イレーヌ登場
「これで人食兎が10匹、群灰狼」が3匹・・・今日のところはこのへんで帰ろうか、ハルト。」
俺が仕留めた人食兎を手早く血抜きしながらオーランド兄さんが言った。獣の解体は生臭い作業だが、この世の美という概念を具現化した存在である兄さんがやっていると、まるで厳かな宗教的儀式のように見えなくもない。
ここは俺たちの出身であるモーリス村から野を超え山を超え、5日ほど歩いた場所にある森の中である。
そう、俺たちはついに村を出た。狩人として一攫千金を狙うため、産まれ育った村を捨てたのだ。ここから徒歩で半日ほどの場所に少し大きな町があり、今はそこを拠点にして周辺の魔物や野生動物を狩る生活をしている。
俺の能力を目の当たりにした兄さんが言うには、あのままモーリス村で開墾するより、狩人として一発当てる方が俺たちの目的を達成できる可能性が高いそうだ。確かにあのまま開墾を続けていても十分な土地が手に入らないことは明らかだったし、そもそも重労働すぎて身体を壊す方が先になりそうだ。兄さんが狩人になると言い出した時、俺は一も二もなく了承した。
俺たちの目的・・・俺の目的は幼なじみの2人を領主の魔の手から救い、あわよくば自分の妻として迎えること。兄さんの目的はどっかの行き遅れ貴族の婿にされないこと。兄さんの目的は家を出た時点で身を隠せているので、ある程度は達成されたような気がするが・・・もっと遠くに行かないと貴族の追手が探しにきてしまうかもしれないし、そもそも自活できないとそのへんで行き倒れることになる。俺たちはなんとかして大金を稼ぎ、確かな地位と名声を得る。そうすれば俺は堂々と幼なじみたちを妻として迎えることができ、兄さんも自由に生きることができるようになるはずだ。
「兄さん、テント畳みますね。」
「ああ、頼むよ。僕はこの人食兎を解体しておくから。」
俺はテント・・・と言っても、ただ水を通しにくい大きな布を木に縛り付けただけのもの・・・を畳み、それからここ3日ほどで仕留めた獲物の干し肉や骨、それから皮をまとめてリュックサックに入れて、入り切らない分をヒモでくくりつける。獲物の解体や運搬はそれなりに大変な作業だが、開墾に比べれば少しはマシだ。
「(せっかく異世界なんだから)アイテムボックスとかマジックバッグとか、そういうのはないのかな?」
俺の独り言に、人食兎の皮を慣れた手つきで剥ぎ取っている兄さんが答えてくれた。
「アイテムボックスにマジックバッグなんて、ハルトは変わったことを知ってるね。」
「え!?あるんですか!?」
「・・・え?知ってて言ったんじゃないのかい?荷物が大量に入る魔法鞄というもは実在するよ。超高級品で希少品だから、王族や裕福な隊商しか持っていないらしいけどね。僕も話に聞いただけで、見たことはないよ。収納空間は強力な魔法使いだけが使用できるという空間魔法の一種だね。」
「へぇ〜。それは便利ですねぇ。じゃあ、どっちみちこの荷物は俺たちが汗水流して運ばないとダメってわけですか。」
「掘り出した岩石とか切り株を延々と捨てに行く作業よりはいいだろう?」
「たしかに。」
「余裕が出来たら押し車でも買おうか。一度に運べる荷物が増えればもっと稼げそうだしね。」
「そうですね。もっと効率よく稼がないと・・・あ、そろそろシチューが食べごろですよ。」
「じゃあ、腹ごしらえを済ませたら町に戻ろうか。」
焚き火でコトコトと煮込んでいた鍋の中から、中身を木の器によそう。切り株に腰掛けて、木のスプーンですくったそれは群灰狼」という魔物のスジ肉や近くで採れたキノコと香草を適当に煮込んだシチュー。この森での定番メニューである。荷物を可能な限り減らしたい狩人たちの食事は、携帯用にカチカチに焼いたパンと現地で採れた食材だ。
ほかほかと湯気を立てるシチューを口に入れると、濃厚な肉の旨味が口いっぱいに広がった。群灰狼」のスジ肉は硬くて食べにくいものが、時間をかけて煮込むとトロトロで最高にまろやかな食材となる。手間がかかるために売値が安く、大半は俺たちの食事になった。要は焚き火の近くの熱すぎない場所に鍋を置いておくだけなので、手間はほとんどかからない。
