ファーガスについて
「ファーじい、なにかおはなししてー?」
「おおエリア、ええとも。今日はそうじゃな・・・何を斬った話をしてやろうか・・・。」
「ファーじいのおはなし、ちなまぐさくてだいすきー!」
ファーガスは安楽椅子に揺られながら、目を輝かせているひ孫・・・いや、玄孫だったか・・・とにかく幼い少女に笑いかけた。
長い長い時間が流れ、斬っても斬ってもなくなることのない悪の前にファーガスは疲れ果てていた。肉体的にも衰え、鋼のように強かった身体も精神もすっかり錆びついたと感じるようになった。
300年経っても最初の妻ネイのことを忘れたことはなかったが、それでも300年という時間は長命のファーガスにとってさえ長い時間である。ファーガスにはその間、3人の妻ができた。一夫多妻というわけではない。妻はみんな人族であったため、エルド族のファーガスから見れば短い時間しか生きられなかったのだ。名声と強さを兼ね備え、そして見た目もハンサムであったファーガスを女性が放っておくはずもなく、妻に先立たれて独り身になるとすぐに無数の女性から言い寄られた。3人しか妻がいなかったのは少ない方だと言えるだろう。
ファーガスは結婚しても世界中の悪を斬る旅をやめなかったので、彼の家族はファーガスについていくことなく家を持ち、町や村に定住した。彼はほとんど家に帰ることはなくただ悪を斬って得た報酬を送金するのみ。家など自分には必要ないと考えていたのだが・・・最近は、いよいよ歳を取ったらしい。
目はかすみ、剣は重く、鈍くなった。ある日、いつものように1000を超す魔物の群れと1人で相対した時、900ほどの魔物を両断したところで、ついにスタミナが切れた。息が切れて剣が持ち上がらず、いつぶりか思い出せないほどに久しぶりの「死の恐怖」を感じた。かろうじて魔物を倒しきったものの、限界だった。
300年。
もう、十分に戦ったのだ。最近は野宿するのも辛く、秋風の寒さが身体に堪えるようになった。引退する頃合いだろう。
こうして、ファーガスは家に帰ることを決め・・・剣を置いた。
家族はファーガスの帰宅に驚いたが、暖かく迎えてくれた。最後の妻はすでにこの世になく、家に住んでいるのはひ孫の玄孫の・・・なんと呼ぶのかわからない、とにかく子孫の家族であったが、数年に一度は顔を出していたので忘れられることも追い出されることもなかった。
「・・・という感じでの。出合い頭に首を飛ばしてやったというわけじゃ。」
「うわーファーじいほんとうにきちくぅー!」
「ほっほっほっ・・・エリアや、覚えておくんじゃぞ。悪は問答無用で斬るに限る。生かしておくとロクなことにならんからの。」
「わかったー!きるー!」
「ちょっとおじいちゃん!エリアに変なことを教えないでください!」
エリアとの楽しい時間に割り込んできたのは、エリアの母親だ。ファーガスが帰ってきてから1ヶ月ほどはお客様のように扱ってくれたものの、最近ではずいぶん遠慮のない物言いが目立つようになった。家族としてすっかり慣れてくれたと感じる一方、どうも自分はこの家にとって邪魔者なのではないか、と感じることもある。考えてみれば現役の頃は、稼いだ金のほとんどを家に送金していた。金にまるで執着がないファーガスであるが、その金額が少なくないことぐらいはわかる。もう自分はその金を稼ぐことはないのだ。疎まれても仕方がないかもしれない。
いかんいかん、歳をとるとどうも考えがネガティブな方向に行ってしまう。ファーガスが深呼吸して気持ちを切り替えると、エリアはまだ瞳をキラキラさせてファーガスを見ていた。
「ファーじいのつくるおはなし、おもしろいねぇー!しょうせつをかいたらいいとおもうよ!」
「ファッ!?」
「だってだって、ふつうはぜったいにおもいつかないもん!もんどうむようでわるいやつのくびをとばすとか、ざんしん!どくしゃはどぎもをぬかれるね!」
「・・・エリアよ。」
「さいきんはやってるはなしは『こい』とか『あい』とかばっかりで、まどろっこしくてつまんないの!ファーじいのはなしは、てんかいがはやくてきぶんそうかい!」
「・・・あの、なぁ、エリアちゃんよ。」
「・・・なーに、ファーじい?」
「ワシの話はノンフィクションじゃよ。全部、本当にあったことなんじゃ。」
「え?」
