大概の苦痛など屁でもなくなるだろう。しかし、下手をすれば廃人と化しているだろうに。本当にアレは神なのだろうか、とレビは内心で疑っていた。

 しかしハディもハディで、大の大人でも音を上げそうな訓練、という拷問を耐えきるあたり、非常に胆力のある子供ではある。レビの観察によれば、吸血鬼化の影響で精神的に打たれ強くなっている傾向があるようだが、素の精神力もなかなかの物だった。

 何かの加護でも働いているのではなかろうか、と密かにレビは思っていたりする。


 と、そこで顔を上げたハディは腹を抑えた。


(……あ、なんか腹が減ったな)

『今現在、食事をしているだろうに』

(吸う方じゃなくて、物理的に食べる方のこと)

『血でも吸うのか?』

(んなわけあるか)


 軽口を叩き合いながら、自室のベッドから立ち上がる。なお、同パーティのメルとカロンとケルトだが、メルは英気を養うために就寝し、ケルトは外出し、カロンははしご酒に行っている。どこまでも食い意地の張った老人だった。

 木の扉を開けば、薄暗い廊下が続く。一部屋の割り当ては決して広くはないが、2~3人部屋も幾つか存在しているので、この宿屋はそこそこに広い。そのガランとした真っ暗な廊下も、夜目の利く吸血鬼にとっては苦もなく歩ける場所だ。

 人が居ないのを良いことに、ハディは口に出してレビと会話を続ける。


「よく食べるよなぁ、爺さん。なんで胃袋がいっぱいにならないんだろうな」

『……ハディよ、お前、ひょっとしてあやつの正体に気づいていないのか?』

「え? 正体ってなんだよ? 爺さんが人間じゃないってのは聞いてたけど、ほとんど俺には意味のわからないことばっかりだったし」

『一応聞くが、お前の故郷では日曜学校には行かなかったのか?』

「俺の村ってど田舎だったし、教会はなかったんだよ。毎日毎日、井戸の水汲みに行ったり、家の手伝いばっかりさ。引き取られる前はアレだったし」

『……ああ、なるほど』


 ちなみに、ハディは自分の名前と、少しの文字しか書けなかったりする。

 識字率が低いこの時代、大人でも文字が書けない事自体は珍しいことではない。神学的・歴史的知識の薄いハディでは、カロンの言っていた事の半分もわかっていないだろう。なので、レビはカロンの正体に関してはだんまりを通すことにした。ヘタに口に出してあの老人に痛い目にあわされるのも嫌だし、ハディが消されるような事態は避けたい。一蓮托生なのだから。

 なおレビの中で、カロンの印象は地の底を這っている人でなし代表である。事実、ハディが特殊な転生特典持ちとはいえ、子供をマジで殴りに行く時点で立派な人でなし……いや、まさに邪神である。


 階下に降りて、うらぶれた薄暗い食堂を見回してから、ロウソクを見つけて火を灯す。ジジジ……と鼻につく匂いが満ちて、穏やかな明かりが広がる。それから、ハディは適当に食堂を借りて自炊することにした。


「自炊かぁ……母さんの手伝いはやってたから、なんとなくわかるけど……」


 その言葉に、在りし日の二人の母の面影が脳裏に掠め、少しだけ悲しい気持ちになる。しかし、失意に泣き濡れるのは、とうの昔に通り過ぎたとハディは思っている。今はもう、くよくよしていられない。


 湿った気持ちを切り替えるように、竈に薪を積み上げて火をつける。中央に入れた焚き付けを燃やして息を吹き込めば、徐々に煙が増えて火の気が出てきた。

 安定したところで、貯蔵庫から適当な材料を見繕って料理を始める。なお、貯蔵庫の材料を使用する許可は得ている。が、「食った分だけ金は払えよ」とは、宿の主人の言葉であったが。とりあえず、無銭なハディはカロンに(たか)るつもりであった。意外と強かな子供である。


 シチュー用ポットに少なめの水を張って沸かす間に、豚の塩漬け肉を数切れ貰い、カブなどの野菜を刻み、豆類と一緒に煮込む。他人の金なので遠慮はしない。それから荒目の小麦粉を少々。そして大きなパンを一切れ貰い、煮込んだシチューに付け合わせれば簡単な夕食の出来上がり。なお、飲み物はエールを薄めた代物にすべきか迷ったが、何故かカロンはハディが飲酒するのを嫌がったため、当面は飲む機会はなさそうだ。なので、竈の残り火によって温めた白湯である。


