【3日目 訓練】
疲れた体に、ソンタック。
あなたの心に、忖度します。
「ふんっ、はっ!」
「おお、お見事でございます、ファル様!」
指南役の男に向けて、俺は刀を振るう。
渡された練習用の剣は、体育で使った竹刀などとは比べ物にならないくらい重い。普通に金属製なのだ。刃がないだけ。
貴族の日課としての、剣技の訓練。絶対に嫌だったが、前からやっていたとなれば、逃げるわけにもいかない。
一か八かの思いで、こうして訓練を始めたのだが――
「はあっ、ふっ、ふぅ……ぜあっ!」
「ファル様! おおっ、今のは危のうございました! お父上を越える日も遠くはありませんな!」
……めっちゃ接待されている。
俺はと言えば、体の記憶頼りに適当に振り回して、それでも先程から剣がぶつかる度に目を瞑っている気がするのだが。
指南役――目も体も細い、ひょろ長なシルエットの男――は、これでもかと褒めてくる。
「は、ハハッ! どうだどうだ!」
過去の記憶を漁って、過去に言っていた感じの言葉を口にする。
実際、前世より身体はよく動く。ファルヤーズは体格に恵まれていて、筋力もある。野球部とかサッカー部に入ったらエースになりそうだ。
そして、記憶を探っていた頃から気になっていた物事を試してみる。
「……魔力を、右腕に流す。〝枝打ち〟」
半信半疑で軽くそう呟くと、肩から先が、ぐんっと加速した。
腕だけが勝手に動き出したかのような高速の斬り上げが、ひょろ長い男の練習剣を吹っ飛ばした。
魔力というらしい。身体から滲み出る感じで、動作を補助する。ただ、出来るのはそれくらいだ。漫画やゲームみたいな現象を起こせたりはしない。
「このコルムバ、いたく感動しております。ファル様はまたお強くなられた」
「ほう、そうか。……どこがどう変わった、言ってみろ。前の訓練から、せいぜい数日しか空いていないが」
過去の訓練を並行して思い出していたのだが、おおよその流れは変わっていない。
基礎訓練を早々に切り上げて模擬戦へと移り、接待している相手に魔力を放って圧倒して得意げになっていた。
「いえ……お変わりになられました」
微笑を浮かべて、指南役の男、コルムバは言う。
「戦いながらも、こちらの挙動を子細に観察しておられた。
たえず緊張し、周囲を警戒することは、戦には何より大事なことでございます。失礼ながら、以前のファル様には欠けておられたもの……」
(……そうなるのか!)
心中で冷や汗を流す。少しでもボロを出さないようにと意識していたことが逆に仇になった。
この変化を父親に報告されでもすれば、また疑われてしまうかもしれない。
どう言い訳をしようか考えていると、コルムバは勝手に納得したように何度も頷く。
「事故の影響でしょうな。病み上がりとはいえ、だからこそ訓練に来て下さったのは正解でした。その感覚を、どうか忘れずにいてくださいませ」
そう言ってコルムバは頭を下げる。不気味な見た目と違って、意外としっかりした男のようだった。こちらをファル様と愛称で呼ぶのも、それなりの地位がある証だろう。
俺は慌てて、慌てたように見えないように頷き、口の端を釣り上げる。
「あ……ああ。そうだ。俺ももうすぐ魔導書を得る。そうなれば、あのような無様を晒すこともない。つまらん訓練にも、多少は気が入るというものだ」
ファルヤーズは、『魔力使い』と呼ばれるらしい。
生まれながらに魔力を持ち、それを意識的に使える才能の持ち主。
それだけでも常人よりは遙かに優れているが、ゲームや映画のような魔法使いになるには、『魔導書』を獲得する必要がある。
これには家柄や土地が深く関係しているらしく、俺も十五になる日に魔導書が与えられるとか。
「然り。最上位の魔導士は、岩山を砕き、森を焼き払うといいます。ファル様ならば、すぐにでも辿りつけることでしょう」
「フン。当然だ。この俺様なのだからな」