「いやだからあの・・・全部、本当にワシがやってきたことなんじゃよ。」
エリアは無表情になってファーガスを見た。しばしの沈黙の後、ふいに吹き出して大笑いした。そんな可愛い子を前に、ファーガスは目を白黒させるばかり。
「プッフーーーーー!いくらエリアがちいさくても、それはないよファーじい!にんげんがドラゴンをまっぷたつにしたり、うみをけんでわったりできるわけないもの!しかもファーじいが!プッフーーーーー!」
「・・・。」
ファーガスは何か言おうとしたが、やめた。エリアが見たことのある自分の姿はヨボヨボでいつも安楽椅子に座り、お茶をすすっているところだけ。いくら話をしたところで信じられるものではない。
「だいじょうぶ、もうろくしてよぼよぼでも、エリアはファーじいがだいすきよ?むりしてかっこうつけなくてもいいよ?」
「ありがとうよ、エリア・・・。」
そうしてまた、何ヶ月かが過ぎ去った。穏やかな日々だった。エリアに昔話を聞かせ、エリアの母に「片付かないから早くご飯を食べてくださいな」と急かされ、エリアの父にはいつも腫れ物のように扱われた。それはかつての戦いの日々からは想像できない、普通の老人のような毎日だった。
そんなある日のこと。
「大変だ!町外れの森にはぐれグリフォンが出たぞ!」
「なんだって!?」
「警備兵と狩人の連中が相手をしているようだが、相手は空を飛ぶ怪物だ。いきなら町中に飛んでくるとも限らん。いいか、みんな家から出るなよ!」
どうやら、町に強力な魔物が出たらしい。このあたりは魔物も少ないため、こういった事態は珍しい。いつものように安楽椅子に揺られていたファーガスだが、しかし家の中の気配がひとつ少ないことに気がついた。老いたとはいえ彼は伝説の男、小さな民家の中の気配を無意識に読んでいた。椅子を軋ませて立ち上がり、エリアの母を探した。
「・・・なぁ、エリアはどこにいったんじゃ?」
「おじいちゃん・・・それが、さっきから姿が見えないんです。まさかあの子、森の方に行ったんじゃ・・・。」
「なんじゃと?」
ファーガスの目に、壁に飾られ、ホコリをかぶった愛剣が目に入った。老いたとはいえ彼は伝説の男、その行動は早い。
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「ハロクが殺られた!気をつけろ、強いぞ!」
町外れ。10人ほどの男たちが、巨大な魔物を相手に必死の戦闘を繰り広げていた。すでに数人が地に倒れ、血溜まりに沈んでいる。鷲獅子は巨体に似合わぬ甲高い叫び声を上げ、その不気味な声に人間は本能的な恐怖を感じる。
鷲獅子はワシの頭と羽、そして獅子の身体を持つ怪物である。空を自由に飛び回り、強力な牙と爪、そして風の魔法で獲物を切り裂く強力な魔物だ。もともと魔物の少ない平和な町では対抗できるほどの戦力がなく、その俊敏な動きの前に男たちは圧倒されるばかりであった。
「ちくしょう、せめてこっちに1人でも魔法使いがいれば・・・」
「バカ野郎、泣き言いってる場合か!この町に俺たち以外の戦える人間はいないんだぞ!」
「だってこんなの・・・動きは早いし、力は強いし・・・もう無理だよ!俺は逃げる!」
「あっ待て!逃げるな!」
「やなこった!こんなところで死んでたまるか・・・あああああっ!?」
逃げようとして敵に背を向けた男は、いつの間にか急接近していた鷲獅子の爪に無防備な背中をバッサリと切り裂かれて崩れ落ちた。戦闘中に魔物に背を向けるなど、殺してくれと言っているようなものである。
次々と数を減らしていく仲間たちを前にして、生き残った男たちの士気はすでに地に落ちている。彼らの思いはすでに戦うことから、鷲獅子が早く帰ってくれるよう願う気持ちにシフトしていた。だが、かの魔物はまだ満足することなく、むしろ血の匂いに興奮した様子で荒く息を吐いている。警備兵のひとりヤコンは、震える手で剣を握り締めながら考えた。
(ただ腹が減っているだけなら、すでに殺したハロクたちの死体を持って森へ帰っているはず・・・。まだこうして戦おうとしているのは、おそらくもっと柔らかい肉・・・女や子どもの肉の味を知っているのか、それとも戦いに興奮しているのか・・・いずれにせよ、すぐに退散してはくれなそうだ。ちくしょう、どうして俺がこんな目に!)
