ハルトVS普通の熊
【前回まで】
・自分たちの土地を手に入れて、幼なじみたちを領主の魔の手から取り返そう
・ハルトのチート能力「石を投げるのがとてもうまい」が発動
・ゲッフォゲッフォ
「わたしたちも開墾、手伝うわ!ねぇ、ジル?」
「え、ええ・・・。」
「だって将来は私たちの土地になるんだものね!ねぇ、ジル?」
「ア、アタシは別にハルトの嫁になるって決めたわけじゃ・・・。」
「え、なあにジル?じゃあハルトのお嫁さんはわたしだけでいいのね、ジル?」
「いえ、あの、その・・・手伝うわよ。アタシも、その、あの、開墾が、好きだから・・・。」
可愛い幼なじみ達が元気に(あるいはゴニョゴニョ言いながら)開墾の手伝いを宣言してくれたが、しかしそれを聞いていたオーランド兄さんは首を横に振った。
「気持ちは分かるけど、それはいけないよ。」
「ええっ・・・どうしてですか、お義兄さん?」
「お義兄・・・っ?いや、もし君たちが開墾作業を手伝っていることがギリアム様に知れたら問題になるでしょう。最悪の場合、君たちの家に貸し与えられている土地を縮小されることもあり得る。」
兄さんの言うことはいつも正しい。ただでさえ俺と兄さんはヤツに目をつけられているのだから、2人が俺たちを手伝えば、そのことはすぐにヤツの耳に入ってしまうだろう。
「でも・・・。」
なおも食い下がろうとするエレノールに、兄さんは優しく言った。
「ふふ。それに将来の妻のために土地を用意するのは、男の甲斐性というものだよ。ねぇ、ハルト?」
「え・・・は、はい。そうですね!」
この言葉がダメ押しになってエレノールは引き下がり、横でモジモジしていたジルは兄さんの言葉の「将来の嫁」のあたりで顔を真っ赤に染め上げていた。
ううーんしかし俺が女子だったら兄さんに即落ちするところだが、ジルとエレノールはまるで気にしていない様子。というか兄さんにグラッと来ないなんて、2人はおかしいんじゃないだろうか。オーランド兄さんは優しく、美しく、それでいて気高く・・・
「・・ルト!ハルト、そろそろ作業を再開するよ!・・・具合でも悪いのかい?」
「え?ああいいえ、なんでもないです。やりましょう。」
俺が兄さんの素晴らしさについて考えている間に、幼なじみコンビは昼食を片付け、帰る支度をしていた。さっきの話の通り、あまり俺たちといるところを人に見られたくないから早く帰ったほうがいいだろう。
2人は手を振って、仲良く帰っていった。
それから薄暗くなるまで、俺と兄さんは土と汗にまみれて一生懸命働いた。身体は重く、手にはマメだらけ。身体のあちこちに、作業中につけた小さなキズができている。
「ふぅ・・・今日も働きましたね、兄さん。」
「ああそうだね。悪くない進捗だ。」
兄さんはそういうが、はっきり言って進捗は遅いし、たぶん兄さんもそれは理解している。このままのペースで開墾を進めても、とても俺たちが食べていけるだけの土地を4、5年で手に入れることはできないだろう。そもそも森に近すぎると魔物が出るから危険だし、作物を荒らされることもある。実際に耕作に使うよりずっと広く切り開く必要があるし、魔物や動物を避けるための囲いだって必要だ。
なにか作業効率を大幅に上げる方法を見つけない限り、俺たちは間に合わない。ジルとエリーがギリアムのものになってしまう。
切り株に腰掛けて休みながら、俺は兄さんの横顔を見た。疲れが溜まっているのか表情は優れず、イケメン度は3割ほどダウンしている。いや、勘違いしないでほしいのだが、3割程度ダウンしたとしても兄さんのイケメン度は常人の500倍はある。つまり絶世のイケメンだ。オーランド兄さんは優しく、美しく、それでいて気高く・・・
と考えたところで、俺はある疑問を口に出した。もうずっと疑問に思いながらも、なんだか聞きづらくて言わなかったことだ。疲れのせいか、その質問はポロリと口からこぼれた。
「あの・・・兄さん?」
「ん?なんだい?」
「あの・・・その・・・どうして、開墾を手伝ってくれるんです?」
「ああ・・・そうか、そうだね。言ってなかったな。」
兄さんは苦笑しながら、遠くを見た。
「あのね、ハルト・・・実は・・・僕はね・・・。」
それだけ言って、兄さんは俺を見た。ほとんど沈みかけた夕陽が、兄さんをぼんやりと紅く染めている。2人の間を沈黙が流れ・・・あれ・・・なにこれ、告白されんの?兄さん、ひょっとして俺のことが・・・ああどうしよう、俺には可愛い幼なじみが2人もいるのに・・・!
