【2日目 偽装】
2日目。忖度チート、はじまります!
「ファルヤーズ様……お体の調子は……如何ですか」
「ウッ……グウウ…………」
「も、申し訳ありません。しかし、これ以上の魔法薬は体にも悪く……」
「構わん……。ち、治療は十分だ……少し、休む……」
医者を追い出すと、俺は震わせていた体をぐっと伸ばす。やっと気が抜ける。
あれから。自宅の屋敷まで運び込まれ、よく分からない治療を受けた。
魔法薬とかいって、なんか知育菓子みたいな色の薬を飲まされたときは何かと思ったが、僅か一日で全身の痛みはすっかり引いた。
コンビニ飯と深夜までの連勤を続けていた日本にいた頃よりも、むしろ体の調子は良いくらいだ。
俺はふかふかのベッドの中で天井を見上げ、『記憶』を思い出していた。
俺の記憶ではない。ファルヤーズという、この少年の記憶だ。憑依して乗っ取った形ではあるが、体の方の記憶が残っている。
ここの言語が理解できるのはそのためだ。もちろん、意識は俺だから、油断すると日本語が出てくることもある。御者になったサラリーマンは、そこを間違えた。
――間違えれば、死ぬ。
問答無用に殺される。
この世界では、異世界転生者は一般に知られている。異端憑きという名で。
精霊を信仰し、オーブと祠、そして魔導書を権威の象徴とするこの世界にとって、革命と未知と、非魔法の技術文化をもたらす転生者は、排斥されるべき対象らしい。
(この体の名前。ファルヤーズ・ギラファリア。家族からの愛称はファル。
大陸最大の国家、クリナトゥス王国にある五大貴族の一家、ギラファリア侯爵家の長子。まもなく十五歳で、成人間近。供を連れて遊興都市からの帰りに、豪雨と落石で馬車ごと崖から滑落し、重傷を負った。それまでのこいつの行動、口調と、性格に、趣味――)
設定を沁み込ませていく。
俺は普通のサラリーマンだった。他人を演じる経験なんて、小学校の学芸会以来だ。
だが、空気を読むのだけは得意だ。現代の日本人ならば、誰でも普遍的に持っているありふれたスキル。
運ばれる最中の兵士たちと、医者とのやり取りで、このファルという少年が、周りにどういう行動を求められている存在なのかは分かる。
先程の口調も、思った以上にスムーズに出た。体が覚えているのだろう。
途中で休憩を挟みながら、そうして記憶を思い出し続けること数時間。
窓の外が夕焼けに照らされる頃、扉を叩く音がした。先程と同じ医者の声だ。
「ファ、ファルヤーズ様……」
「なんだ。また、何か用か」
「侯爵様が、お呼びでございます。お、お身体が優れないのであれば……」
「父上が? ……分かった。すぐに向かいま……向かう。待っていろ」
危ない危ない。つい敬語が出かけた。
体が完治しているのは確かだ。あまり寝込んでいても怪しまれるだろう。
俺は、用意されていた簡易な礼服に着替え、部屋の外に出た。
◆
「ファル。体は、もう問題はないか」
「お陰様で。……父上」
耳慣れない呼称を口にする。堅苦しい呼び方もそうだし、前世では父は小学校に上がる頃には死んでいたから、そもそも父親を呼んだ経験自体があまりない。
緊張に気付かれないように、ひどく長い机の対面に座る。野菜の入ったスープと、よくわからない魚の姿焼き。焼かれた硬パンとジャム。白米が欲しいが、贅沢は言えない。
「そうか、そうか。ならば良い。お前が土砂崩れに遭ったと聞いた時は、全く肝が冷える思いだった。お前の希望とは言え、地方の徴税を任せたことを後悔すらしたものだ」
「ご心配をおかけしました。ですが、この程度のことで死んでいては、ギラファリア侯爵家末代までの恥。父上のお顔に泥を塗らずに済み、此方こそ安堵しております」
ファルは長男で15歳。目の前の父――カストゥロ・ギール・ギラファリアは、記憶によれば四十前後のはずだ。
だが、外見はかなり老けこんでいて、50歳くらいに感じる。体格には恵まれているが、真っ白な髭や、後退を始めた髪がそう見せるのだろうか。
一方で、落ち窪んだ目は爛々と輝いていて、なんというか前世ではあまりお近づきになりたくない人種だった。
「こうして向かい合っての食事も、久しぶりに思えるな。お前の好物も用意させた、楽しむと良い」
「有難うございます、父上」
食事作法は、そこまで気にすることはない。一口、スープを啜る。
「徴税は首尾よく行ったようだな。話を聞かせてくれ」
「はい、父上。…………」
俺はすぐに、壁際に並んでいた使用人の一人に声を掛けた。
「今日の料理は、誰が?」
「常と変わらず、リゲル料理長でございます」
「そうか。すぐに呼んでくれるか。労いたい」
俺がそう声を掛けると、びくりと肩を震わせた使用人が慌てて食堂の外へと走っていく。
やがて、ターバンのような帽子をつけた男が俺の隣に立った。
「リゲルでございます、若様。本日の料理、お気に召されたでしょうか」
「ああ――」
そして俺は、その男に向けてスープを叩きつけた。
高温のスープと、チンゲン菜のような大きな葉野菜が料理長の顔に当たり、彼は床へと倒れ込む。独特の香りがあって、決して味も悪くない野菜だった。
その後、俺はスープ皿を床に叩きつける。倒れた料理長の耳元で、皿が割れる。
「ふざけるな! 俺が、二度とスープにブランタ菜を入れるなと命じたこと、もう忘れたか!
