【14日目 -4768日目】
14日目 -4768日目
(やーい、ごみ女~~~)
他愛もない記憶の一つ。
歪な放物線を描く消しゴムのカスを、俺は黙りこくって見送った。
中学生の頃だった。
多くの学校でそうであるように。俺のクラスではいじめが起きていた。
対象は、クラスの引っ込み思案な女子だった。理由は分からない。たぶん、最初にいじめ始めた連中も覚えていないと思う。
何か、授業でへまをしたとか、雑談で場にそぐわないことを言ったとか、そんな話だろう。
授業中だ。煤けた制服の小さな背中に、背後から投げられた消しゴムのカスが当たる。
落ちる。あるいはこびりつく。
襟首や、スカーフの隙間に入ったら高得点。そういう話を、横から聞いた。
(ほら!)
顔も覚えていないクラスメイトが、口元だけでお前もやれと指示してくる。
怖かった。
恐ろしかった。彼は普通に話せる友達だったけれど、躊躇はなさそうだった。
――怯えているのが自分だけだと気付かれたくなかった。
昔からそうだ。周りにどう思われるかが怖い。否定されるのが怖い。「なんだこいつ」と思われるのが怖い。暴力や怪我よりも、浮くことの方が恐ろしかった。
過去のトラウマとか、家庭環境の問題とかじゃない。
ただの性格として、そうだった。
(………………)
理解不能ないきものたちに囲まれている。
恐怖を押し殺した愛想笑いを返しながら、手元の消しカスを丸める。
それをするのが〝普通〟なのだと、自分に言い聞かせる。
(……当てなきゃ良い。当てなければ、僕はやってない)
ひゅん、と投げつけた消しカスは、制服の背中には当たらずに。
その前の椅子の背もたれにぶつかって、崩れて見えなくなった。
こつりと小さな音が立った。
びくりと、少女の小さな背中が震え上がった。
(…………)
それを見なかったことにして。
頭の悪い子供は、再び、授業の黒板だけに集中しはじめた。
◆
景色が割れる。
夢の光景が続く。現実離れした、脈絡のない光景が。
ばくりと、ヘレヴェアの口が開いた。
視界は塗り潰された。
透徹とした、青い光。
目の前にいた、穢れた獣の骸の怪物が、落ちてきた空に断ち割られた。
「――――」
違う。そうじゃない。空が落ちてきたかのように見えたのは、青い閃光。
青い閃光に見えたのは――それを纏った、一つの人影だ。
汚れきった襤褸に身を包んだ人影。最低限の洗浄こそしたが、ざんばらに斬り乱されたままの長髪。
頭部を斜めに切り裂かれた怪物が、明確な苦悶の声を挙げてよろめいた。
「フーッ、ふーっ…………」
ヘレヴェアを見据える瞳の下、苦しげな猿轡。
後ろ手で、硬く拘束されたままの手錠。到底動けるとは思えない姿。
だが、襤褸の下から、今しがたヘレヴェアを切り裂いた凶器が伸びている。
奇怪な、青い結晶体に包まれた両脚だった。
「ヴァロロォォオオォア…………!」
「ふ っ!」
どん、と地面が弾ける。
少女が跳躍した。それだけで、打ち上げ花火のような音が鳴った。
穢れた獣が、蹴り飛ばされた。四方に穢れた肉が爆ぜる。俺に向かって飛んでくるものだけは、最初と同じ、青い光に遮られた。
小さな菱形の、青い結晶の集合体だった。俺の目の前に壁となって立っている。
見れば同じ結晶は、少女の足をブーツのように鎧っている。獣の穢れに侵されることなく、一方的に蹴りつけ、切り裂く。
――確かに、言われてみれば、かろうじて。
それは、爬虫類の鱗に似ていると、言えなくもなかった。
「鱗、の……」
青い閃光が空中を駆ける。討伐不可能と説明された異形が削れていく。
やがてその体積が半分以下になったところで、獣は地面に崩れ落ちると、残りの身は丸ごと溶解して地面に拡がり、消えた。
後には、比すると余りにも小さな、鹿らしき生き物の骨だけが残った。
「…………は」
何もかも、冗談じゃない。
だからこれは、夢の光景だ。
奴隷として引きずり回していた少女が、輝く鱗を散らせながら戻ってきて。
ごぶじですか、などと呼びかけてきたのも。
「…………」
何を話せば良いかなど、思いつきもせずに。
今度こそ俺の意識は、闇の中に沈んだ。




