【100日目】
またの名を忖度転生。
スーツとネクタイが好きだった。
それさえ着ていれば、自分が普通の人間だと保証されるから。
空気を読むのが得意だった。
飲み会の席で、表面的な言葉に、裏を読んだ適切な回答を考えるのが得意だった。
何も人並みに出来ない俺にとって、それが出来ることだけが唯一の救いだった。
友人付き合いがなくとも。
首にはならないが、同期に昇進で置いていかれる程度の仕事しか出来なくても。
それさえ出来ていれば、決定的な失敗にはならない。
それが保証される、空気を読むという行為が、俺は好きだった。
行動と回答が提示されているのは、なんと楽なことだろう。
同調圧力だと、自分がないだろうと、言うやつには言わせておけば良い。
そんなことはどうだってよかった。
ただ周りからの要求に応える。それだけで、周りからまともな人間と見られている、という自意識さえ満たせれば、俺の人生には十分だった。
だから。ああ、だから――――
「清浄なる蒼き光よ、悪を穿て! ゼニス・ストラァァッァァアアアアアアッシュ!」
青い光が、俺の胸を貫く。
ゴテゴテと飾り付けられた、日本にいれば絶対に着るはずのなかった鎧は、英雄の持つ剣から伸びた蒼光によって泡立ち、砕け散った。
「ゴ、ブッ……!」
胸が熱い。喉からせり上がってくる血の塊を吐く。
痛みなんてとっくの昔に痛覚支配のスキルで消しているが、それと体が動くかどうかは別だ。光が消えると、俺は血を噴きだしながら地面に倒れる。
光を放った男――いかにも正統派の剣士ですというツラをしておきながら、奥義と称して剣先から放ったよくわからんエネルギーで人を串刺しにしてきた男は、もうすぐ死体になる俺には目もくれずに、広間の奥にある宝石を取りにいく。
「や、やった……! これが最後の一つ。『清冽』のオーブか……」
「はい。勇者レイさま。間違いございません」
「やったね! これで、はじまりの神殿への道が開かれるんだ!」
「オーブが、勇者様を迎えるように光を……こんな光を放つなんて、初めてです」
蒼き英雄の周囲には、彼の仲間達が集まっている。その中には、俺が生まれついたギラファリア家によって長く虐げられていた戦奴隷も居る。
善良かつ麗しい見目を持つ彼女。ああ、首尾よく奴に救われて、俺たちを裏切ったのだろう。
--そうだ。今日は、ちょうど100日目だ。
日本に暮らすありふれたサラリーマンだった俺が、事故で死に、この異世界の貴族に憑依型の転生を遂げた、あの日から。
「ハハ…………」
「! まだ息があるのか……」
「ああ……ミラビーリス。ウォレス。ビソン・ハスタート。そして……ギラファリア。これで、国を蝕む悪の枢軸は全て……お前の手に落ちたと、言う訳か。アンタは」
「ああ。そうだ。……まだ何かする気か? お前の味方は、もう残っていないぞ!」
「何かって。何をだよ? 俺は……俺は、まあ、満足だ」
空気を読むのが得意だった。
表面的な言葉から、周りが真に望んでいる答えを読みとるのが、特技だった。
それさえしていれば、楽だった。
それをすることが――俺が、俺を貫くための手段だったから。
「やりたいことも、やるべきことも、全てやり切った」
だからこれは、俺の人生で、彼らの物語だ。
華々しい成功譚のその脇で、無数に生まれているはずの、哀れなモブ転生者の後日談。
俺は、日本で死に、異世界に転生した。
100日後に主人公に殺される、悪の貴族の嫡子として。
「残念だったな。俺は、俺が思うままに生きたよ」