ドラゴンバスター
アタシの名はイレーヌ。家名なんて洒落たものは持ってない、ただのイレーヌだ。業界では【黒鴉】のイレーヌなんて呼ばれてるが、その二つ名はあまり好きじゃない。カラスなんて縁起が悪そうじゃないか。
アタシは今、ラステルの町から1ヶ月ほどかけて移動した湿原の真ん中にいる。足元はドロドロで歩きづらく、変な虫が飛び回ってて不愉快極まりない。背の高い草に身を隠しながら、深い霧に覆われた湿原の中をじっと待ち続けること3日。食事は乾いた保存食をそのまま食べ、排泄はそのへんで適当に済ます。風呂どころか水浴びさえできないせいで、軽装鎧の下はベタベタだ。アタシもこういうことには慣れている方だけど、それにしてもあんまりひどい環境すぎて忍耐力の限界が近い。
「イレーヌ、来たよ!」
だが、ついに待っていた瞬間がきたようだ。声の主、オーランドは顔に多少の疲れと泥の汚れが見えるものの、アタシと同じ条件で過ごしていると思えないほど美しさと爽やかさを保っている。本当に同じ人間なのか疑わしいぐらいだ。男なんて単なる金ヅルとしか考えていないアタシでも、コイツを見ていると妙にドキドキしてしまうことがある。こんないい男なら、しかるべき場所に売っぱらったら良い金になるんじゃないかとも思ったが・・・まぁ、それよりも今は目の前の獲物だ。
「じゃ、じゃ、じゃ、じゃあ、やりましょうか・・・。」
弱々しい声が聞こえた。この作戦の要であるその坊や・・・ハルトは明らかに手を震わせて、指が白くなるほどに強く弓を握りしめていた。本当に大丈夫なんだろうか?不安になるが、もう後には引けない。大丈夫、大丈夫だ・・・この日のために、入念に準備はしてきたじゃないか。きっと大丈夫・・・アタシはきっと生き延びて、大金持ちになる。なってやる。
そしてアタシたちが隠れている場所のすぐ目の前、わずか10メートルほどの位置にそれは舞い降りた。巨大な翼が強烈な風を巻き起こし、ドロドロの沼地に着地したにも関わらず地面が揺れた。低い唸り声を上げるその生き物は、この世界における最強の生物。
雄々しい竜の姿が、そこにあった。
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「じゃあ次はこの甲冑だ。・・・正面から撃ち抜けそうかい?」
「いけるわけないでしょう。弓矢ですよ?」
ハルトは甲冑を目の前にして呆れたような声を出す。カニに襲われた日から2週間ほど、アタシ達はハルトの能力を確認することに時間を費やした。ただの木の的や盾、人形に鎧、それからウサギや鳥・・・ありとあらゆる的を用意して、ハルトに射らせた。1デルでも多く稼ぎたいハルトは能力の確認にの時間を費やすことを嫌がったけど、オーランドの説得と森林蟹の死骸が110万デルという高額で捌けたおかげで、最終的には了承した。ハルトの能力を正しく理解することより大事なことなんてないと思うんだが・・・どうもコイツはまだ自分の能力の凄さを理解していないらしい。
「ほら、やっぱりダメだ。」
ハルトが射った矢はアタシが台座にくくりつけた鉄色の甲冑に命中すると、カーンと甲高い音を立てて弾かれた。甲冑には矢が当たった場所に小さなキズがついただけである。つづいてアタシは、前日に用意しておいた「白い」甲冑を取り出した。
「次はコレだ。」
「なんですかこれ?白い鎧?」
「ああ、実はこれ・・・紙で出来てるんだよ。アンタの能力で命中させられるかな?」
アタシは甲冑の「腰」のあたりを剣で突く。剣は何の抵抗もなく、白い甲冑に突き刺さった。