 さてテーブルに着いてから、ハディは一般的な天光神への祈りの言葉を唱えて、木製スプーンで一口。


「……うん、質素だな。不味くは無いが美味くもない」

『随分な評価だな』

「……きっと、母さんの作ってくれた煮込みが普通だったから、かな」


 母の味とは、いつまでも口の記憶に残る代物なのだろう。今は無性にそれが食べたくなったが、それは叶わぬ夢である。

 ぼそぼそと味気ない食事を摂っていると、外から誰かが帰ってきた。ひょいっと厨房から酒場へ顔を出せば、少しビクッとしたケルトの姿があった。


「……あれ、ケルト?」

「あ、ああ、ハディさんですか?」


 帰ってきたらしきケルトは、少しだけ疲れた表情だった。散歩に行ってくるとか言っていたのに、気分転換にはならなかったようだ。

 そんな相手の言葉に、ハディは苦笑して後ろ頭を掻いた。


「さん付けは止めてくれよ。ケルトの方がずっと歳上なんだし」

「いえ、たぶん6つくらいしか変わらないと思うのですが……ま、まあいいです」


 言外に老け顔だと言われたようで、ケルトとしてはなんとも言えない気分になる。疲れた相貌を引きつらせながら、ケルトは会釈しつつ階上へと上がろうとする。と、それをハディは呼び止めた。


「お~い、ケルト。夕飯は食べたのかよ?」

「…………ええ、まあ」

「嘘つけ。ひっどい顔色してて飯なんて食べてないんだろ? ほら、俺が作ったシチューがあるから食べてけよ。もう一人分くらいはあるから」

「いや、でも」

「駄目だ。食事せずに寝たら明日に差し支えがあるだろ。ほら、さっさと座れって」


 半ば無理やりに席に座らされ、あれよあれよと言う間にケルトの前に出されるのはシチューである。

 何やらハディがガン見しているので、不承不承仕方なしにケルトは口をつけた。で、変な顔になる。


「なぁ、どうだった? うまいか?」

「………………ええ、えっと、ええ、まぁ」


 おそらくハディが作ったであろうシチューを「味が薄いです」とは言えずに、ケルトは曖昧に笑う。


「つまり、あんまり美味く無いんだな。そっか……そうだよなぁ」


 が、察しの良い子供はあっさりと気遣いを看破して、少しだけ肩を落とした。


「ま、初めて作ったんだから当然だけど。しっかし、もっと香辛料を入れたほうがいいのかなぁ。でもちょっと割高だし。……なぁケルト。美味しい料理の作り方ってわかるか?」

「い、いえ……学園では食事は配給制だったので、自炊したことがないので、なんとも」


 互いにシチューとパンを食べながら話を振る。

 ハディは自然体だが、ケルトはどこか余所余所しい。こういう状況に慣れていないのだ。


「へ~、魔法都市ってやっぱ金持ちばっかり住んでるんだなぁ」

「必ずしも、そういうわけでは無いのですが。中には貧民出身ですが、才能がある為に引き取られた人も存在します。まあ、貴族の子息子女にとって、身分違いの者と食事を共にするなど憤懣遣る方無(ふんまんやるかたな)い様子でしてね。貴族専用食堂と一般食堂に別れていましたが」

「そういうもんなのか?」

「そういうものなのです。大衆食堂でも高いところだと、大衆専用のホールと貴族専用のホールに分けられてますよね? あれも貴族と平民が一緒に食事をしないように、という配慮なんですよ。貴族の中には平民苛めが好きな輩も一定数居るので、一緒だと難癖をつけたがるんですよ」


 はぁ、とケルトは疲れたため息を吐いた。

 どうにも、ハディはそんなケルトを見て、思ったことを口にした。


「なんかさ、ケルトって貴族さまって感じがしないよな」


 何気ない一言だったが、ケルトはやはりため息混じりに笑ってみせた。


「……ええ、そうですよ。私は凡才でしたから、魔法大家の一族には相応しくないと言われてましてね、社交界にも出られなかったんですよ。ですから、私はほとんど貴族社会とは無縁に生きてきました」

