第206話:ひめごと(下)
流石にこの長く続いている沈黙がつらくなったのか……否、間違いなくこちらの狙いに気が付いた上でそれを封じるためだけに
「それで、いったいお兄ちゃんは何のためにシーちゃんのところにきたわけ?」
自身の中にあったであろう意地や感情をなんの迷いもなく投げ捨て、こちらよりも早く声を発した。
「今の今まで『早く私達の目の前から消えてよ』みたいな態度を取ってたかと思えば今度は急に手のひらをひっくり返しやがってどうした? 正直気持ち悪いぞ」
「………………」
「おい、バカアベル。もういいから俺が聞いたことにだけ答えろ。それ以外はもう喋るな」
「はあ⁉ イリーナはイリーナで突然協力的になったかと思えば実の兄貴に対してゴミでも見るかのような目を向け始めるは、坊主は坊主で―――」
「それでお前が俺のことを探し回っていた理由はなんだ? 今回だけはたとえどんなにくだらない理由だったとしても特別に許してやる。だから今すぐ、簡潔に答えろ」
「いやだから、その前にだな‼」
いくらアベルでもここまでぞんざいな扱いを受ければ我慢の限界といったところなのであろう。
あいつにしては珍しく怒りに任せて思いっきり目の前のテーブルを両手で叩きながら立ち上がり、そう言葉を返してきた。
しかしこれしきのことでビビるほど俺はヤワではないし、何よりこれ以上リーナ姉にばかり負担を掛けるわけにいかないと思った俺は今の自分よりも実力が上の相手に対してガチの殺気を全力でぶつけ
「おい、さっき俺はお前に対してなって言った?」
「――――――ッ‼」
「なに自分の上司兼主に対して戦闘態勢なんて取ってんだよ。不敬にも程があんだろ」
流石は腐っても元マリノ王国の騎士団員及び現ヴァイスシュタイン王国の騎士団団長。
たとえ相手が自分よりも実力の劣る年下のガキであろうとも上下関係が発生するともなれば話は変わってくるらしい。
瞬時に臨戦態勢を解いたのち、そのまま綺麗に直立した。
しかし普段のお互いの関係が関係なだけにおそらく無意識になのだろうが、内心面白くないといった感情が薄っすらとだが滲み出ている。
その為その舐め腐った意識を叩き直すべく、いつかのアベル同様俺も自分の部下の教育という名目のもと一発思いっきり顔面を蹴っ飛ばしてやろうとリーナ姉の拘束から抜け出そうと試みたその時、突如自分の腰に回されていた両腕の力が一気に強められた。
しかしそれとは裏腹にまるで小さな子供を諭すかのような柔らかな声で
「シーちゃん? シーちゃんが私のためにお兄ちゃんに対して怒ってくれていること自体は嬉しい。でもね、そうやってなんでも恐怖や力だけで相手をねじ伏せようとするのは絶対に駄目。そんなんじゃみんなから支持される国王ではなく、みんなを支配する魔王になっちゃう」
「………………」
「まあ、一番悪いのは私の気遣いを無下にしたお兄ちゃんなんだけどね。ということでこの話はもうおしまい! ほら、いつまでも意地を張ってないでそろそろクソボケお兄ちゃんの話を聞いてあげよう?」
「………………」
「んー、じゃあウチの愚兄の相談に乗ってくれたらご褒美として今日は私のお部屋でお泊りしていいよ♪」
突然の爆弾発言にこちらが言葉を失っている間に同じく驚きのあまり両目を大きく見開いた状態のアベルが凄い勢いで身を乗り出してき
「イリーナ、お前……」
ちょっ、いきなり何言ってんだこの姉は⁉
って、今はそんなこと考えてる場合じゃねえ‼
さっきのはコイツが鈍感だったこともあって普通に姉弟間のじゃれあいで誤魔化せたけど、今のは絶対にマズい‼
なにがなんでもこれ以上喋らせないようにしないとどんどんこっちの分が悪くなっていくぞ!
そう思考し終えるとほぼ同時にアベルの発言をなんとかして遮ろうとしたものの、ほんのコンマ数秒で遅れてしまい―――
「俺の知らない間に随分と大人になったな。やっぱり自分に年下の姉弟ができると自然と責任感とかが生まれて成長するものなのか?」
「………はぁ?」
あまりにも予想外の反応につい間抜けな声が出てしまった。
しかしそんなことお構いなしといった感じで目の前にいる男はというと、胸の前で腕を組みながら一人感慨深そうにうん、うんと何度も頷いている。
そんなあまりにも意味不明な状況に若干困惑していると、俺の耳元にリーナ姉の吐息が感じられ
「(私達の関係がお兄ちゃんにバレちゃうんじゃないかって、ドキドキしちゃいました?)」
「(チッ、クッソ! 全部分かっててやりやがったな、リーナ姉?)」
「(ふふっ、シーちゃんがいけないんですよ。いくら私でも人前でおっ〇いをむにゅむにゅされたのは本当に恥ずかしかったんですからね? だからその仕返しです♡)」
「(『仕返しです♡』って、もしあれでアベルに俺達の秘密に勘付かれたらどうするつもりだったんだよ。冗談抜きで修羅場なんて言葉じゃ生温い状況一直線に突き進むところだったんだぞ)」
「(私のお兄ちゃんに限ればそんなこと万が一、億が一にもあり得ないでしょうけれど…もしもの時は魔法で記憶を書き換えておきますのでご安心ください……ちゅっ♡)」




