森林蟹の夜
「ハルト、右に2匹行ったよ!オーランドはその位置のまま援護して!」
イレーヌの指示を受け、俺は右から回り込んでくる2頭の群灰狼に矢を放った。1頭は正確に目玉に矢が刺さって絶命したが、もう1頭はたまたま木が遮蔽物になったために命中しない。慌てて次の矢をつがえるが、俺の攻撃よりも先にイレーヌが飛び出して迫りくる狼の横っ腹に剣を突き立てた。
「やれやれ、アタシが斬ると毛皮の価値が下がっちまうね。」
イレーヌはぼやきながら、腹を斬られてもがいている群灰狼に近づいて、一刀のもとに頭を切り落とした。血なまぐさい行為にもかかわらず、美しい黒髪をなびかせ、流れるような手さばきで剣を振るうその姿は実に絵になっている。この世界の剣士というものを見るのはイレーヌが初めてだが、彼女は驚くほど人間離れした動きを見せる。前世の世界では、どんなに鍛えても人間が狼より早い動きをするのは難しいだろうし、どんなに鋭い刃物を持っていたとしても、まだ生きて暴れている狼の頭を片手持ちの剣で切り落とすなんてまず不可能だろう。イレーヌがとてつもない達人なのか、この世界では誰でもそれくらい剣が使えるのかは分からない。
とにかくそんなイレーヌの美しい技に、オーランド兄さんの目は釘付けである。
「みんな、ケガはしてないかい?獣にやられたケガは小さくても病気に罹るから、回復薬をケチるんじゃないよ。」
「ああ、大丈夫だよ。イレーヌこそ大丈夫かい?」
「アタシは狼ごときに遅れはとらないさ。ハルトは?」
「・・・大丈夫です。俺が撃ち損じたせいで、すみません。」
「アンタね、普通は走り回る狼の目を射抜くこと自体があり得ないんだよ?それに、たまには外してくれないとアタシの出番がないじゃないか。」
イレーヌは剣についた血を拭いながら快活に笑った。そんな彼女を見て兄さんも笑っている。俺は・・・俺は複雑だ。
イレーヌをメンバーに加えてから、初めての狩りに出て今日で3日目。その結果は・・・正直言って良いことずくめである。
まず、単純に彼女は前衛として非常に優れている。群灰狼や人食兎など、動きが早くて接近されれば為す術もないような魔物に対して、強力な盾として活躍してくれている。この3日間だけでも、今回のように彼女のおかげで命が救われた場面がいくつもあった。どうやら俺たちが今までこの森でケガのひとつもしなかったのはビギナーズラックの類だったらしく、俺は自分の運の良さにひっそりと感謝した。きっと俺の不運は前世でロボットに直撃された時に使い切ったんだ。たぶん。
経験豊かな彼女は的確に指示を出し、そして俺たちにどんどんアドバイスをくれる。それは時に辛辣で心に刺さるものも含まれているが、すべて自己流でやってきた俺たちにとっては、これ以上ないほどありがたいものばかりだ。むしろ、メンバーになったばかりで気を使ってアドバイスなどしないのが普通だろうが、嫌われることも厭わずにガンガン意見をくれる彼女に感心している。ほんの3日程度を一緒に過ごしただけで、俺も兄さんも狩人としてグッと成長したと思う。
そして俺としては非常に、一番嬉しいことなのだが・・・兄さんが明るくなった。村にいた時から将来に悲観して、いつもどこか暗い影を持っていた兄さん。村を出ても狩りの役に立てないことを気にして、鬱屈した日々を過ごしていた兄さん。そんな兄さんが毎日楽しそうに過ごしているのだ。俺はこの点だけでもイレーヌを仲間に入れて良かったと思っている。
もちろん彼女に対する疑念が晴れたわけではない。なぜ「不幸を呼ぶ女」と呼ばれていたのか、なぜ魔物に襲われて全滅したはずの仲間たちの「とても綺麗な」装備を持っていたのか。そもそもこれほどの腕前を持ちながら、なぜ俺たちのようなルーキーと行動を共にするのか。
まだまだイレーヌには謎と疑惑が多い。兄さんが完全に「恋は盲目」状態である以上、俺が油断するわけにはいかないのだ。
「・・・ルト。おいハルト、聞いてるかい?」
「え?あ、なんですかイレーヌさん?」
「おいおい、ぼんやりしてるじゃないか?熱でもあるんじゃないのかい?」
イレーヌは無造作に俺に近づき、おでことおでこをくっつけるというロマン溢れる方法で俺の熱を測った。少し汗臭いような、それでいて甘いような・・・要するにめっちゃいい匂いがする。イレーヌの吐息がかかり、不覚にも顔が熱くなって脳髄がしびれ、頭がクラクラしてきた。・・・くっ!落ち着け、素数を数えろ!ジルとエリーに心の中で土下座しろ!