「社交界って、貴族さま達の屋敷でやるパーティだろ? アレってそんなに重要?」

「ええ、かなり。社交界デビュー次第では、今後の身の振り方まで決まるほどに、貴族社会では重要です。そして同時に他家と交流を深めたり、或いは水面下での情報の探り合いだとか、牽制し合ったりだとか……まあ、あまり関わり合いになりたくない世界です」

「ああ、うん。俺も聞いててそう思う」


 正直なハディの感想に、ケルトは今度はクスッと笑う。

 シチューを口に運ぶ様子が少しだけ明るくなるのを見て、ハディは内心でホッとする。


 それから、雑談混じりに質問を続けた。

 内容としては、ハディの知らぬ貴族の世俗とか決まりとか、マナー講座とか常識だとか、あとは学園における生活様式などなど。

 それに答えつつ、ケルトは少しだけ低く笑う。

 そんなケルトのスプーンの持ち方を見て、ハディはなるほど、と声を上げた。


「ケルトの食べ方って様になってるよなぁ。それがテーブルマナーってやつ?」

「……ええ、まあこういうのは貴族なら幼少期に叩き込まれますからね。スプーンの持ち方一つ、掬い方一つとっても、決まりがあるんですよ。少し前までは手掴みだったと言われてますが、今ではスプーンやナイフ、フォークも主流になりつつありますからね」

「フォークって、農具のやつ?」

「小さな二股の槍のような物ですね。翼種の大陸から渡ってきたと言われてますが、あちらでは一般でも普及しているようです。肉を切り分けるのに便利ですから、今後も普及していくでしょうねぇ。まあ、作るのに一手間掛かるようなので、こちらで普及するにはもう少し掛かりそうですが」

「へぇ~。ケルトって何でも知ってるんだなぁ!」


 純粋なハディの尊敬の眼差しに、ケルトは逆に後ろめたい表情になる。彼にとっては当たり前のことだが、ハディや平民にとっては触れることのない新鮮な文化なのだ。機会が与えられていないのを無視して、知らぬことを無知と断ずるのは、いささか酷だと気づいた。


 少しだけ反省してから、ケルトは意を決したように、ハディへと尋ねた。


「あの、ハディ……少し聞きたいのですが」

「ん? ああ、なんだ?」

「一般的な親という代物は、どういう感じなのでしょうか」


 キョトンとしたハディに、言葉足らずかと思い直し、慌てて追加する。


「ええとですね……私は、家族同士の触れ合いがよくわからないんです。兄が優秀過ぎたので、その比較対象とされるくらいしか会話が無かったので。……ハディのご両親は、どんな人たちだったのですか?」

「……ん~、そうだなあ」


 ハディは思い出す。

 霞の向こうに居る、両親の姿を。


「……俺の故郷はネーンパルラでさ、父さんは製材所で働いてたんだ。木こりが木を切って運んで、それを水車の力で長いノコギリを動かして割っていって、それから道具で綺麗に加工するのが父さんの仕事。俺の住んでた村は林業が盛んで、男手はみーんな製材所とかで仕事してた。俺の故郷の木材って高く売れたらしいから、尚の事な」


 ネーンパルラ地方の奥まった森の木々は、非常に良質な木材が伐採できる。高級木材は貴族の家屋や家具の素材などに売りに出せる為、利潤が非常に高い。だから、ハディの故郷は林業がとても盛んであった。


「でさ、父さんの性格はひっじょ~に頑固で無口で仏頂面。いつ見ても眉間に皺寄せてて、何考えてるかわかんない人だったよ」

「ハディに対してもそうだったのですか?」

「そうそう。でも、母さんはそんな父さんが何考えてるかわかってたみたいで、父さんが何か言う前に指摘するんだ。『あんた! 水筒なら水入れて玄関に置いておいたわよ!』『服なら繕ってベッドの上!』『言われなくとも門前の掃除はもう終わったわよ! とっとと仕事場に行って食い扶持稼いできなさい!』……ま、こんな感じでさ。あれは見事に尻に敷かれてたなぁ」


