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どうも、邪神です  作者: 満月丸
冒険者編
100/120

向き合うべきこと

実家に居て、ここまでギスギスしている空気は初めてだ、とゲーティオは思った。


「しかし意外であったな。放逐した男がこうしてアレギシセル家の敷居を跨ぐことになろうとは」

「まったくですね、私もこうして自分を放り捨てた人間と食事を共にするとは、思いもよりませんでしたよ」


朗らかな笑い声、しかしその空気は温かみとは程遠い。

遠い目をしたゲーティオは、眼前の食卓に並ぶ料理長自慢のタラル肉のステーキを優雅な手つきで食べる。一口食べると舌上で蕩けそうなそれは、外で食べる食事とは比べる事もできないほどにグレードの高い味わいである。皇族に出しても文句はないレベルだろうな、と現実逃避気味に思ったりする。

するのだが、その合間にも毒舌混じりの皮肉が頭上を飛び交っている。


「この家で、ここまで美味な食事を出すことが出来るとは知りませんでしたね。昔、口にしたのは砂混じりの水やら残飯混じりの食事やらでしたので、この家は子供の食費すらまともに出せないほど困窮しているのかと思っていましたから。意外ですねぇ」

「ほう、それは初耳だな。まさか当家にそのような馬鹿げたことを成す愚か者が居たとは思いもよらなかった。これはしかるべき処置をせねばならないだろうな、今後のためにもなぁ」


弟の言葉に、壁際に居並ぶ使用人が数名ほど反応した。心当たりのある者達だろう。


(…不適格だな)


横目で顔をしっかりと覚えていれば、実父は優雅な仕草で笑みを浮かべて言った。


「ゲーティオ、お前がこれ(・・)を連れて戻ってきたときは我が耳を疑ったが…なかなか、逸材ではないか」

「…はい」


実父、ガレイティオ・アレギシセル侯爵は、年相応の貫禄のある顎髭を撫でながら、青色の瞳で弟を観察している。鑑定するような怜悧な目に、ゲーティオは薄ら寒い思いを抱く。その眼差しに温かみなど欠片もなく、実の子であろうとも物を見るかのようなそれは、まさに冷たいガラスのような瞳だ。

一方、弟のケルティオは、よく似た青い瞳に複雑な色を乗せ、ガレイティオから一時たりとも目を離さない。まるで、目を逸らせば負けだと言うかのように。その胆力に、ゲーティオは内心で舌を巻く。

その合間に、ガレイティオはゆっくりと口を開いた。


「カルヴァンで起きた、虚無教による魔物襲撃事件。帝都では箝口令が敷かれているようだが、その被害規模から口を塞ぐことはできなかったようだ。そしてその顛末に、救世の皇女と…お前が関わっていたらしいな。それも、並み居る魔法士では太刀打ちできない男を相手に圧倒した、と」

「誇張でしょう。私はただ必死に守るべきものを守っていただけですから、猫に噛み付く鼠でしかなかったでしょうね」

「しかし鼠の牙を持つというのも事実。時として鼠とて猫をも噛み殺すものだ。これが凡才ならば、さしたる事もできずに終わったであろうが…なるほど」


薄っすらと笑みを浮かべるその表情には、やはり温かみは感じられない。どこかで期待している自分に嫌悪しつつ、ゲーティオは口を開いた。


「それでは、父上。ケルティオに母上の治療を任せても問題はありませんか?」


…そう、この会食は、ガレイティオから出した条件でもあった。


ガレイティオは、ちらりとゲーティオを横目で見てから、うっすらと笑う。


「非才な者へ、凡人は時に畏怖を覚えるものだ」

「…は」

「例えば、自身より才能をもつ弟へ畏怖を覚える兄」


一瞬だけ息を呑む。

ガレイティオは素知らぬ顔でワイングラスを揺らしていた。


「嫉妬は実に染み入る感情だ。だがそれを原動力に努力し、凡才から秀才へと立ち上ろうとも、一瞬で天才はそれをも乗り越えていく。なんとも、世知辛いことではないか、なぁ?」