「おや、本当に熱があるみたいだぞ。オーランド、少し休憩しよう。ハルトの体調が心配だ。」
「大丈夫かい、ハルト?すまないね、いつも君には無理ばかりさせているから・・・。」
「い、いや、大丈夫です。いやホントにマジで。」
イレーヌから迸る女の色気を頭を振って振り払い、悶々とした頭で考える。彼女が俺たちに対して悪事を企んでいるとしたら、どんな内容だろうか。サークルクラッシャーばりに、自分を巡って俺と兄さんを争わせるとか?俺は精神年齢はアラサーだけど女性経験ゼロだし、兄さんはイケメンけどやっぱり女性経験はゼロ。つまりここにいるのは童貞の坊やが2人、イレーヌほどの美人がクラッシュしようと思えば駅前で怪しいツボを売りつけるより簡単かもしれない。・・・いやいやそんなことしても何のメリットもないよな。だとしたら金だろうか。俺たちほど金を持ってない人間もいないと思うから、それはないか。あと俺たちに差し出せるものといえば・・・美の化身こと我が兄そのものか。兄さんはダメだ、どこの馬の骨ともわからんヤツに兄さんはやれんぞ。
悶々と考えながら狩りを続けていると、すぐに夜になった。夜は危険なため、交代で睡眠をとる。2人が寝て、1人が見張りだ。俺は身体は疲れているというのに、悶々と考えているせいか目が冴えてなかなか寝付けない。焚き火の前で丸まっていると、ボソボソとした話し声が聞こえてきた。兄さんとイレーヌだ。俺は寝たふりをしたまま聞き耳を立てることにする。
「イレーヌ・・・今は僕が見張りだよ。寝なくていいのかい?」
「・・・アタシ、邪魔かい?」
「そんなまさか!」
「ふふ。それなら良かった。ねぇオーランド、ずっと気になってたんだけど・・・アンタたちはどうしてこんなに危険な仕事をしてるんだい?何か理由があるんだろう?」
「それは・・・。」
「いや、もちろん言いたくなければいいんだよ。誰にだって知られたくないことはある。それくらい、アタシにだって分かるからさ。」
「いや、特に秘密にしてるわけじゃないんだ。僕はとある貴族の女性から逃げていて、ハルトは結婚の約束をした幼なじみを取り戻すのにお金が必要なんだよ。」
「・・・ふぅん。アンタたち、元農民だろ?食うのに困らない生活してただろうに、それを捨ててまでやらなければいけないことだったのかい?」
「・・・。そうだね、僕はそう思ってる。もちろん、ハルトも同じだと思うよ。」
「そっか。」
「イレーヌは、どうして剣士に?」
「アタシは大した理由なんかないよ。子どもの頃に娼館に売られて、そこから逃げ出して、学もなにもないアタシに出来る仕事がこれしかなかったってだけさ。」
「・・・僕は恵まれていたんだね。」
「そうだね。でもアンタがそれを気にすることはないし、アタシだって同情してほしいなんて思ってないよ。産まれは誰にも選べないし、嫌だと思うことも人それぞれ違うんだからさ。」
「イレーヌ・・・君は・・・」
「シッ!オーランド、ハルトを起こして。何か来る!」
イレーヌが剣を抜き放ち、ガサガサと音を立てる暗闇に向けて構えた。俺はすぐに飛び起きて、弓矢を構える。やがて焚き火に照らされて姿を現したのは、巨大なカニの怪物だった。
「ちっ!森林蟹がどうしてこんなところに!生息域から半日は離れているはずなのに・・・!」
イレーヌが言うとおり、それは熊のように巨大なカニだった。さすがに身長はそれほど高くないが、それでも10歳の俺と同じ程度の高さがある。甲羅の表面にコケや小さなキノコを生やしていて、なるほど森林蟹という名にふさわしい見た目をしている。
「シッ!」
イレーヌが斬りつけるが、狼の頭さえたやすく両断できる彼女の一撃は、カニの甲羅に小さなキズをつけるだけだ。カニはイレーヌの攻撃を気にした様子もなく、その巨大なハサミを振り上げる。
「みんな、逃げるよ!コイツはアタシたちでは殺せない!」
「わかった!」
兄さんが焚き火から火の付いた棒を広い、投げつけた。カニは一瞬だけ怯んだが、構わず巨大なハサミを振るってくる。イレーヌがそれを後ろに飛んで躱すと、椅子代わりにしていた太い丸太がお菓子のウエハースのようにぐしゃりと潰れた。とんでもないパワーだ。
