1-3 ヨハン病
「ヨハン病ですね」
倒れた後、すぐに街の医者の元を訪れた。診断結果はヨハン病という病気で、初めて耳にする病気であった。原因不明の病で、人の身体をじわじわと再起不能にし最終的には心臓も停止し死んでしまう恐ろしい病気だ。難病でもあり、治療方法は何度聞いても”無い”という答えしか返って来なかった。
僕と家族は絶望した。父さんは何度も何度も…図書館や書店に通い、ヨハン病が書かれている本を探してきた。しかし、どの本にも「治療法は現段階で確立されていない」「不治の病」と書いてあるだけで、努力は無駄に終わった。発症してから1週間が経った。左足が完全に動かなくなり、右足もその兆しが見え始めている。僕の生活に車いすは欠かせない存在となった。
「行ってくる」
家族は絶望することを止め、これから最期まで普段通り過ごすと決めた。でも夜な夜な母さんが泣いていることを知っている。父さんも以前より酒の量が増えている。僕だって本当は泣きたいよ…。病院には行かなくなり、こうやって近くの公園で池を眺めることが最近の僕の過ごし方だ。
「つまんないの…」
車いすだから行けることが限られ、もう自由に動くことが出来ない。僕はこのまま死んでいくのだろうか…。遠い未来にある”死”という事実はまだまだ他人事だ
「何がつまらない…? この世界か?」
急に現れたのは、以前洋菓子店「ズウース」に来たあの2人組だった。同じ漆黒のスーツを身に着けており、目は真っ赤に輝いている。僕は、あの日からこの目を忘れることが出来ない。
「ギル、お前は用事を済ませて来い、俺はここにいる」
「はい、かしこまりました」
「青年、私と珈琲でも飲まないか? 暇つぶしにはなるだろう」
公園に設置してある簡易的なテーブルに手招きされ、持っていたカバンからティーセットを取り出す。
「これ、僕のお店のケーキ!」
「そうだ、ズウース…だったか? ここの洋菓子店はとても美味しい」
「ありがとうございます」
「だが最近定休日が多くてな、困っているのだ」
「すみません、ちょっと事情があって」
「あぁ、そうか…やはりか…」
初めは警戒し、あまり喉を通らなかった珈琲だったけど、異様なのは雰囲気だけであり警戒心は薄れつつあった。
「僕、ヨハン病なんです」
「ヨハン病…随分難しい病だな…」
「ヨハン病知っているんですか!?」
「ああ、知っている」
「初めてです! 医者以外でこの病気を知っている人と出会ったのは」
「そうか」
だけどヨハン病を知っているとすれば、医者なのだろうか…? 医者であればこの人なら僕を治してくれるかもしれない。そんな淡い期待が頭を駆け巡る。
「では、なぜヨハン病と呼ばれるか知っているか?」
「いえ…知りません…」
「最初に発症した人物が”ヨハン”という名前だったからだ」
「そうなんですか…」
どれだけ本を読んでもそんな情報は一切出てこなかった。この人やっぱり、只者じゃない。
「まさか、お医者様ですか?」
「残念だが…医者ではない」
「そうですか…」
「お前…ヨハン病を治したいか?」
「え…はい…」
「そうか…治るといいな…」
そう言うと男性は連れが来たと言い放ち、僕の前から姿を消した。何だよ…治ると良いなって…知ってるくせに、不治の病だってこと。もう、この病が治るという未来は見てはいけない…もうじきこの腕も動かなくなり、僕は寝たきりになるんだ…。そしたら、ずっとこのベットで…いやだ…死にたくない…。僕はもっと生きてやりたいことが沢山あるんだ。
「くそっ!」
枕を投げつけ、目にぐっと力を入れる。もう何日も眠れぬ日々が続いていた。朝起きたら、手が動かないのではないか、目が開かないのではないか…そんな感情が僕を襲い眠れない。
(コンコン)
窓を叩く乾いた音にに僕は目を開けた。何だ、鳥がぶつかったのか…? だけど、その音は鳴りやまない。両腕で身体を起こし、両脚を車いすに乗せ窓に近づいてみる。音の正体は人間の手だった。
「青年、久しぶりだな…」
そこに居たのは、昼に出会ったあの男性だった。漆黒のスーツに暗い赤色のマントのようなものを身に着けていた。窓の外は景色を見るために小さいバルコニーがあるけど、ここは3階だぞ…どうやって来たんだ…。
「こんばんは…」
連れと言っていたもう1人の男性も一緒だった。外はすっかり闇に包まれ月の明かりだけだが、二人の真っ赤な目はよく見えた。
「あの…どうしてここに…」
「私はお前と話がしたい、どうだ? 眠れず暇を持て余していただろう」
「はい、まぁそうですけど…」
「それでは決まりだな、ギル」
「はい、失礼致します」
ギルと呼ばれる男性が僕の肩にブランケットをふわりとかける。
「夜風は冷たいからな」