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【13日目 ■■】



 圧政なんて言葉は、ニュースの中でしか聞いたことはなかった。

 日本では、政治については色々と言われてはいたものの、命、あるいは財産を力尽くで奪われるようなことはなかった。

 歴史の授業じゃ、当時の人々の価値観を深掘りはしてくれない。

 今の環境のすべては、俺にとっては完全に未知だ。業種の違う他社にいきなり出向させられたことはあるが、それとは比べものにならない。

 そういうとき。大事なのは、どう頭を捻ったところで、自分の予想なんてものは通らないと考えたほうが良いということだ。

 ……分かっているつもりで、やはり俺はそのあたり甘かった。


「――なんだっ! どういうことなのだ、これはっ!」


 ファルヤーズ・ギラファリアが叫ぶ。

 圧政で民衆を支配する、悪の貴族の嫡男として。

 半分は演技で、半分は本心だ。こうなる結末になるとは、思いもしなかった。


 馬車内で一夜を明かした翌日。

 保存食を腹に収め、覚悟を決めてやってきた徴税先。

 昨日の情報漏洩で、村人がいなくなっていたら良いなと考えていた。


「くそ、この、老いぼれ共がっ! よくもっ! この俺の、高貴な顔に傷をつけてくれたなあっ!」


 高貴な顔って何だと思いながら地団駄を踏む。

 結果から言うと、俺達は、襲撃を受けた。

 村に残っていたのは、老人と病人ばかりだ。そして、狩人の弓やら獣用の罠やら何やらで待ち伏せていた。

 とはいえ、こちらも正規兵だ。魔導書を持つ貴族もおり、手傷を負った者こそいたが重傷以上のものは出なかった。

 俺の顔の傷というのも、驚いて馬車から落ちそうになった時に車体に擦っただけだ。

 本当に驚いた。


「は、はは……どうせ老い先短い命。今年は作物もまるで実らず、山も水も枯れきっている。

 残ったものすら全て奪われるのなら……若い者らを生かして、一矢報いようぞ……」


 兵士に縛られ、地面に転がされた初老の男が、ぜいぜいと息を吐きながらそう言う。

 毎年やられているのだから、てっきり無抵抗かと思っていた。

 思ったより強い。反骨精神が。


「ファルヤーズ様! 村の倉庫にも何も残っておりません! もぬけの殻です!」

「だろうよ……貴様らには種籾一片すら渡さ、グアッ!」

「少し黙りなさい」


 コルムバが剣を抜き、男の肩口を突き刺した。

 ぞぶりと突き刺し、ぐりぐりと抉る。噴き出す鮮血。思わず一歩引きかけるが、耐える。

 代わりに、食料庫の方を見るフリをして目線を逸らした。


「ファル様、してやられましたな……これでは徴税にも見せしめにも不足です」

「そ、そのようだな」

「如何いたしますか」

「知ったことか! 逃げた若い奴らを探し出し、改めて徴税を行えばよい!」

「そうしたいところですが……一人一人捕まえるのは現実的ではありませんな。他の村に匿われている可能性もありましょう」

「ならば、そいつらを差し出さねば村を燃やすと布告するとか何とか、いくらでも言いようはあるだろうが!」

「……ほほう!」

「な……!」


 コルムバが笑みを深め、粗末な服の老人が絶句する。

 ごく当然の、ギラファリア家がここから取れる手段を言っただけなのに、まるで悪魔の策でも告げたかのような反応だ。

 いやこんな対応したら当然そうなるだろ。考えが足りてないのか……?


「いやこんな対応したら当然そうなるだろ。考えが足りてないのか……?」

「ま、待て……! まさか周囲の村を、山ごと全て燃やす気だというのか……!」

「え? いや山ごとじゃなくても布告さえすれば――」

「当然! ここに居る者を誰と心得る! かの溶路公カストゥロ・ギール・ギラファリアどのが長子! 欣喜館の主、ファルヤーズ様であるぞ!」


 思わず心に考えたことをそのまま口走ってしまったら、兵士達がノリ始めてしまった。待て待て待て。それはまずい。


「ま、待て! だが、その前に一つ、済ませねばならんことがある」

「と申しますと」

「この反抗、こやつらだけで出来たこととは思えぬ。我らの徴税を知らせたもの、反撃の手筈を整えたものがいるはずだ」


 当然そんな奴はいない。なぜなら徴税を知らせたのは俺だからである。

 後者はついでに言っただけだ。これを先に調べ、生き残りの処分はその正体が判明してから。そう繋げようとしたのだが……。


「…………! まさか、そこまで……っ!」


 まさかそこまで見抜かれるとは、とでも言いたげな……ほぼ言っている表情で、老人が絶句した。

 顔を上げようとしたところを兵士に倒され、悔しげに地面に突っ伏す。


「長子ファルヤーズ……遊行と身内殺しばかりの馬鹿息子ではなかったのか……!」


 小声で地面に向けて呟く。いやだから聞こえてる聞こえてる。

 他の兵士には聞こえてないみたいだけど俺には聞こえてる。

 これ俺の中身がファルヤーズのままだったら今のセリフだけで皆殺しにしてたぞ。


「そいつらを連行しろ。扇動者については、俺の欣喜館でゆっくりと聞き届けてやる。徴税についてはそれからで良い。

 俺は、雑草は根から抜かねば気が済まんタチでな」

「は、ははーっ!」


 貴族は草むしりするか?