「別に的が紙でも鉄でも関係ないと思いますけど?」
「ほぉ?じゃあ、この胸のあたりに命中させられるかい?」
「簡単ですってば。ほら。」
ハルトが射った矢はまっすぐに白い甲冑の胸に命中し、そして貫通した。アタシはそれを見て無意識にゴクリとツバを飲み込む。あの白い甲冑の胸部分・・・あそこは紙ではない。最初に射って弾かれたのと同じ鉄の甲冑を白く塗っただけだ。腰の部分だけあらかじめ改造して、紙と交換していたのだ。なぜそんなことをしたのか?もちろん、ハルトに鎧全体が紙製だと錯覚させるためだ。
「ね?命中したでしょ?」
「・・・あ、ああ、見事なもんだよ。今日の検証はこれで終わりにしよう。」
「こんなので何かわかったんですか?」
「まぁ、そうだね・・・アンタの矢は絶対狙いを外さないってことかな。」
「・・・そんなの前からわかってたんですけど?」
「ははは・・・まぁ、いいじゃないか。命を賭ける能力なんだから、ちゃんと検証しておくのは大事なことさ。」
「・・・まぁ、確かに・・・でも、俺はもっと金を稼ぎたいんですけど・・・。」
2週間に及ぶ検証に不満を募らせるハルト。コイツはこの検証を無駄だと思っていたようだけど、そんなことはない。おかげでアタシは確信を持つことができたんだ。不可能を可能にする確信を。
「ふふふ・・・安心しな、ハルト。アンタが協力してくれたおかげで、アタシたちは一気に大金持ちになれることがわかったよ。」
「・・・なんですか?兄さんを吟遊詩人にするとか?」
ハルトはアタシを胡散臭そうに見上げている。コイツはまだアタシのことを信用していない。かれこれ1ヶ月は一緒にいるのに、アタシに惚れないどころか信用すらしてない男なんて初めてだね。まだガキすぎて女に興味がないのか、それとも女に騙されてひどい目にあったことがあるのか・・・こんなガキが女に騙されることなんてないか。
とにかく、アタシは自信満々に見えるよう、胸を張って宣言した。
「竜を狩るんだよ!」
ハルトはアタシを胡散臭そうに見上げている。この野郎、まるで信用してないね。
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「ハルト、準備はいいかい?」
「は、は、は、はい、兄さん。」
ハルトの手に握られているのは、アタシが用意した特別な矢だ。矢じりに特別な彫刻が施され、小さな青いガラス玉が埋め込まれている。まるで魔法の力でも封じ込められていそうな雰囲気だが・・・実際にはなんの力もない、ただのオシャレな矢だ。町の鍛冶屋に「儀礼用の装飾品」として作らせたもので、見た目はいいがまるで実用性はない。ヘタにガラス玉なんて埋め込んでいるせいで強度も弱く、木の板に射っても刺さらないかもしれない。
だがハルトはアレを竜を一撃で仕留められる矢・・・【竜殺矢】」だと信じている。アタシが苦労して、そう信じさせたからだ。
ハルトはその矢を落とさないように震える手で持ち、慎重に構えた。目の前に降り立った竜は、アタシたちが用意した魔物の肉をガツガツと食べていたが・・・ふいに動きを止めてこちらを見た。殺気か、匂いか・・・茂みに隠れるアタシたちに気づいたらしい。
まずい、炎の息のひとつも吐かれたら、魔法が使えないアタシたちに防ぐ手段はない。丸焦げの死体が3つ出来上がりだ。ビビっているハルトに発破をかける。
「気づかれた!ハルト、早く射っちまいな!先に当てればそれで終わりだ!」
「は、は、は、は、はい!」
ち、ビビっちまってやがる!