だがヤコンの考えに反して、鷲獅子は急にクルリと背を向けた。
ようやく帰る気になったか・・・ホッとしたのもつかの間、ヤコンは鷲獅子の視線の先にあるものに気がついた。
子どもだ。
森の中から出てきた少女・・・もちろん、エリアである・・・は鷲獅子の存在に気がつくと、その場に硬直してしまった。恐怖で身体が動かないのだ。
「バカ野郎!お嬢ちゃん、森の中に逃げろ!」
ヤコンはとっさに鷲獅子の尻目掛けて剣を振り下ろすが、その剣が怪物の身体に届く前に強靭な後ろ脚で蹴り飛ばされてしまう。チカチカする目には少女に飛びかかろうとする魔物の姿が、ボンヤリする耳には少女の悲鳴が聞こえてきた。まずい。
「・・・ああっ!?」
巨大な爪が少女の小さな身体を切り裂こうとした、その瞬間。
なにか影のようなものが凄まじい速度で通り過ぎたかと思うと、いつの間にかそれは自分の隣に立っていた。それも、今まさに切り裂かれようとしていた少女とともに。鷲獅子は突然目の前から獲物が消えたために混乱し、キョロキョロとあたりを見回している。
事態についていけず、隣に立つ影をまじまじと見つめると、それは影ではなく1人の老人であった。
老人は辛そうに腰を曲げ、顔をしかめている。
「あたたたたた・・・急に動くから、腰を痛めてしもうた・・・。」
「・・・ファーじい?ファーじい!!」
「ふぉっふぉっふぉっ・・・エリアや、ひとりで森に入ったらイカンとママに言われておるじゃろ?」
「ごめんなさい!ファーじい、いまのなに!?まほう!?」
「ふぉっふぉっふぉっ・・・。」
ヤコンは鷲獅子に蹴り飛ばされ、尻もちをついたままの姿勢で老人をじっくりと眺めた。どう見てもただの老人であるが・・・しかしあの動き。おそらくは魔法の類であろう。老人とはいえ、あれだけの魔法が使える人間がこの町にいたとは知らなかった。これなら鷲獅子にも対抗できるかもしれない・・・いや、きっとできる。
「じいさん、あんた、魔法使いだな?ありがたい、この状況で魔法使いの存在は、まさに100人力だぜ!」
「む?・・・いや、残念じゃがワシは魔法使いではない。」
「え?だって、今の人間離れした動きは・・・。」
困惑するヤコンに向けて、ファーガスは持っていたものを重そうに、のっそりと持ち上げた。それは傷だらけで、まるで老人の身体の一部のように恐ろしく古い・・・1本の剣だった。
ファーガスはヤコンを見て、それからこちらに向けて迫ってくる鷲獅子を見た。そして、ゆっくりとした動作で剣を抜きながら、ズリズリと脚を引きずるように、目の前の巨大な魔物へと向かっていった。
「じいさん、危ない!無茶はやめるんだ!」
「ワシは・・・」
「おい、じいさん、聞いてるのか!?逃げろ!」
「ワシはな、坊や。」
鷲獅子が吠え、身を屈めた。それは攻撃の合図、目にも留まらぬ速度で飛びかかろうとする攻撃の姿勢。
ヤコンは叫んだ。
エリアは目を大きく見開いた。
ファーガスは、ふっ、とひとつ息を吐いた。
鷲獅子は真っ二つに両断され、地面に落ちた。
「見ての通り、・・・ワシは、剣士じゃ。」
斬られた瞬間は、誰にも見えなかった。ヤコンはこれこそまさに魔法じゃないか、と思った。
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「ほんとにいっちゃうの?ファーじい。」
「ああ、エリア・・・ワシの剣は、まだまだ役に立つようじゃからな。」
ファーガスはまた、旅に出ることにした。鷲獅子の1件以来、エリアは以前にも増してファーガスに懐くようになり、そして尊敬の目を向けるようになった。ファーガスはそんなエリアに、老いさらばえて錆びついていく自分より、現役で剣を振り続ける姿を見せようと考えるようになったのだ。
ファーガスは老いた。もうその身体に、若さや溢れるエネルギーはない。
だがその魂にはあの頃のみなぎる情熱が蘇っていた。
全身に甲冑を身につけ、太陽の光を受けてきらめく姿はまさに伝説の聖騎士ファーガスである。
「もっとファーじいのおはなし、ききたかったよーーー!」
ボロボロと涙を流すエリアの頭を撫でて、ファーガスは笑った。
「エリアよ、心配するでない。ワシの話ならこの町にいても、いつでも聞くことができるようになるじゃろう。」
「・・・ふぉぇ?なんで?」
「ふぉっふぉっふぉっ・・・なぜなら、ワシの伝説は今から始まるからじゃ!ワシの活躍は人々を伝わり、すぐにこの町にも届く!じゃから安心して待っておれ!」
「うん、わかった!」
「ちゃんとママの言うことを聞くんじゃぞ!」
こうして、ファーガスはまた旅に出た。悪を斬り、そして自分の名を残すための、人生最後の旅である。
勇者が魔王を倒すための旅に出たという噂を聞き、なんなら勇者に先んじて魔王を倒してしまおうと勇者の先を行き、山の中で腰を痛めて動けなくなったところを勇者一行に拾われることになろうとは・・・この時の彼はまだ知る由もない。
「・・・甲冑はちょっと重すぎるのう・・・うむ、脱ごう。」
駆け足でした。