随分と都合の良い頭を持っているようだな! 今すぐ貴様の頭蓋骨を皿にして、スープを作り直させても構わんのだぞ!」
「申し訳ございません! 申し訳ございません!」
「何が申し訳ございません、だ! 謝罪で済めば魔導書は要らん! そこになおれ、今すぐ――」
「よい、ファル。やめてやれ」
ヒートアップする俺を、父上の声が止めた。
「何故です、父上! コレは父上の厚意をも無碍にして……!」
「そのスープは私が希望したのだ。いや、お前の好物を、すっかりと忘れていたものでなあ。全く、会議と戦ばかりで、子の好みも満足に覚えておらぬとは不甲斐ない。悪いことをした」
「……そうでしたか。ならば、父上に免じて首は勘弁してやる。命拾いしたな」
「は、はい……有り難く……!」
「床が汚れたではないか。拭いておけ」
スープ塗れになった料理長が、荒い呼吸と死んだ眼のまま、散乱した具を拾い集める。
その横で、俺――ファルヤーズとその父、カストゥロは、さして問題もなく、他愛の無い食事と会話を続けたのだった。
◆
「…………試された」
その日の夜だ。俺は諸々の日課を終えて、寝床についている。
父親といえど――いや、父親だからこそ、油断してはならない相手だった。
御者という前例がある以上、俺が異端憑きかどうかを警戒するのは当然だ。好き嫌いの変化は、確かに良い手だ。ファルヤーズがひと月前に、同じように激怒した記憶を掘り起こしていなければ、あれでアウトだった。
……ひとまず、疑いは晴らせたと思う。だが、状況は変わっていない。問題は、このファルヤーズという男だ。
ファルヤーズ・ギラファリア。
年齢、十四歳。男性。魔法属性不明。成人の儀より前のため、魔導書および専属の使い魔・奴隷はなし。ギラファリア侯爵家の長男にして、現状の跡取り息子。
――性格は、傲慢で残酷。自分本位。
恵まれた生まれの力で、一方的に他者を虐げ、従えることに何より快感を覚える。
趣味は、剣技や魔法スキルの稽古――正確には、新しく覚えたそれらを使っての、身分の低い兵士やミスをした使用人の女、捕まえた魔物や小動物の虐待。
この家においては、その暴虐自体は問題視されておらず、父親に頼み込み、そういった『遊び』用の拷問小屋すら所有している。通称『欣喜館』。
つい先日、捕虜の拷問役を申し出たが、カストゥロにまだ早いと却下されている。
その憂さ晴らしに、支配区域に出て自ら税の徴収を行っている。その際に余分に税を徴収し、帰り道の豪遊に使った。その為に寄った町から屋敷までの道で、あの事故に遭っている。
怪我自体は大したことはなかったが、落下の際に心臓が止まって死んだ。小心者。
自業自得だ。
なっているからこそ分かる。率直に言って、あのまま死んでいて何ら問題のない人間だ。
そして、俺はこの人間のフリをし続けなければならない。食事の途中にシェフに皿を投げつけて罵声を浴びせるなど、やったこともなかった。今頃になって、手が震えている。
彼は火傷などはしていないだろうか。考えたところで、詮の無いことだったが。
そうして後悔する一方で、いざやるとなれば、動作も言葉もひどく滑らかに出てきた。
体の記憶だ。思った以上に、この体は、かつての暴虐を覚えている。演技には苦労はしない。車を運転するように、動かしたい方向に軽くアクセルを踏むだけだ。
「……なんか、あったな。そういう社会実験だっけ」
普通の人々を看守と囚人に分け、意図的に被虐待関係を作らせたら、最初は躊躇っていた看守が嬉々として囚人を拷問するようになったとか、そういう話。
インチキだったという話もあったと思うが、とにかく今このタイミングで思い出したくない話だった。
だが、やらなければ死ぬ。
鉄骨で死ぬのならまだともかく。あんな、寄ってたかって、鳥葬みたいな殺され方をするのは絶対に嫌だ。
かといって、このまま暴虐の王子を演じて、綱渡りのような生活を続けるのか。
やるとしても、一体いつまで?
「いい。今は、寝よう」
先の不安には目を瞑ろう。まずは、この世界のことをもっと知ることだ。
衣食住には苦労しない。ベッドもしっかりと整えられている。疲れていることもあって、俺はあっさりと眠りについた。