味付けはわずかな塩だけだがそれで十分だ。まるで「飲める肉」とでもいうような濃厚な肉の味が溶け込んだシチューの中に、キノコの食感と香りがアクセントとなって食欲をさらにかき立てる。さらにこのシチューに、保存用の固いパンをじっくりと浸す。シチューが残り少なくなった頃、十分にシチューの水分を吸って柔らかくなったパンをかじる・・・その味はまさに至高。この世界の食材は、本当に難しい調理の必要がない。とはいえやっぱりきちんと調理した料理が恋しくならないわけでもない。ジルが作ってくれたスープが懐かしい。
腹ごしらえを済ますと、俺と兄さんは大量の荷物と獲物を担いで帰路についた。まだ昼前なので日は高く、天気も良い。暗くなる前に町に着くことができるだろう。
村を出てから、すでにひと月が経っていた。俺は村を出発した日のことを思い出す。
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熊と闘った日から約1ヶ月、俺は兄さんの指導のもと、弓の練習に精を出した。とはいえ普通の練習とは少々異なる。俺の放った矢は絶対に命中するので、練習の内容はとにかく「強く射ること」と「連射すること」に重点を置いた。
それと同時に俺たちはこっそりと家出の準備を進めた。と言ってもモーリス村で大した準備ができたわけではない。なにせ雑貨屋のひとつもないので、旅に必要な道具を揃えることもできないのだ。やったことといえば動物を狩って換金用の毛皮を貯めたことと、ジルとエレノールにこの計画のことを伝えたことぐらいだ。
ちなみに両親には最後まで何も言わなかった。両親にとって貴族の仲間入りの鍵である兄さんが家出するなどということは絶対に認められないだろうし、そうでなくても無謀な計画であるのは間違いないのだ。育ててくれた親への感謝の気持ちも愛情ももちろんあるが、だからといって狩人になることを辞めるという選択肢もあり得ない。それはすなわち幼なじみたちを諦め、自分の人生を諦めることになるのだから。
出発の日。まだ日も昇りきらない薄暗い時間に、俺と兄さんはいつもの河原で最後の荷物チェックをしていた。
「よし、山越えが多少不安だけど、荷物はこれで十分だろう。ハルトも・・・本当にいいんだね?」
「当然ですよ。それじゃあ出発しましょうか。」
「ああ。僕は先に行ってるから、すぐに追いついておいで。」
「え?」
兄さんがチラリと目線を送った先に、2人の人影があった。まだ薄暗い中を寄り添って歩いてきたのは、ジルとエレノールだった。
怒ったような表情で口を真一文字に結んでいるジルと、優しげな目元に薄っすらと涙を溜めているエレノール。2人だが俺の目の前までやってきてしばらくじっとこちらを見つめていたが、意を決したようにエレノールが口を開いた。
「・・・行くのね、ハルト。」
「うん、行くよ。」
「あのね。言うだけ無駄だとは思うけど・・・どうか無理だけはしないでね。死んだら何にもならないんだから、何があっても死んじゃあダメよ。」
「ああ・・・必ず帰ってくるから・・・だから・・・だから数年だけ待っててくれるかい、エリー?」
「・・・さあ、どうかしら?」
「えっ」
エレノールはいたずらっぽく笑った。
「だって、まだハルトの奥さんになるって約束したわけじゃないもの。もしハルトがちゃんと言葉にしてくれるなら、きっと私たち、おばあちゃんになるまでだってハルトの帰りを待っていられるわ。ねぇ、ジル?」
エレノールの言葉を受けてジルは何かを言いかけたが、しかし黙ったままその言葉を飲み込んだ。切れ長の目は釣り上がって不機嫌に見えるが、俺には分かる。これは泣くのを我慢しているんだ。俺は二人の前に片膝をついて、右手でエレノールの手を、左手でジルの手をとった。
「ジル、エリー。2人一緒にこんなことを言うなんて不誠実と思われるかもしれないけど・・・でも俺には2人とも愛しているからどちらかを選ぶことなんてできないし、3人一緒にいるのが一番幸せだって信じてるから言うよ。俺は必ず立派になって、5年以内に帰ってくる。だから・・・だからどうかその時は俺と結婚してください。」
喉が乾いてヒリヒリと痛み、緊張で手が震えるのがわかる。我ながら酷いプロポーズだ。エレノールはそんな俺の言葉にクスッと可愛らしく笑った。
「もちろんよ、ハルト。・・・ジルは、どう?」