「………」

「必要なのは努力よりも才能だ。魔法伯ともなれば、才あるものが上に立つべきであり、有能な手駒は多いほうが良い。そして才があれば尚の事良い…そうは思わんかね?」

「…………」

「私はそうは思いません」


黙していれば、ケルトが声を割り込ませる。

ケルトは、半眼の目で、相手を真っ向から睨めつけている。


「努力もまた才能の一つ、努力なしでは天才とて凡才のまま。それを無視して能力を語るのは少々乱暴では?」

「ふむ、兄思いではないかね、ケルティオ?そこまで麗しい兄弟愛を育んでいたとは驚きだな」

「そうですね、貴方よりは尊敬していますよ。人格も、そして才能もね」


室内の空気が冷え切った気がした。

思わず冷や汗を流し、使用人たちも戦々恐々としているのが手に取るようにわかる。

睨み合うような親子の間の空気は、しかしガレイティオの笑い声で霧散した。


「はっはっはっは!なるほどなるほど…外の世界に出て成長したようだな。実に喜ばしいことだ」

「…先に言っておきますが、私はこの先、貴方を父と呼ぶ気はありません。家に戻れと言っても、先じてお断りさせていただきます」

「ほぅ、お前の仲間がどうなっても構わない、と?」

「貴方程度でどうにかなるほど、甘い人たちではありませんよ。…ただ」


ケルトはスッと目を伏せてから、ゆっくりとその瞳を開く。


…青い虹彩に、白い輝き。


「あまり、私を怒らせないでください」


ビキィ!とワイングラスから音が響く。

ガタガタと揺れる窓、明滅する明かり、部屋中の空気が音を無くしたように冷え切った。

精霊の威圧感を放つケルトを、じっと見つめていたガレイティオは、


「…実に、惜しいな」


そう呟き、ヒビの入ったグラスを傾けて飲み干した。



・・・・・・

・・・・・

・・・



「しかし、愉快だな…」


ケルトが退室して後。


ガレイティオは、新しいワイングラスを揺らしながら、とても楽しげに笑っている。

佇むゲーティオは、そんな父へ声をかける。


「…楽しそうですね、父上」

「楽しいとも。私が愚図だと断定し、放逐した男こそが、もっともこのアレギシセルを継ぐに相応しい存在だと知ったからだ。…くっくっく!この私でも大きな間違いを犯すらしい。まったくもって、愉快だな」

「…やはり、父上は…私よりケルティオの方が…」

「馬鹿者め」


不意にガレイティオはグラスを後ろに放り捨てる。興味を失せられたそれは、虚しい音を響かせて砕け散った。

目を丸くするゲーティオへ、ガレイティオは一瞥すらせずに詰る。


「アレはもう貴族に相応しくはない。アレギシセルよりも優先すべき物を既に持ち、家を捨てることも厭わん価値観を持ってしまっている。もはや、アレに家を任すことなどできはせん」


辺境であり国境であるラドリオンを守護する男は、目を細めて続ける。


「たとえ当主であれ、帝国を守るために自らの命を捨てる覚悟も持たねばならぬ。かつての戦時、私は多くの半獣を殺し、多くの部下を死なせ、多くの民を見殺しにした。時には身内すらも囮にし、見捨てる策をも弄した。そして私は幾度も帝国に勝利の錦を飾らせてきたのだ。…アレにそれが出来るとでも?」


冒険者として生きているケルトでは、そのような選択はできないのだろう、とゲーティオはうっすらと理解する。集団ではなく、個人の価値観を優先してしまうようでは、貴族の当主を務められはしない。


「もっと早くに教育しておけばよかったとは思うがな。しかし思うだけ、ただの戯言だ。アレはもはやこの家の敷居を跨ぐことはない。そして次の当主は、ゲーティオ、お前なのだ」


父の言葉を凝視するように聞く息子へ、ガレイティオは頑迷な表情で叱咤する。


「この私がお前を育てたというのに、当のお前が他者へ劣等感を抱くな。私の顔を潰させるつもりか」

「……はい」

「魔法だけで生き延びられるほど、戦争は甘くはない。政治闘争では魔法すらも手段の一つでしかない。必要なのは、自らを俯瞰し、家にとって、帝国にとって最良の選択を為せる判断力と、家と自身を切り捨てられる覚悟だけだ。そしてそれは、ケルティオには持たぬもの。お前だけの才能だと知っておけ」

「…はい!」

「…まったく、お前に家を渡すにはまだまだ時間がかかりそうだな」


そう呟き、ガレイティオは窓を見上げてひっそりと笑う。


「まあ、悪くはない影響のようだが、な」



※※※



ケルトは部屋に招かれてからも、じっと黙り込んだままに相手を見つめ続けていた。


眼前には、老いてなお美しい貴婦人が、優雅な佇まいでこちらを見ている。金の波打つ髪は結い上げられ、緑の瞳は憂いを宿して静かに瞬いていた。しかし、今の表情は完全に無であり、まるで陶器人形のようにも感じられる。


