マスカレード
煙草を吸い終える前に、赤いライターの店に着いた。赤い電飾の前に女が立っていた。綺麗な人だと、ジョーは思い笑い掛けたがツンとそっぽを向かれ恥ずかしくなったので彼女の目から逃げるように店内へ入った。
カウンターにライターと煙草を置き、バーテンダーにビールを頼み、注がれる間に奥のスツールに腰掛けボンヤリとしている女に声を掛けてみた。女の前のグラスには飲み物が入ってなかったから。
「何呑むんですか」
女は、大きな目を瞬かせて首を傾げた。ビールをジョーに出しながらバーテンダーは優しく喋りかける。
「理絵ちゃん、お兄さんがオレンジジュースくれるって」
オレンジ、と聞いて八重歯を見せ笑う彼女が可愛かったので
「ウオッカは?」と云うと
「この子、お酒呑めないの。あと煙草もゴメンね」と云われたのでライターと煙草をポケットにしまい込んだ。
理絵は白痴だったが、絵を描くのが巧かった。誰かを待っているのか、紙が無くなればバーテンダーが持ってきてまた描く。理絵の前は作品が無造作に広げられ、まるで美大受験生の様な熱心ぶりだ。
「ビュッフェみたい」
大きな目と、一文字に結ばれた唇を持つ自分の似顔絵を見てジョーはそんな感想を漏らす。
「ビュッフェ」
「理絵ちゃんの事」
分かっているのか居ないのか、笑って画家の名前を呟く。オレンジジュースも少なくなった。
店の外から女の声が聞こえる。あの美人だろうか、結構時間が経っているとジョーは思った。
「るっせー、ドブス寄んな」
「バンちゃん酷い」
ドアを開けて入ってきたのは、細い目の男に肩を借りてよろめく爬虫類顔だった。その後ろには、先程の美人が見えた。
途端、理絵は立ち上がり「バンさん」と言った。彼は猫なで声で彼女の名前を呼び、細目の肩を離れヨタヨタと歩み寄り理絵を抱くと、二人で床に崩れた。
細目が手を伸ばすが、立ち上がろうという気配はなく、理絵は男の頭を撫でていた。美人は、俺の後ろでバーボンを注文している。
「片山ァ、水」
ハイハイ、と云う細目が美人のチェイサーを掻っ払い酔っ払いに渡した。呑み切れず口元ダダ漏れ。深い藍のスーツに染み込んでいく。グラスを受け取った理絵は水を一口呑んだ。男は何が可笑しいのか、そんな彼女を見て笑う。不思議だった。男の目がジョーを捉え「あ、フィニスの」と立ち上がり、カウンターを支えにジョーの目を覗き込む姿勢に
「名前なンてんだっけ俺聞いたっけ」と言ったので、通り名を答えると
「日本人?」と笑われた。
「お兄さんからオレンジジュース貰ってます」
「ほんと?ありがとぉ、ジョー君も呑み」
礼を云って、半分くらい残っていたビールを煽ると新しいビールが既に用意されていた。美人がまたバーボンを注文する。
スツールに座った自分の膝に理絵を乗せ、彼女が描く絵を見つめる男の姿は、妹をあやす兄の様だ。
「何でこの店に?」
流石に苫前からパクったライターを頼りにとは言いにくく、何となくと答えておいた。画用紙に、鳥が描かれようとしている。白い、大きな鳥だ。
「苫前さんとは友達ですか」
「良い男だろ。俺、惚れてんの」
口元のビール泡を吹き掛けた。その様子を見て、可笑しそうに口元を歪め「俺ゲイじゃないんだけどね、カッコいいんだ」と言って、グラスに口を付けた。ジョーには理解出来なかった。理絵がミックスナッツのクルミだけを選んで食べている。鳥は半分、黒く塗り潰された。何時の間にか片山は美人の愚痴を聞かされている。
「マスカラスっーのかな、ケンちゃんは」
酔っ払いの戯れ言の様に誰に云うでもなく呟いた言葉も分からなかった。黒く塗り潰された鳥を
「カラス」と云う理絵を男は褒めた。
気が付くと、空が白んでいた。急に眠気が沸き上がり、欠伸が出た。そして深呼吸を一ツ付いてから
「ご馳走様でした」と財布に手を掛けようとしたジョーを男は止めた。
「いいよ、オレンジジュースの分」
ジョーは驚き、やはり財布を出そうとしたが男は笑いながら気にすんなよと云う。
「また来な。理絵ちゃん、君の事気に入ったみたいだから」
立ち上がったジョーを上目に見ながらヘラヘラする男に頭を下げ、じゃあ。と向けた背中に
「次来る時も、ライター忘れないでね」と云われ、振り返り男の顔を見た。
天井のスポットライトに照らし出される骨格の浮いた男の顔は、笑っているのか定かではなかった。