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「これが【竜殺矢】?ただのオシャレな矢じゃないですか。ぜんぜんスゴイものには見えませんけど?」
酒場で初めて【竜殺矢】を見せた時、ハルトはそう言った。なかなか見る目のあるやつだ。アレは職人が3000デルで作ってくれたオシャレな矢だからね。
「シッ!声が大きいよ。これは本当に貴重な矢なんだ。盗まれたりしたらどうすんだい。」
「ええ・・・?だってなんか安っぽいし・・・大体こんなんあるなら、竜なんて誰でも狩れるじゃないですか。」
「だから貴重な矢だって言ってるだろ。これは3年前にとあるダンジョンの最奥で入手して、今まで大事に保管していたものさ。ほら、ちゃんとした鑑定書もあるだろ。」
そう言って、古ぼけた紙をハルトに見せる。もちろん鑑定書なんて偽物だ。こういうものを作れるツテは山ほどある。
「ううーん・・・まぁ鑑定書は本物っぽいですけど・・・。でもなぁ・・・。」
「おお、まさかそれは!」
まだ信じない様子のハルトに、突然背後から声をかける人間が現れた。その人物は白いヒゲをたくわえた爺さんで、いかにも歴戦の魔法使いらしい古ぼけたローブを身にまとっている。爺さんはハルトの視線に気がつくと、ごほんとひとつ咳払いをして居住まいを正した。
「これは失礼。私は旅の魔法使いです。まさかこんな酒場で【竜殺矢】を見かける日が来るとは思わなかったものですからな。」
「え?これ・・・知ってるんですか?」
驚くハルトに、爺さんは大仰に頷いてみせる。
「もちろん。ダンジョン探索をするものなら、こういった遺物には自然と詳しくなるものです。なにせとてつもない金額で売れますからな。いやいや、良いものを見せていただいた。」
「・・・これ、マジで竜が倒せるんですか?」
「それはもう簡単に。見ればその【竜殺矢】、秘めたる魔力は今だ健在の様子。もし命中させることができれば、どんな竜でも即座に絶命することは免れますまい。今の世がドラゴンで埋め尽くされていないのは、ひとえにこの矢を始めとした竜殺しの遺物のおかげなのですからな。」
「はぁ・・・そんなにスゴイんですか・・・俺は何も感じないけど・・・。」
「ま、まぁ、古遺物の鑑定に携わったものでなければ普通の矢と区別はつきませぬな。」
「ふぅん・・・そっか、本物なのか・・・。ふぅーん・・・。」
アタシは内心ガッツポーズを決める。なんとか信じ始めたらしい。もちろんこの爺さんはアタシの仕込みだ。そのへんの浮浪者に金をつかませて、まる2日かけて仕込んだ甲斐があった。
「ねぇ、イレーヌさん?」
「ん?なんだい?」
「この矢を売った方が、手っ取り早く金持ちになれるんじゃないですか?」
こ、こいつ・・・。
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「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
竜の咆哮が空気を震わせた。肌が粟立ち、ビリビリと鼓膜が震える。とんでもない迫力だ。肝っ玉の据わってないガキならこれだけで気絶しかねない。・・・ん、ガキ?
「ハルト、なにやってんだい!ハルト!?」
ハルトは弓を構えたまま、蒼白になって固まっている。完全にビビっちまっているらしい。無理もない、コイツが今まで戦ってきたのはせいぜい熊とかカニで、目の前にいるのはいきなり世界最強の生物だ。向こうに気づかれる前にとっとと射たせるべきだった。
「くっ、オーランド、逃げるよ!ハルトはダメだ!」
「イレーヌ、大丈夫・・・大丈夫だよ、ハルト。」
オーランドも怖くないわけはないだろう。コイツだってハルトと立場は同じ、修羅場なんていくつも経験してないただの農民なんだ。だがこのイケメンは無理やり笑顔を作ると、優しい声で呪文を唱えた。
「この者の牙に大いなる祝福を。【武器強化】!」
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「僕が、魔法を?」
「そうだよオーランド。アンタは魔法を覚えるんだ。2週間でね。」
「そんなこと・・・無理じゃないか?」
「そうかもね。でも、覚えてほしいのは本物の魔法じゃない。それっぽい魔法だ。」
「・・・それっぽい?」
アタシがハルトの能力を検証している間、オーランドは遊んでいたわけじゃない。コイツもなんとなくハルトの能力に気がついている。だから黙ってアタシの言うことに従った。そして、成果を出した。
これで準備は万端だ。
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ハルトの身体を光が包み、その光が矢の方に収束していく。まるで矢の力が強化されるような雰囲気だが、実際にはそんなことはない。魔法のマの字も知らないオーランドがいきなりそんな高度な魔法を覚えられるわけがないんだ。これはただ、それっぽい光が発生するだけの魔法。暗い場所で使うと便利な照明の魔法の応用だ。初心者用の魔法とはいえ、たった2週間で覚えてくるのは素直にすごい。オーランドは魔法の才能があるのかもしれない。
「さぁ、これで大丈夫だ。しっかりね、ハルト。」
「はい、兄さん!」
実際には何のパワーアップも受けていないハルトだが、しかし精神は安定したらしい。前から思っていたが、こいつは筋金入りのブラコンだ。ピタリと震えが止まり、さらに強く弓を引き絞る。そして、今まさに口を開けて炎を吐こうとする竜目掛けて矢を放った。
「いっけぇぇぇぇぇぇ!」
矢は緩やかな放物線を描いて竜の頭部に飛んでいく。
(うまくいってくれ!頼むよ!)