…十数年ぶりの実母との再会に、しかしケルトは何のアクションも取れないでいた。


気まずげな沈黙が周囲を支配するが、しかし次の言葉が出てこない。

何かを言おうと口を開くのだが、カラカラに乾いた舌はもつれさせるだけで、何も言葉を紡がない。父と邂逅した際は恨み節がこれでもかと出てきたのに、今はそれとは正反対である。

何度目かの唾を飲み込み、震える口元を感じながらも口を開く…、

よりも先に、夫人が声を発した。


「…大きくなりましたね」


相手の声に、目を丸くする。感極まったように震えるそれは、まるで泣くのを堪えているかのような代物で。

言葉が出たのを皮切りに、夫人は初めて顔を歪めて目を伏せた。


「…貴方のことを、考えない日はありませんでした。わたくしがもっと注意をしていれば………貴方をもっと理解していれば、と。そう思い続けておりました…」

「…それは、違います」


ようやく、ケルトは苦渋の滲みきった声を出す。

こちらを見る夫人へ、ケルトは拳を握って伝える。


「貴方の魔法が使えなくなったのは、私の責任です。私は知らず知らず、貴方へ怒りを向けていた…どうして出来ないことをさせようとするのか。どうして、私へ辛く当たるのか。…それもこれも、貴方は私の為を思って行っていてくれたこと。…今では、わかります」


思い出は厳しかったことばかりだが、それでも、時折に見せてくれた優しい記憶は、確かに残っている。


「魔法貴族の子息として生きるのならば、半端者は忌み嫌われる。まともな魔法すら扱えない落第者など、魔法貴族という家格を背負う貴族社会では、どうしても下に見られてしまう。だから、貴方は必死になって私を教育していた。私を政敵から守るためにも、それは必要なことだった」


もし魔法の使えない魔法貴族の子供が生まれれば…その先はきっと、家から追い出される運命になるのだろう。どちらにせよ、ケルトは追い出される未来しかなかったのだ。

首を振りながら、ケルトは続ける。


「…今ならわかりますよ。貴方は私を思って行動をしてくれていた。…だからこそ、謝罪させてください。貴方を長らく苦しめていたのは、私の浅慮でした。本当に…」

「いいのです」


ふわり、と風が揺れる。

気づけば、眼前に母が佇み、その両手でケルトの頬に触れていたのだ。


「もう、いいのです…貴方にまた会えました。それだけで、もう十分…」

「…母上」

「…会いに来てくれてありがとう、ケルティオ」


初めて微笑んだその顔は、かつての記憶よりずっと小さく、しかし美しいものだった。



・・・・・・・



ケルトは互いに椅子に座り、母の周囲の精霊を観察していた。

精霊たちは不自然に傍には近寄らない。それはまるで、近づくのを咎められているかのようだった。


『…精霊達よ、これからは以前のように、この方へ手助けをしてください』

『いいのー?』

『もう無視しなくていいのー?』

『ええ』


頷けば、精霊達はわっと集って、夫人の傍へ群がる。急な変化に夫人は目を丸くし、周囲に戻ってきた精霊を感じ取っているようだ。


「…また、精霊を感じられます…嗚呼」


周囲に集う精霊を抱くように、目を伏せて夫人は嬉しそうに微笑む。

それを見て複雑そうに目を逸らしてから、ケルトは気を紛らわせるように尋ねた。


「…あの、魔法が使えなくなってから、表へ出てこなかったそうですけど…それは、どうしてですか?」

「…そうですね」


夫人は虚空へ伸ばす指を解いてから、ほっそりとした笑みを向ける。それに、ケルトはやはり居心地の悪い思いをする。


「魔法が使えなくなった時点で、わたくしは家名の傷となりました。だから、社交界に出るわけにも参りませんでしたから」

「それで…表に出なかったと?そんなことで…」

「ケルティオ、これは魔法名家に嫁いだ者にとって、重要な事なのです。侯爵家を醜聞から守るためにも必要なことでした」

「でも!」


ケルトは首を振って声を荒げる。


「それでも、私にはわかりません…!魔法が使えないからと言って、貴方を閉じ込める理由にはなり得ない!それはまさか、あの男の命令なのですか…!?」

「いいえ、わたくしが自ら申し出ました」


はっきりと否定するそれに、ケルトは驚くような顔をする。


「ケルティオ、貴方が旦那様を恨むのも仕方のないことです。けれどもわかってほしいのは、旦那様も貴方の処遇に関して悩んでいたのです」

「…そんなこと…」

「貴方の性質が、当家にとってとても複雑だったのは知っていますね?そんな貴方を、旦那様は持て余していました。下手にアレギシセルの者として外に出すわけにもいかない、存在を知られるわけにはいかない…だから、せめてカルヴァンの信頼できる講師に預け、自由に過ごし、今後の身の振り方を考えてほしかったのです」