 ははは、とハディは笑った。思い出は辛くもあるが、しかし忘れることのほうがもっと辛い。だから、痛みの中の記憶を掘り起こせば、同時に苦いものも浮かぶ。


「父さんも母さんも、俺には優しかったんだよ。孤児だった俺を他人みたいに扱わずに、ちゃんとした家族として迎え入れてくれたんだ。……嬉しかったな」

「……ハディは、養子だったのですか?」

「うん、そう。元は地方都市の孤児院に居たんだけど、そこがひっでぇ場所でさ。たくさんの小さな子どもを引き取ってくるけど、部屋は寿司詰め、ベッド無しでぼろ布が毛布代わり。隙間風びゅうびゅうでさ、冬は寒くて死にそうになるからみんなで固まって必死に寝てたよ。……で、体力の無い何人かは死んじゃうんだ。朝になったら冷たくなっててさ、あの感触は……まだ思い出せるんだ」

「それは…………」

「食事はすっかすかなパン一切れと、砂の入った水みたいなスープ、味も最悪だけど、腹が減るからみんな必死になって食べてた。すぐに食べないと他の連中に取られたりするから、そりゃもう必死に詰め込んでて、こうして楽しむ余裕なんて無かったなぁ。……でさ、子供はみんな、どっかの誰かに貰われていくんだけど、女の子は決まって同じ連中が引き取りに来た。男の子はまちまちだけど、ほとんどは重労働の職場に送られるんだ。ようは、将来的な労働力って意味で、貴族に買われていくんだ。丁稚奉公とかそんな感じ……実際は貴族所有の炭鉱とか、酷い場所ばかりでさ。うん、俺の居た孤児院は、そういう子供を売り払うような連中が経営してた」

「…………」


 壮絶な話に、ケルトは何も言えなくなる。

 話しとしては聞いたことはあったが、その当事者を前に話しを聞くことになるとは、思いもよらなかったのだ。丁稚奉公でも金銭が発生するため、それすらケチる貴族は奴隷を用いる。帝国では人種の奴隷は禁じられているが、奴婢・下郎という言葉で言い換えて誤魔化しており、その実態はほぼ奴隷と大差がない。

 ……地母神の神像に願うことで子を成すことが出来るが、望まない子を生む親が居ないわけではない。あるいは、その手合いの子供の大半は、通常の出産によって捨てられる事が多い。つまりは、そういう職という需要が起きるからこその弊害だ。

 ハディはそれでも暗くはならずに、けろりと言った。


「でもさ、俺が売られる直前になって、領主さまが俺の居た孤児院を断罪してくれたんだ。おかげさまで俺たちは売られることもなく、ちゃんとした孤児院に送られて、俺はあの両親の子供になることが出来た。……だからかなぁ、あんな酷い目にあったけど、それでもまだ生きてられるのは、その経験があるからかもしれないな」


 ぽつり、と呟くハディは、おぞましい過去を思い返し、それを話すことにした。

 そう、それは、村が壊滅した日のこと。



 ……夜間、突如として危急の鐘の音が村中に鳴り響き、何事かと慌てて寝床を抜け出した。ハディが母親と待っていると、父親が血相を変えて帰ってきて叫んだのだ。「逃げるぞ!」と。

 ……異形の化け物が現れたのだと、父は言った。その真偽はハディはわからないが、その言葉のままに母の手を取って、裏口から森に入り、駆けた。

 だが、森にも魔物が現れていたようで、そこかしこで住民が魔物に襲われ、生きたまま食われていたのを目の当たりにした。その恐ろしさに竦みそうになったが、父の叱咤に怯えを隠して、必死に逃げた。

 しかし、遂に魔物が立ち塞がった時、父はハディと母を逃がすために盾となった。父がどうなったのかは知らないが、逃げろと叫ぶ声のままに走った背後で聞こえた鈍い音は、きっと良くない結末だったのだろう。そして、森を駆ける内に足を負傷した母親は、ハディを抱きしめてから、「お前だけでも逃げなさい」と言ってくれたのだ。

 「そんなことはできない!」と叫び、なんとしてでも母を担ごうとした時に、突如とした現れた空飛ぶ異形の魔物に、母だけが攫われた。その最後の断末魔を耳に、目に焼き付け、ハディは恐慌のままに夜の闇を駆けた。駆けて駆けて、そして……。


