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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

僕と私シリーズ

私と彼の小さな世界

作者: 浜田 桂

 霞む視界、ぼやける思考。

 身体はふわふわして、どこか現実感がない。

 だけれど、さっきからずっと続いている目尻の痛みが、私にほんのわずかも夢を見させてくれない。

 さっきまで自分が何をしていたのかさえあやふやなのに、今ここにいる私も、今私がいるこの場所も、どうしようもないくらいに現実。

 結局はぬか喜び、か。

 喉元からくつくつと声が漏れる。そのあまりにも枯れ果てた――まるで老婆のような声に、少し驚いた。

 私、一体なにがしたかったんだろう。

 こんなことで、本当に彼を傍に留めておけるとでも思っていたんだろうか。

 彼を永遠にしようだなんて。今にして思えば、なんて愚かしい。

 動かなくなった彼はひどく精巧なマネキンのようで。だのにその彼からは止め処なく赤い絵の具みたいな血が溢れ続けている。なんだか遠い世界の情景みたい。あるいはスクリーンの向こう側。

 あぁ、もしかしたらアレはカンバスに描かれた私の世界。彼も、溢れ出す赤も、全部全部。私が作り出した絵の中の世界。 

 ……なんて、そんなわけがない。だって、絵の具じゃこの生々しい死の臭いまでは表現できっこないんだから。

 本当に、何度同じ逃避を繰り返すのか。これは逃れようのないノンフィクションだって、自分が一番よく分かっているはずなのに。

 四年間同棲した恋人から別れを切り出され、激情のあまりその恋人を滅多刺しにして殺してしまった。そんな憐れで救いようのない女の、憐れで救いようのない物語。

 永遠、か。

 彼を他の誰にも渡したくない。ただその一心だった。まっすぐで純粋で、一途な愛だ。これだけ聞けば、最近流行りの純愛映画みたい。でもその中身は全くの別物。どこへ持って行ったって箸にも棒にも掛からない、B級スプラッタ映画だ。

 さて、薄っぺらい失望感に浸るのもこの辺にしておこう。彼を殺してしまったことは事実。それに対する後悔ももちろんある。だけど警察には捕まりたくない。痴情に溺れた愚鈍な女としてメディアやネットに晒されるのはごめんだ。

 だから私が今考えるべきは、この惨状の後始末をどうするか、ということ。

 この大量の血液は……風呂場から流してしまおうか。タオルかなにかで拭き取って、浴槽の湯に浸けこんでしまえばいい。タオルに多少色素が移るだろうけど、乾かしてから燃やせばどうとでもなるはず。

 ――……燃やす、か。そうだな。彼も燃やしてしまおうか。あぁ、となると場所が問題。運搬方法もそうだ。車はあるけど、重たい死体を誰にも見られないように車まで運ぶのが大変だ。それに人間の体はそんなに簡単に燃えないだろうから、燃やした後のことも考えなきゃいけない。

 まあとりあえず、彼を風呂場へ運ぼう。


          … …

 

 目の前に上がる、猛々しい炎。

 まるで、私の彼への想いそのもの。情愛、あるいは憎悪。そのどちらかもしれないし、両方かもしれない。ひょっとしたらどちらでもないのかもしれない。

 あぁ、でも。これが夜だったら、きっと炎は花のように煌いて、さぞ綺麗だっただろうに。それが少しだけ惜しい。

 もしかしたら、彼が私の想いに応えようと頑張って炎の花を咲かせてくれてるんだろうか。

 それなら、一生懸命彼を解体した甲斐があったというもの。だってアレは本当に大変だったから。

 と言っても、解体作業自体が大変だったわけじゃない。

 彼の身体を刻むという背徳。絡みつく血や体液、溢れ出す死臭。少しずつ少しずつ思考が溶けて、私と彼の境界線が曖昧になっていく、奇妙な感覚。

 そのプレッシャーに抗うことがなによりの重労働だった。

 だからこそだろうか。作業を終えた後の、あの清々しいまでの達成感。もはや人の形すら留めなくなった彼を誰かに自慢してやりたくなるくらいに、誇らしい気分だった。

 その後は簡単なものだった。

 少し離れた場所に誰も寄り付かない廃墟があることを思い出したから。車でそこへ運べば良かった。最初は死体の運搬をどうしようかと思ったけど、解体を思いついたおかげでそれは解決できた。もちろん、人に見られると気付かれる可能性もあるから、それは細心の注意を払った。

 燃料代わりに衣服を始めとした彼の私物も持ってきた。 血を拭いたタオルも持ってきた。

 全てを燃やし尽くした後、骨や灰をどう処理するか。それももう決めてある。

 昨夜、彼のパーツを乾かすためにドライヤーを当てながら思い付いた。永遠に失ったと思っていた彼を、永遠にする方法。

 これが終わったらカンバス買いに行かなきゃ。あぁ、手持ちの絵具ももう残り少ないかもしれない。足りなくなったら困るから、一応セットで買っておこう。

 なんて素敵なんだろう。これからは彼とずっと一緒にいられる。もう裏切られることはない。見捨てられることもない。

 私が作る世界の中で、彼はずーっと永遠を生きていく。

 くつくつと、枯れ果てた――まるで老婆のような声が漏れる。

 そしてその声で、私は呪文のように唱えるのだ。

「愛してる。本当に、どうしようもないくらい愛してるの」

 その言葉に応えるように、炎が大きく揺らめいた。


          ◆ ◆


 彼に抱かれた後の、心地好い気だるさの中。

 ベッドに腰掛けてタバコをくゆらせる彼を背中から抱きしめて、私は静かに囁く。

「もしあなたが私より先に死んだら、私があなたの絵を描いてあげる」

 困惑しながら笑う彼に、私は約束の言葉を続ける。

「お気に入りの絵具にあなたの遺灰を混ぜて、私があなたを描いてあげる」

 そして、私は愛しい彼の頬に口付けをする。

 この記憶が過去のモノなのか、あるいはただの夢か。今の私には分からない。

 彼が永遠となった今となってはもう、どうだっていいことだから――――。


          終

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― 新着の感想 ―
[良い点] ひとつの詩のような小説でした。 このシリーズを全部読ませて頂きましたが、まとめて感想することをお許しください。 儚く綺麗な世界観で、論理的な解釈は無用と感じました。 どうぞこのまま美しい文…
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