「期待しております。では、本日の訓練は終了と致しましょう。成長したファル様をもっと見たいところですが、重傷を負ったばかり。大事を取ります」
「ああ、そうだな。俺もそろそろ……」
訓練は、これで一段落ついたらしい。何とか誤魔化せたと、心中で安堵の息をつき。
「では、いつもの者を呼びます。どうぞ〝お楽しみ〟を」
ぱんぱんと、コルムバが両手を叩いた。
中庭の端で何かが蠢いた。扉から、怯える小動物のような動きで姿を現したのは、
「は、は、はい。……ファ、ファルヤーズ様。お相手を、お願いいたします……」
痩せた、使用人の少年だった。手には、木製の棒のような粗末な剣。
首元や頬、足には真新しい傷痕が残っており、こちらに向けて笑みを浮かべているが、明らかに引き攣っている。
その姿に、ファルヤーズの記憶が蘇る。
彼は、覚えたスキルや剣技を使用し、適当な使用人を痛めつけ、支配欲と嗜虐心と満たすのがお気に入りの習慣だったのだ。
「…………」
ファルヤーズにとって、実力が上であるコルムバを相手に、こまごまとした訓練をするのは単純にストレスだったらしい。
そのため、終わった後は適当な使用人を痛めつけて斬りつけて、怯え逃げ惑う様を見て楽しんでいた。本当にクズ野郎だなこいつは。
「どうか、お好きなように、お願いします」
そう言い含められているのだろう、使用人は木剣を構え、逃げ出す気配もない。
肩や、首だ。そういう場所を掠めるように斬ればいいと、体の記憶が言っている。使用人は父親の財産だが、殺しさえしなければ損害にはならない。
どうせ何も知らない相手だ。それに、躊躇えばお前は疑われる。多少は素直に傷つけた方が、それらしいだろう。
――俺は、剣を構えて一歩を踏み出した。
「ひっ!」
下段からの軽い一撃で、木剣を真上に逸らす。
両腕が真上に伸び、胴体ががら空きになった少年が、迫る俺の姿に、いよいよ表情を恐怖に凍らせる。
「魔力を、左足と右腕に流す――〝幹割り〟」
魔力で強化した踏み込み。
真横に走った軌跡は、跳ね上げた木剣を真っ二つに斬り割った。
「つまらん」
そう言って、大げさに肩を落とす。見ていたコルムバが首を傾げた。
「ファル様? つまらんとは……」
「怯えて固まる木偶の坊をなますにするのは、もう飽きた。羽虫のほうがまだマシではないか。おいコルムバ、もっと良いものが欲しい」
「良いもの、と言いますと」
剣を地面に突き立て、苛立たしげに見えるように貧乏ゆすりをする。
「そうだな……俺より弱く、しかし俺に敵意を持ち、抗おうとする獲物だ。そういう相手を踏みつけにできれば、もっと楽しめるだろう?」
我ながらドン引きする意見である。
だが、あろうことかコルムバは感極まったように「おお……!」と呻いて、天を仰ぎ、拳を硬く握った。
「なんと勇壮なるお心か! ああ、しかし、この無能をお許しください。今、ギラファリアに真から抗おうとする気勢の持ち主など、他の四……いえ、三貴族の者どもか、それか未開領の半獣どもくらいしか思い付きませぬ」
「フン……そうか。ギラファリアが優れすぎているが故ならば、仕方ない。この件はまた考えるとしよう。行くがいい、コルムバ」
「はは、どうか吉報をお待ちくださいませ! ファル様!」
そう言うと、コルムバは楽しげに去っていった。
残されたのは、ストレス解消に苛められていた使用人の少年。ちらりと片目で見て、そっけなく言い放つ。
「お前にもう用はない。二度と俺に近づくな――否、視界にも入らないようにしろ。周りにも、俺にそう命じられたと言え」
「はっ、はいぃっ!」
ほうほうのていで逃げ出す少年。
どうせ、救うことも慰めることも出来ない。だったら、とりあえず二度と俺に近づかないようにするのが一番いいだろう。
ともあれ、何とか、乗り越えた。
「……疲れた……」
剣を跳ね上げた瞬間の、少年の蒼褪めた表情がまだ脳裏に残っている。
その記憶に昂ろうとする屑な体を抑えつけて、大きく息を吐いた。