水を向けられたジルは・・・いつの間にか、ボロボロと泣いていた。気の強そうな顔をクシャクシャにして、鼻水まで垂らしている。せっかくの美少女が台無しだが、そんなジルも最高に可愛いと思った。
「ひっぐ・・・ひっぐ・・・アタシもけっこんずる・・・ハルト、だいずきよ・・・ばや゛ぐ・・・がえ゛っでぎでね゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛・・・・!」
しばらく3人で抱き合った後、俺は後ろ髪を引かれながら出発した。ジルとエレノールと離れるのは辛いが、今だけだ。必ず戻ってきて、末永く幸せに暮らしてやるのだ。決意も新たに、こうして俺の挑戦は幕を開けた。
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「ふふふ・・・。」
「ご機嫌だね、ハルト?」
「そりゃもう。今から村に帰るのが楽しみで仕方ないですから。」
「そうか・・・うん、そうだね。」
俺たちは2時間ほど順調に歩き続け、そろそろ森の出口というあたりまでやってきたところで、遠くから獣の鳴き声が聞こえてくるのに気がついた。進むにつれてこの声は大きくなり、はっきりしてくる。どうやら複数の獣が叫んでいるようだ。
そのまま進むと、間もなく鳴き声の正体が判明した。人が魔物の集団に襲われているのだ。
「兄さん、あれは・・・子鬼というヤツですかね?」
「そうだね。女性が襲われているようだ。助けなければ。」
ぼんやりしている俺とは対象的に兄さんの行動は早い。担いでいた荷物を下ろすと、まるで迷う様子もなく弓を手にし、戦闘している集団に向けて走り始めていた。人が襲われているんだから助ける。当たり前のことだが、ここまで迅速に迷いなく実際の行動に移せる人はそう多くないと思う。兄さんは心まで美しいのだ。
俺もあわてて荷物を下ろして兄さんを追いながら、戦闘している集団を観察する。どうやら1人の女性が、10匹ほどの子鬼の集団に襲われているらしい。といっても女性もそれなりに戦えるようで、一方的にやられているとか、引き倒されて18禁的な展開に持ち込まれているわけではなさそうだ。右手に長剣、左手に小盾を装備した女性は取り囲まれながらもうまく応戦し、地面には息絶えた子鬼も何体か倒れている。
観察しながら走っている間に弓矢の射程距離に入ったので、俺は無造作に矢をつがえて適当に射る。矢が命中したかどうかを見ることもなく、次々と矢を放った。俺が放った矢は明らかに適当な方向に飛んでいったが、途中で意志を持っているかのように軌道を変えて次々と子鬼に命中していく。
結局、前を走る兄さんは一度も矢を射ることもなく、子鬼の集団は全滅した。俺が最初の矢を放ってから事が済むまで、20秒くらいしか経っていないだろう。
「さすがだね、ハルト・・・。」
兄さんは寂しそうに唇を噛んだ。最近の兄さんは時々こういう顔をするのだ。その憂いを帯びた表情はとても絵になるのだが、その顔を見るたびに俺はなんとも言えない気持ちになる。
助けられた女性はぽかんと口を開けて、自分を取り囲む子鬼の死骸を見つめていた。12体いた子鬼は、その全てが眉間に矢を突き立てて絶命している。俺の矢は防御しない限りは絶対に命中するし、子鬼ごときに飛んでくる矢を防ぐことは出来ない。不可避の一撃というわけだ。
「やあ、ケガはないですか?大変でしたね。」
女性は状況が飲み込めないのかぼんやりしていたが、兄さんが声をかけるとハッとして、それから顔を真っ赤に染めた。超絶イケメン狩人である兄さんに声をかけられた女性が見せる典型的なリアクションで、9割の人間がこういう反応になる。残りの1割はいきなりプロポーズしてくる、気絶する、失禁する、泣きだすなど色々である。
その女性はこの世界では比較的珍しい黒色の髪を腰まで伸ばし、傷だらけの軽装鎧に身を包んだ典型的な剣士であった。あれだけの子鬼に囲まれてケガらしいケガをしていないのを見ると、それなりに戦える人間と推測できる。しばし兄さんの美しい顔に見とれていた女性だが、すぐに自分の頬を叩いて我に返り、深々と頭を下げた。
「危ないところをどうもありがとう!危うく子鬼の巣に連れ込まれて子どもをバンバン産まされるところだったよ。あいつら強くはないんだけど、とにかく数が多い上にしつこくてね。」
