やさしさの時代
この頃、僕はツイている。
生まれてこの方、人がよくて気の弱い僕はずっと貧乏クジを引いてきた。
学生時代は仲間に世話役として重宝がられあちこち忙しく走り回っていたが、当然のように扱われて感謝されることはなかった。また、好きな子ができても言い出す勇気がなくて、デートをしたことすらなかった。
社会人になっても状況は変らなかった。いつでも、雑用は僕に回って来るし、僕も頼まれれば黙って引き受けてしまう。自分が開発した新製品の手柄を上司にさらわれたことも数え上げればきりがない。車をぶつけられても、相手にまくし立てられると文句が言えずに泣き寝入りしてしまう。
つまり僕は、「いい人」って訳だ。
とにかく人と対立してコトを荒立てるより引いてしまう。それで、別に悔しく思うわけでもない。自分さえ我慢すれば波風も立たず万事丸く収まる、そんな風に僕の思考回路がひとりでに働いてしまうのだから仕方ない。
好意を寄せた女性たちが「あなたってやさしい人ね」と去って行くのを見送って情けないなあと思いながらも、『人生こんなもの』と諦め、ひっそり生きてきたのだ。
でも最近、どうも様子が違う。
長年の研究が認められて、褒賞金が出ることになったり、『近々昇進するって噂があるわよ』とお局様に耳打ちされたりもした。テレビの懸賞に応募したら海外旅行が当たったし、半年前に拾って届けた三万円が落とし主不明で僕のものになったのだ。美人の新入社員から「相談があるの」と言って来たのはデートのお誘いかもしれない。
ある都市の最高級ホテルの一室に、世界を牛耳る黒幕たちがくつろいでいた。
「相手を蹴落として自分が勝ち抜く、のと全く逆のタイプだな」
「これは我々が現在、最も注目しているケースだ。この男のように真面目で知能が高く、しかもやさしい人間を増やしていく必要があるというのが人類飼育部の見解である。彼は我々の監視の元、望み通りの結婚をして幸せな家庭生活を送り、自分と同じタイプの子供を沢山育て、生涯を全うすることになるのだ」
「人類を駆り立て、文明の発達に突き進ませる時代には強烈な個性が必要だった。これまではそのような人間を選び、育て、競わせ、報奨を与えてこの文明を築いてきた。しかしもはや、これ以上進むことは不要だ。危険ですらある。人類の競争心、敵愾心は世界を破滅させかねない」
「さらに、人類が知識を増すに従って我々、真の支配者の存在に気づく恐れも増してくる。我々の快適な生活は、現在の文明レベルで充分保証されている。人類に真の知恵を与えず、これからも我々に奉仕させ続けるには、現状維持が適当だ」
一同は彼らの先祖が地球に不時着し、類人猿の中から彼らの下僕となる一団を選び出し、交配と教育を開始した遠い昔に思いを馳せた。
「もうかつてのような、いわゆるリーダータイプの人間は不要と言うことだな」
「やさしいという性質が子孫繁栄上、有利に働くように、社会に調整を加えなくてはならないだろう」
「やさしい男達が生きやすい社会に転換するのだ。素晴らしい女性をあてがい、幸せな家庭を作らせ、そこから彼らの同類を再生産させるのだ」
「これにより世界はより穏やかに、ゆっくり進むようになり、我々の天下も安泰という訳だな」
出席者全員が人類の飼育方針変更に関する、この動議を支持した。
僕は勇気を振り絞って尋ねた。
「本当に僕でいいのかい。お互いまだよく知り合ってもいないのに」
「あなたのやさしさに夢中なの」
僕のオズオズのプロポーズに彼女は情熱的にうなずいて、微笑んだ。僕のほうはまだ突然とも言える彼女との出会い、急速な接近に驚き、戸惑っていたというのに。
勿論、僕はこれほど可愛くてやさしい彼女に何の不満もなかった。
僕は“やさしい自分”に対して、初めて自信が持てたような気がした。
「うん、確かに僕はツイている」