「クソッ!走れ走れ!ヤツは図体がデカイから、なるべく木が密集しているところを走るんだ!運が良けりゃあ死なずに済むよッ!」
月の光が僅かに差し込むだけの森の中を、俺たちは全力で駆け抜けていく。背後からはガサガサという音が追いかけてくるが、まったく距離が離れない。あの大きさで相当に走るのも早いらしい。
「やっぱり逃げ切れないか・・・!やり手の魔法使いの1人でもいれば焼きガニにしてやるっていうのに・・・!」
「・・・俺が始末します!」
「無理だよ、ハルト!あのカニのクソ分厚い甲羅を見ただろう!弓矢なんて通用するもんか!」
イレーヌの言葉を無視して、俺は走りながら弓矢を真上に構えて、目一杯の力で発射した。この作戦は以前、熊を倒した時と同じもの。頭上に射った矢は重力の力で加速し、熊の頭骨を貫通するほどの威力になる。確かにあのカニの甲羅は硬かったが、俺の必殺技が通用しないほどではないはずだ。
だが俺の行動を見たイレーヌは、走りながら俺を罵倒した。
「なんだい、わけの分からないところに射ちやがって!せめて振り返ってまっすぐに射ちなよ!アンタならひょっとして、カニの目玉ぐらいは撃ち抜けるかもしれないだろ!?」
「あれでいいんですよ!真上に射った矢は落ちてくる時の力で加速するんです!」
この世界には義務教育なんてないし、学校なんて金持ちの子どもしか通えないからな。剣士として生きてきたイレーヌが重力加速度のことを知らなかったとしても仕方あるまい。そういう俺もウェブ小説を読んで知ったやり方だから、偉そうなことは言えないけどな!読んでて良かった、ウェブ小説!
だが学のないイレーヌは俺の言うことが納得できないのか、さらに調子を強めて怒鳴ってくる。
「アンタ、バカなのかい!?弓矢の威力は射ち出す時の初速で決まるんだよ!重力を利用したかったら、高台から射ち下ろさないとダメだ!」
「・・・はぁ?そんなわけないでしょ。いいから見ててくださいよ。」
俺の言葉の直後、スカン!という小気味良い音が暗い森の中に響いた。背後からのガサガサ音が止んだのを確認した俺たちは立ち止まり、戦闘態勢のまま息を整えた。それから来た道をゆっくり引き返すと・・・そこには月に照らされた、脱力して横たわる巨大な森林蟹の姿があった。
すっかり動かなくなったことを確認してから死骸を調べると、ちょうど目と目の間あたりに、分厚い甲羅を貫通する穴が開いている。俺が放った矢は重力によって加速され、凄まじい勢いでカニを真上から撃ち抜いたのだ。
ふん、俺の言った通りじゃないか。俺は渾身のドヤ顔を決めながら、イレーヌに言ってやった。
「ほら、俺の言ったとおりでしょう?重力のパワーはすごいんですよ。なんていうか、あの、アレ・・・この惑星のパワーそのものですからね。」
別にいじめるつもりはないが、バカ呼ばわりされたのだからこれぐらい言っても許されるだろう。イレーヌはしばらく信じられないといった表情でカニの死骸を調べていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「ハルト。」
「なんですか?」
「アンタはバカだ。」
「!?」
それから今度は兄さんに向けて言った。
「オーランド・・・アンタ、知ってたんだろう?この子の技が普通じゃないって。だからわざわざ狩人なんて危険な仕事を選んだんだ。」
「・・・ああ、そうだよ。ハルトの技は本当の意味で神業なんだ。きっともっと何か・・・すごいことができるはず。僕はそれに賭けたんだよ。」
「ああ、そうかい・・・そうだろうね。アタシでも立場が同じならそうするだろう。これは本当にすごい技だ。あり得ないよ。・・・なのに本人はまるでそのことに気がついてない。・・・バカだ。」
な、なんだよ。なんか2人の間で通じ合ってるんだけど。俺にはさっぱりわからない。とりあえずバカバカ言われて悔しいので何か言い返してやりたくて頭をめぐらしていると、そんな俺を見た兄さんは俺の頭を撫でて苦笑した。
「ハルトはバカなところも可愛いんだよ。」
くっ・・・兄さんに「可愛い」なんて言われても嬉しくなんてないんだからね!必死に絞り出した俺の口から、とりあえずこんな言葉が出てきた。
「兄さんの方が可愛いですよ。」
ファンタジー書こうと思ったのに魔法が出てこないんです・・・。