 言ってから気になったが、周りからは相変わらず畏怖の視線しか飛んでこないのでまあよし。

 ……とにかく、これが限界だ。最低限の先送りは出来た。

 捕えた奴らをどうするか。取り調べの時間があるから即座に処刑にはしなくていい。その間にどうにかして、彼らを上手く取り逃がす算段を考えなければ。

 俺は心の中で安堵の息を吐きながら、指示を続けて、


「道中で死なれては困る。最低限の治療の後、帰還する――」


 そして。

 やはり、俺は失念していた。

 自分の予想や、希望なんてものは通らないほうが多い。

 前世の、現代日本でもそうだったのだ。

 それが異世界ならば、そんな程度では済まないに決まっている。


「ファル様ぁあーーーーーーーーーーっ!!」


 兵士の絶叫が響く。

 数名の兵士が転がり込むような勢いで、こちらに駆けてくるのが見えた。

 村の裏手にある森を調査していたチームだ。


「なんだ、どうした!」

「お逃げ、逃げくださいっ……! 助けてぇっ!」

「どうしてあんなのがあっ! こんな、こんな所にぃっ!」


 どぉん。ぐしゃり。

 背後の木々が崩れ落ちる。巨大なものが、その向こうにあった。

 大木が倒れて、腐り落ちた。――腐り落ちた? そうとしか言えなかった。

 幹が溶けている。強酸でも浴びたかのような溶解。

 そして、その向こうから。


「は?」

「――ひ」「な」「うあ」「はい?」「うそ」「へ」「ヒィン」


 俺は間抜けな声を挙げた。

 だが、問題はなかった。俺以外の全員――兵士も、村人も、馬すらも。

 一様にそれに大して唖然と間抜け面を晒していた。


「ヴォ、ォォ、ォオ…………」


 紫色から朱色に輝く、原色の体毛。

 濁りきった沼のような泡混じりの水音を立てる手足。

 異様にてらてらと輝く鹿の角が、歪みきった首から逆さまに地面に向かって生えている。

 どろりと、前足を振り上げた。挙動こそ鈍いが、大きさは速度を兼ねる。

 逃げていた兵士を、腐った蹄が踏み潰した。


「おぼっ、ぎゃああ、ああああっ――――っ!」


 木々と同じように、兵士の身体が崩れて溶けた。

 ――死んだ。

 どうしようもなく。

 まるでチープな、CGホラー映画だ。そう考えないと、まともに受け付けられない光景だった。


「あ、あれ。ヘ、レ、…………」


 兵士が茫然と呟いた単語に。つい先日、クラングから聞いた言葉を思い出す。


(『つい昨年も、雨が足りん土地が痩せている獣が多い、挙げ句"――――"が出たなどと言い訳し』)