「なら!どうしてそう説明してくれなかったんですか!?」


思わず立ち上がるケルトは、息を荒くしてから我に返ったようにハッとなり、静かに椅子に座る。


「…私には、何も言いませんでした。何も…貴方のことも、何もかも…あの人はただ、扱えない私を持て余して放り出しただけです…!」

「でも、旦那様は退学となった貴方を、私領にて保護するおつもりでした。…知っていますよね?」


それに、ケルトは目を逸らす。

勘当された際、手紙には確かにケルトを自領に招いて仕事を斡旋しても良い、と書いてはあった。しかし、捨てた家に頭を下げに行く気にもなれず、それを無視したのだ。

それを親心だと言われても、ケルトにとっては納得の行く話にはならない。


「…私には、理解できません。貴族としての考え方など…私は、知らない」

「……そうですね、それで良いのです」


目を上げれば、夫人は慈しむように見つめていた。


「貴方は、外に出て自由を手に入れました。アレギシセルとは無関係の、貴方だけの自由な心を。わたくしはそれを否定しません。それはきっと、わたくしにはもう持てない物でしょうから」

「………」

「ですから、貴方も否定しないでほしいのです。世界には、貴方のように自由を重んずる者もいれば、貴族として国を守ることに命をかけている者達もいるのだ、と」


ケルトが見ていれば、夫人は静かに立ち上がり、窓辺から外の光景を眺める。


「旦那様は、ラドリオンという広大な領地を守っています。彼らが日々を豊かに生きられるのは、旦那様を始めとした統治者の功績です。…民が日々を笑いあい、幸せな日常の中で眠りにつけることこそが、きっとわたくし達にとっての幸せでもありますわ」

「…どうして、母上は…そこまで他人のために、利他的になれるのですか?」

「…わたくしは、かつて半獣の虜囚でしたの」


寝耳に水なその事実に、ケルトは驚きのあまり目を見開く。

夫人は儚く微笑み、振り向いた。


「とても昔のこと。けれども、忘れられはしない。…わたくしの生家が略奪され、わたくし自身も…奴隷として売られましたわ。ひどい扱いを受けた半生の中で、旦那様だけが、わたくしを救い出してくれた」


それは、初めて聞く、実母の告白であった。

目を見開くケルトを、夫人はじっと見つめて続ける。


「この世界は理不尽です。けれど、その理不尽な中で、どれほどの資源を民に与え、新たな資源を生み出し、次に繋げられるか…それが領主に求められることだと、わたくしは思います。その中で、戦争は切っても切り離せぬ事。かつて、貴方がまだ小さい頃に起こった戦争で、ラドリオンと帝国を守るために、どれほどの血が流れたのかを知っています」

「………」

「奴隷となったあの日、わたくしは既に一度、死にました。けれども、それを救ってくれた方がいる……わたくしは、あの方と、あの方が守ろうとするこの国の人々を守るためなら…この生命を散らすことも、厭いません」


そのために、息子を捨てることも出来るのだ、と、夫人は儚く言った。


…ケルトは、静かに目を伏せる。

正直、理解が出来ないと思った。けれども、それはきっと、この夫婦の間でのみ通じる絆によるものなのだと、それだけは理解できた。


「…私は、貴族としての生き方はできません。そして私は…自らの子を捨てる人間も、理解できません」

「………」

「…それでも」


こうして話を聞いても、理解し合う事はできそうもなかった。

ただ、家族を蔑ろにしてでも尚、彼らには守るべき多くの者が存在しているのだと、理解できた。

そしてその守るべき者の中に、自身は含まれてはいないのだと、理解してしまった。

…それが、彼らの生きる…生きねばならない世界なのだと、理解してしまったのだ。


ケルトは、青い瞳を見開き、その瞳に母を映した。


「それでも、貴方は私にとって………唯一無二の、偉大な母でしたよ」


世界が違えど、歩み寄ることが出来ずとも、それでも、彼女は彼の母だった。

それは別離だが、同時に感謝の言葉でもあった。


…その言葉に、夫人は静かに目を伏せて、涙を流したのだ。




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