だが続く兄さんの言葉は、俺の予想を裏切るものだった(当たり前だ)。
「・・・このままだと、40過ぎの貴族のおば・・・女性のところに婿に行くことになるんだ。」
「・・・へ?」
兄さんはぐったりとうなだれた。あの気高く美しくいつもパリッとしている兄さんが、言うだけでゲンナリしている。それだけで彼がどれほど悩み、苦しみ、嫌がっているのかが伝わってきた。
「前にちょっとした用事で町に出た時に見初められたらしくてね・・・その時はなんやかんやと誤魔化して逃げてきたんだけど、素性を調べられたようで・・・相手はこのあたりではとても有名な貴族の令嬢なんだけど・・・ああ、有名っていっても、悪い意味で・・・とにかくワガママで、適当な相手に嫁がせてもすぐに実家に戻ってくるとかで・・・それで・・・」
「だ、大丈夫ですから、兄さん。ゆっくり話してくれれば・・・っていうか、また今度でも・・・」
兄さんは自分の心の闇に踏み込んでしまったのか、俺の言葉が聞こえていないらしい。ブツブツと独り言のように話し続けている。こんな兄さん初めて見た。
「ある日、家に使いの人が来て・・・父さんと母さんはそれはもう喜んでね。そりゃそうだ、曲がりなりにも貴族の仲間入りできるんだから。でも、いくらなんでもあんな・・・あんな豚みたいな・・・いや、女性にこんなことを言ってはいけないね。とにかく僕の好みのタイプの女性じゃないし、年齢も離れているしで・・・のらりくらりとかわし続けているんだけど、それもいつまでもつか・・・そう、僕にはハルト以上に時間がないんだ・・・専有地さえあれば、僕も独立した農民として、相手が貴族といえども少なくとも権利の上では無茶な要求を突っぱねることができるはずで・・・ああ・・・豚ぁ・・・。」
それだけ言うと、兄さんは頭を抱えてうずくまってしまった。仕方がない、彼だってまだ15歳の少年に過ぎないのだから。兄さんは、ただ俺のために開墾をやっているのではないのだ。自分のために法律を調べて、恐ろしい未来を回避するために全力を尽くしていたのだ。そのことがわかって、俺はむしろ安心した。俺たちは運命共同体だったんだ。
俺は慰めるように、兄さんの肩をポンと叩く。
「兄さん・・・がんばりましょう。」
「ああ、ハルト・・・がんばろう。・・・ん、あれは何だ・・・?」
兄さんが森の方を指差した。そちらを見ると、なにか大きな影がこちらに向かって近づいてきている。人食兎ではない。そのサイズは明らかに俺たちより大きい。兄さんは弓を手に取り、矢をつがえた。
「ハルト・・・マズい、逃げるんだ。」
「ど、どうしたんです?アレはなんですか?」
「熊だよ。熊が近づいてきている。」
「・・・魔物ですか?」
「いや、動物の熊だけど・・・戦っても勝てないという意味では人食兎より危険だ!」
魔物と動物の違いがなんなのか、そういえば俺は知らない。だが、とにかく熊がまっすぐにこちらに近づいてきているのだ。俺は反射的に地面から手頃な石を拾うが・・・こんなもの、熊に投げつけて効果があるのだろうか?俺の心を読んだかのように、兄さんは言った。
「ハルト、熊に投石は無意味だ。僕が囮になるから、早く逃げなさい!」
「いや、兄さん・・・そんなことできるわけないでしょう!」
「いいから早く・・・はっ!?」
熊というのは見た目に反して、非常に足が早い。いつの間にか10メートルほどの距離に接近していた熊に兄さんは躊躇なく矢を放つが、それは熊の肩に刺さっただけであまり効果がなさそうに見える。熊は少しだけ怯んだあと、すぐに体勢を低くして兄さんに突進した。
「ぐあっ!」
転がって避けようとするが、熊の動きは早い。ただの動物というがその身体能力は凄まじく、地球の熊より強いような気がする。といっても俺が知っている熊は動物園でのんびり生活しているヤツだけだから、まるでアテにはならないが。とにかく、兄さんは熊にはね飛ばされて地面を転がった。
俺の3メートルほど先に、熊。熊は立ち上がってこちらを見る。10歳の俺が見上げるほどに大きな熊だ。
俺の右側、2メートルぐらいの位置に兄さんが転がっている。脚を痛めたのか顔をしかめて、地面に転がったままナタを抜いた。
「ハルト、走って逃げなさい!僕はいいから、早く!」
瞬間、考える。目の前の兄さんを置いていけば、きっと俺は助かるだろう。熊が兄さんと戦い、あるいは兄さんを食べている間に逃げ出せばいいのだ。熊も人間1体分の肉を手に入れれば、わざわざ俺を追いかけては来るまい。自分が生き残るだけを考えるなら悪くない選択肢だ。
だが、俺は兄さんを見捨てない。俺と兄さんは血を分けた兄弟だ。運命共同体だ。見捨てるという選択肢はあり得ない。
俺の目の端に、兄さんの手から離れて地面に落ちた弓と2本の矢が目に入った。俺は走り寄って、それを拾う。
「ハルト、なにをしているんだ!?お前は弓なんて使ったことがないだろう!バカなことはやめて逃げなさい!」