そんなエロ同人みたいなこと、本当にあるのか・・・さすがファンタジー世界。俺の驚きはさておき、顔を上げて笑顔を見せる女性剣士は中々の美人である。意思が強そうなその瞳は、なんとなくジルを思い出させる。
「あたしはイレーヌ。見ての通りの剣士さ。アンタたちは?」
「僕はオーランド。こちらは弟のラインハルト。狩人をしています。」
「へぇ・・・この森で狩りを?他のメンバーは?」
「いません。僕とハルトの2人だけでやっています。」
「なんだって・・・?いや、気を悪くしないでほしいんだが・・・それ本当なのかい?だって見たところアンタたち、どちらも弓使いじゃないか。魔物が多いこの森で、どうやって身を守ってるんだ。魔物に接近されたら死ぬだろう?」
「接近される前に倒せますから。」
兄さんが累々と横たわる子鬼の死体に目配せすると、イレーヌと名乗る剣士は納得したように頷いた。
「ああ、なるほど。この目で見てなきゃ信じられないところだけど・・・確かにこんな弓の腕前があれば、そういうこともあり得るんだろうね。普通は5、6人でパーティーを組むんだよ。この森で狩りをするならね。」
そうなのか・・・俺たちは知らないうちに危険なことをしていたらしい。確かに、夜中は知らないうちに魔物に接近されたらヤバイのでかなり警戒していて寝不足になったが・・・みんな、もっと大人数で来るのか。だが、それにしてはイレーヌはひとりだ。他に人間の気配はまるでない。俺と同じことを考えたのか、兄さんは探るように質問した。
「・・・あの、イレーヌさんのパーティーの方はひょっとして・・・。」
「死んだよ。アタシ以外は全滅さ。運悪く、森林蟹」の群れに遭遇しちまってね。」
「すみません、無神経な質問でした。」
「いいんだよ。こんな仕事をしてればよくあることさ。ところでアンタたち、町に帰るのかい?できれば同道させてもらえると嬉しいんだけど。またひとりで魔物に襲われたらかなわないからね。」
「もちろんですよ。一緒に行きましょう。いいよね、ハルト?」
「え?あ、はい。」
急に話を振られたので、反応が遅れてしまった。俺の目は、とあるものに釘付けになっている。少し離れた位置に置いてある手押車だ。イレーヌのもので間違いないのだが、色々な荷物が積んであって、荷物の中には剣や弓、杖や防具などもあるように見える。俺はそれが気になった。
3人で歩き始めると、イレーヌは手押し車に俺たちの荷物も乗せてくれた。交代しながら手押車を押して進んでいる途中も、俺は積んである荷物のことが気になって仕方がない。
そんな俺の懸念を知ってか知らずか、兄さんとイレーヌは仲良さそうに世間話をしている。
「イレーヌさんは、剣士になって長いんですか?」
「敬語とさん付けはやめとくれよ。アタシはまだ19なんだ。この仕事は12の時からやってるね。オーランドは17ぐらいかい?」
「僕は15ですよ。」
「そうか。大人びてるから、もっと上かと思ったよ。」
「イレーヌさんも、もっと上かと思いましたよ。とても落ち着いているし・・・。」
「それは褒めてるのかい?女としては複雑だね・・・。」
俺はこの空気に水を差すこともないと考え、黙っていることに決めた。どのみち彼女とは町に着くまでの関係なのだから。
だがこの荷物・・・明らかに彼女のパーティーメンバーの武器や防具である。彼女は森林蟹とかいう魔物に襲われて他のメンバーは全滅したと言った。魔物に襲われて死んだメンバーの武器や防具が、こんなに綺麗に回収できるものなのだろうか?全滅するほど苦戦して逃げてきたなら、そもそも武器や防具など回収できないのではないか?かろうじて彼女は森林蟹にトドメを刺して、それから仲間の装備を回収したとすればどうだろう。・・・それにしては、特に防具の状態が良すぎる気がする。血の一滴も付いていないのだ。
彼女の言っていることがどこまで本当なのか、俺には分からない。だが、わざわざそれを言う必要はない。もうあと数時間でこの関係も終わるのだから。
そして夕方。まだ日も沈まないうちに、俺たちは予定通り町へと到着した。
町の入り口で別れようとした時、イレーヌは思いもよらないことを言い出した。
「なぁ、せっかく会えたんだ。アタシとパーティーを組まないかい?」
なんだか嫌な予感がする。
ハルト側の話を書いてる方が楽しい・・・。