 この世界の言葉は、当たり前だが日本語じゃない。大陸全体での共用語があり、それに魔法関連になると、いくつか希少言語が交じっている。

 俺の記憶と、ファルヤーズの身体が持つ知識を上手い具合に連携し、似たニュアンスの言語・言葉使いに翻訳している。

 だが、そこには当然〝日本語ではニュアンスを伝えきれない言葉〟が存在する。

 それは、俺にはそのまま単語として聞こえてしまう。単語の意味の一つや二つわからなくても、会話は出来る。それが日本人の読解力というものだ。

 そして、今、改めて。

 兵士の絶叫とともに、俺はその単語を聞く。日本語では到底理解できない概念を、強引に聞き取る。


「どうしてっ! どうしてこんなところに魔穢汚死獄毒蝕堕忌獣(ヘレヴェア)があっ!?」


「ヴォロロロロォオォォオォオロロォ…………!」


 ヘレヴェア。

 とにかく、それがあれの名だ。触れてはならない。近づきたくない。汚らわしい。ひとたび蝕まれ、魂ごと穢される凶兆。

 言葉一つで、この国の人々が積み重ねた忌避感が伝わってくる。

 獣が、死骸の蹄で地面を腐らせながら、這いずってくる。


「啓かれよ、我が魔導書。炎の御徴!」


 背後から熱波が立ち上った。

 振り返ると、赤い立方体がコルムバの手のひらで展開していた。

 立方体は幾何学的に捻れると長く伸び、瞬きの間に、透き通った材質の炎の長剣に変じる。


「〝斬火演目〟、三ノ段!」


 剣を虚空に向け振るうと、軌道に沿って、三本の炎の矢が走った。

 炎の矢はヘレヴェアの頭部に命中する。爆発音と共に、穢れた泥がじゅうと蒸発する音が響く。


「コルムバ!? あり……よくやった!」

「――ふ、フハハ! やってみるものですな……! 伝承ではヘレヴェアは、不死だなんだと言い伝えられていましたが……!」


 煙が振り払われる。

 ヘレヴェアの、腐り、今にも崩れそうな頭部が姿を現す。炎の矢の直撃を受けても、雫一つ分も欠けた気配はなかった。

 穢れた泥の奥にある、白濁した瞳が、裏返ってこちらを見やる。


「ヴォロロロロエェェェエエエエエオ―――――!」


 穢れた泥が吐き出される。

 飛んできて、すぐ傍の、村人を捕え固めていた一角に命中した。

 どぼん。


「あ、ああぎゃあああああ!」「へごぉっ」「あぁぁあああーっ!」


 飛沫が散る。

 村人の半数ほどと、囲んでいた兵士達が、地獄絵図のような悲鳴を上げた。

 反応は出来なかった。それを直視する前に、背後から肩を思い切り引かれた。


「ひ、ひいいいいい! 逃げましょう、ファル様!」


 俺を引きずりながら、コルムバは狼狽を露わにしていた。

 別に頼りにしていたワケではないが、こちらに来て初めて見た表情だった。

 俺にとってだけではない。この世界の人間にとっても異常な状況ということだ。


「コルムバ、あ、あれは何だっ!」

「あ、あれが真にヘレヴェアであるのなら……あれは狂った死骸。万物を犯す穢れの獣。現世に滲み出た冥府への穴であり……周りの全てを死で飲み込みながら、その負の命を使い切るまで暴れ回る災厄でございます!」

「表現が回りくどい! 一言で言え!」

「食われれば先祖代々まで呪われて死にます!」


 また逃げ損ねた兵士が泥に飲まれる。

 耳に残るような絶叫を、そういう番組か何かと思い込んで感覚から消去する。


「村の入口に、我々の乗ってきた馬が! 馬車では間に合いませぬ!」

「わ、分かった! ――何をしてる! 貴様らも逃げろ!」

「は、えっ?」


 生き残りの老人たちの縄を手放し、追い払うように手を振る。

 叫んでから気付く。兵士達と、何より当人たちの困惑した反応に。


「ファルヤーズ卿……?」

「……ええい!」0.5秒で言い訳!「俺に反抗した貴様らを、あんな得体の知れん化け物に呪い殺されてたまるか! 俺の楽しみが減るだろうが!

 せいぜい好きに逃げるがいい! だが忘れるな! 必ず貴様らは全て捕え、とびきりの拷問にかけてやるからな!」

「ひ、ひいい~~~~!」


 蜘蛛の子を散らすように方々に逃げ出す村人。

 どこが老い先短い老人なんだよ、クソ!


「ふふ……ファル様。流石ですな」

「うん?」

「皆まで申しますな。逃げ回る彼らをヘレヴェアの囮にしようというのでしょう」

「………………ああ。その通りだな!」

「この状況で悪魔のような思考! まったく頼もしい限りでぐえっ」


 すぐ傍で浮かんでいた媚びた笑みが、打撃音と共に吹っ飛んだ。

 ヘレヴェアが腐った角で弾いた瓦礫の礫が、コルムバを飲み込んで民家に叩きつけた。


「ヴォォェェアアアァォォ――――――」


 背後で咆哮が轟いた。吼えるというよりは、吐瀉するような音。

 俺は振り向き、――――

 

「……………………あ」


 白濁した瞳。

 いつの間に迫って来たのか。

 穢れた蹄が、地面を腐らせ、足跡を刻む。

 怪物が、俺の正面に。


「ヴィォオォオオェエェエアアアア…………」


 口だったと思しき器官から、涎がこぼれ落ちる。

 てらてらと虹色に輝く粘性の液体。産業廃棄物を山ほど不法投棄された沼のような色。

 対抗する手段? ――ない。

 まず、何も分かっていないのだ。いま何が起きているのか。

 つい数分前まで、なんとか状況は凌げると思っていたはずなのに。

 まるで悪夢のような光景だった。夢ならどうか覚めてくれよ、いやそれをいったら最初から悪夢か、いやいやそれを言ったら日本に居たときだってああ駄目だ余計なことばかり考えて逃げてどうやって一体なにがどうな


「オ゛         ア」


 ばくりと、ヘレヴェアの口が開いた。

 視界は塗り潰された。




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