兄さんの叫びを威嚇と勘違いしたのか、熊は立ち上がったまま大きく吠えた。恐怖で股間が緩みそうになりながら、俺は震える手で弓を持ち、見よう見まねで矢をつがえる。
「・・・あたれっ!」
産まれて初めて弓を射った。弦が俺の耳に引っかかり、頬に鮮血が飛ぶ。放たれた矢はまるで子どものキャッチボールのようにゆっくりと飛んで、熊はそれを軽々と爪で弾いた。やっぱり地球の熊より身体能力が高い気がするが、そんなことはどうでもいい。
矢を放つ瞬間、俺には確信があった。「絶対に当たる」という確信・・・それは石を投げる時に感じていたのと同じ、不思議な感覚だ。
「ガアアアアアアアッ!」
熊は俺の攻撃をきっかけに、身を低くして走り出した。みるみるうちに俺との距離が縮まってくる中、俺は冷静に次の矢をつがえて、目一杯の力で弓を引き・・・そして、真上に・・・向かってくる熊ではなく、真上の、何もない空に向かって矢を放った。
「ハルト!バカな!いったいどこに射ってるんだ!?」
兄さんが叫ぶ。俺は矢が大空高く飛んでいったのを見届けると、全力で熊に背を向けて逃げ出した。熊は兄さんを放置し、俺を追いかけることに決めたようだ。背後から獰猛なうなり声が迫ってくる。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
「ガアアアアアアアアアッ!」
知らず口から悲鳴が漏れた。ひょっとしたら悲鳴以外のものも漏れているかもしれないが、とにかくそれどころじゃない。熊はとんでもない速度で俺に向かって走ってきている。振り返る余裕もないが、次の瞬間にはヤツの爪や牙が俺の背中を切り裂くかもしれない・・・ああ、想像すると下半身から力が抜けていく・・・股間のあたりが暖かい・・・。
「あっ!」
股間がゆるんだせいか、それとも暗くなってきたせいか。俺は足元の石につまづいて転がった。ゴロゴロと何回転かして頭を上げると、目の前には立ち上がり、今にも俺に襲いかかろうとしている熊の姿。
「ガアアアアアアッ!」
「ひぃぃぃっ!」
俺は死を覚悟した。熊は勝利を確信したかのようにゆっくりと口を開いてその鋭い牙を見せつけ・・・
ドスッ!
見せつけたまま、硬直した。無理もない。熊の頭頂部には、頭上から落ちてきた矢が垂直に突き刺さっている。矢はほとんど矢羽しか見えないほど深く刺さっており、脳まで達しているのは確実だ。
熊はしばらく立ったまま硬直していたが、そのうち完全に絶命したのか、ドサリと地面に倒れた。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ・・・。」
心臓が飛び跳ね、息も切れている。うまくいってよかった。俺がやったことは単純だ。
1射目を放った時、俺は弓矢でも石と同じように「絶対に狙ったものに命中させる能力」が使えると感じた。だが、俺に弓を使う技術はない。普通に射ってもヒョロヒョロの矢しか放てず、軽々と防がれるか、当たったとしても致命傷を与えられずに終わるだろう。
だから真上に向けて、目一杯の力を込めて矢を放った。あとはこの星の重力が勝手に矢の威力を倍増してくれる。待ってるだけで、高い威力の矢が落ちてきて勝手に熊の脳天に命中するというわけだ。何かのウェブ小説で「高い城壁から下に向けて矢を放つと、敵兵の鎧を貫通するほどの威力になる」と書いてあったのを覚えていたのだ。読んでてよかった、ウェブ小説。
「信じられない・・・倒したのかい?その熊を?」
いつの間にか、兄さんが脚を引きずりながら近くまで来ていた。大きなケガはなさそうだ。
「へへ・・・やりましたよ、兄さん。イテテ・・・。」
俺も大きなケガはない。ちょっと弓の弦で耳を切ったが、あまり深い傷ではなさそうだ。自分では見えないけど・・・たぶん。できれば耳なしになるのは避けたい。
改めて熊の死体をよく見てみる。でかい。余裕で身長2メートル以上ありそうだ。自分でやっつけたのが信じられないほどの怪物である。
「すごくないですか、俺?ちょっと自分の強さが怖いんですけど?」
俺がふざけて言うと、しかし兄さんは真顔で俺の方を見た。
「ハルト・・・これは本当にすごいことだよ。こんな大きな熊を一発で仕留めるなんて、普通ではあり得ない。ほとんど神業だ。」
「えへへ・・・そんなに褒められると照れますよ?ぐへへ・・・。」
兄さんの表情は変わらない。まっすぐに俺を見て、さらにググッ顔を近づけてくる。
「ハルト・・・。」
「え・・・兄さん・・・?」
あれ・・・なにこれ、チューされんの?兄さん、ひょっとして俺のことが・・・ああどうしよう、俺には可愛い幼なじみが2人もいるのに・・・!
だが続く兄さんの言葉は、俺の予想を裏切るものだった(2回目だ)。
「開墾なんてしている場合じゃない。君は町に出て、プロの狩人になるべきだ。」