アタシは知らず、祈っていた。神様なんていないって、このクソみたいな人生を通じて嫌というほどわかっているのに・・・。
アタシが検証したハルトの能力。それは2つ。
ひとつ目は、「弓矢が届く範囲に限って、どんな対象にも絶対に命中させられる能力」。
そしてもう一つ・・・それは、「ハルトが心から射ち抜けると信じたものは、矢の威力や強度、対象の硬さとは関係なく絶対に射ち抜ける」というものだ。
コイツの能力は謎が多く、本当は違う能力なのかもしれないし、アタシが明らかにしたのは、もっと他の大きな能力の一端に過ぎないのかもしれないが・・・とにかく、今わかっているのはこのふたつの能力だ。
発動条件はハルトの心次第で、極めて曖昧。口先だけで鉄を紙だと信じさせようとしても簡単には発動しないが、逆に本人が思い込んでさえいれば無意識に発動する。それが森林蟹の硬い甲殻を貫き、白く塗った鉄の甲冑を撃ち抜いた攻撃の正体だ。
そしてハルト本人には、判明した能力のことをを伝えていない。発動条件が曖昧すぎる以上、もし本人が知ってしまった場合にこの能力がどうなるのか予想がつかないからだ。知った上でさらに自由に使えるようになるのか、それともまったく使えなくなるのか・・・そんな賭けはしたくないから、オーランドと相談して、まだ本人には秘密にしておくことにした。それは今のところうまくいっている。
だからこんなに手の込んだマネをして、【竜殺矢】という架空の矢を信じさせたんだ。ダメ押しに、オーランドのそれっぽい魔法。もしこれでうまくいかなければ、矢は竜の硬いウロコか頭骨に弾かれ、アタシたちは仲良く丸焦げにされるだろう。
(大丈夫、絶対に大丈夫だよ!あんなに手をかけて仕込んだんだ!)
矢はゆっくり飛んでいるように見えた。危機的状況でアタシがそう感じているだけなのかもしれない。ゆっくりと飛んでいく矢は吸い込まれるように竜の目と目の間に向かっていく。
ハルトは矢を射ったままの体勢で固まっている。
オーランドも矢の行方を黙って見ている。
アタシはほとんど泣きそうになりながら、作戦の成功をただ祈っている。
矢はのんびりとした速度で竜の頭に命中し、そのままスルリと巨体を通り抜けていく。
なんの音も抵抗もなく、まるで目の前の竜は幻だといわんばかりに通過して、その背後の沼地にボチャリと音を立てて落ちた。
「・・・え?」
しばしの静寂の後、竜の巨体はズシンと地面を震わせて崩れ落ちる。ドラゴンの眉間・・・矢が通過した場所には、ぽっかりと綺麗な穴が開いていた。尻まで一直線に貫通する、矢が通った穴だ。
「・・・死んだ?」
「・・・死んだね。」
「・・・死にましたね。」
ぽかんと口を開けて、目の前に横たわる巨体を眺めるアタシたち。勝利はあまりにもあっけなく、あたりは驚くほど静かだ。
目の前の巨体には、とんでもない価値がある。竜の素材は余すところなく高額で、しかもこの死骸にはほとんど傷がない。最高の素材として天井知らずな値段がつくだろう。1000万、場合によっては2000万ぐらいはいくかもしれない。
アタシたちは、一気に大金を稼ぐことに成功した。この簡単な作戦を何度か続ければ、あっという間に億万長者の仲間入りだろう。ジワジワと喜びと実感が湧いてきて、竜の咆哮を食らった時とは違う鳥肌が立ってきた。
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!スゴイぞ、スゴイぞハルト!・・・ん、ハルトはどこにいったんだい?」
アタシがあたりを見回すと、いつの間にか竜の背後に回っていたハルトが必死になって何かを探している。
「イレーヌさん、大変です!【竜殺矢】が沼に沈んで見つかりません!」
どうでもいいよそんなもん・・・と言いかけて、慌てて口をつぐんだ。
コイツはあのおもちゃの矢を信じているし、今回の成功でそれは揺るがない確信へと昇華しただろう。つまり、次からは安心して竜を狩れるってわけだが・・・それはあの【竜殺矢(笑)】があればの話だ。
アタシは目の前に横たわる宝の山をほったらかしにして、慌てて3000デルの矢を探すハメになったのだった。
書きだめがなくなりました・・・。電子レンジの後日談も書きたいのに。