 唐突に、背後から誰かに抱きしめられ、首筋に熱い釘を刺されたような痛みが走り、全ては闇に包まれたのだ。



「……誰かが死ぬのを見るのって、辛いよなぁ」


 呟くハディの表情は、子供としてはあまりにも不相応な、複雑過ぎる感情が渦巻いていた。


「あ…………」


 ケルトは後悔していた。ハディにとって、それは触れてほしくはない過去だったはず。知らなかったとは言え、安易に踏み込んだそれは、確実に彼の心を傷つけただろう。


「……す、すみません、ハディ……辛いことを」

「いいんだよ。俺さ、カロン爺さんに出会って、痛感したんだ。世の中、強いやつの方が多いって。そんで、強いやつが好き放題やれるのが、この世界の常なんだって」


 それは、真理でもある。

 腕力、知力、権力、武力、魔法、奇跡、あらゆる力を持ち、集約し、手中に納める者こそが、この世界を支配しているのだ。


「だから、俺は強くなる。俺の両親を……村を焼いた魔物を許せないし、必ず殺す。たとえ何年掛かってでも、あの爺さんに鍛えられながら、俺は強くなって敵討ちをしてみせる。俺はもう、なにも奪われたくない。俺からすべてを奪った連中だけは、決して許してやるものか」


 その表情はあまりにも苛烈で、鮮烈で、まるで鋭い刃物のような煌めきを宿していた。

 その横顔に、ケルトは思わず放心した。

 なんと強く、たくましく、そして頑丈な心なのだろう。彼と同じ立場に立たされて、同じことを自分は成そうと思えるだろうか。そう自身を見返すも、出てくる答えはすべてがNoだ。


「……貴方は、強いんですね」


 だから、ついそんな言葉が漏れ出てしまった。

 惰性と倦怠と諦観に近い心境の自分では、辿り着けない領域だと思ったからこその、正直な言葉だった。

 しかしハディは、キョトンとしてから大笑い。


「何言ってんだよ! 俺は吸血鬼の能力があるから頑丈なだけで、ケルトみたいな魔法は使えないし、知識もない。ぜんぜん強くなんか無いさ!」

「……いいえ、強いですよ、貴方は。……羨ましいほどに」


 理解できていないハディに諦観の表情で笑いかけてから、ケルトはため息を吐いた。

 どちらにせよ、自分は彼のようには、なれそうもない。


 そう内心で呟き、自分の心に蓋をした。……既に慣れきってしまった動作だった。



※※※



「おお……これは……?」


 薄暗い洞窟の一室で、水晶玉を覗いていた老婆は、狼狽の声を上げた。

 ぼんやりと光る水晶に映し出された光景は、酷く悪い代物であったのだ。


「何度覗いても、仔細は違えど結果は同じ……こりゃあとんでもない事態じゃな!」


 占いは行うごとに結果が変わるのが普通だ。しかし、この凶兆だけは決して揺らぐことがなかった。

 老婆は唸りつつ、奥の間で椅子にふんぞり返って酒瓶を呷っている、長い金髪の女へと声を掛けた。


「頭領や、じきに悪いものがここへとやってくる。すぐにでも逃げる準備をするのじゃ。このままでは共倒れになってしまうぞ」

「……あぁん? 逃げるったって、なんで逃げるんだよ」


 酒瓶を放り捨て、女頭領はニヤリと不遜に笑った。


「てめぇの占いでも、外すことはあるんだなぁ。こりゃ珍しいもんを見たぜ」

「何を言っておるのじゃ。たとえお主であろうとも敵わぬ輩がやってくる。すぐにでも逃げぬと手遅れになろうぞ」

「はっ! そりゃ大層な冗談だ。このアタイが、敵わないって?」


 ドガンッ! と足でテーブルを蹴り飛ばし、女頭領は立ち上がって吐き捨てた。


「皇帝の冠を盗み、竜すら下し、誰にも負けねぇ力を手に入れたんだ。もうガキじゃない。今のアタイなら、神すら殺してみせるさ! さぁ、クソババア、そのくそったれ共の居場所を教えな!」


 女頭領はナイフを抜き、弄びながら傲岸に笑った。


「この大盗賊ネセレ様が、そいつら全員を返り討ちにしてやるぜっ!!」




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